カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

権利擁護

「生きていていい」なんて。

相模原事件から1年が経った。言及する記事や番組が多く流れている。
が、じぶんからは言葉が出てこない。

それでも、ひとつだけ記しておきたいことがある。

「生きていていい」という表現に、痛みを感じます。

「生きていていい」とは、だれが、だれに許可を求めているのか? だれが、だれにゆるしを与えているのか?

わたしも、そう「言って」しまいそうになる。そう「言った」ことが何度もある。「生きていていいよね」と。
いわざるを得ない心情がわかる。そう「言う」人が、やむにやまれぬ気持ちであったり、やさしい同情心から「言って」いることも知っている……

でも、そう「言う」ことで、無意識に生命の価値づけをしていることを認めているのではないか。いや、じぶんが生命の価値付けを、認めているわけではないかもしれないが、この「世間に生命の価値付けが存在すること」を認めているのだ(認識という意味から、仕方が無いと受容する意味までスペクトラムはある)。

・「生きていていい」という表現は、「排除する社会(人の集団)への異議申し立て」である。
・決して「排除する社会(人の集団)」に対して、ゆるしを求め、おうかがいを立てるものではない。

この表現を、目にするたびに、そう確認をしないとわたしはつらい。
というか、再確認をしたとしても、苦い痛みは消えない……

わたしのなかにある、生命の価値付けの認識、「居場所がない・奪われる」というおそれ、そういった不安が刺激されるから。

「生きていていい」なんて。

言わなくてもいいはずなのに。

RE: バスでのできごと(野球部のみなさんへ)

今日は成人の日ですね。

2012年12月に、バスの中で高校生が知的障害者をいじめた動画を撮りアップした事件がありました。その報道を知って「バスでのできごと(野球部のみなさんへ)」という記事を書きました。
事件の当事者である高校生へ向けて、障害のある子を持つ親からの思いを綴ったものです。

・バスでのできごと(野球部のみなさんへ)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52449928.html

もう4年が経つんですね。この事件の高校生も、今は働いていたり、学生になっていたりするのでしょう。成人を迎えたかもしれません。

今わたしは彼らが「この時自らがしたこと/感じたことを覚えていてくれるといいな」と思います。

大人になると、守られる立場から、わが子や大切な人を自分が守る立場になっていきます。そのとき、人がどうしても抱えてしまう「弱さ」に気づくでしょう。この子が泣くと、わが身が切られたかのように痛く、悲しい……。その「弱さ」を否定せず、どう認めて大切にしていくか? 

あなたがたは、自らの生き方やあり方を問う経験を既にしています。叱られたり、叩かれた経験はとても苦しく辛いものだったでしょう。
だからこそ、「痛み」を憎しみや嘲笑ではなく、やさしさに変えていける──「弱さを知っている」大人になれると信じています。

大人になることを祝福します。おめでとうございます。
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10年前のカイ。地下鉄練習中。

2016年12月30日

少し早いですが、今年のしめくくりのごあいさつをさせていただきます。

2016年は個人的には身体の調子も回復し、良い年でした。このブログでも、出会ったことのない方々とも有意義であたたかい交流ができたことに感謝しています。ありがとうございました。

今年7月に起きた「相模原事件」のことについて触れないわけにはいきません。思いつくままに並べていきます。

・直後に起きたメディアによる「犯行動機」のたれながしによる心理的な追い込みが起きた。
・リオオリンピック後、ぱったりと止まった報道。NHK以外で取り上げるマスメディアはなくなった。
・隔離された特殊な場所で起きた、特殊な傾向を持つ人が起こした特殊な犯罪、としてメインストリームの中では忘却のかなたに流されていくことで決まったように感じる。
・「名前を持たない」人たち。「存在」を奪われたようだ。個人として、悼むことができない。
・街を歩くことに恐怖を覚える、身の危険を感じるようになったという当事者の思い。失われた社会への信頼・安心感。この事件は、加害者、被害者の範囲が、自然に拡大していくようなおそろしさがある。
・事件は固有・個別の物として語られるべき。同時に「社会」に敷衍して語られなければならない。なぜ?
・タブーがタブーでなくなる時、かろうじて残っていた「規範」が消失する。偏見・差別に基づく憎しみが表舞台に出てくる。犯罪行為ではなく、政治的な主張として立ち現れ、それが「排除を正当化する」統合(皮肉)の旗印になったら?
・当事者団体、親の会などからあがった意見表明は、事件(報道)へのカウンターとなって傷ついた心を癒やした。社会の「傾き」を修復する機能を果たした。
・「良識」や「規範」を、もう一度語り直すべき。だが、この土俵にあがること自体が苦しい。

あの事件が起きた日から、頭にもやがかかったようで不調が続きました。夏の間ずっとでした。秋口になってようやく心身の調子がマシになってきて、「物が考えられる」ようになったと思って、初めて不調に気づきました。わたしごときの心身の不調など、どうでもいいことではありますが、いったいどれだけの人たちが動揺し、傷つき、失われた時間を過ごしたのだろうか……そう想像したりします。

まとまった論考をすることは未だできません。傷ついているのだと思います。

「人は許すことなんかできない。ただ、忘れるだけだ」そう聞いたことがあります。
わたしが3か月経って調子が回復したのも、単に「忘れた」からにすぎないのでしょう。

特殊な場所で起きた、特殊な傾向を持つ人が起こした特殊な犯罪。わたしもそう思いたいのです、心の底では。自分の周りでは決して起きない。降りかからない。社会は安定したまま揺るぎない。

「障害の有無にかかわらず
 国民が相互に人格と個性を尊重して
 安心して暮らすことができる
 地域社会」 
(障害者総合支援法第1条より抜粋)

普段ならこんな「お題目」に心を動かされることもないのですが、しがみつきたい。切実に大事にしたい。
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<追記>
──先ほど、名古屋市緑区で起きた「心中」子殺し・自死事件のことを知りました。

ここでくだくだしく御託をならべること自体が──障害のことを、深刻なネガティブなものとして流通させてしまっているのかもしれませんね……

逆に、「こんなに幸せに生活しています!」なんてアピールも、まぶしくて弱っている人を、かえって追い詰めているかもしれない……

何もかもが無意味に思える。

無力だ。


人が人としてありのままで尊重される
生きることは、誰のゆるしも必要ない
「おたがいさま」で生きていこうよ

ころさなくていい
しななくていい
いきていこうよ

お願いだから

10月1日プロジェクト部企画会議〜津久井やまゆり園事件についての対話

今日は、愛知県自閉症協会・つぼみの会プロジェクト部の企画会議でした。
いつもどおり、チェックイン(ひとこと自己紹介)から始まり、3人の初参加者に向けてプロジェクト部の紹介。
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企画会議では、12月10日に豊橋で「明石洋子さん明石徹之さんの講演会」を開催すること、1月29日に岡崎で吉川徹先生の「医療セミナー」を開催すること、3月19,20日の特別支援教育フォーラムに今回はどんなふうに参加できるかな?などを話し合いました。

そして、「ネットワークかみひこうき」キックオフ会について、こうままさんから参加報告がありました。
「どこで? 誰と? どう暮らしていくか?」が、権利擁護の肝で、その願いをかなえる保障がなければ、土台からがたがたに崩れてしまうんだな……ということを思いながら聞いていました。

・ネットワークかみひこうき
http://ita-tkym.wixsite.com/kamihikouki

後半は、津久井やまゆり園事件について、対話をしました。
最初に、亡くなられた19名の方の、分かる限りの情報(年齢と性別)を一人ひとり読み上げてから、黙祷をささげました。
それから、一人ひとりが自分の言葉で、想いを語りあいました。
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ある参加者が言いました。あまりにもショックで、フリーズして何も感じなくなっていた。今日みんなと話して、ようやく感情が戻ってきた。

何か「正解」があるわけではありません。「結論」もありません。
既に、事件が起きてしまったことで、誰もが失ってしまった状態です。

一人ひとりに物語があるのに、
死は、存在を奪い、名前さえ奪ってしまった。私たちは、その人の物語を知ることができない。
塊や記号としてではなく、一人ひとりを区別して、祈ることすらできない──そんな理不尽。

下を向いて、疑心暗鬼になって、しあわせに暮らせなくなるのは、「テロ」の意図が実現してしまったことになる。そんなのはわたしはイヤだ。

死者を悼み、日常を取り戻していくこと。
一人ひとりの物語をつむいでいこう。静かな決意を胸に。
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今日のレジメ。番号も振るべきじゃなかった。記号じゃない。人間なんだ。

「みんなで幸せになろう!」

年齢も性別も違うし、生い立ちも違うのに、びっくりするほど感じ方が似ている、魂がつながっていると思っている「心の姉」こうままさんが書いてくれた。

野澤さん、大塚さん、明石さんのお話を伺っていろいろ考えました。
6月の宣言を撤回します。
ブログにも書くし会報にも書くし講演もします。
コラムも講師依頼も積極的にお受けしていきます

・考え直しました:こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/440603287.html

こうくんが成人して、フェーズが変わったから、啓発活動は控えていくと宣言されていましたが、その宣言を撤回されました。
コラムも講演依頼も積極的にお受けするとのこと。

