カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

わが子が自閉症とわかったときに

おろかだから生きていける

自閉スペクトラム症は脳機能の特性だ。認知のあり方が、多数派の人びととは異なっている。
自閉スペクトラム症になる原因は、遺伝や周産期のトラブルなどが考えられる。

「周産期のトラブル」ということで言うと、思い当たることがある。
カイが産まれるまでに。切迫流産の危険があって、妻は3か月入院をした。予定日よりもひと月早く産まれた。体重も少なかった。

切迫流産のきっかけは? 思い当たることがないわけではない。だが、すでに持っていた「弱さ」があったのだろうと思う。

けれども「もしかしてあの時…」と話し合ったことはあったし、今でもふと思い出すことがある。

何かの結果が出たときに、「原因は〇〇だ」と言いたくなる。「原因は〇〇」なんだから何故それを避けなかったのか? という発想に直結しがちだ。

だけど、そう言えるのは、結果が出たからであって、「後知恵」に過ぎない。その後知恵が、指し示す原因が正しいかどうか? も、後からやり直して確かめることはできない。だから検証が不可能なのに、「結果がすべて」の人たちは勝ち誇るかのように断罪する(その人たちはわたしの頭の中にもいる……)。

結果でもって断罪するのは間違っている。

神でもないわたしたちが、行く先にある結果をすべて予見して行動を選ぶことは不可能だ。

それに、その時は「思わしくない」と思われた結果が、その先の「素晴らしい」「はじまり」になることだってある。

過去は変えられない。未来はわからない。

どうせ結果でもって、過去の選択を「原因」として非難されるとわかっていたら、挑戦しないほうがいいと思ってしまう。

生まれること、人と出会うことも、いつか別れで終わることは避けられない。
別れて、つらい、かなしい思いをしたからと言って、「出会わなければよかった」とはならないだろう。
結果の後にも行為は続く。行為と結果は連鎖している。めぐりめぐってどうなることやら──おろかなわたしにはわからない。

だから思うんだ。
おろかだから生きていけると。

「先の見えすぎお先真っ暗」

何もはじめないより、はじめてみるのがいい。愛とともに。

これは、前記事「ぼくのビリーフ」の続きです。

ぼくのビリーフ

カイパパFacebookページへのコメントに触発されて書きました。

カイの障害がわかったときに、悩み、たどり着いたことです。
これは、おさないことばで綴られた、ぼくのビリーフ(信念)。

──こういうことは、人生には起きる。理由もなく、起きる。
カイは、自閉という特性を持って生きている。

人を有用性で測れば、優劣はつくかもしれないけど。
生きている、生きていくということに優劣はない。「生命」は、有用性というモノサシでは測れない。
人は、生きていること、そのものが肯定されている。

いろんな不便は、その不便を解消できる「能力」のある人や組織が解消する。
そういう能力がある者には、そういう「役割」がある。
そして、その役割は「持ち回り」なんだ。

だから、ぼくが、元気で、頑張れるうちは、精いっぱいの「有用性」を発揮して、不便を解消していくんだ。そして、動けなくなったときには、また別の人が役割を担ってくれる。
なんだかんだ言って、人類がこれまで生き延びてきたのは、こういう持ち回りがおおきくは機能しているから。

細かくみたら、いろいろあるに決まってるけど。
だから、おおきくは、信頼して大丈夫。おたがいさま──


この記事の続き──「おろかだから生きていける」もよかったらどうぞ。

確定診断

友から受けた報告は、辛いものだった。

覚悟していたつもりでも、診断が「確定」することで、
「そうではない可能性」が閉じられてしまう。

もう十分に、苦しみ耐えてきたのに、なんでまた…
悲しい、苦しい、つらい、心に渦巻く感情は、
かんたんには去ってくれない。

収まったと思っても、すぐに戻ってくるし、
忘れたつもりでも、いつぶり返すかわからない。

血を流したまま、気丈に振る舞わなきゃならないときもある。
外に出かけなきゃならなかったり、
ひとと会わなきゃならなかったり、
仕事に行かなくちゃならなかったり。

そう思っても、しばらくは不安定な自分を許して、休んだらいい。
僕も、けっこう休ませてもらった。

一方で、仕事に行くほうがまぎれる面もあった。
逃げていた。
逃げさせてもらっていた。
でも、じぶんを責めなくていい。
そこからエネルギーを補給して、家に持ち帰ればいいんだよ。

いまは感情に身を任せていい。
パートナーの気持ちを聴いて、
じぶんの気持ちも隠さず伝えて、力を合わせていこうと確認し合おう。

いずれ喪が明けて、立ち上がれる時が、必ず来る。
それまでは、かなしみにくれてもいいんだよ。

失ったものが自分を形作る

わたしの趣味のひとつに、海外ドラマを観ることがあります。
いろいろな状況で語られるセリフから、啓示を得たりしています。

紹介したいのが、「ブラザーズ&シスターズ」第5シーズンで、ノラ(母親)が、夫を失ったキティー(娘)に語りかけたことばです。
悲しくて当然なの。
あなたが失ったのは、夫だけではなく、思い描いた人生も失った。
未来を失って悲しいの。
心の中にあった計画や夢もすべて消えてしまった。

失った人生はあきらめるの。別の人生があなたを待っている。
人はあきらめて成長していくの。

様々なものを失っては前に進んでいく。
失ったものが自分を形作る。

〜ブラザーズ&シスターズ第5シーズン第5話より〜

2006年の記事「苦痛は3分の1でいい」のなかで、わたしはこう書きました。
私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

ゴールデンウィーク中に「長い休みに思い出す」を書いてから、昔のことをよく思い出します。わたしにとって「障害の受容」(好きな表現ではないが"通り"がいいので使います)は大きなテーマなんだなとあらためて思います。

