カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

おすすめ

【おすすめ】花島愛弥作品展が12月4日〜5日豊橋で開催

プロジェクト部の仲間、花島さんの娘さん「花島愛弥」さんの初個展のご案内です。
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【花島愛弥 作品展】
 彼女が唯一自由に表現できる、絵や工作の世界で15年の歩みをたどります。
 こころに大きな痛手を受けて、大好きな絵が描けなくなった時もありました。
 でも、暖かく見守ってくれる、みなさんのおかげで今があります。15年の感謝を込めて。

 工作コーナーも用意します。季節に合わせて、大きな松ぼっくりのクリスマスツリーを作ってみませんか?

・日時:2015年12月4日(金)10:00〜22:00
        12月5日(土) 9:00〜21:00
・場所:穂の国プラット芸術劇場2階研修室
   〒440-0887 愛知県 豊橋市西小田原町123
・入場無料

わたしは、本当に「良い」と思ったものしかおすすめしません。

愛弥さんの作品は、見ていただければわかるように、魅力に満ちています。色とかたちとその表情、ぐぃっと動物たちがこちらに近づいてくるようです。自然と笑みがこぼれるような愛に満ちた世界がそこにはあります。

こちらは、11月にオープンした医療法人積善会 第二積善病院のサインに採用された愛弥さんの絵です。すてきですよね〜!
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新しい才能を見にいきましょう。

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」に行ってきました!

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」に行ってきました!

名古屋の姉妹都市であるトリノ発の知的障害のあるアーティストたちの作品展です。
肩の力の抜けたおかしみと明るい色彩が気持ちいい。とっても気に入りました。

特に、レコードジャケットをモチーフにした作品がツボでした。
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これとか。I'm BAD!

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これとか。Do I smell like teen spirit?

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これなんかサイコー♪ I am a creep.


「作品が欲しい」と思ったら、カレンダーのクラウドファンディングをやっていました。さっそく応援しました! これは、自信を持っておすすめできます。ぜひぜひぜひ応援して成立させたいです。

・イタリアの知的なハンディがある人びとがデザイン!POPでROCKなカレンダー
https://www.makuake.com/project/stu-art/

「ラボラトリオ・ザンザーラ展」は、ナゴヤドームのとなりにある「市民ギャラリー矢田」の第1展示室(階段のぼって3階です)にて10月12日(祝・月)まで開催中です。入場無料。ぜひ生で観てほしいです!

おなじ建物のなかにある東図書館では、「名古屋トリノ姉妹都市提携10周年記念 関連図書展示」もやってました☆
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映画『トラッシュ! この街が輝く日まで』を観た

トラッシュ!-この街が輝く日まで- ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]
マーティン・シーン
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
2015-06-03


今日は映画『トラッシュ! この街が輝く日まで』(公式サイト(予告編観れます))を観ました。

ブラジルのスラム街に住む14歳の3人の男の子たちが主人公。親はおらず、学校にも行けず、毎日ゴミ山をあさって暮らしている。ある日、財布をひろって、運命が変わる。

明るいエネルギーに満ちたキャスト、謎解きをしていく完璧なプロット、おとぎ話のようなのにリアリティがあり、一気に観てしまいました。

ブラジルのスラムを舞台にした映画といえば、
『シティ・オブ・ゴッド』がなんといっても最高ですが、この『トラッシュ!』もおすすめです。それにしても、このエネルギーの強さはなんなんだろう? わきあがってくる命の力に圧倒され、元気が出ました。

ラストのメッセージが響きます。
街頭に出よう
権利のために闘うんだ
そうでないとブラジルがダメになっていく
オレたちは人間だ
平等に扱われる権利がある
真剣に考えるべきだ
誓って言うけど みんなが街頭に繰り出したら
誰にも止められない

映画「ローマの教室で 我らの佳き日々」

ローマの教室で ~我らの佳き日々~ [DVD]
マルゲリータ・ブイ
TCエンタテインメント
2015-04-03


外国映画(ハリウッドと邦画以外という意味)を観るといつもその「文法」の違いに戸惑う。
見慣れたわかりやすいドラマの作り方とは別の「文法」で映画が流れていく。前提となる知識に欠けていることも謎を深める。出てくる俳優も全て「無名の人」として鑑賞することになる。言葉ももちろんわからない。