明石洋子さんをはじめとする親としての先輩の話を聴いて、決意を新たにされた。

結局、わたしたちは「一人では生きていけないわが子が地域で暮らしていくために、支えてくれる人たちを増やしていこう、そのために活動をしていこう。微力ながら、地域を耕していこう」と決めた親たちなんです。

疲れたり、しんどかったり、「やめればいいのに」と他人から言われたり自分でも思ったりしながらも、続けてきた。

そして、これからも続けていくんだ。やっぱり。命の限り。

「みんなで幸せになろう!」こうままさんがいつもかけてくれる言葉。わが子だけじゃなく、みんなで幸せになろうと。

わたしも言うよ。

「みんなで幸せになろう!」

加害者を許したくない

事件から4日が経ち、いろいろな言説が発表されています。
いくつか読んでみました。
そして、はっきりと自覚しました。

わたしは、加害者のことを知りたくありません。

人間だから、ひとつぐらいは同情するような「事情」はあるでしょう。
ひととおり「したことは許されないことだ」と断罪した後で、「背景」に思いをはせてほしい、みたいなことが語られる。
だけど、そのように、加害者に「共感」したり「同情」したりしたくはないんです。

わたしは、加害者を許したくないんだと思います。

わたしは、加害者を覚えていたくない。
忘れ去りたいんです。

今日の朝礼で話したこと

神奈川県の障害者施設で起きた殺人事件
私のひとり息子は、カイというんですが、17歳で、知的障害と自閉症のある子です。
あの事件の影響で、今、障害のある本人も、家族も、すごく怖い、悲しい、不安になっています。

「障害者はいなくなればいい」
という加害者の主張が、メディアで垂れ流しされて、それを聞くたびに、うちの子が危険にさらされるような恐怖感がわきます。

みなさんにお願いしたいのは、あの事件が私たちをこういう不安に陥れていることを知ってほしい。
命を否定する、言動に耳を貸さずに、「わたしたちは味方だ」と守る側に立ってほしいということです。

近くにいる人が、そう言ってくれるだけで、支えられます。
それを今日はどうしても伝えたいです。

以上です。

主張のための殺人はテロ

昨日、私はこう書きました。
今朝起きた事件。衝撃を受けています。想像どおり、身勝手な「大義」を吹聴しているらしい。言及することが、男の思うつぼのような気がして、しゃべりたくない。。。

通常だったら、マスメディアでは流れることがない発言が──
もし、そんな発言を公人がすれば責任問題となるような発言が──
犯行の動機だからと言って、「差別発言」が、フィルターなしで流されてしまう。

差別発言の影響は、実際に拡散していく。
その発言に、傷つけられ、身の危険を感じる人たちがいる。
その発言に感化され、差別の助長に利用する人たちが現れるかもしれない不安がある。

私も、底知れない不安におびえている一人だ。

そして、私たちは、姿の見えない「敵」の存在を想像して、おびえて、消耗する。普段の生活ができなくなる。

これは「テロ」そのものだ。
自らの主張を広めて、社会を不安に陥れる「テロ」。
被害者の命は、主張のための「道具」に使われたのだ。

命を冒涜し「道具」扱いする行為をこれ以上許さないために、マスメディアは、加害者の「主張」をこれ以上流すことはやめてほしい。

この影響を眺めていて、自己の主張を世間に知らしめるために凶悪犯罪を犯してやろうと思う者が出るんじゃないか?
やれば、自己の主張が報道される、有名になれる、そのためなら、やろう──現状の報道姿勢は、このような動機づけにつながる危険性があると思った。

今の状態は、加害者の願望したとおりの状況ではないか。
もう加害者の「思いどおり」にはさせないでほしい。お願いです。

知ってもらいたい

今朝起きた事件。衝撃を受けています。

想像どおり、身勝手な「大義」を吹聴しているらしい。言及することが、男の思うつぼのような気がして、しゃべりたくない。
自ら出頭したのは、言いたいことを世間に吹聴するためだろう。人の命が、下劣な主張のために「使われた」……


ひとしきり風呂場で泣いてきた。苦しい、痛い。


日頃、犯罪被害者の氏名やプロフィールなんか報道する必要はないじゃないかと思っていたが、今、「障害者」としか報道されていない一人ひとりのことを知りたいと思う。

犯人の主張より、知りたい。

一人ひとりに名前があり、これまで愛し、愛されて生きてきたことを。
社会的障壁にはばまれて、たくさんの苦労があったけれど、この世界で楽しいことや好きなことを見つけて日々生きていることを。
たくさんの人が関わり、支えあって暮らしていることを。

生きること自体が偉業なんだってことを。
世界に知ってもらいたい。

責任を負うのは誰か/認知症男性JR事故死 最高裁判決

重要な判決が出ました。

・認知症男性JR事故死 家族側が逆転勝訴 最高裁 / 毎日新聞 2016年3月1日
http://mainichi.jp/articles/20160301/k00/00e/040/236000c

この判決によって、これからは親族の監督義務のみで損害をカバーしていくのではない「別の方法」が講じられるようになるといいと思います。
保険、フェンスなどの物理的安全策などの企業努力、声かけ、見守り、、、いろいろあるでしょう。

「家族だけ」では負いきれない。だから、「広く薄く」社会での負担を考えていく。(例「企業努力」は運賃に反映されていく)


──と言っても、家族が「監督義務者」として認められる場合は多くあります。この事件でも、仮に同居していたのが高齢の妻ではなくて息子たちだった場合は民法714条第1項を類推適用して「監督義務者」として賠償責任を負ったかもしれません。
(特に、同居の障害のある子を監護している親たちは、高い確率で「監督義務者」として認定されるのではないかと予想します。)

判決文の全文が読めます。

・裁判所:裁判例情報:最高裁判所第三小法廷 2016年3月1日判決
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85714

最高裁判所はあくまでも今回の個別具体的な事件の判断を下しました。
裁判所が立法をできるわけではありません。

上に書いたような「努力」を企業や社会が講じるためには、法的な整備が必要だと思いました。

(参考)上記判決文から引用
したがって,精神障害者と同居する配偶者であるからといって,その者が民法714条1項にいう「責任無能力者を監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。

ウ 第1審被告Y1はAの妻であるが(本件事故当時Aの保護者でもあった(平成25年法律第47号による改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条参照)。),以上説示したところによれば,第1審被告Y1がAを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとすることはできないというべきである。
また,第1審被告Y2はAの長男であるが,Aを「監督する法定の義務を負う者」に当たるとする法令上の根拠はないというべきである。

(2)ア もっとも,法定の監督義務者に該当しない者であっても,責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし,第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には,衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができるとするのが相当であり,このような者については,法定の監督義務者に準ずべき者として,同条1項が類推適用されると解すべきである(最高裁昭和56年(オ)第1154号同58年2月24日第一小法廷判決・裁判集民事138号217頁参照)。

その上で,ある者が,精神障害者に関し,このような法定の監督義務者に準ずべき者に当たるか否かは,その者自身の生活状況や心身の状況などとともに,精神障害者との親族関係の有無・濃淡,同居の有無その他の日常的な接触の程度,精神障害者の財産管理への関与の状況などその者と精神障害者との関わりの実情,精神障害者の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容,これらに対応して行われている監護や介護の実態など諸般の事情を総合考慮して,その者が精神障害者を現に監督しているかあるいは監督することが可能かつ容易であるなど衡平の見地からその者に対し精神障害者の行為に係る責任を問うのが相当といえる客観的状況が認められるか否かという観点から判断すべきである。

「自己決定とは自分だけで決めないこと」※親は例外

俗にいうこの「自己決定」の視点は、今や、あらゆる福祉サービスやケアの大原則として広く普及しています。その自己決定論を背景として専門家が当事者とかわす言葉の中に、
「あなたはどうしたいの……」という問いかけが、あらゆる場面で見受けられるようになりました。しかし、その問いを投げかけられた当事者の多くは、「自分が決めたのだから、その結果責任はあなた自身が背負うことになります」という背後にあるメッセージに緊張を覚え、恐怖を感じるといいます。

・引用記事:往来物手習い:自己決定とは自分だけで決めないこと
※上記の引用箇所は、向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』P.66〜68からの引用。

井上淳之典さんが引用するべてるの家の向谷地さんのことばを読んでわたしが考えたこと──

「自分だけで決めている」ことは、どの人も実は限られていて、実際には家族や友人と相談したり先生や同僚と話し合ったりして「こんなもんかな」と決めている。ネットの質問板があれだけ盛んなのも、ネットでの相談を決定に活用しているからでしょう。

「自分で決めた」経験がない人は、実は「相談をして決めた」経験がない人だったりする。相談のしかたを知らない(どこまで相談をして、何を選んで採用して、決めたらいいのか? 相談者が言うことに100%従わず、今回は70%にしておく、というあんばいがわからない)。

「あなたはどうしたいの」の問いかけは、根源的すぎてこわいものがある。
「あなたは何を頼む?」とレストランで尋ねられて、決められず冷や汗をかくのも当たり前にあること。ましてや、生活の根幹に関わるようなことを「自分で決めて、責任も取れ」と言われたら、こわくて決められないよね。