2011年に「受容には2つある」という重要な記事を書いています。@naokonagataさんが教えてくださったことばをそのなかで紹介しています。

受容には二つあるのではないかと・・・。一つは子供の障害の受容。もう一つは、「障害のある子を授かった自分自身の傷つきの受容」。私は二つめの部分が認められず、自分に頑張ることを強いていました。

わたしは、この記事で、

・「ありのままのわが子でOK」ということと、
・「未だ傷が癒えない自分」は、共在する──ことに気づきました。この2つを区別ができず、葛藤した時間がものすごく長かった。

そして、いつまでも傷が癒えず、ぐずぐずと感情にしこりが残る状態に対して、
失った人生はあきらめるの。別の人生があなたを待っている。
人はあきらめて成長していくの。

様々なものを失っては前に進んでいく。
失ったものが自分を形作る。

ノラのことばが、厳しくも、優しく響きます。

わたしのなかでは「失った」ということが「失敗=悪いこと」として認知されていたんだ。
でも違う。「失った」ことは「失った」だけで、「失敗」ではない。

別の人生が待っているんだ。
現実になっていくこの人生が、わたしの人生。
失わなければ、目の前に現れてこなかった。
失ったものが、わたしを形作っている。

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無理はしなくていい

ゴールデンウィークの間に書いた記事が、Facebookでシェアされて、とても多くの方々に読んでいただきました。

コメントで、「昔を思い出しました」という反応をもらいました。「こんなふうな声かけを、診断直後にかけてほしかった」という声もありました。

シェアしていただけたのは、周りにいる人たちから、ショックを受けている親への声かけのヒントとして広めていただけたのかなと思います。

静かに、けれども力強く、広がっていく──それがこのように伝わってくるから、ブログを続けてきてよかったと心から思えるんです。ありがとうございます。

わたしも近ごろは「先輩親」として、若い親御さんから相談を受けることが時々あるようになってきたこともあって、カイが自閉症の診断を受けた頃のことを思い出す機会が増えてきました。相談を受け、なにかを言おうとするとき、立ち返るのはじぶんの経験だからです。

こうすればうまくいく。
というアドバイスはできなくて。

過去のじぶんに立ち返って(というか過去の自分に向かって)、出てきたのは、

「無理はしなくていい」

ということばでした。

先の記事の最後にこう書きました。
だから焦らなくてだいじょうぶ。
問題を「解決」しようとしなくてだいじょうぶ。
そもそも「問題」なんかじゃないことに気づくから。

このことばの意味するところは、また機会をあらためて書きたいと思っています。

長い休みに思い出す〜わが子の障害がわかったあの頃

ゴールデンウィークの長い休みで、幼いわが子と長い時間を過ごす。妻から不安を幾度となく聞かされても「気にしすぎだ」と取り合わなかった父親も。
子守を任されて、2才児がよろこびそうな場所に連れて行こうとする。いつもと違う行動を全力で嫌がる。奇声をあげる。だっこから身体をよじって落ちても気にせず脱走しようとする。電車は無理だとあきらめて、車に乗せる。走っている間は静かで、信号で止まるたび、キィー!と叫ぶ。

ほとほと疲れ果てて家に帰り、「ただいま」の声に答える声はない──ベッドでは死んだように眠る妻の姿。心は折れて、たった半日なのに、これだけぼろぼろになってしまった。妻はどれだけ苦しんだだろう? いったいこの子の何がおかしいのか…。

わが子はいつもの席に座り何かを待っている。何を待っているのか? 何が欲しいのか? わからない。また泣き始める。仕方なく、妻を起こす。

「悪かった。休みが終わったら、どこかに相談に行こう」

──書いていて切なくなります。きっと今もどこかでこのようなことが起きている。

Facebookで出会った「先輩お母さんからのはじめてわが子が自閉症の診断を受けた母親へのアドバイス」を紹介します。

・The Best Advice I Can Give a Mom Who Just Got an Autism Diagnosis
http://themighty.com/2015/03/the-best-advice-i-can-give-a-mom-who-just-got-an-autism-diagnosis/

アメリカの方が書いた記事ですが、わが子の診断を受けた時の親の衝撃は、国は違っても同じなんですね。
先輩お母さんからのアドバイスがあたたかいです。英語なので、カイパパの拙い訳でご紹介します。
今は、何もしなくてだいじょうぶ

家に帰って、アイスクリームを食べに行ってだいじょうぶ

今夜はあなたの娘さんとくっついて、彼女の大好きなビデオを何度も何度も見続けてだいじょうぶ

ベビーシッターをお願いして、夫とでかけてもだいじょうぶ。自閉症の話は一切しなくてもいいし、その話ばかりしてもいい。あなたが過ごしたいように時を過ごしてね

インターネットで見つけたありとあらゆる情報を読んでもだいじょうぶ。それとも、すべての記事を疫病みたいに避けてもだいじょうぶ

Amazonで買った本を読みふけってもだいじょうぶ。あなたが初めて手に入れたおんぼろ車につかった時間よりも長く

本を買うかわりに、あたらしい化粧品を買ったり、美容院にいったりするのもだいじょうぶ

診断をきく前とおなじ母親であってだいじょうぶ

だって、あなたは同じあなたなんだから

母親から母親へのアドバイスになっていますが、父親に対しても同じだと感じました。

子育てを母親に任せきりにしていた父親は、診断がついてから、焦って「自分にできること」を探そうとします。情報を探しまわり、勉強し、「いいらしい」と聴いたことをすべて試して「自爆」したり。パートナーにかえってプレッシャーをかけてしまったり。

間違ったことをしているわけではなくて、ただ、この子にとっては「まだ時期ではない」ことがたくさんあるのです。

引用記事はこのように続きます。
いつしか、あなたは驚くことになる。自分が、わが子のために、どれだけ能力と強さをもち、学び、しっかりとした人間になったことに。あなたは、すぐに専門用語や略語を理解し、医者やセラピストや他のママたちが話す言語を元から知っていたみたいにわかるようになる。そうなるの。