この映画は、イタリア映画で、現代の公立高校を舞台にしたもの。
メインとなるエピソードは、4つ。それぞれ、年老いた美術教師(男性)と昔の教え子との再会、若い臨時の国語教師(男性)と学級からはみ出す女子生徒とのすれ違い、校長(女性)と親が行方不明になった男子生徒との接近、そして成績優秀な男子生徒とミステリアスな不良少女とのラブストーリーだが、これらが交差することはない。学校の中では、教室だったり職員室で同じ時間を過ごすだけ。
それぞれが、学校の「外」でのドラマを持つ。一方で、学校の中でのドラマは、大勢のやかましい雑音のなかで隠されてしまって、聞こえてこず、進行していかない。

わたしはイタリアの学校(小学校だが)に2度訪問したことがある。日本と比べて校舎が狭く、校庭もなく、教育環境は恵まれていないと感じた。この映画で描かれる高校も、「荒れた学校」ではなくて一般的な高校なんじゃなかろうかと思う。

学校外でも学校内でも、ドラマは多少の起伏があるがカタルシスは特にない。
だが、美術教師の最後の授業で語られる言葉(これは詩だ)は、それまで学ぼうという意欲を少しも見せていなかった生徒たちが心を開いて聴き入っていた。
「今意味がわからなくても、何かこれからの人生で意味を持つ大切なことを先生が語っているのだ」とわかっている──そんな瞬間を描いていた。

以下はその言葉です。くりかえし観ながら書き取りました。
芸術には何らかの
いや 自然にもだが
心を安らげるものと かき乱すものがある
花咲く緑の草原や 雲一つない青空は
我々の心を安らげ
湖の静けさや 嵐の激しさは
我々の心をかき乱す

永劫にせめぎ合う2つの感情
秩序の探求と混沌の魅惑
この葛藤の只中に人は住まう
我々の誰もがそうだ
チャッカ 君もだ

秩序と無秩序
我々は 規則 形式 原理を求め
世界の真の仕組みには
たどり着かない

一切の真の形は
我々の外にあり
同じく我々の内にある

人間にとって永遠の神秘だ
この神秘を解く際の非力さに
我々は戦慄し
揺れ動くしかない
不可能な調和の探求と
混沌への埋没の狭間で

だが 我々と世界
我々同士
我々と神の間に横たわる
隔たりを悟る時
我々はいまだに驚きを覚え
初めて見るかのような眼差しを
周囲に投げかけることが
できると気づく

【おすすめ】THE HOUR 裏切りのニュース

THE HOUR 裏切りのニュース DVD-BOX
ベン・ウィショー
KADOKAWA / 角川書店
2015-05-13


昨日の記事で書いたBBCドラマ「THE HOUR」を観終わりました。実に面白かった!

特別映像特典で出演者が語っているとおり、1950年代のTVニュースで政府が情報コントロールをしようとするのにジャーナリストが抵抗する物語は、現代にも通ずる。特に今の日本で観るとね。

おすすめです。シーズン1は6話完結なので手軽に(中身は濃厚)楽しめます。
観終わったひとと語り合いたい。

【おすすめ】親が精神疾患になったときの子どものケアガイド

・親が精神疾患になったときの子どものケアガイド
「家族のこころの病気を子どもに伝える絵本´↓」解説よりポイントを抜粋 2014.1 ver.1
http://pulusualuha.p2.bindsite.jp/care.html

こういうサイトがあるから、インターネットはすばらしい。

子どもは守ってくれる存在を必要としています。親は、子どもを守る第一の存在ではありますが、様々な事情で、それができないことがあります。そのとき、親は自分を責めるでしょう。
ですが、子どもは、子どもなりに(子どもだからこそ)自分自身を責めてしまう。

この記事には、親が弱っているときに、子どもを守るためのノウハウが書いてあります。
〇劼匹發里擦い任呂覆い海箸鯏舛┐泙
(略)
◯「あなたのせいではないよ」「病気はだれのせいでもないよ」
×「いい子にしてたらお母さん早く良くなるよ」「そんなわがまま言ったらお父さんの病気が治らないよ」

なんでも自分と結びつけて考えてしまうことは、自分の経験でもありました。
また、障害をもつ子どものきょうだいの体験談で、「弟が『バカ』なのは自分のせいかもしれない」と思いやんでいたということを聴いたことがあります。

親からすれば、「まさかそんなことを」と思うようなことを、子どもは他人に言えず、自分を責めてしまうのですね。

私は、この記事を読んで、あらためて「子どもは守られなければならない」と思いました。

親がその任務を果たせないとき(そんなときはいくらでもあります)のために、「こまったときカード」を作っておくことなど、実践的なくふうが書いてあります。
おすすめです。