「意思決定支援」を考えるときに、「自己決定とは自分だけで決めないこと」というコンセプトを必ず思い出したい。

──とここまでが、今朝カイパパFacebookページに投稿した内容で、非常に多くの方に見ていただきました。が、ここで終わってはいけないという危機感で、以下書き足しました。

「意思決定支援」を考えるときに、「自己決定とは自分だけで決めないこと」は意識すべき。

だがしかし、「親」だけは、本人の意思決定に介入をすることに極力抑制的でありたい。

なぜなら、「親」が子に対して持つ影響力は、他の周りの人とはレベルが違うからです。
「親」がする「助言」や「選択肢の提示」は、意思決定「支援」を超えて、「代行」になりがちです。それは、形式的には本人は「選ぶ」かもしれませんが、生まれた時からの関係性(習慣)によって本人も「自動的に選ばされている」状態になってしまう。

さらに、「親」は、意思決定に介入した「責任」を自分が取るつもりなだけに、余計にたちが悪い(※自己批判です)。

「我が子のためにしたことの責任は、私が取ります!」一見いさぎよいように見えますが、これは最悪です。「本人が、自分自身の行動の責任を取ること」すなわち「自分自身の人生を生きること」を「親」が奪いとってしまっていることに気づいていないからです……。

自分で決めて、自分で責任を取る。それが、ひとりの人間の人生ですよね。
残念ながら、「親」が意思決定支援に関わると、やり過ぎてしまう。奪ってしまう。それは、「親」がずっと「親」をやってきたがゆえに(涙)。

わたしは、カイの意思を尊重したい。彼が自分で決めて選べる大人になることを目指して、日々暮らしています。彼は、昔よりもはっきりと意思を示せるようになってきています。「選ぶ」前提となる「経験」を今のうちにたくさん提供すること。それが、「親」であるわたしたちの役割で、彼が大人になってからは、彼の意思を尊重し、決定を手伝ってくれる人たちにささえられて、人生を生きていって欲しい。そう願います。

虐待が「できてしまう」理由

虐待の加害が「できてしまう」理由について考えている。

・FNNニュース:山口・障害者施設虐待 内部告発の男性、市の対応の遅さ指摘
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00294475.html

下関の障害者虐待の加害者がテレビのインタビューを受けている映像を見た。虐待などに身に覚えはない、と否定してたのが、映像を見せられて、男は
「(これは、ご自身では?)そうですね。すみません。(だいぶ強い口調だが、これは虐待?)そうですね。本人、僕ですね。(これは虐待では?)なりますね」と話した。

証拠を見せられて、あっさりと認めて「すみません」と言う。テレビのインタビューという非日常な状況で、映像を見せられて答える姿は、あまりにも無防備だった。否定できない証拠があるとわかり、あっさりと認めていた。叩くことが「悪い」ことだと、思ってはいるのだろう。それなのに、なぜ?手が出るのか。

怒号、罵声を浴びせ、崩れ落ちるほど強く平手打ちをする、威嚇して恫喝する、「暴力指導員」は、テレビカメラの前では普通の人に見えた。わたしの中で、そのギャップがもやもやしている。

障害がある人に暴力を振るうことは、「抵抗感」があるはず。そこを踏み越えていくきっかけ、動機、反復される理由が気になる。暴力を「正当化する理屈」がなんなのか?そこを、照射して明るみに出さないと、再発防止はできないんじゃないかと思う。

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報です。

・福祉施設で虐待の疑い 元職員に逮捕状
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150610/k10010109051000.html

・障害者施設の元職員を逮捕 山口、利用者を平手打ち容疑
http://www.asahi.com/articles/ASH6B3GPSH6BTIPE00J.html
先月28日、暴行の様子を撮影した映像がテレビなどで流れ、県警が事実確認を開始。今月5日、同園の関係者から告発を受けた。被害者保護と再発防止の観点から捜査を急いだという。複数の施設関係者が暴行する様子が映像に映っていることから、県警は、ほかにも犯行に関わった職員がいる可能性があるとみて捜査する方針。

逮捕されました。
障害のある人に対する暴行も、刑法犯に該当すれば、捜査され逮捕されるということです。

一方で、行政(下関市)の対応が適切だったのかについて、下関市議会の文教厚生委員会で6月9日に審議されています。真偽の様子が以下の記事で詳しく記されています。

・下関市議会議員 吉田真次のブログ:障害福祉サービス事業所大藤園内における施設従事者による障害者虐待について
http://ameblo.jp/s-yoshida706/entry-12037064390.html
メディアの報道を見ると、市が立入調査をしたにも関わらず、調査後も虐待が行われていたと勘違いする方もいるかもしれませんが、そのような事実は現在まで確認できていません。

あくまでも虐待は平成25年11月〜平成26年2月頃に起こったものであり、それが最近になって大きく報道されて、現在に至っています。

暴力をふるっている映像は立入調査後に市役所職員が初めて目にしたものであり、暴力をふるっている映像を見たあとに立入調査をして、虐待がなかったとしたわけではありません。

全職員に事情を聞いたにも関わらず虐待が確認できなかったのは、市の調査力不足もありますが、それ以上に大藤園の組織ぐるみでの隠蔽と調査に対して虚偽の答弁を行ったことが最大の要因です。

このブログでも指摘されていますが、組織ぐるみで隠蔽をされたため、立入検査をしても見抜けなかった。

いったい内部告発があった場合に、どうやって虐待の事実を発見していくのでしょうか。その方法が求められます。

たとえば、利用者に直接質問をするとか、保護者や施設を出入りする業者などに、「怒鳴ったり、叩いたりしているところを見たことがないか」尋ねるとか。行政の聴き取り技術の向上も、必要だと思います。

しかし、具体的にその聴き取り場面を想像してみると、「疑い」を持っている保護者も「お世話になっているから」とか「他に行くところがない」という負い目から、正直なことを口に出せなくなるのではないかと思ったりもして…

でも、そんなんじゃダメなんですよね。一番弱い立場に置かれた人を最優先で考えないといけない。

「これは犯罪だ」と認めて欲しい

前回記事で、わたしは「処罰」を求める気持ちを書きました。

なぜそう思うのかを考えてみました。

まず、虐待をしても刑事罰には問われなければ、
・抑止効果が働かない
・被害感情が癒やされない
と思うからです。

とはいえ。
「犯罪」であることと、裁判で「有罪」になることの間にはギャップがあります。
思いつくプロセスを書いてみます。

・警察が、立件を前提として捜査して証拠集めをする。
・被疑者を見つける。
・検察官が起訴をする。
・裁判で審理される。
・犯罪事実と故意が証明されて、有罪の判決がくだされる。

刑事罰を与えるということは、適正な手続に則り、証拠によって犯罪事実の認定がなされなければなりません。誤認で、逮捕や起訴された場合の起訴された人への影響は甚大なものがあります。

起訴して有罪の認定がされるだけの証拠が、被害者に知的障害があるために得られにくい、ということはあるでしょう。

しかし、虐待事実が明らかになったときに、「警察が捜査を始めた」と聞くことが少ないように感じます。それは何故なのでしょうか。被害者本人あるいは周囲の人からの被害の訴えがないからでしょうか。

「被害者が亡くなった」という極限までいかないと捜査もしてもらえないのか?と思ったりします。実はわたしは、そのことが悔しくて憤りを感じています。
客観的な数字に基づくものではない主観に過ぎず、「ひがみ」のような感情でしかないのですが、そこに、障害のある人が、障害のない人と比べて尊重されていないという「差別」を感じるのです。

せめて、捜査をして欲しい。「これは犯罪だ」と認めて欲しい。
そのことの積み重ねが、虐待の抑止につながっていくと思うのです。

なかなか冷静にはなれない──

「虐待」ってなんですか?

知的障害のある人への「虐待」の報道が相次いでいる。
その加害者は、本来は障害のある人を護るべき職員だという。

山口県下関市での「虐待」の報道。
わたしは動画は見ていません。
友人から話を聴いて、とてもじゃないが、今のじぶんの精神状態では耐えられないと判断しました。

わたしは、知的障害をもつ子どもの親です。
「虐待」の報道を聴いて、感じるのは、「絶望」です。
大切に育ててきて、成長した子を、信頼して託した相手が、人権を蹂躙して恥じることない人・組織だったとしたら…。想像しないではいられません。

本人は、被害を訴えることができません。
だから、加害者が刑事罰を受けることもないのでしょうか? 
裁判にたえられる「証言」がないから? 
知的障害のある人の「証言」は信用性が薄いから証拠にならない?

被害者が、知的障害のない人だったら、加害者が暴行罪や傷害罪で裁判にかけられて刑事罰を受けるのに。
死ななきゃ、裁判にもならないんですか?



「虐待」ってなんですか?
「暴行」や「傷害」より、酷い状態を示すことばのはずなのに、障害者への「虐待」は起訴もされず、刑事犯にならない。
これが、差別でなくてなんなんですか?