そして、あなたは本当にそれがすごく得意になる。

だけど今は──。そうなる必要はないの。
あなたの子どもは変わらない。そしてあなたも同じママ。
お医者さんの診断は、そのことを何も変えていない。

わたしにできるアドバイスは、とてもシンプル。
診断の後の最初の数日、数週間、「あなたが必要なだけ時間をかけていいよ」ということ

あなたたちだけじゃない。
わたしたちも、苦しかった。11年前に「今は喪中だから」という記事を書いています。
診断の告知を受けたときに、私たちは混乱し深い悲しみに落ち込み、おぼれてしまいそうになってしまいました。
その感情は、将来に対する不安と喪失感だったと思います。「しっかりしなくちゃ」と思うのだけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまい、仕事が手につかないくらいでした。また、妻の落ち込みも激しくとても心配でした。

そんなときに、妻が言った言葉――「今は喪中だから悲しいだけ」。この言葉の意味は、「今は喪中だから悲しむだけ悲しむ。でも時間が経って喪があければ大丈夫だから」という前向きな意味が込められていると思いました。

「悲しいときはがんばらないでいいよ」と伝えたいです。悲しいときは悲しみにくれたらいいんです。仕事だって、休めばいい。子どもの障害は、それくらい重く大事なことなんですから。

これから、いろいろなことが起きるけれど、辛いこともあるけれど、いっぱい失敗もするけれど、ひとのやさしさやあたたかさにも出会う。助けてくれるひとがたくさんいる。

子どもはゆっくりと成長する。今はわからなくても、この子はあなたたちをかけがえのない存在と理解し、愛してくれるようになる。

だから焦らなくてだいじょうぶ。
問題を「解決」しようとしなくてだいじょうぶ。
そもそも「問題」なんかじゃないことに気づくから。
それが、15歳のカイの父親になった、わたしに言えることです。
2004保育園運動会
2004年のカイとパパ

アクセス出来ない

連続して「がんばる」について書いています。
実は、出来事があって、思うところがあったからです。

自分は、子どもがもう中学生で、これから将来のことが見えない不安があるけれど、過去の歩んできたことは今の足場になっている。「これまで起きてきたこと」は「何が起きてきたか」を知っている。だけど、当たり前のことだけどカイが生まれた14年前には何もわからなかった。
期待と失望、とにかくわからない……という困惑、眠れない。そして、今、この瞬間に、そういう思いをしている親たちがいる。適切なささえが得られずに、混沌の中にいて不安で叫んでいる子どもたちがいる。
10年前よりは、はるかに制度的な支援が充実して来ました。情報も探せば多すぎると思うぐらいあふれている。だけど、必要な人に届いているかというとそれは別の問題だ。

「こんなに充実してきているのに。探せば見つかるし、申請すれば得られるのに。なんで?」という素朴な疑問が投げかけられることもある。

それは、「探せない事情」がある、からです。

実は、親の会とか、自助グループで出会える「仲間たち」というのは、その時点で「ある条件をクリアした」人たちなのだということ。「アクセスできた人たち」どうしの会話では、「アクセス出来ない人たち」の存在や事情が抜け落ちる。

その場にいないから、見えなくなる。

では、「アクセス出来ない」事情とは何か?

育児に困ったときに、保健所などで相談することができる。
育てにくさは、生来の何らかの原因があるかもしれないと思う。
そして、その原因を医師が見つけてくれる可能性がある。
小さい頃から、見た目ではわからない「障害」があるということ。
わが子は、その障害をもっている可能性があること。
障害が理由で、育てにくさになっている。
そして、その育てにくさには、専門的な「コツ」が必要だということ。
その「コツ」を教えてくれる場所がある。
障害のある子どもを支えるための福祉サービスがあること。
その福祉サービスは、市役所での「申請」が必要だけど、
市役所に、相談に行けば、やり方を教えてくれること。
いろいろなことが難しくて、考えることができない状態は、もしかしたら、親自身の病気かもしれないこと。
親の病気を治療する、そのための病院があること。
──こういうことを知ることは、だれにでもできることではなかったりします。

また、
誰か教えてもらったけれど、働かなければならず、実際に足を運ぶ時間がない。
サービスにはお金がかかると思っていて、自分には払うお金がないから無理とあきらめている。
自分の親(祖父母)が「障害」を認めない、反対をして診察を受けさせてもらえない。
──など、アクセスをできなくさせる事情もあります。

社会から「見えなくなった人」は、「いなくなった」わけではない。誰からも手を差し伸べられず、孤立して途方に暮れている。
子どもの障害だけじゃなく、複合的な要因が重なっている場合が多くて、子どもがサポートを受けられるようになるためには、ときほぐして、それぞれの要因に複数の支援者が関わる必要がある。そのためには「発見される」必要があるのに、「見えない」から「ない」ことにされている。

子育ては、家庭だけで抱え込まないでいいんだよ。

子育てだけじゃない。
「生きること」を、家庭だけで抱え込まなくていい。

最初は恥ずかしいかもしれない。抵抗はある。だれでもそうだ。でも、ここまで必死でがんばってきた自分をほめて許してあげよう。
また、がんばるときは、じきに来るから。

「白旗」をあげる勇気をもとう。



<今回から、1,000記事までのカウントダウンを始めます>

【カウントダウン】
 1,000記事まで、あと13!

責めないよ

子どもを可愛いと思えない、子育てがうまくできない、周りから白い目で見られる…

親失格だ、と自分を責め続けてきた末に、

「障害だ」

と宣告されて、これ以上、何を責めるの…?

責めないよ。

わからないなりに、精いっぱいやってきたんだもの。
今が「底」だ。
これから、一緒に浮上しよう、ゆっくりでいいから。

あなたと同じ思いをしてきた人が、どんなにたくさんいるか。きっと知ったらびっくりするよ!