年末に「生産性」と「性教育」について考えた

おはようございます。カイパパです。今日も来てくれてありがとうございます。
お休みの後、仕事が予想どおりたまっていたり、進んでいたりしていて、浦島太郎とまではいきませんが、浦島次郎ぐらいの状態で二日間。まとまった記事を書くエネルギーが足りません。
なので、軽く思いつくまま書いてみます。

わたしは、FeedlyというRSSリーダーで、お気に入りのブログを読んでいます。iPadで読むのが一番はかどります。
年末は、各ブログで「今年の記事ベスト10」とか「今年読んだおすすめ本10冊」などセルフまとめ記事が多くて、お得です。
今回も印象に残る記事や購入本に出会えました(また積ん読本が増えてしまった^^;)。

印象に残った記事
・アーロン・シュワルツの「生産性について」を読み返す
http://lifehacking.jp/2013/01/aaron-swartz-productivity/

若くして自死してしまった天才ハッカーの、等身大のライフハックがとてもよかった。人は、死に向かって一直線に飛ぶ矢のような存在だ。限られた生命の時間をどう大切に使っていくか? そのためのエネルギーをどうセーブして使っていくか? を想った。

購入本
・木全 和巳「児童福祉施設で生活する“しょうがい”のある子どもたちと“性”教育支援実践の課題」
→Amazonリンク



紹介記事はこちら。
・キリンが逆立ちしたピアス:今年の十冊
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20131230/1388398260

高価な本なので、購入をためらっていましたが、キリンのピアスでお勧めされていたのをみて購入。他人に聞きづらい、自然には覚えてもらえない性のことを家庭で教えるためのヒントがあれば…と願っています。
性教育について、他にお勧め本があればぜひ教えてほしいです。

【おすすめ】DVD親と教師のための自閉症の人が求める支援

みなさん、こんばんは。カイパパです。今日は初売りでにぎわう栄から名古屋駅までカイと一緒に歩きました。本当は、草の根ささえあいプロジェクトの新年会にカイを連れていき、みんなに紹介をしたかったのですが、家を出る前のメモ帳を使っての「行き先交渉」で却下されました。彼の好きなBOOKOFFとTSUTAYAをハシゴしてきました。わたしの海外出張用のノイズキャンセリングヘッドホンを付けてあげたのですが、これが快適なようで、ほとんどずっと付けていました。名古屋駅の地下街エスカで、鷹の爪団の特別店舗が今日から出ていて、なんと島根県に里帰りしてきたばかりの吉田君との撮影会があり、貴重な3ショットを撮ってもらいました。幸先の良いスタートです!


今日は、わたしが一番苦しかった時期に救ってくれた文章を書いてくださった志賀利一さんが推薦されているDVDをご紹介します。

・志賀利一Facebookページ:《正月に構造化のDVDを振り返り視聴してみました》
https://www.facebook.com/toshikazu.shiga/posts/684232844942244
(略)
ここ3年くらい、全国の福祉施設や教育現場を訪問する機会が増えました。多くは素晴らしい実践をしている場所です。それでも、
1)構造化の整備は必要だと思っているが組織で継続的に実施することが難しい、
2)組織的に構造化された環境を作っているが対象者に意味ある生活を提案できていない、
といったどちらかの課題を抱えています。
改めて、昨年朝日新聞厚生文化事業団が売り出した3本セットのDVDを観たら、その答えが丁寧に説明されているのにです(見本をもらったのでCMします)。

教科書やDVDと違い、現実の支援の場とでは「経営的な戦略」「トップのリーダーシップ」「職員採用と教育」「人事評価と処遇」「組織のガバナンス」「地域の中での役割」等、いろんな条件に折り合いをつけて、初めて良好な支援が提供できるわけですから、決して容易なことでないのはわかります。

しかし、DVDを観て、少なくとも第一歩を全員で踏みだそうとしないなんて・・・ 

この辺りが、私の今年の仕事上のテーマの大きな1つになりそうです。すでに「TEACCHの構造化の基礎なんて」と思っている人(私もそうでした)、もう一度DVDや本を読んで勉強しましょうね。答えは、この中にしか無さそうです。

これがそのDVDです。

・社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団:DVD 親と教師のための自閉症の人が求める支援
http://www.asahi-welfare.or.jp/purchase/detail/jiheisho_shien.html
「気が散って集中しにくい」「段取りが苦手」「どこに注意を向ければいいのか分からない」「見通しがつかなくて不安」。自閉症(ASD)の人の支援に欠かせないこれらの視点(学習スタイル)をもとにして、それぞれの個性に合わせて考える支援とは。その答えがこの3巻のDVDにあります。自閉症の人への支援の基本「構造化」について、世界で初めて完全映像化されたDVDが、ついに登場です。