つぼみプロジェクト部「本人のベストインタレスト」セミナー報告掲載しました

2015年1月11日に開催された『本人のベストインタレスト?〜親、支援者は本当にわかっているの?』の報告記事がつぼみプロジェクト部ブログに掲載されました。(告知記事はこちら

・【開催報告】『本人のベストインタレスト?〜親、支援者は本当にわかっているの?』
http://tubomiproject.blog.jp/archives/29277004.html

読み返して、大切なことをかみしめています。
何度も立ち返り、かえりみなければいけないと思いました。

わたしはこの時2週つづけて、佐藤彰一先生の成年後見制度についてのお話とこのセミナーを聴いて、じぶんが考えていた「本人のベストインタレスト」は、実は「親からみたベストインタレスト」に寄り過ぎていると痛感して、うまく言葉にできなくなったのでした。

悩みながら、考え続けることをやめてはいけない。そう思います。

【開催報告】つぼみプロジェクト部☆成年後見制度やさしい入門勉強会開催しました!

4月19日に、愛知県自閉症協会・つぼみの会主催「成年後見制度やさしい入門勉強会」(プロジェクト部企画)を開催しました。
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青木文子司法書士を講師にお迎えして、3時間みっちりと学びました。

内容は
・成年後見とは?
・多職種連携と親の会を中心とした法人後見の動き
・会場からの質問をうけてのQ&A
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参加者50名。みなさん真剣に、時に笑いもありながら、自分事としてお話に聞き入り、とても答えがいのある質問を出してくださいました。
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ふせんに書き出された質問すべてにお答えいただきました。

今回の企画の目的は、プロジェクト部が昨年1年間、本人の権利擁護を考えてきて、成年後見制度がひとつの有効な道具だということを認識して、イチから学んで、みなさんと同じスタートラインについて今後の展開を考えていきたいという思いからでした。

わたしの問題意識はこうです。──実は「権利擁護」から学んでいくと、「成年後見制度は本人の権利を制限しすぎているのでは?」とか「成年後見が意思決定支援に役だっているのか?」など、どちらかと言うと「成年後見制度の問題点」ばかり耳に入ってきて、そんなものかと批判的にとらえてしまうのです。しかし、現実に、必要があって成年後見制度は利用されており、現場で活用がされています。制度の基本や現場での実践を押さえずに、受け売りで、制度の問題性ばかり指摘しても上滑りするばかりだなあと感じていました。

今日の勉強会は、成年後見制度について「イチ」から始まり、「ハチ」ぐらいまでの高くて見晴らしの良いところまで、青木先生に連れて行っていただきました♪ わたし自身やっと実際の成年後見制度利用のイメージをつかむことができました。

今回の内容は、「同じ内容で」もっと多くの方々に届けたいと心から思いました。それくらい素晴らしい内容でした。またやりますよ!

青木先生、参加者のみなさん、スタッフの仲間たち、本当にありがとうございました。

意思決定支援あれこれ

元旦の更新から、3週間も空いてしまいました。

この間、1月10日に、小牧市で権利擁護の講演を聞きに行ったり、1月11日に、プロジェクト部企画の権利擁護セミナー「本人のベストインタレスト」を開催したりと、いろいろと報告したいことが溜まってきています。とても得るものが多く、考え続けています。

実情を知り、現実はこれでいま回っているのだとわかる。極端な不都合は生じていないから、報道されることも少なく、意識されることも少ない。
でもそれは、「本人の意思」をくみとれていないことや、くみとれたとしても、「実現が難しいから」という理由で「意思」が無視されてしまっている──しかし、そのことが「問題」だと認識されていない。「問題ありません」という報告の中身に問題があるのだ。

本人の意思はある。本人の意思決定が実現していないこと自体を、「問題視」することから始めていかなきゃいけない。
無自覚に、他人(わが子も他人)の権利を無視してしまっているのが問題。

「親だから、子どものことを一番考えているのだから、親が決めればOK」ではない。
「意思がないんだから、他人が決めて当たり前」となっていないか? 
「本人の最善利益を考えたら、どうしてもこうしなければならない」という場合でも、その決断を、痛みを伴う自覚をもってできるか?

こうままさんが昔から、「違いのわかるオトコに育てたい」と言い続けていて。
それは、「選べる」ひとになることを言っている。
「選べる」ようになるには、じぶんの意思で「選ぶ」経験を小さい時から積み重ねることが必要で。常に、誰かが決めた「結果」を押し付けられて生きてきたら、「選べる」ようにはならない。

「選ぶ」ためには「選択肢」が要る。「あれかこれか」の2択や3択だけでは足りなくて、ほんとは、「その他」っていう選択もある。親は、実現がしやすい選択肢を提示しがち。選択のテーブルにあがっていない「その他」は、実現が難しい(それは、不可能ではなくても、手間がかかる)。

──でも、もしも、カイが「その他」をじぶんで選んでくれたら、僕は喜んでなんとかしてかなえたいと思うだろう。障害の重さを痛感するのは、新しい経験を望まず、決まりきったルーティンを選び続けることの方だから。

やっぱり、挑戦の機会を与え続けることが肝心だ。
「イヤ」という拒否は、「その時の彼」の意思だが、ベストインタレストを将来的にも実現していくためには、体験したことがないことを体験してみて、好きだと思えるコトを増やす挑戦を続けていきたい。

5行で終わるつもりが、書き始めたら、こんなに。まとまりもないひとりごとです^_^;。セミナーの報告は、あらためて書きます!

こうままさんの1月11日「本人のベストインタレスト」レポートはこちらです

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わたしと同い年、共通点が多い、又村あおいさんは「意思決定支援は、まだまだこれから議論を深めていく時期」と何度も繰り返されていました。

【締切間近】障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に対する意見を出しました

障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に対するパブリックコメントの締切があさって12月25日と迫っています。
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・前記事:障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に関する意見募集が始まりました
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52560213.html

障害者差別解消法は、昨年6月に制定されています。施行は平成28年4月1日です。
実際にこの法律をどのように運用していくかを定めていくための基本方針の案を今回政府が作り、意見募集をしています。

・内閣府:障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に関する意見募集について
http://www8.cao.go.jp/shougai/kihonhoushin_iken.html

<意見の出し方フロー>

じっさいに、カイパパが意見を出した際の流れを参考に紹介します。

(1)そもそも「障害者差別解消法」って何かを知る。

今回意見募集をしている基本方針は、障害者差別解消法の運用のための方針です。
なので、まずは、パンフレットをながめてイメージをつかんでみました。

・障害者差別解消法リーフレット
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet.html

・わかりやすい版のリーフレットもあります
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_wakariyasui.html

ポイントは、「不当な差別的取扱い」と「合理的配慮の不提供」が禁止されるということがわかりました。

不当な差別的取り扱い、合理的配慮はどんなものなのかについては、ハートネットTVの番組が参考になります。「番組ダイジェストを読む」ボタンをクリックすると内容が読めます。

・NHK:ハートネットTV:障害者差別解消法について
2013年9月9日・10日放送ページ
 放送:幸せバリアフリー ―障害者差別解消法 施行へ―(1)
 放送:幸せバリアフリー ―障害者差別解消法 施行へ―(2)

法律そのものは、ここ(テキスト版)で読めます。文字ばっかりで、ぐぇっとなりますが、ざっとでいいので読んでから、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律についてのよくあるご質問と回答<国民向け>を読むと、なんとなくわかったような気がしてきます。

(2)障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)を読む

「それで、実際にはどのように運用されるの?」という疑問が生まれたところで、今回意見を募集している「基本方針」原案の登場です。

意見募集のページから、読んでみましょう。長いので、原案をダウンロードして印刷することをオススメ──当然ですが、法律よりもだいぶわかりやすいですよ。

読みながら、ここはよいと思ったところには、賛成の◯を、よくわからない部分には?を、足りないと思ったところには「+コレ」と書き込んでいくとあとで意見がまとめやすくなります。

(3)意見を書く

どの部分に対する意見かがわかるように、「該当箇所」の項目番号とタイトルを明示すると伝わりやすいですね。後から自分で見てもわかりやすいです。

カイパパは、基本方針原案は、「いい感じだな、よくできてるなあ」と思いました。なので、意見を出したいと思った2点「本人の意思決定支援」と「差別禁止の実効性」にしぼって、書きました。
障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(原案)への意見 2014.12.23.