だから大丈夫。

よくがんばってきたね

発達障害の診断を受けて、

「なんで今まで気づいてあげられずにいたんだろう…」

と自分を責める親がいる。

ちがうよ。

「診断も無いのに、よくこれまで育ててきたね。たいへんだったでしょう!よくがんばってきたね」だ。

そして、

「これからは、一人じゃないよ、仲間と支援者がいるよ」

ぼくも、その一員だよ。
みんなで支えあって暮らしていこうね。

ひとりはひとり(だけど)

昨日紹介した記事を書かれたハバネロさんからコメントをいただきました。
多くのかたに届けたいので、ここに載せておきます。
カイパパさん、勢いで書いた私の拙い誤文だらけの記事を、
ブログでご紹介いただき、本当にありがとうござます。

福祉の仕事は年々専門用語にまみれていって、本質から
どんどん遠のいていっているように感じています。
相談支援の登場によって、良い面も確かにありますが、
なんちゃって賢い風なワーカーさんが増えたようにも
思います。(はい、私もその業界の人間です。)

地域格差、スキルアップ、多くの『課題』があると
支援者の皆さんは言いますが、そもそもの根っこ部分に
ズレがあるんと違うんやろか?
そんな風に感じているのは私だけでしょうか。

生活相談って、基本はラフでいいと思います。
無駄話をしながら、お茶飲みながら、100円均一ショップ
でせんたくバサミやハンガーを選びながら、生活の話を聞く。
商店街を一緒に歩きながら、病気の話を聞く。

なんとなく話している中で大変な問題や悩みが、
ぼそっと一言。
これがほんまのSOSやと思います。
そこを拾って一緒に解決していくのが、プロやと思います。
はじめから整理して言葉できちんと相談できる人を
相談者に想定していたら、氷山の下の人たちはいつまで
たっても救われません。



カイパパさんのブログを見ている若いお父さん、お母さん、
親でも友達でもないんだけど、あなたのことを気にかけて
いる人が必ずいるということを忘れないでください。

あなたは一人ではありません。
だから、毒は溜めこまないで吐いちゃいましょう。
毒が抜けると、視界が明るくなりますよ。

あの時、手をかけようとした息子は20歳になり、
毎日元気に働いています。

働き方、暮し方もいろいろ。
こうでなければならないということはありません。

だから、大丈夫。

私は、このハバネロさんのメッセージを読み返しながら、「ひとり」の存在の重みについて考えていました。

悩み苦しみの渦中にいるひとり。
そのことに気がついて、手を差し伸べたいひとり。
その方法がわからず、その重さに耐える自信もなく、逡巡しているひとり。
いざ踏み出して、つまづき、とまどい、ためらい、自分を責めるひとり。
先に、一歩前に踏み出してみせて、大丈夫、といえるひとり。

ひとりが置かれたその時と場所は様々で、自分のことを支えるだけで精一杯なのが普通。
それでいい。あなたは精一杯やっている。
それなのに、心優しい、誠実な人ほど自分を責めてしまう。

上に書いた「ひとり」は、同じ人の「軌跡」だったりもする。
「大丈夫」と、今言うために、どれだけの逡巡をくりかえしてきたことか。
明日も、同じように言えるか?わが身に問い「それでも」と踏み出す勇気をふりしぼって。


ひとりは、強くて弱い。自分のことは自分が一番良く知っている、とは限りません。
「精一杯」って結構すごくて、精神力が、心身を壊すことだってざらにあります。

支援者も、たじろぎ、逃げ腰になり、疲れ、いやけがさし、燃え尽きる危険性を日々感じながらやっているのでしょう。

「当事者」とか「支援者」とか「親」とか、固まりにして語ることばかりあふれているけれど、
ひとり、ひとり、なんだ。

ひとりはひとり。

だけど、
助けを求めたら、

たくさんのひとりが集まってきて、なけなしの勇気と知恵をもちよって、なんとかしようとすると思うんだ。自分も「ひとり」だと知っているひとたちが。

ブログでできることはわずか。
とても一方的な発信。

複雑で矛盾した思いは、やはり、複雑で矛盾したままで。情理を尽くすところまでは語れないけど、「情」だけしかないけれど、私も「大丈夫だよ」と伝えたい。

旅の仲間

昨日の記事、「オランダのチューリップ」に、たくさんのコメントとツイートをいただいています。

あき母さんが、AUTISTICな日々「イタリアへ行こう」を教えてくださいました。「オランダへようこそ」へのアンサーソングになっています。

でもここで出会った友人たちには、こんなことを言う人もいる。
「努力はしたわ。できる限り頑張ってみた。でもやっぱりオランダは好きになれない。」
「どうしてもイタリアへ行きたいのよ」
「こんなところにいるのはもうイヤ」

じゃあさ。
行ってみようよ。
イタリアを目指して。

飛行機に乗るのはもうコリゴリ。
また変なところへ連れて行かれたらたまんないもんね。

だから、歩いていこう。
時間はうんとかかるかもしれないけど。
辛い旅になるかもしれないけれど。
ともかく、一歩ずつでも着実に、前に進むことはできるから。

あき母さんのコメントと記事を読んでこうままさんが、「イタリアはいいな〜で、いいのだ!」を書いてくださいました。

5年前の私は

オランダもいいところがいっぱいあるし、オランダでいいじゃん。

だったのですが
今回読んでみたら

イタリア、いいよな〜
と思う自分もokじゃん

でした。

合わせて、全文を読んでもらえたらうれしいです。こんなコラボができるなんて、ブログ冥利に尽きますねえ。


わが子の自閉症がわかったとき、私は──「自閉症スペクタクル」というネーミングのとおり、「新たな冒険」ととらえました。

イタリアでも、オランダでも、「旅」というとらえ方は共通しています。

「戦い」ってとらえるのがキライなんです。「旅」ですよね。
仲間と出会い、別れもあり、泣き笑い。時には戦いもあるけれどすべてじゃない。
指輪物語のように。

ずーーっと旅の途中。
わたしたちは旅の仲間。


指輪物語で、指輪を捨てに行くのは一番弱いホビットでした。
「一番弱いが一番強い」なんだなって。
カイが生まれてから初めて知りました。

オランダのチューリップ

以前、わが子の障害が分かったときの喪失感について、「未来イメージの死」とたとえて書きました。

・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
 私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

 赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

 それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

あき母さんのブログで、「オランダへようこそ」の詩を知りました。

・The Beauty of Holland(美しきオランダ):AUTISTICな日々
http://akihaha.blog17.fc2.com/blog-entry-112.html
赤ちゃんが生まれる前の気持ちは、イタリア旅行を計画するのに似ている。ガイドブックを買い込み、あれこれと夢想する。
コロッセオ。
ミケランジェロのダビデ像。
ヴェニスのゴンドラ。
ちょっとしたイタリア語会話も練習しなきゃ。とても、とてもワクワクする。

ついに出発の日が来た。荷物を詰め込んで、意気揚々と飛び立つ。
数時間後、飛行機は着陸。乗務員が告げる「オランダへようこそ」

「オランダ?どういうこと?私はイタリア行きの飛行機に乗ったのよ?ずっと、ずっとイタリアへ行くのを楽しみにしてきたのよ!」
「やむをえない事情でフライトが変更になったのです。オランダに滞在していただかなくてはなりません。」

ここで重要なのは、彼らは何もあなたを恐ろしい場所、忌々しい俗悪な、あるいは飢えに見舞われた不衛生な場所に、連れて来たわけではないということ。
ただ単に、違う場所に来てしまっただけ。

だからあなたは新しいガイドブックを買いに行き、新しい言葉を覚えなければならない。
出会うはずもなかった人たちとの、新しい出会いだってあるでしょう。

ただ違う場所に来ただけ。
ここはゆったりとした時間の流れる場所。イタリアのような華やかさはないけれど、ひといきついて辺りを見まわせば、ここには風車がある。チューリップもある。レンブラントも。

でも大勢の人々は毎日忙しくイタリアへ行ったり来たりしている。
そこがどれほど楽しかったか、口々に自慢する。
あなたはつぶやくことだろう、「私もそこに行くはずだったのに。私もそうするはずだったのに。」

そして胸の痛みは決して、決して消えることはない。
失われた夢は、あまりにも大きいから。


でもイタリアに行けなかったことを嘆いてばかりいたら、ずっと心は囚われたまま、この素晴らしい、愛すべきオランダを楽しむことはできないでしょう。

ああ……そのとおりだ。

診断を、「もらいに行く」親の気持ちを、あき母さんはこう記しています。

・失うもの:AUTISTICな日々
http://akihaha.blog17.fc2.com/blog-entry-400.html
「オランダへようこそ」という詩では
イタリア行きと信じていた飛行機が断りもなく勝手にオランダへ不時着してしまうわけですが
発達障害の診断をもらいに病院へ行くというのは
いわばイタリア行きのチケットを自らの手でオランダ行きに交換しに行くようなもので。

だとしたら、震える手でチケットを握り締めたまま
窓口から回れ右してしまう人がいたって不思議ではないし
責めることもできないわけで。

でも無理やり乗り込んだイタリア行きの飛行機が
やっぱりオランダに行ってしまったり
下手したら事故で墜落してしまうことだってありうるわけで。

混沌のなかにいる(本人も家族も)幼児期がやっぱり凄く大変で、どうサバイバルするかが難しくて。
どうしても、イタリア行きに執着している頃(「この子に障害なんてない!」)は、診断を勧められることを、「侮辱」ととらえてしまったり…。

こうままさんの言葉をかりて、伝えたい。

・お母さんも十人十色: こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/181701717.html
みんながみんな
子どもに障害があるってわかって
前向きに療育に励めるわけないじゃん。

なのに
前向きに頑張ってるお母さんは評価されて
そうじゃないお母さんが非難されるのは理不尽だって思う。

私は
内心では分かってるんだけど認めたくなくてもがいてるお母さんが愛おしいです。
自分もそうだったから。

「視点」を、困っている本人に転換できたら、早く診断があるほうが手だてがとれていいんだけど…、
イタリアを夢見ている時間も、あっていいですよね。少しくらい、夢も見させて、と。

あき母さんは、こう結びます。
診断の前後で子ども自身は何も変わらないけれど
何を失って、何を得ることになるのか。

せめて先に住んでいる者は
オランダにもっとたくさんのチューリップを植え続けなきゃなって思います。
自分たちのためだけにでなく。

うん。そうだ。
地域を耕して、チューリップが咲きほこるようにしたい。

もう一度こうままさんの記事を引きます。
こうままは、ずっとチューリップを植え続けている人。

・半分はこうくんのために: こうくんを守れ!!!
http://koumama.seesaa.net/article/182616929.html
いいな〜
こんなとこに通いたかったなぁって。

自分たちの時は望むべくもなかった状況を前にして
悲しくなっちゃったりしています。

私は、母子通園なんてイラナイって言ってた人間ですが
こんな母子通園だったら、ホント、通いたかったって思います。
10年前に戻ってやり直したいくらいです。

ゆうが母子通園するなら、母が傷つかない施設にしたかったから
とよっちと戦って、怒鳴りあって議論しまくった1年だったけど
プロフェッショナルなスタッフ達のおかげで、私が思っていた以上の空間になっています。
本当にスゴイです。

それを目の前にして
自分が望んでいたことなのに、
私がこうしてってぎゃーぎゃー言ってワガママ言って
無理難題を押しつけてきたのに、
実際にそうなってみると
何というか
悔しいし悲しいと思ってしまう自分がいます。

アホみたい。

みんなで幸せになりたいって思ってやってきたんだから
こうなるのは当たり前なのに。

こうくんと私や家族だって
幸せになっていいはずだよね?

