佐々木正美先生講演会レポート/メモ(4)優れた療育者の資質
今回の講演会でとても印象に残った佐々木先生の発言――
自閉症の人=「想像力の問題で苦しんでいる人」
↑
このことをどれくらい豊かな想像力を持って、どんな支援ができるかを考えられる人が優れた療育者です。
「どうしてわかんないの?!」
「何度言ったらわかるの?!」
「まだできないの?!」
というセリフがでるのは、自閉症を理解していない証拠。
「わかるように伝える」ために、「こうしたらわかるかな?」と提示の仕方を考え、実践する人がよい。1回でうまくいくわけがないので、試行錯誤をいとわずやる。
★よい寄り添い方
「いったいこの子は、どのように感じて受け止めているのか?」
↑
自閉症の特性を理解して想像する
↓
自分(メインストリーム)の価値観、感覚の延長で考えない
たとえば、
・休み時間に「何をしてもよい」と自閉症の人を放っておいてしまう支援者はよくない
自閉症の人に「何をしてもよい」という概念はない。
→「Aしてもよい」「Bしてもよい」「Cしてもよい」といくつかの
選択肢を提示して選ばせる工夫(※「Aしなさい」では、自由時間にならない)
★親が陥りがちな罠
実は私も「なんべん言ったらわかるの!」とかしばしば叫んでいます。自閉症のことを何も知らなかった頃にくらべたらずいぶん減っていますが今でもあります。
「怒りたいのに怒ってはいけない」
「怒っても効果がない」
→だから、怒りを抑える
真面目で子どもを愛する親ほどがんばってしまいます。
しかし、長時間子どもと一緒にいれば、当然怒りたくなる場面がたくさんあるわけです。それを抑え続けると、たしかに怒らないようになっても、人間の感情は
「怒り」だけを抑え込むことはできないみたいで、「よろこび」や「たのしい」「愛情」という感情まで抑えられてしまうことがあるそうです。
どうしたらいいんでしょうね。
「時には(自分のために)怒る」「泣く子どもと一緒に泣く」とかもアリだよな、親だって人間だもん、と――とりあえず自分を許してしまうことが大切なのかもしれません。
その上で、妻が、よく言って、実践しているように
「怒らないですむように、できる範囲で環境を整える」ということなんだと思います。たとえば、
・触ってはいけない危険なものは、手の届かない場所に置く
・誘惑的なビデオやおもちゃは見えないように布で隠す
・できるだけ、部屋をシンプルにキレイに保つ
など、カイと親の双方にとっての心の平安をもたらす工夫をする。
それでも、環境を整えたつもりが、カイのほうが一枚うわてで、いたちごっこだったり……(^^;。現在冷蔵庫に執着するカイの連続攻撃にほとほと参ってしまったり。カンタンじゃない、エンドレスです。
忘れてはいけないこと。家庭は療育の場でもあるけど、親の生活の場でもあります。専門機関や専門家とはちがいます。
だから、環境も感情も、妥協点を見つけていく試みなんだと思います。
「泣いたり、笑ったりしながらカイも私たちもハッピー☆」は不可能じゃないので(きっと成長・発達が解決する部分も多い)、あきらめず続けるだけですね。
★もう一度〜原点に戻る
この
連載のはじめに「原点に戻る」と私は書いたけど、「原点」ってなんだ? もう一度考えてみました。
それは、「自閉症は、自分(私)とは違う世界を生きている」ことを認めることです。
ちがっていることを、悔しがったり、残念がったりするのは、親のエゴです。私の価値基準で、カイの世界を評価しているだけ。
カイは「そのように生まれてきた」のだから、その世界・文化を尊重して、近づきたい。
これこそが、原点なのではないか。
だから、ちがっていることを泣いたり悲しんだりするよりも、もっと、カイを理解したい。
「
佐々木正美先生講演会レポート/託児(1)〜物理的構造化の工夫」につづく
【このレポートについて】
私の息子、カイは、5才になるカナータイプの自閉症です。機能的な言葉(場合に合った使い方のできる言葉)は、「イヤー」(嫌)と「イテー」(痛い)の2語しかありません。したがって、講演会を聞くときも、わが子をイメージして聞いています。
今回アップしている講演会レポートは、何ら公式な講演録ではなく、あくまでも〈カナータイプの幼児を持つ親の学んだ、感じたこと〉をまとめているものです。
文責はカイパパにあり、聞き間違いや言葉足らずの部分は全て私の責任であることをお断りしておきます。
Posted by kaipapa2shin at 07:45
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日頃、お互いの人をおもいやるということを念頭においている。しかし、親をはじめ、医者や心理士などの支援者の中には自閉症などの発達障害についての知らないのでは?と感じさせられることが多くなってる。
あるブログをみて興味があったので、トラックバック機能を使わせ
親や周囲の人に肝に銘じてほしいこと【なにわみちのありまま日記】at 2004年09月29日 00:03
カイパパさん こんにちは
さえすけ父です。
私も さえすけがどう感じて受け止めているのか知りたいと思っています。
・・・と、先日のフォ−ラム懇親会に向かう途中、私の家の近くを通ったときにカイパパさんが言った感想を思い出してしまいました。
「この辺暗いね」(電灯が少ない)
う〜ん、地元住民の感覚では、あそこは明るい道なんです。同じものを見ているのに、感じ方がぜんぜん違うんだという体験ができました。
自分の価値基準だけで評価するのではなく相手の世界、文化を尊重して、近づいていく。心がけていきます。
「だめ」などの禁止用語を使う事が、自閉症の人にとって意味のないもの。日々感じながらも、気づかないうちに使っている事が多々あります。言葉の理解が難しい子どもにとって、「だめ」も「がんばったね」も同じ。「だめ」というとき、大人は感情的になり大きな反応をします。