障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(原案)について、2点意見を申し上げます。

<本人の意思決定支援>
【該当箇所】ローマ数字2 3 合理的配慮(1)合理的配慮の基本的な考え方 マル3

差別禁止の目的は、本人の意思を尊重し、本人が選んだ行動を、障害を理由に妨げることがないようにすることだと思います。障害があるからといって、他人だけで決めることは本人の意思を踏みにじる差別です。
そのため、本人の今後を決める際に、必ず本人が参加できることを保障すること、また障害があるために、意思決定が単独で行うことが難しい人の意思決定を支援することを明確にすべきです。
基本方針(原案)には、意思表示の手段の保障、支援者による補佐について書かれています。よいと思います。さらに、そもそもの前提として、「本人の参加を保障すること」を基本方針のなかに明記してほしいです。

<差別禁止の実効性>
【該当箇所】ローマ数字5 その他障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策に関する重要事項 2 相談及び紛争の防止等のための体制の整備

行政は既に障害者週間などで、啓発などはやっています。差別禁止法が新たにできたことで、何が行政として変わるのか?
私は、特にローマ数字5「2 相談及び紛争の防止等のための体制の整備」を実効のあるものにしてほしいと思います。法は、新たな機関は設置せず、既存の機関等の活用・充実を図るとしていますが、そうであればなおさら、「活用・充実」の方向性と実践例を基本方針として示すべきです。
例えば、地域で暮らす住民が、障害者のグループホームの建設に反対運動をする場合があります。この場合、行政が当事者任せにするのではなく、早い段階から介入し、地域との橋渡しを担うこと、その際に行政は、単に対立する双方の「間」を取るような仲裁ではなく、障害者の権利を保障するために尽力する責任を持つことを例示するなどして明らかにすべきと考えます。

以上です。

「差別禁止の実効性」についての意見は、基本方針を受けて作成される、より具体的な「対応要領」「対応指針」に反映されるものかもしれませんが、「単に対立する双方の「間」を取るような仲裁ではなく、障害者の権利を保障するために尽力する責任を持つこと」を基本方針にしてほしいという思いから、書きました。

(4)意見を送る

インターネットから意見を出す人が多いと思います。1,000文字の文字数制限があるので、文字数カウントのできるソフトで書くとよいでしょう(上のカイパパ意見は約820文字)。1,000文字では足りない場合は、複数回に分けて入力して送ることができます。1人1回とかいった制限はありません。

・意見入力フォーム:障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に関する意見募集について
https://form.cao.go.jp/shougai/opinion-0016.html

ここでは、氏名、住所、電話番号を必須入力なのが心理的ハードルになりますが、「じぶんも法律をつくり運用していく一員なんだ!」と胸を張ってハードルを越えたいと思います。

締切まで、あと2日あります。

「簡単に書ける」とは申しません。テンプレートを用意して、コピペするだけでは、今回の意見募集では意味がありません。たとえば「合理的配慮」を具体的に考えることは、これからの社会のあり方を変えるヒントになると思います。よろしければ、ぜひ。

日本自閉症協会「自閉症・ 知的障害者等の選挙権行使への支援を求める声明」

12月14日(日)に衆議院議員選挙があります。

昨年(2013年)5月に、成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の一部を改正する法律が成立、公布されました。

・総務省:成年被後見人の方々の選挙権について
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/touhyou/seinen/

障害のある人が、通常の方法で投票ができないからといって選挙権行使できないようでは、選挙権は絵に描いた餅です。
選挙権は固有の権利です。本人意思の確認が不可欠なことは言うまでもありません。
すべての投票所において、必要な支援を提供して、本人意思の確認を丁寧に行っていただくことを要望します。

日本自閉症協会から12月10日付けで「 自閉症・ 知的障害者等の選挙権行使への支援を求める声明」が出されています。12月7日に、自閉症・知的障害のある青年が期日前投票に行き、本人の意思を確認する方法が見いだせないとして、投票補助を断られたことを受けてのものです。

・日本自閉症協会: 自閉症・ 知的障害者等の選挙権行使への支援を求める声明(PDF)
http://www.autism.or.jp/action/2014/20141210.pdf

以下は抜粋引用です。
投票時に自書できない人には、2名の投票補助者がついて代理投票してもらえるが、投票補助者は投票所の事務員に限られるため、選挙人本人との意思疎通が重要である。

長年実施している東京都国立市では、まず公報紙全体を本人に見せ、次にゆっくり開いて指さしてもらう。指さしが不確実ならもう一度繰り返す。これで確定できないときには、付き添い者等との事前協議で、白紙投票としている。

2013年の総務省自治行政局選挙部長通知「成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の一部を改正する法律等の施行に伴う取扱いについて」には、「投票を補助すべき者が選挙人本人の意思を確認できないときは、投票できないものであること」と記載されている。
 総務省に「投票できない」の意味を質問したところ、白紙投票とするには本人意思の確認が必要なため、棄権扱いとなるとの回答であった。

しかし、本人意思を投票補助者が読み取れない場合は、それは本人意思が不十分なときもあろうが、逆に投票補助者が本人の意思を読み取る能力に欠けるときもある。総務省通知の「投票を補助すべき者が選挙人本人の意思を確認できないときは、投票できないものであること」という規定は、本人の選挙権を剥奪するものであり、容認出来ない。
 すでに本人が投票所に来ているのであるから、投票する意思があると解すべきであり、「棄権」ではなく「白紙投票」とすべきである。

詳しくは声明全文(PDF)をご参照ください。
ひとりの人として、選挙に参加することをあきらめさせないでください。

障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に関する意見募集が始まりました

障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に対するパブリックコメントの募集が始まっています。

障害者差別解消法は、昨年6月に制定されています。施行は平成28年4月1日です。
⇒参考:内閣府:障害を理由とする差別の解消の推進
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai.html

施行まであと1年と5か月あるわけですが、その間に、実際にこの法律をどのように運用していくかを定めていくための基本方針の案を今回政府が作り、意見募集をしています。

・内閣府:障害者差別解消法に基づく基本方針(原案)に関する意見募集について
http://www8.cao.go.jp/shougai/kihonhoushin_iken.html
1.意見募集の目的

障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(以下「基本方針」という。)については、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(平成25年法律第65号)に基づき政府が定めることとされており、この度、政府において基本方針の原案を取りまとめました。つきましては、同方針を策定する上での参考とするため、以下の要領により御意見を募集します。

(意見提出期限)
平成26年11月26日(水)〜12月25日(木)

原案そのもの(ルビありPDF)は、A4で12ページです。内容は、とっつきやすいとは言えませんが、ご自身の体験や普段から不安に思っている差別について、意見を寄せることはできそうです。

たとえば、法の「障害者」の定義の解釈として、基本方針(原案)には次のように書かれています。
これ(=法にいう障害者の定義)は、障害者が日常生活又は社会生活において受ける制限は、身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(難病に起因する障害を含む。)のみに起因するものではなく、社会における様々な障壁と相対することによって生ずるものとのいわゆる「社会モデル」の考え方を踏まえている。したがって、法が対象とする障害者は、いわゆる障害者手帳の所持者に限られない。なお、高次脳機能障害は精神障害に含まれる。
どうです? おおっ、と思いませんか。「意見」というと「反対意見」のことが頭に浮かびがちですが、「方針のこの部分はいい。賛成」と賛意を表明することもまた貴重な意見です。

期限内に資料を読んで、考えて、文章にして、(こんなの意見出しても何も変わんないだろうー)という「あきらめの橋」を渡り越えて、意見を出すというのはとても大変な道のりです。

これまでも何度かパブリックコメントを出してきた経験から思うことは、
結局「じぶんごと」として考えられるか?問われている感じです。
法律や条例は否応なしにわたしたち全員に適用されることになるのだけれど、実際にじぶんに関して何かが起こるまでは、じぶんごとには思えないのがふつう。

パブリックコメントは、時間と空間を超えて、さらにはじぶん以外の「人びと」との間の連帯を意識して、(むつかしい!!)
じぶんも、法律や制度を創っていく「一員である」とコミットするための機会だと思っています。

今回わたしは、意見を出そうと思っています。

・意見出しました!(2014年12月23日追記)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52563116.html

権利擁護の取組みへのヒント(又村あおいさん語録)

6月8日に開催した愛知県自閉症協会・つぼみの会主催「権利擁護入門勉強会」(報告記事)において、カイパパが印象に残った又村あおいさんの発言のメモです。
脳みそテープによる語録なので、理解不足や誤解もあると思います。文責はあくまでもカイパパにあります。

<又村あおいさん語録>
■プロジェクト部のコンセプトについて


プロジェクト部のコンセプトを聴いて、感銘を受けた。
「やりたい人が目的を持って集まり、やって、解散する」
こういった柔軟性をもたせた活動が、全国の親の会組織で、なかなかできていない。

■親の会が「権利擁護」の旗を掲げることについて

従来、育成会でも顕著だったのが、「学校卒業後の行き場」をつくるために親たちがしゃにむに頑張ってきた。それは、社会資源があまりにも少なかったから。
現在は、(まだまだ不足しているが)一定の社会資源が整ってきた。
親の会のアイデンティティが問われる時代になってきている。
自分の知る範囲では、欧米、特に北欧では、親の会は、権利擁護(Advocacy)しかやっていない。家族・当事者として、権利擁護の取り組みだけをやっている。


■「自立トラップ」について

権利擁護は「その権利は誰のため?」を考えることが最初に来なければいけない。「親の権利」を「本人の権利」より優先していないか? 20歳以降は法律上「成人」となり、親とは独立の法人格を認められている。その意味にどれだけ自覚的になれているか不安がある。

そんななか、権利擁護が、「○○をするべき」と規範的な指導として進められるのは問題。
たとえば、「30歳になったから一人暮らしすべき」だとか「25歳なんだから働くべき」だとか。

そもそも、社会一般の「規範化」そのものが、障害のある人の暮らしにくさにつながってきたのではなかったか。にもかかわらず、権利擁護と言いながら、この「規範化」を強化する方向に進むと、たいへん息苦しいものになってしまう。

もちろん、自閉症の人が、社会の中で生きていくために、規範(ルール)を守ることは求められるし、心持ちの悪い人から身を守るという最低限の安全は求められるが…。

「その権利は誰のため?」を問い続けることが必要。
「ベスト・インタレスト」(本人にとって最もよい選択)と呼ばれる。
失敗すること、愚かな行いをすること、働きたくないことや親元から離れたくないことも、本人が望んでいる場合がある。にもかかわらず、「規範」によって、「自立とはこうあるべき!!だから○○しなさい」と無理やり押し付けてしまう──それが「自立トラップ」

■マイナス状態をゼロにする権利擁護から、ゼロからプラスの状態に持っていくための意思決定支援

権利擁護が前面に出てくるのは、「権利が侵害されたマイナスの状態をゼロに戻す」ときが多い。その時には、他人の権利とぶつかっている。誰かに被害を与えてしまったり。

しかし、それだけではない。意思決定が難しいひとの意思決定を支援する取組み。
幼い頃から「選択」の経験をつみ、「選択する能力」を育てていくことが重要。ゼロからプラスの状態に持っていく権利擁護も考えていきたい。

権利擁護入門勉強会、開催しました!