またまた
明石洋子さんの言葉がリフレイン。

半分はみんなの子どものために
半分は自分の子どものために

複雑な思いを、抱えながら、僕たちは歩いていく。

それでも、チューリップ、植えましょう! 赤、白、黄色♪
飛行機からも見えるくらいたくさん。

オランダもわるくない。ぜんぜんわるくない。

立川での事件

・asahi.com(朝日新聞社):息子の障害悩んだ末に 殺人容疑の母、支援団体にも相談 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0129/TKY201101290355.html

立川で起きた事件について、亡くなった少年のご冥福をお祈ります。

いろいろな思いがあるのだけれど、言葉になりません。

2006年11月に広島県で起きた事件について書いた過去記事を紹介しておきます。

・広島での事件
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50832239.html
 自閉症の子の幼児期は、多動、睡眠障害、異食、パニックが激しく出るもっとも厳しい時期なのだ。

 天災や、避けられない事故で亡くなったのではない。
 これまでも繰り返されてきて、一歩手前で踏みとどまった人たちも数知れずいる。「子殺しは、防止できる」前提に立って、サポートを真剣に考えるべきだ。

 こういった事件を知るたびに、気がふさぐ。なんだか、自分も「ひっぱりこまれそうな感覚」があるからだ。これが自分だったかも、、、という思いは消せない、だから、私たちは、同様の立場の親たちは、息をひそめ、事件を話題にすることも避けるのかもしれない……



 私が、この社説に加えるとしたら、命を奪われた子どもたちに「詫びる気持ち」です。自閉症を、殺される理由にしてはならない。

・苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
 私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

 赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

 それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

だけど、この子たちは、成長する。

先週書いた「未来はどちら向き?」のなかで書いた──
後ろ向きでフツー。未来のことは、だれにもわからない。
だから、今の延長で悲観し過ぎなくていいと思うよ。

しなないでね。ころさないでね。

これが、11歳の子の父親として、実感をもって、今伝えられること。

あなたはそれでいいんです

昨日紹介した記事を読んでから、胸につかえるような思いがあって、うまく表現できるかわかりませんが、書き出してみたいと思います。

私は、2年前まで、人材開発の部署にいました。
新人教育の運営事務局をしていたときの話──
新人研修では、遅刻やら居眠りをする学生気分が抜けない新人が、なかにはいます。
仕方なく、叱ったりします。一瞬で教室の雰囲気は凍ります。叱ったほうも、叱られたほうも後味の悪い思いをします。

後でアンケートに「あんな受講態度をとってしまって、私たちは講師に対して失礼なことをしてしまった」と反省を書くひとがいます。
チェックしてみると、それは叱られたひとではなくて、ちゃんと遅刻もせず真面目に研修を受けていたひとでした。
叱られたひとは平気で、むしろ批判的なコメントを書いていたりする。

なぜこんなにちがうのか。感受性のちがいなんでしょうか?
「いい人」ほどダメージを受けてしまう。

昔、私が講演を始めた頃、「共感してほしい」「親の気持ちをわかってほしい」ということが一番の目標でした。
まだ、自分自身、わが子が自閉症だとわかってから2年も経っていない頃で、話しながら言葉に詰まってしまうこともありました。
話をするたびに、ものすごく消耗しました。そして、アンケートのコメントから「伝わったんだ」という実感をもらい、エネルギーを補給していました。

メーリングリストやブログを続けていく間も、「共感してほしい」という思いは常にありました。
それは、言い換えると、「他人事ではなく、自分ごととして考えてほしい」という願いでした。
手ごたえがあるときもあれば、ないときもありました。けれども、私は、とても恵まれていたと思います。顔も知らない、無数の仲間の存在を実感できていたから。

発達障害者支援法を成立させるための運動を、ブログで展開しました。
すごい数のひとたちが、ここに立ち寄り、協力をしてくれました。
今でも忘れられないのが、「120人の意見書」──リアルタイムでコメントされるたびに衝撃を受け、涙しました。

『ぼくらの発達障害者支援法』の編集のため、「120人の声」をもう一度読み直した時、再び感情を揺さぶられ、涙が止まらなくなりました。

共感──という意味では、本当にひとりひとりの体験にシンクロして、わけがわからなくなるくらい苦しくて痛くてつらくなりました。

しばらくして、自分がひどく消耗していることに気がつきました。

「共感」にはエネルギーが要ります。

理屈ではなく、心で感じなければならないから。

そして、感情エネルギーには限りがあるという事実を知りました。



わが子の障害を知ったとき、親は、とても感じやすい、脆い状態になります。
そして同時に「この子のため、何かやらなければ!」というパワーも生まれます。そのとき、親は子を守るための「無敵状態」に自分が入ったかのように錯覚します。が、無敵はありえません。エネルギーゲージには限りがあって、使っていけば確実に減るのです。

だれかのお話を聞いて、「これは他人事ではない! 私が行動を起こさなければ!」と思うことは、本当にすばらしいことです。実際にわが子のためになることかもしれません。

けれども、私は、あえて語りかけたいのです。障害がわかったばかりのあなたに。

「それは他人事ですよ」

と。

世の中には、自閉症に限ったとしても、数限りなく、悲惨なこと、つらいこと、かなしいことがあふれています。
そのひとつひとつに、シンクロしていたら、心がもちません。

共感できるあなたは、とても優しいひとだ。
きっと友だちになれると思う。

まずは、ご自身のことを考えてほしい。そして、本人のことを。

「無敵状態」のとき、すごい勢いで色々やりたくなることがあります。でも、揺り返しは必ず来ます。
なぜなら、あなたは無敵ではないから。むしろ、とても傷ついていて、傷つきすぎて、自分がどれだけ傷ついているかさえ自覚できなくなっている可能性さえある。
客観的に見たら、ひどく無防備で、やわらかいところをさらけだしている状態。

