■情報は「他人の話し声」

 私のサイトは情報量を評価していただくことがあります。「自閉症に関わる人たちに勇気と知恵を与え合う」というコンセプトからいって、その評価はとてもありがたいことです。
 しかし内心複雑だったりします。
 私は職業柄毎日大量の情報に接しています。そこで感じることは「大事なことは少ない。情報が増えるほど大切なことが見えにくくなる」ということです。大量に情報を浴びることによる「すり減り感」を感じることもあります。
 私は、情報好きではありません。プライベートではテレビも見ないし雑誌も読みません。記事を書く目的以外にネットサーフィンもしません。うわさ話やオフレコ情報も興味がありません。

 情報はつまるところ「他人の話し声」です。
 元気なとき、必要なとき、さびしいときに「他人の話し声」が聞きたくなる。
 疲れたとき、必要のないとき、一人でいたいとき「他人の話し声」は邪魔なノイズです。

 ところが情報摂取には習慣性があります。テレビや新聞を見たり、ネットにつないだり。「つながっている」つもりが「つながれている」状態に陥る。
「他人の話し声」にふりまわされ、感情をアップダウンさせ、神経をケバだたせてしまう。

 けれどもどこかの町の悲しい事件は、本当をいうと、私の生活にはなんら影響のないこと。無関心は罪ではありません。他人に関心を強制する権利は誰にもない。私は選ぶことができる。

 しょせん「情報は他人の話し声にすぎず、自分の外にあるものだ」と心に銘記しておきたいです。そして意識して、アンテナをしまう機会をもつ(サイト夏休みをとったように)。
 心が疲れてしまわないようにするために。

 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルはまもなく発進します。
 私のペースで自由に旅していきます。何も約束はしません。
 どなたさまも、お気に召すまま、主体的に選択的にお楽しみください☆