報告します!

6月8日に開催しました愛知県自閉症協会・つぼみの会プロジェクト部の記念すべき第1回企画「権利擁護入門勉強会」は、主催者が驚くぐらい活発に進みました。
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この勉強会の目的を説明するこうままさん♪

又村 あおいさんが、冒頭から「やりたい人がやりたいことを持ち寄って、プロジェクトをやり、終わったら解散する活動は、とても良い。期待しています」と何度もエールを送ってくださったことに、じぶんたちはとても力づけられました。
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又村あおいさん(今日は時間がないのでジョーク少なめ)

又村さんの今回のグループワークの枠組みを与えるための、30分間の密度の濃い講義から始まりました。「権利擁護」が障害者基本法、障害者虐待防止法、障害者差別解消法、障害者総合支援法でどのように記述され、保障されているかを概観できました。

その後、6つの事例に分かれ、グループワークを行いました。
事例は、プロジェクト部メンバーの手作りです。又村さんからは「今日の事例は6つあるが、6グループに分かれてしまうのがもったいないぐらい、暮らしに近いリアルな事例。今後一つ一つをじっくり深めていくこともよいと思う」という過分なるお言葉をいただきました。

全体で話し合った内容を共有し、それに対して又村さんが的確な講評をつけてくださいました。
写真で雰囲気だけでもお伝えします。

・事例1:「障害者(知的・自閉症)、児童のための入所施設」
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・事例2:「能力に応じた教育を受ける権利」
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・事例3:「知的障害者の「万引き」「暴行」と取り調べ、逮捕」
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・事例4:「触法障害者の受刑終了後の地域復帰」
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・事例5:「グループホーム入居者のくらし」
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・事例6:「不要な携帯電話契約をしてしまった」
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最後に「プロジェクト部活動のこれから」に向けて、又村さんからコメントをいただきました。エールとともに、「自立トラップ」についての指摘があり、わたしはハッとさせらました(「自立トラップ」については別記事で紹介)。

プロジェクト部のみんなで企画したひとつひとつが、イメージした以上に、はまっていき、とてもとても心地よかったです。(タイムテーブルはこちら

開催できてよかった。ご参加いただいた皆さんへ、みなさんと同じ場所で同じ時間を過ごせて幸せでした!ありがとうございます。また集まりましょう*\(^o^)/*

こうままさんの紹介記事も合わせてどうぞ♪

次回のプロジェクト部ミーティング(企画会議)は、7月12日(土)に豊橋で開催します♪
お申し込みはこくちーずからお願いします。
http://kokucheese.com/event/index/176271/

この記事の続きです。
・権利擁護の取組みへのヒント(又村あおいさん語録)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52536894.html

明日、権利擁護入門勉強会を開催します

いよいよ明日、権利擁護入門勉強会です!(申込みは締め切りました。)
35名の方が参加されます。準備は万端!(のはず^_^;)

今回の企画は、構想してから、講師である又村さんとも打ち合わせを重ね(Facebookを活用)、自分たちなりに練り上げてきました。

参加者みなさんが、安心してそれぞれの思いのたけを出しあい、明日につなげていける場にできたら、と願っています。

明日は、こんな流れで、開催されます。
グループワークで、じっくりと自分たちで考える時間をとります。
この場で、何を感じるのか? それが楽しみです。
<構成とタイムテーブル>
◯開会(5分)14:00−14:05

◎第1部 又村さんからお話(30分)14:05−14:35
・権利擁護に関する基本となる考え方、視点、歴史
 →グループワークで議論をする際の枠組みとなるような内容

◎第2部 グループワーク(50分)14:35−15:25
・6事例で、参加者が興味のあるテーマに分かれて議論。
 →問題点、救済方法、予防方法について考える。
・模造紙に、全体共有のための内容をまとめる。

【休憩10分】〜15:35

◎第3部 全体共有・講評(30分)15:35-16:05
・グループワークの議論の結果を全体で発表
・又村さん講評(「現行制度では、このような救済が考えられる」など)
*1事例発表3分&講評2分 計5分✕6グループ=30分間

◎第4部 まとめ(15分)
(1)又村さんからまとめ(10分)16:05−16:15
「今何を考えて、行動していくべきなのか?」*制度による担保の重要性に加えて、意思決定支援について触れていただきたい。

(2)グループ内での感想シェア(5分)16:15−16:20
 グループの中で、全員が一言ずつ「今日の感想」をシェアする。

◯閉会、アンケート記入(5分)16:20−16:25
・次回ミーティング7月12日のご案内

今日Twitterで出会ったこの言葉が、とても響きました。

同じ人間、同じ状況はない。だけれども(だからこそ)、同じ時、同じ場所にいることを、感じられたら、それでいい。

盗人にも三分の理あり〜言葉と正当化

どこで読んだか、テレビで観たのか忘れたが。
高齢者に不要な物を売りつけたり、不要なリフォームを押し付けたりする訪問販売の会社で、「金は天下の回りもの!」と朝礼で連呼していた。
「金を溜め込んでる高齢者から自分たちが金を取って、つかう方が、『世のためになる正しい経済活動』だ」という理屈を取材に答えていた。

わたしが何を思ったかというと、「やっぱり人間は、自分の行為を正当化しないと、やれないんだ」ってこと。
はたからみたらおかしい理屈でも、とりあえず「自分の行為は正しい。世のためなんだ」と納得できるものをつくりあげてやっている。だから、行為する本人は「自分は悪人ではない」と自分自身を説得しているはずだ。

言葉の力はバカにはできない。
理屈はどんなベクトルにも作成可能。
そのベクトルの向きが、人を傷つけ、尊厳を損なうものではないか? 正しいと思う根拠はどこから来ているのか?──その検証がないと、後悔するハメになる。

逆から見れば、他人が取っている行動が「どんな言葉で根拠づけられているか」を観察することが肝腎で、根っこがわかれば、そこから対処法が見えてくるんだろう。

オウムの事件の頃に、「逆洗脳」という言葉を聞いた。それは、言葉によってハメられたワクを、言葉によってワクを外すというプロセス。ここでも「言葉」がモノを言う。

「正しさ」を志向するのが、人間で。
それぞれの「正しさ」を戦わせて傷つけあうこともあれば、自分が発した言葉の「正しさ」に囚われて動けなくなることもある。

【6月8日】又村あおいさんをお迎えして権利擁護入門勉強会開催します

嗚呼!もうこんなに日が経っている!!
プロジェクト部の第1弾企画「権利擁護入門勉強会」(6月8日開催)まで、1か月を切りました!!!

むずかしい制度や歴史を、優しく、易しく、ときほぐして伝えてくれる又村あおいさん(ブログ「あおいさんの部屋」)に、名古屋へお越しいただきます。

又村さんは、平塚市の行政職員で現在内閣府へ出向中です。お仕事で主に障がいのある子どもの福祉制度を担当していた縁で、全日本手をつなぐ育成会と関わり、全日本手をつなぐ育成会機関誌・情報誌『手をつなぐ』編集委員などをつとめられています──さらっと書きましたが、これは、「よくあること」ではないです。
仕事で関わった縁を、切らず、つむいで太くしていく──そんなことが自然にできてしまうあおいさんに直接お会いしてお話をお聴きしたい! カイパパは個人的にもとてもわくわくしています。

今回の企画、「勉強会」と名付けられているのは、一方的に話を聞くだけではなく、参加者が全員参加で質問や意見を交換し「一緒に学ぶ」会にしたいからです。どなたでもご参加できます。
ぜひ足を運んでみませんか?