だから、余裕ができるまでは、「他人事」と「自分事」の線引きを意識して、暮らしを立て直していったほうがいいと思うのです。
周りの人に甘えていいんです。
そして、いつか、余裕ができたら次の困っている人への「ご恩送り」ができたらいいですよね。

「障害児の親」に対して、世間(のようなもの)は、なんだかわからない圧力をかけてきます。

私はムリ、そんなふうにはなれない。と思えるひとは大丈夫です。OK。

圧力=期待(のようなもの)に応えようと無茶をするひとに向けて書きました。
(私は、あなたのようなひとが好きだ。)

無理をせず、細く長く生き延びましょう。あなたは、自分を甘やかすぐらいでちょうどいい。

【過去記事】今、苦しい思いをしている方へ

■【過去記事】今、苦しい思いをしている方へ

 神栖市へ行き、講演会場でお話をして、感想アンケートを読んで、「今まさに子どもの障害がわかって、途方にくれているお父さんお母さんたちがこんなにもいるんだ……」ということを知りました。痛切な思いが自分の中にもよみがえりました。

 講演会のなかでもお話しましたが、私自身の個人的な体験を話す時、まるで「せっかく固まったかさぶたをかき壊す」ような感じがあります。かさぶたの中は、まだじくじくと血が流れ続けている。だからこそ、伝えなければならないと思うんでしょうね。

 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの過去記事の中から、読んでいただきたい記事をピックアップして紹介します。

★初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html

 4回連載の記事です。まだまだ、カイパパとしての活動の初期に、めいっぱいの気持ちをこめて書いた記事です。

 まとめて印刷して読みたい方のためには、こちらのPDF形式をどうぞ。

★【あの頃】「わが子の障害がわかるまで」体験談募集
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/387768.html

 ドラマ「光とともに」放映中に、ドラマをきっかけに自分たちの体験を語ってみようという呼びかけをして、多くの方が「障害がわかるまで。わかったときのこと」を書いてくださいました。
 この記事はトラックバックとコメントがメインです。一つ一つ読んでみてくださいね。

★「がんばれ」って言わないで 「がんばらないで」と言わないで
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/742875.html

 元気を出そう、がんばろうと思いすぎても、私たちはすぐに「ガス欠」が来てしまう。でも、それがフツーですから。この記事もあわせて紹介しておきます。

【わが子】★5 他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に

■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(5)
 〜他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に


 私は4歳の男の子(知的障害を伴う自閉症)の父親です。わが子は2歳4ヶ月のときに、自閉症の診断を受けました。
 そのときの気持ちは、いくら時間が経って努力して事実を受けとめてきたとしても、文章で表現しきれるものではありません。私もまだ小さい子どもをかかえて、日々の悩みや憂いの中にいます。ですから、「アドバイス」めいたものは書けないのですが、私が苦しかったときに(今も)大切にしてきた5つの言葉を紹介します。
(2003年7月16日 カイパパ 記)

★1 「今は喪中だから」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html

★2 全ては日常になっていく(日常の復元力)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360801.html

★3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360803.html

★4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360804.html



★5「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」

 自閉の子と外出するのは大変です。「覚悟」がいります。ちょっと目を離したらいなくなるし、めったやたらと物を触ったり、超音波の奇声を発したり、電車で隣に座った人のメガネをとってしまったり……。
 そんなとき、何も知らない他人は「何? このしつけの悪い子は!」と白い目でこちらを見ることがあります(世の中には「白い目」というものが本当にあるんだと初めて知りました)。ツライですよね。もう他人がいる場所へは子どもを連れて行きたくないという気持ちになります。

 そんなときに、妻が「他人の偏見には鈍感に、他人の親切には敏感でいようと思う。そんなひとも障害を知らないからそうしちゃうだけだから。手を差し伸べてくれる人もいるから」と言いました。さすがに毎日四六時中子どもと一緒にすごしている母親の言葉はちがうなと思いました。
 父親は母親に比べて、子どもと過ごす時間が少ないので、なかなか根性が座らないところがあります。できるだけ奥さんの声に耳を傾けて、たとえばこういった「心構え」ひとつをとっても、共有しておくことは大切だと思います。

 私は、子どもの障害がわかってから、「人の情けのありがたさ」が骨身にしみるようになりました。世の中捨てたもんじゃないです。できるだけ、偏見は気にせずに、私たちはわらっていましょう。「笑う門には福来る」です。


【追記】2004年6月15日
 以上で「初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ」の連載は終わりです。

 今から1年前に書いた文章ですが、いまだにこの言葉に励まされる自分がいます。まだまだ落ち込むことも多いです。この感情の波はずっと続くでしょう。
「いっちょまえのことを書いて」
 と自分でも思いますが、この文を書いている私は達観して、お説教するつもりで書いているわけではありません。
 苦しみの中で「こうだったらいいな。自分はこうありたいな」という願いをつづっていると言った方が正確かもしれません。

 自分で自分を信じれらないときがあります。
 そんなときに、支えとなってくれるのが、「自分が書いた文章」だったりします。
 だから、私はここに書き続けているのかなぁ――なんてことを思ったりしています。


【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
・印刷用PDF
http://homepage2.nifty.com/tubomi-aichi-autism/papa/taiken/pdf/shindan01.pdf

【わが子】★4 子育てを夫婦だけでかかえこまないで

■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(4)
 〜「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」


★1 「今は喪中だから」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html

★2 全ては日常になっていく(日常の復元力)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360801.html

★3 診断の前後で、わが子が別人になったわけではない
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/cat_43188.html




★4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」

 この言葉は、私の高校時代からの恩師からかけていただきました。

 多くの場合、障害がわかってから、そのことを誰にも話せず、夫婦だけでかかえこんでしまいがちです。私たちもそうでした。

「自分の親・兄弟にどうやって伝えたらいいのか」とても悩みました。どのように伝えるかについては、それぞれの関係によってさまざまですから一概には言えません。数ヶ月・数年かかることもよくあります。言えないのはあなただけではありません。そのことは知っておいてください。

