2004年01月26日

【虐待】15歳長男 食事を与えられず 大阪 岸和田市

love our kids

【虐待】15歳長男 食事を与えられず 大阪 岸和田市

食事抜き3カ月、15歳昏睡 父らを殺人未遂容疑で逮捕@朝日新聞 2004年1月26日

「寝ている」と教師の面会を拒否 中3虐待、対応に遅れ@朝日新聞 2004年1月25日

 心理カウンセラーSanaさんのSilentVoicesにコメントがあります。

【追記】
★2004年1月27日
TamagoBlog-It's a picture world : ■【児童虐待】食事抜き3カ月、15歳昏睡(朝日新聞)■は私の気持ちを代弁してくれています。ぜひお読みください。
★2004年1月29日
……それが問題だ。:どうすればなくなる?――学校も近所も児童相談所も救えなかった被虐待児
 児童福祉法の制度もからめてわかりやすく論じています。

Posted by kaipapa2shin at 06:56 │Comments(3)TrackBack(1)虐待 

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 毎日新聞に中学3年生の男の子に対する「虐待」の悲惨な事件が書かれていました。 毎日新聞(1月25日):「寝ている」と教師の面会を拒否 中3虐待、対応に遅れ 毎日新聞(1月26日):食事抜き3カ月、15歳昏睡 父らを殺人未遂容疑で逮捕 (引用始まり) ====
■【児童虐待】食事抜き3カ月、15歳昏睡(朝日新聞)■【Tamago Blog‐ It's a picture world】at 2004年01月26日 13:14
この記事へのコメント
この事件は、3人の子供を一人で必死で育てている私には、ショックでした。実母は、弟が逃げ出しているのに
身体を張って助け出して欲しかったですね。
今現在、症状が回復しているのか知りたいです。
Posted by 中村 温子 at 2004年08月22日 18:04
>中村温子さん

コメントありがとうございます。


今現在、症状が回復しているのか知りたいです。


たしかに、こういった事件では、「その後」の話がなくなっていきますね。だんだんと記憶も風化していくような…

それではいけないな、忘れずに、地道にできることに取り組んでいかないととコメントを読んで思いました。愛知では児童虐待の事件がとても多いのです。

中村温子さんも、お体に気をつけてHappyLifeを送ってくださいね☆
Posted by カイパパ at 2004年08月25日 07:27
その後の情報です。

子どものための民間教育委員会より転載許可。

岸和田市立岸城中学校3年(当時)男子(A君)の虐待事件について、殺人未遂容疑で逮捕された父親と継母のうち、継母(B)に対する第2回公判が11月22日大阪地裁堺支部で開かれ、1・2年時の担任(X1教諭)及び3年時の担任(X2教諭)に対する証人尋問が行われた。
 まず13時30分からX1教諭、その後、15時50分〜17時20分までX2教諭に対し、それぞれ検察側の主尋問に続き、被告Bの弁護団からの尋問が行われた。
 両教諭の証言は、A君が不登校となった2年生2学期から事件発覚まで、A君が虐待を受けているという疑いは全く持っていなかったということに終始し、2学期には既に校内で虐待の噂が出ていたこと、長期に渡る不登校やBが家庭訪問を拒んでいたことなどから疑問を感じなかったのかという弁護団の反対尋問に対しても、X1教諭は「噂は知らなかった。体調が悪いという本人やBの言葉を信じた」「Bの対応は丁寧で、お怒りになることもあったが、それは理由のある時だった」とし、X2教諭は「引き継ぎの際、不登校の理由は体調が悪いということだった」「A君についての会議をもったことはない。教職員の中で虐待の疑いを持っている者はなかった」という主旨の証言を行った。
 また、A君は、2年生の2学期が始まってから体調が悪いということで欠席し、9月10日に登校しているが、その日のA君の様子について、両教諭はともに「髪が伸びて、色が白く、少し痩せていたという印象で、虐待を受けているのではないかという疑いは全く考えなかった」と証言した。
 これに対し、弁護団から、事件発覚後の検察官調書(04.2.1)には、X1教諭は「ひょっとしたらAは家で食事を与えられていないのではないか、虐待されているのではないかと思った」、また、X2教諭は「この日のことは鮮明に覚えている。Aはゲッソリと痩せ、ふらふらして、髪の毛はフケだらけで、何日も風呂に入っていないのか、ツーンと臭うようだった。Aの痩せ方は異常だった」と記述されていること、また、岸和田市教委に提出した教諭らの顛末書の内、生徒指導担当教諭の顛末書には「不登校対策委員会で協議、子ども家庭センターに相談することを確認した」とあり、この食い違いを追求されると、両教諭ともこれに対して返答をしなかった。
 03年(3年時)4月に生徒指導担当教諭が子ども家庭センターに弟の問題と併せて相談し、子ども家庭センターの記録には「虐待」という記載があることから、少なくとも担任ではない生指担当教諭が虐待の認識を持っていたことは確かだが、両教諭は生指担当教諭が子ども家庭センターに相談したことを「あとから知った」としており、弁護団から「4月になって急に生指担当教諭だけが虐待という認識を持ったのか」「証人尋問を受けるにあたって打ち合わせをしたのか」などの聞かれるほど、両教諭の証言には、様々な食い違いや矛盾点が浮き彫りとなった。
 両教諭は、04年3月、対応が不十分であったとして市教委から措置(訓告・厳重注意)されているが、検察側の調書はともかく、また、両教諭の証言を裁判所がどう受け止めるかは別として、宣誓をした上での両教諭の証言と、事件の重大さを考えたとき、関係教員らの認識が処分に反映されたのか、果たして処分は適切であったのか、またそれ以前の問題として、学校内でこの虐待問題に関して共通認識が持たれていなかったというより、テーマにすらなっていなかったのではないか、という状況が推測される。
 学校という一つの組織として、生徒への安全とか配慮とかに対する心構えがなかったという事実こそが、また、被告らの犯行は別として、未然に防ぐことのできる可能性が極めて高かった状況があったにもかかわらず、全くそのことに心を致さなかったことが、A君に極めて重篤な被害をもたらしたといっても過言ではなかろう。そして、このあたりの検証をお座なりにしてきた市教委の責任も重いと言わざるを得ない。

>>関連資料等は以下のアドレスからご覧いただけます
http://cebc.jp/s-jiko/kishiwada/index.htm



Posted by lilio at 2004年11月23日 22:05