・申込み:こくちーずからお申込みください♪
http://kokucheese.com/event/index/165189/
<6月8日 愛知県自閉症協会・つぼみの会プロジェクト部企画第1弾☆「権利擁護入門勉強会」>

「権利擁護」という言葉からどんな印象を受けますか? 「大事だとは思うけれど…とっつきにくい」という感じではないでしょうか。

 自閉症・発達障害を持つ人が、自由にしあわせに生きることを阻害するものは何なのか? 自分の人生を生きるために、何が必要なのか? それを考え、権利を守るために行動していくことが権利擁護だと思います。

 愛知県自閉症協会・つぼみの会プロジェクト部では、この権利擁護を活動の柱にしたいと考えています。まずは、何が課題で、現在権利を守るためのどんな制度があるのかという基本的なところを学び、私たちが何を考えていかなければならないのかを話し合う勉強会を開催します。

・講師:又村あおいさん(平塚市職員で現在は内閣府に出向中・全日本手をつなぐ育成会の情報誌「手をつなぐ」の編集委員)

・日時:2014年6月8日(日)14:00−16:30

・会場:ウィルあいち 特別会議室
(最寄り駅:地下鉄名城線「市役所」駅徒歩8分、住所:名古屋市東区上竪杉町1番地)

・対象:どなたでもご参加いただけます。

・参加定員:60名(先着順)

・参加費:愛知県自閉症協会会員500円、会員外1,500円

・申込み:こくちーずからお申込みください♪
http://kokucheese.com/event/index/165189/

・講師紹介:又村さんは、以下の要職を歴任されています。
 全日本手をつなぐ育成会機関誌・情報誌『手をつなぐ』編集委員/政策研究開発センター委員
 日本発達障害福祉連盟「発達障害白書」編集委員
 早稲田大学文化構想学部臨時講師
 内閣府 障害者差別解消法地域協議会のあり方検討会委員
 得意分野は、障害者総合支援法や児童福祉法などをはじめとする障害福祉サービス全般、相談支援と意思決定支援、障害者権利条約や障害者虐待防止法などの権利擁護、障害者優先調達推進法などの給与(工賃)向上、障がいのある人の暮らしとお金、障がいのある人への支援を通じた地域づくりなどです。
*ブログ:あおいさんの部屋(http://ameblo.jp/aoisannoheya/)より引用。

「障害者虐待」の被害者、加害者

毎日新聞の調査です。障害者虐待防止法が施行された3か月間で、各自治体が受けた虐待通報2529件、認定されたのが758件だったそうです。

・毎日新聞:障害者虐待:認定758件…防止法後3カ月、本紙調査
http://mainichi.jp/select/news/20130321k0000e040190000c.html
昨年10月に施行された障害者虐待防止法に基づき各自治体が虐待通報を受け付け始めておおむね3カ月間で、認定された障害者虐待が全国で758件に達したことが毎日新聞の調べで分かった。障害者虐待を巡る国の統計はこれまでなく、全国レベルで総数が判明するのは初めて。専門家は「全体像が不明だった障害者虐待に対応する上で貴重なデータだ。施策に生かしてほしい」としている。
全文

こちらも。
・毎日新聞:障害者虐待:防止手探り ノウハウ、人手、権限…悩み多く 自治体・労働局、課題浮き彫り
http://mainichi.jp/select/news/20130321dde041040056000c.html

あわせて読みたい記事があります。

・服巻智子公式ブログ:被害者家族。加害者家族。
http://tomokoworkdiary.sagafan.jp/e577545.html
私は、ある施設内の虐待体罰事件で、専門家として証言したことがある。
携帯動画と診察した医師の記録で虐待事実は証明されていたが、私の専門家としての証言もあって、この職員さんは加害者としての罪が確定した。(中略)こういう非難も覚悟の上で証言した。虐待事実は明らかなのに、子どもたちは訴えることができないのだ。この被害者はあわや死に掛けたのだ。それでも入所してお世話になっているから黙れというのか、入所の世話をしている者は見えないところで何をしても良いというわけではなく、いのちの尊厳は守られるべきで、正しく行われなければならない。そもそもの意識が問題なのだ。その加害者のお子様やご家族はお気の毒だった。しかし、加害者は家族を持つほどの人なのだ。

こういう記事を書かざるを得なかったお気持ちを忖度(そんたく)せずにはいられません。

責任のある立場で表に発言をしていく人たちに対して、「被害者の気持ちは知っているのか?」「加害者の家族のことを考えたことがあるのか?」という批判が、毒矢のように放たれる。自分が倫理的に優位にたった正しい者だと自負して、隠れて安全なところから矢を放つ。
表に立つ人が、傷つき、毒に苦しめられ、やがて話すことをやめてしまうことなど考えもせず。
「書かれていないこと」は、考えにものぼらなかったことだと考えないほうがいい。「触れられていないこと」は、経験がなく無知なのだと決めつけるのはやめなければならない。
語る人は、どんな批判も浴びても仕方が無いという覚悟で語っているのだから、読む人も、想像力をもって正対したいと思います。

国の控訴に思う【成年後見選挙権回復訴訟】

・成年後見訴訟:政府が控訴 選挙権喪失巡り「混乱を回避」− 毎日jp(毎日新聞)2013年3月28日
http://mainichi.jp/select/news/20130328k0000m010027000c.html
 政府は27日、成年後見人が付いた人は選挙権を失うと定めた公職選挙法の規定を違憲と判断した東京地裁判決について、東京高裁に控訴した。新藤義孝総務相は同日、記者会見し、控訴の理由を「今回の違憲判決が確定すると、全国各地の選挙で直ちに成年被後見人の取り扱いが混乱する」と説明した。

この訴訟について、提訴時から注目していました。違憲判決が出て、控訴を見送るかもしれないという観測もありましたが、国が控訴しました。

・成年後見訴訟控訴:法改正、各論で賛否 今国会成立は困難− 毎日jp(毎日新聞) *解説記事
http://mainichi.jp/select/news/20130328k0000m010126000c.html

そもそも、認知に障害がある人が投票できない定めになっていることについて、根源的に感じていることを書きます。

成年後見人をつけられた人の選挙権の話で、二言目には「不正投票の防止」が出てくるのはなぜなんでしょうか?
それを口にして違和感を感じないことが、逆に不思議です。

その人がイメージしている「不正」の内容を具体的に明らかにして語ってほしいと思います。
国は、成年後見選挙権回復訴訟で「不正投票の誘導が行われる恐れがある」と主張しました。

しかし、この主張は、「認知に障害がある人は投票の判断ができず、他人の『あやつり人形』になるに違いない」という決めつけのようにわたしには聞こえます。

この主張を退けた東京地裁判決が正しいと思います。

東京地裁2013年3月14日の判決要旨から抜粋。
■「選挙の公正」を害するおそれがあるか
 能力がない者に選挙権を付与すると、第三者が不正な働きかけをしたり、白票や候補者以外の票を投じたりして不公正、不適正な投票がありうる。しかし、その頻度が相当高く、結果に影響を生じさせかねないなど選挙の公正が害されるおそれがあると認める事実は見いだしがたく、推認する証拠もない。

今回違憲とされた公職選挙法の規定が改正されたとしても、現行の本人確認のやり方や、自筆で候補者名や政党名を書かなければならない選挙は、実質的には選挙権が行使できないひとがいます。

「成年後見人がついたら一律に選挙権停止」なんていう"手抜き"をしている場合ではなく、
認知に障害があっても、選挙権を実質的に行使できるようにする方法のくふうに取り組んでいただきたい。

「投票率が低い」ことが非難がましく言われますが、選挙権があっても投票に行かない人の中には、「わからないから」「行けない」人が相当数いると思うのです。
「投票者フレンドリーな選挙」がいいです。

そして、結局戻っていくのは「私たちのことを私たちのいないところで決めないで」という原則です。

選挙にも参加ができないなんて。
国が、「排除」をして平気な顔をしているような気がしてします。
選挙権のような人権(社会の決定に参加する権利)が、「奪われていても当たり前」とされていることをスルーしてはいけないんだ。そう思います。


<参考にしたサイト>
・障害者欠格条項をなくす会(エッセイ):被後見人の選挙権回復訴訟
http://www.dpi-japan.org/friend/restrict/essay/koukennin01.html

・障害者欠格条項をなくす会(エッセイ):また せんきょに 行きたい
http://www.dpi-japan.org/friend/restrict/essay/koukennin02.html

・「べからず選挙法」の打破を1 成年被後見人の選挙権はく奪は違憲 3・28国に控訴させないためにご協力を - Everyone says I love you !
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/c4c38af9505b065592e16e0af73899cc

「安全な託児」

卒業したお子さんを持つ親の先輩が言う。「学校があるうちはいい。行く場所があって、預かってくれる時間が長いから」と。

「安全な託児」──は、親(特に四六時中子育てに追われる母親)にとっては、はかりしれない意味がある。レスパイト(ひとやすみ)は、誰にとっても必要なものだ。

学校が、「安全な託児」の場であることは貴重だ。極論すれば、今この瞬間だけをみれば、親にとっては、それだけで価値があると言ってしまうこともできる。

だが、視点を変えて、子ども本人にとって、学校が安全な託児の場でしかないとしたらどうだろうか?

どの子にも、育つ権利がある。
権利があるとは、その子に合わせたその子なりの発達が保障されなければならないという意味だ。
子ども本人の学びの場になりえているか? 教師も親も社会も常に問われている。日々絶え間なく。

子ども本人の発達保障──
それを意識したら、「子どもは親の所有物」であるとか、「学級は担任の独立国だ」といった(無意識にある)独善が、勘違い以外の何物でもないとわかる。

目の前の、成長したがっているこの小さな人が、どんなサポートがあれば、成長することができるのか?