 けれども、夫婦だけでかかえこんでいると「破綻」が来るおそれがあります。なぜなら、この子たちはとても「育てるのが大変な」子どもたちだからです。夫婦だけでは負担が重過ぎて、支えきれないのです。
 だから、いつの日か「カミングアウト」して、外に出て行きましょう。

 今はまだわからないかもしれないけれど、世の中には、本当に「この子たちの助けになりたい」と心から思っている人たちがたくさんいるのです。
 障害のあるなしに関わらず、子どもは「社会が育てるもの」です。
 だから、自分の両親、友達、同じ立場の親仲間たち、療育者、お医者さん、ボランティアさんなどなど、みんなが力を持ち寄ってこの子たち(そして私たち親たち)のしあわせを実現できたらいいですよね。


【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
・印刷用PDF
http://homepage2.nifty.com/tubomi-aichi-autism/papa/taiken/pdf/shindan01.pdf

【わが子】★3 診断の前後で、わが子が別人になったわけではない

■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(3)
 〜診断の前後で、わが子が別人になったわけではない


★1 「今は喪中だから」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html

★2 全ては日常になっていく(日常の復元力)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360801.html


★3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」

 考えてみてください。私たち、親は障害の確定診断を受けて、悲しいけれど、わが子はどうでしょうか? 診断の前後で、わが子が変わったわけではありません。診断によって、自閉症になったのではないのですから。
 そうだとしたら、一度冷静になって少し引いてわが子を眺めてみてください。より可愛く、いとおしく思えてきませんか。

 ハンディがあることは、生きづらく、大変なことが多いです。一番不利な立場に置かれているのは本人です。普通の子が1回で覚えることを、わが子は100回1000回やっても覚えられないかもしれない。でも、「それがどうした」と私は思います。できなくてもいい。この子なりのペースでやっていけばいい。足りないところは、支援してあげればよい。
 きっと、そんな気持ちに変わっていくと思います。

 自閉症とわかったことは、わが子を理解するためにとっても幸運なことです。なぜなら、障害特性を理解することで、これまで「育てにくく」感じていた理由がはっきりして、どうすればわが子にとって、わかりやすく、すごしやすくできるかの工夫ができるからです。
 超個性的なわが子が、最高の宝物だと心の底から思える日がきっと来ます。


【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
・印刷用PDF
http://homepage2.nifty.com/tubomi-aichi-autism/papa/taiken/pdf/shindan01.pdf

【わが子】★2 全ては日常になっていく

■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(2)
 〜全ては日常になっていく


★1 「今は喪中だから」 ←1つ目の言葉はこちらで。
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html


★2 全ては日常になっていく(日常の復元力)

 一番つらい時期に、つぶやいていた言葉です。「全ては日常になっていく」――この言葉は、恋愛などドラマチックな出来事もすぐに慣れて日常の退屈なものになってしまうというような意味で使われることが多いと思います。

 しかし、私はこの言葉は、強い「日常の復元力」を表現していると思いました。
 つまり、どれだけ大きな悲しみがあったとしても、腹は減るし、トイレにも行くし、夜は眠くなる。自分がどんな気持ちでいても世界は回り続ける…。

 永久に「悲劇の主人公」ではいられないんですね。いつの間にか、子どもの障害が所与のこと(初めから与えられたもの)と、自分自身の体と心がなじんでいくんです。

 今、悲しみのさなかにいるあなたには信じられないかもしれません。しかし、真実です。それくらい「日常」は強くて、私たちの生きる力も強いんです。「全ては日常になる」覚えておいていい言葉だと思います。


【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
・印刷用PDF
http://homepage2.nifty.com/tubomi-aichi-autism/papa/taiken/pdf/shindan01.pdf

初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(1)

★はじめに

 この文章は、パパのちからこぶHPに既出のものです。ドラマ「光とともに…」第1回を見て、あの頃「自分はこんなことを考えて歯を食いしばっていたなあ」と思い出し、その思いをシェアしたくなりました。
 この文章が、初めてわが子が自閉症かもしれないと思って調べている親御さんの目にとまり、ほんのちょっぴりでも救いになるといいなあと願っています。4回連載(不定期)です。
 自閉症についての解説は、こちらをご覧ください。
・【自閉症】自閉症を知ってほしい
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/25101.html



■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ

 私は4歳の男の子(知的障害を伴う自閉症)の父親です。わが子は2歳4ヶ月のときに、自閉症の診断を受けました。
 そのときの気持ちは、いくら時間が経って努力して事実を受けとめてきたとしても、文章で表現しきれるものではありません。私もまだ小さい子どもをかかえて、日々の悩みや憂いの中にいます。ですから、「アドバイス」めいたものは書けないのですが、私が苦しかったときに(今も)大切にしてきた5つの言葉を紹介します。
(2003年7月16日 カイパパ 記)



★1 「今は喪中だから」

 診断の告知を受けたときに、私たちは混乱し深い悲しみに落ち込み、おぼれてしまいそうになってしまいました。
 その感情は、将来に対する不安と喪失感だったと思います。「しっかりしなくちゃ」と思うのだけど、ふとした瞬間に涙がこぼれてしまい、仕事が手につかないくらいでした。また、妻の落ち込みも激しくとても心配でした。

 そんなときに、妻が言った言葉――「今は喪中だから悲しいだけ」。この言葉の意味は、「今は喪中だから悲しむだけ悲しむ。でも時間が経って喪があければ大丈夫だから」という前向きな意味が込められていると思いました。

「悲しいときはがんばらないでいいよ」と伝えたいです。悲しいときは悲しみにくれたらいいんです。仕事だって、休めばいい。子どもの障害は、それくらい重く大事なことなんですから。
(続く)



【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
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