「大きな反応」という部分のみが強化因子になって、悪循環が続いている。そんな、子どもに接する事があります。悪循環は、本人にも、周囲にもつらい事です。子どものちょっとした行動、私達が彼らの立場になり、悪循環とならないようにしたいですね。
毎日、長い時間すごす親御さんが疲れていたら、手を差し伸べれる支援者が周りにたくさんいるそんな世の中になるといいですね。
「余裕」とは大切な事だと思います。
先日から書き込みをして、ごあいさつがまだでした。知的障害者デイサービスセンター勤務の、うしと申します。支援法案のニュース検索からたどりつきました。よろしくお願いします。
昔、子育てに関するある人の論文で、「5時間以上こどもと密接した生活をしていると急激にストレスが高まる(というような内容)」というのを見て、二児の父である私も妙に納得してしまいました。私は、一歳半の娘に向って積み木を投げつけてしまったことがあります(逆積み木くずし?)。こどもが「全てわかって自分にいじわるしている」と思い込んで、自分が小さい弱い存在に感じられました。かつて行動障害を示す利用者の援助にあたった時も、同じ罠にはまりました。
どうしようもない時は、人前に出て自分の行動が監視される状況を作る、というのが私なりの対処法でした。
久しぶりにコメントさせていただきます。
kyonです。
私が以前、知り合いの自閉症の子供を持つお母さんと話をしていて、支援者には「痛みがわかる人」を選ぶということを言われました。
それから、私は自分が常に「痛みがわかる」ことができているのか。「痛みがわか」った上で支援を行なっているのか。このことが常に自分の資質や行動を振り返るときの一つの基準になっています。
たいていは自分の行動を振り返るときって「しまった」と思っているときなので、落ち込むことも多いのですが。
はじめまして。ティーチプログラムについて読みました。これを見るとまさにそのとおりだなと感じてます。「何度言ったらわかるの?」なんかは母からよく言われる言葉なのですが、「何がわかるの?」と返したくなります。
私は、日頃大人の発達障害の支援のあり方について日記をつけてます。
ps これからもどしどし知りたいので、カイパパさんのブログのリンクを張ってもよろしいでしょうか?これからもよろしくお願いします。
>さえすけ父さん
「
「この辺暗いね」(電灯が少ない)
う〜ん、地元住民の感覚では、あそこは明るい道なんです。
」
いや、私にはどう考えても「暗かった」んです(^^;
確かにささいなことだけど、同じものを観ているようで、別のものを(フィルターをかけて)見ているんですよね――よい例ですね。
あのとき、「何一つ目印がない」道をすいすいと走るさえすけ父さんを尊敬したけど、あれも私が見ていたものとさえすけ父さんが見ていたものが全くちがったのでしょう。
なんだか、新鮮な感動です。
>あじさいさん
いつもコメントありがとうございます。
あじさいさんのような、いつくしみのまなざしのある支援者と知り合えてとても元気をもらっています。
親にできること・支援者にできること、もちよって、よりしあわせな暮らしを実現したいです(^^)
>うしさん
自己紹介ありがとうございます。バックグラウンドが少しでも分かると、なんだかほっとします(ブログサイトをやっている人はみんなそうだろうなあ)。
「
こどもが「全てわかって自分にいじわるしている」と思い込んで、自分が小さい弱い存在に感じられました。かつて行動障害を示す利用者の援助にあたった時も、同じ罠にはまりました。
」
よく、わかります。かなしくなります。
言葉のある自閉症の人は「わかっている」と過大評価され、言葉のない自閉症の人は「コミュニケーション不能」と過小評価される傾向がある気がします。
「わかっているようで、全くわかっていない」
「わからないようで、方法を工夫すれば、わかる」
そういうことへも、想像力を働かしたいです。
「
どうしようもない時は、人前に出て自分の行動が監視される状況を作る、というのが私なりの対処法でした。
」
この言葉、すごく重く受け止めています。
「社会化」という言葉があるそうですね(ぶどう社の市毛さんに教えてもらいました)。
「私個人の問題は、じつは私個人だけの問題ではない」と気がつくところから始まる――これって、すごく特殊で勇気のある人にしかできないように思えるけれど、意外と簡単にできる、技術のような気が最近しています。
もし、この「社会化する」ことが、気軽にできる技術を伝えることができたら、すばらしいなあと思っています。カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルは、そのための一つの実験であり、私自身のスキルアップの場でもあります。
P.S.
「うし」という文字を見ると、パペットマペットのを思い出して、「うしくん」と呼びたくなります。ぼくは「かえるくん」(*^^*)
>kyonさん
私は、「終わりのなさ」が親を追い詰めるのだと思っています。
その点、入所施設の職員も似ているのではないかな?
自閉症の人が穏やかに過ごせない状態が続くとき、どんな人でもしんどくなるときがあります。
がんばりすぎて「こんなにがんばっているのに何で?!」と憎しみに転化する瞬間が一番危ない。
うしさんが書いてくださったように、第三者の目、サポートがいつも必要です。「うしろに誰かが控えていてくれる」緊張感でもあり、安心感でもあるような、そんな支援体制が欲しいです。
>みっちゃんさん
お久しぶりです(マイ施策提案会議のときメールくださったみっちゃんですよね?)(^^)
私のブログは、リンク(個別記事へのリンクも大歓迎)、アンリンク自由です。事前事後の通知も不要です。お好きなときに、リンク&アンリンクしてくださいネ。
みっちゃんのブログも拝見しました。まだトップページしか読んでいませんが、たいへん興味深いです。学ばせていただきますね。
サイドバーの「自閉症スペクトラムリンク」に登録させていただきました。
P.S. 重複Trackbackとコメントは削除しておきます。