「安全な託児の場」にとどまっていていいわけはないし、無理やり定型サイズの靴に合わせるために指を切り落とすような矯正をしてはいけない。

親は、問われている。
教師は、求められている。
成長を助けてください。
ぼくはどんなおとなになれるのでしょうか?

米国:障害者差別の実験映像

「あなたならどうする? 〜スーパーの障害者差別〜」と名付けられた実験映像(YouTube)です。

殿父さんのブログから知りました。

・ぽちぽち★殿父blog:スーパーでの実験動画
http://pochi.exblog.jp/13331979/

アメリカのニューヨーク市ブロンクスにあるスーパーでの実験です。8分半ほどの動画ですが、非常に考えさせられました。

こういった場面で、立ち上がれる人間でありたいです。

当事者が声をあげられないときに、代わって「それは間違っている」と声をあげることが私たちの役割ではないでしょうか。

また、当事者に対して「あなたは間違っていない」と社会を代表して伝えることも。
ラストに出てくる養護学校の先生の言葉は胸にしみました。

(追記)
日本では、この実験映像のような直接的な発言は少ないかもしれません。
現実には、「あなたもそう思うでしょ」的な同意を求めてくる差別が日常には蔓延していて、そこで曖昧に流さずに「それは間違っているよ」と止める行動かなと思います。

【おすすめ】わたしは成年後見人

成年後見制度のイメージをつかむために有益なページを紹介します。親がわが子の成年後見人になる場合の流れが紹介されています。

・わたしは成年後見人
http://www.h3.dion.ne.jp/~bhur/meisou/kouken.htm
わが子のために、わたしは成年後見人になった。そのいきさつ、手続きをとりまとめてみました。これから取り組む人たちへのささやかな応援となることを願って。

親亡き後の対策―― わが家のように一人っ子の場合、親亡き後の後見が一番の問題であり後見の本番である。そのためどのような法的に有効な後見の備えをしておくか現在思いなずんでいるところ。でもまず親がこの法定後見人になるところから始めた。
子どもが成人した後、いきなり親以外の個人後見または法人後見にいくことも考えられますが、いったんは親が法定後見人になる場合が多いでしょうね。

私は、法人後見に非常に関心を持っているのですが、佐藤彰一先生のこの記事を読んで考えさせられました。

・satosholog: 法人は人でナシ ?
http://www.satosho.org/satosholog/2006/07/ha_c012.html

・satosholog: 入所施設の法人後見 1(〜4までのシリーズ記事)
http://www.satosho.org/satosholog/2007/02/1_014a.html
ただこの国の場合、法人後見待望論ないしは法人後見万能論とも思える論調が成年後見推進論者の中に散見されますので、とても心配しているのです。

たしかに私にも「法人後見万能論」的な思い込みがあるように思います…。

カイの権利を守る担い手は誰が一番適任なのか? 個別に、具体的に、自分が動いて見つけて、築いていかなければいけませんね。そろそろ考え始めていきたいです。

障害者の財産管理の危険性

・asahi.com(朝日新聞社):障害者施設利用者の預金2千万円不明 神奈川県警が捜査 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/0622/TKY201106220229.html
横浜市のNPO法人が運営する知的障害者のグループホームとケアホームで、複数の利用者の預金が無断で引き出され、少なくとも約2千万円が使途不明に なっていることが神奈川県の調査でわかった。県は法人の管理責任を問い、月内にもグループホームなどの指定を取り消す方針を固めた。同県警は業務上横領容 疑での立件を視野に捜査を始めた。

このような犯罪が繰り返されるたびに思うことだが、「人間は弱い」という冷徹な認識が必要だ。

少額なら、気の迷いが起きることはなくても、数百万、数千万円が目の前にある、自分のものにしてしまってももしかしたら誰にもわからないかもしれない…という状況で、しかも、多額の借金がある、あるいは事業運転資金でどうしても金が要るという動機がプラスされたら──自分を抑えることが至難の業になる。

横領や詐欺をする人間が、特別に性悪なのではない。
「第三者のチェックが入らない条件下で、他人の大金を自由に扱える」状態をつくってはいけないんだ。

銀行は相互チェックを徹底している。
会社でも、出金手続きは別部署が行うことでチェックを入れるのが普通だし、お店でも売上金の複数での確認は基本中の基本。

同一法人の内部手続きによるチェックでは足りない。「第三者(この場合は、後見人でしょう)が明日にもチェックしにくる」という状況によって、犯罪発生を未然に防ぐことができる。

第三者チェックの仕組みは、弱い人間を、犯罪者にしないために必要なんだ。

親としては、できるだけ多くの財産を子どもに残したい。が、そのことがかえって横領などの犯罪の危険性を高めてしまうことにジレンマを感じます。
だから、こういった信託の仕組みがあることを勉強しておきたい。

・特定贈与信託 - 信託協会
http://www.shintaku-kyokai.or.jp/trust/trust01_08_12.html
特定贈与信託は、特別障害者(重度の心身障害者)の生活の安定を図ることを目的に、その親族や篤志家等が、信託銀行等に金銭等の財産を信託するものです。

信託銀行等は信託された財産を管理・運用し、特別障害者の生活費や医療費等にあてるため、信託財産の一部から定期的に金銭により支払います。

「多額の現金を管理させない」という方法での抑止です。

【新聞記事】なりすまし詐欺事件:知的障害者を狙う

【新聞記事】なりすまし詐欺事件:知的障害者を狙う

 気になる事件のクリップ。
 思ったことは、後で書き足します。

・@nifty:NEWS@nifty:なりすまし詐欺事件、同学年だった養護学級の男性狙う(読売新聞)
http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__yomiuri_20070208i106.htm
■なりすまし詐欺事件、同学年だった養護学級の男性狙う(読売新聞)

 知的障害者の住民票や原付きバイクの運転免許証が不正に取得されるなどしていた詐欺事件で、犯行グループは、なりすましの対象として、メンバーが小中学校で同学年だった男性を狙っていたことが8日、神奈川県警の調べで分かった。

 逮捕された2人は調べに対し、「情報が得やすいし、年が近いのでばれにくいと思った」と供述している。

 調べによると、詐欺容疑などで逮捕された横浜市旭区白根町、配管工星信寛被告(36)(逮捕監禁罪などで起訴)らは、住民票や免許証の名義を無断で使う相手として、仲間で横浜市に住む自動車販売業の男(36)(同)の小中学校時代に同学年で、養護学級などに在籍していた男性に目をつけた。名前や住所は分かっているため、男性宅に行き、表札などから改めて氏名や居住していることなどを確認していた

[読売新聞社:2007年02月08日 14時56分]
★参照記事
・障害者名義 不正に免許 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20070208ik0a.htm

・[解説]障害者名義 不正免許 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20070208ik09.htm

権利を守るのは誰?

■権利を守るのは誰?
 〜国民生活センター:認知症高齢者、知的障害者、精神障害者のグループホームにおける消費者問題と権利擁護に関する調査研究〜

 ニュースクリップ。

毎日新聞2005年3月26日(夕刊):グループホーム全国調査:「成年後見」利用は低水準、「高齢者」向け19%

毎日新聞2005年3月26日(夕刊):解説:グループホーム調査 利用者擁護充実を

★メモ
・成年後見制度を利用している人がいるホームは高齢者19・5%、知的障害者5・7%、精神障害者3・5%と低い水準
・外部の人のチェックを受ける「第三者評価」制度の実施は、義務付けられている高齢者ホームでも69・0%にとどまり、義務付けられていない知的と精神障害者のホームではわずか2・7%
・オンブズマン制度については、受け入れているホームは高齢14・6%、知的障害13・5%、精神障害8・5%
→元となる報告書にあたること

【参考サイト(元資料)】
・国民生活センター:報道発表資料:認知症高齢者、知的障害者、精神障害者のグループホームにおける消費者問題と権利擁護に関する調査研究 − グループホームの暮らしが快適であるために −
http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20050325_2.html
(メモ)
報告書概要版16ページの「グループホーム制度比較表」は参考になる。

【権利擁護】中谷雄二弁護士インタビュー

■【権利擁護】中谷雄二弁護士インタビュー

 私のメールの署名には、
「\(^^)カイ君とお友だちが安心してしあわせに暮らせる世の中に!(^^)/」
 と書いてあります。
 この願いを実現するために必要なことは、「権利擁護」と「発達保障」だと考えています(ちょっと言葉がカタイですね。「どういう意味か?」は、おいおい話していきたいと思っています)。

 狭義の「権利擁護」は、知的障害者が犯罪に巻き込まれた場合に先鋭化します。知的障害者の人権擁護を担う存在として、弁護士の役割はとても大きいものがあります。

 名古屋弁護士会は、2002年9月、知的障害がある人の人権を守る手引書「知的障害者民事弁護実務マニュアル」を全国で初めて作り、2003年2月には「知的障害者110番」を開設するなど、全国的にみても進んでいます。
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