■佐々木正美先生講演会レポート/メモ(3)想像力の欠如独特さ

【追記】2004年9月25日
「想像力の欠如」という表現について再考し、関連箇所を「想像力の独特さ」に改めました。詳しい説明はコメント欄をご覧ください。

佐々木正美先生講演会レポート/メモ(1)全体の感想
佐々木正美先生講演会レポート/メモ(2)自閉症の特性
からの続きです。

★「ちがうことを認めてほしい」
 佐々木先生はおっしゃいました。

 高機能自閉症の人たちが、発言をし本を書くようになって、自閉症の人たちの世界・文化が垣間見えるようになってきた。
 高機能自閉症の人たちが口をそろえて言うことは、
「私たち(自閉症スペクトラム)は、みなさん(メインストリーム)とはちがう」
→「ちがうことを認めてほしい」
→「みなさんに近づこうとすればするほど、疲れてしまう、駄目になってしまう

 ということです。

 身体の障害は「みなさんとちがうこと(何に不便しているか)」がわかるような気がする。それに比べて、自閉症は厚いベールに包まれているみたいで、メインストリームの人々には「何が困っているのか」がわからず、善意から「自分たちのようにすればよい」とアプローチしてきた。それは全然うまくいかなかった。

★「想像力の欠如独特さ」を特性と認める

 正直言って、親としての私には、「想像力の欠如独特さ」という障害特性を認めることは、苦いことです。私は、ずっと「想像力って素晴らしい!」という価値観で生きてきました。想像力がない独特・特異であることは「不幸だ」と思っていました。わが子にも(メインストリームの価値観で言うところの)豊かな想像力があったらなあって思います。
 でも、それって、自閉症の人に対しては「ないものねだり」の酷な要求なんです。

ローナ・ウィングさんの言葉】※カイパパアレンジ
 想像力の欠如独特さという障害特性があるため
・自閉症の人たちから、メインストリームの感じ方を想像して近づくことはできない。
私たちが、想像力を働かせて、自閉症の人の世界に近づき入っていかなければならない
・そこ(自閉症の世界の中)から、メインストリームの世界を理解するための道筋を発見して、導く工夫をしなければならない。

 もう一度、この言葉を噛みしめたい。

 佐々木先生がおっしゃいました。「自閉症の人は、Here & Nowを生きている」

「それこそ、究極の「足るを知る」美徳ではないか」とか、わざとらしくメインストリームの価値観で感動したりして、自分の感情の合理化に夢中になるよりも、「カイはそういう特性を持っているんだ」という事実を受けいれていきたい。

 やはりどうしても自分の価値観(○○の方がエライ>エラクナイ)にとらわれてしまっているのだなあ。

「佐々木正美先生講演会レポート/メモ(4)優れた療育者の資質」へつづく


【2004/10/1追記】
・Silent Voices: 薬の功罪
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/2004/09/post_9.html
 自閉症スペクトラムの淡い層――高機能自閉症やアスペルガー症候群の診断、二次障害治療の難しさを論じています。Sanaさんは心理カウンセラーであり、ADHDのぴょろくんのお母さんでもあり、私の信頼する専門家です。
【このレポートについて】
 私の息子、カイは、5才になるカナータイプの自閉症です。機能的な言葉(場合に合った使い方のできる言葉)は、「イヤー」(嫌)と「イテー」(痛い)の2語しかありません。したがって、講演会を聞くときも、わが子をイメージして聞いています。

 今回アップしている講演会レポートは、何ら公式な講演録ではなく、あくまでも〈カナータイプの幼児を持つ親の学んだ、感じたこと〉をまとめているものです。
 文責はカイパパにあり、聞き間違いや言葉足らずの部分は全て私の責任であることをお断りしておきます。