親友が「感動的なプレゼンテーション」がつらかった話をしていて。プレゼンで使われた「音楽がキツい」と言っていた。

演劇とかやるとわかるけど、音を加えると、文字通り「ドラマチック」になる。へたくそな大根役者でも、らしくみえてくる。映画でも、音楽なしは実に少ない(音楽なしは、特別な演出を狙って行う)。
音楽は、人間の情動にダイレクトに働きかけてしまう。
音楽がキツいのは「さわられたくないのにさわられてしまう」からだと思う。

それで思い出したのが、昔プロコーチと話していて、まあそりゃプロだから上手に質問を投げかけてくる。初めは楽しみながら答えていたが、だんだんと嫌な感覚が襲ってきた。なんだろうこれは……。
「もう、これやめてもらっていいですか」とストップをかけたのだった。「わたしの内面にさわらないで」と思ったんだ。コーチは、すぐに悟って、謝ってきた。「コーチングをする際には、どこまで掘り下げるか同意が不可欠なのに、確かめずに勝手にやってしまった」と。

相談支援とか、僕の仲間には「話を聞く」仕事に就いているひとが多い。大変だろうなと思う。「質問」は暴力になる。
「さわられたくないのにさわられてしまう」キツさ。相談、も、支援、も。職業として、さわりにいってしまうキツさ。

人には境界がある。
境界を越える「テクニック」がある。
テクニックを使うには「倫理」が要る。