視覚支援だけではない、自閉症の人が求める支援の全貌を、自閉症の人への臨床の第一人者、佐々木正美教授の案内で明らかにし、米国ノースカロライナ大学ゲーリー・メジボフ教授が特別出演で解説します。自閉症の人の教育、福祉、医療、生活の支援にかかわるすべての人、必見のDVDです。

志賀さんが、あえて今このDVDを紹介されているのは、袖ヶ浦福祉センターでの虐待死事件を意識してのことです。

「重度知的障害のある人に対して、特に混乱した時の対応について、わからない」だから、威圧的な言動で従わせる──という現状があるという発言を聞きました。ではどうしたらよいか? わからないから仕方がないではないか、といった居直りにも取れるようなあきらめも聞こえてきました。
しかし、打つ手は実は研究されてきています。ところが、それが浸透していない。根本的な解決につながる方法を求めて探して、落ち着いた暮らしを実現するための努力が取られていないことが問題です。

志賀さんはこう語っています。
いわゆる重度・最重度の知的障害がある、行動障害の著しい人のことを、強度行動障害と呼び、研究や支援のあり方について私たちの国で検討されはじめたのは四半世紀前です。長い年月をかけ、対象者の状態像や支援の基本的なあり方については、概ねコンセンサスを得られたと思っています。そして、この支援のあり方として、どんな個別の支援計画を立案・実行しようとも、日中活動や生活の場でしっかりと「構造化」を行っておくことは最低限の条件だとも考えています。もちろん「構造化」だけで、行動障害のすべてが解決する訳ではありません。しかし、「構造化」無しには、支援は一歩も進みません。

そんなことは常識であり、支援技法上も「枯れた技術」であるはずです。冗長で、混乱を引き起こしている情報を整理し、自らの能力にマッチした、自尊心をもって実行できる活動を準備し、落ち着き、安心して過ごせる時間を増やせて初めて、人との良好なコミュニケーションを育むといった、これこそ「当たり前」の支援のあり方です。決して、強度行動障害や自閉症の支援だけではない、基本中の基本だと思うのですが。

「DVDを観ただけでマスターできて解決」なんて、「聴くだけダイエット」みたいなわけにはもちろんいかないでしょうが、優れた教材があるのだからまずはそれを観て学ぼう!という呼びかけです。

タイトルに、「親と教師のための」とありますが、入所や通所施設でも、ヘルパーにとっても、きっとヒントになるはず。

混乱し、苦しみ、困っているのは本人です。周りにいる者も、それでいいなんて思っていない。困っている。「なんとかしたい」と心から思っている方に届けたいです。

【おすすめ】安藤美姫が語る「女が逆境を生き抜く方法」

おはようございます。今朝の「とくダネ!」で、安藤美姫さんが生放送で出演されていて、思わず見入ってしまいました。彼女のことを悪く言う人がいるそうですが、わたしの周りでは「ミキティ最高!かっこいい!」と言う人ばかりです。

彼女は、昔は、もろくて壊れやすい印象がある人でしたが、今朝の憑き物が落ちたような晴れ晴れとした表情を見て、こちらまで清々しい気持ちになりました。夢を叶えて、きっと素敵なコーチになるだろうなと予感しました。日本中の人たちが、ハラハラ心配しながら応援しているのは、選手の小さい頃からの成長と活躍を知っているから、みんなが「親」のような気持ちで見守ってしまうからなのでしょうね。選手のみなさんは「親」が多くてタイヘンだ!

安藤美姫さんの人柄が伝わってくる記事があるので紹介します。

・安藤美姫が語る「女が逆境を生き抜く方法」〜安藤美姫×石本めぐみ対談
http://toyokeizai.net/articles/-/18550
石本:でもたとえば、高齢者介護=女性、そんな構図があること自体が、本当はおかしいんですよね。

安藤:そう、男性の力が大きいことは、もちろん理解しています。でも日本では、当然女性がそれをやるんだ、という固定観念がある。

石本:そうそう! 日本の女性は、よく考えたら不思議なポジションに立っている。東北で活動していて、そのことにあらためてびっくりしているんです。

安藤:私は今、特に、その雰囲気が息苦しくて(笑)。

石本:息苦しいですよねえ! 女の人はこうでなくてはダメ、って。道を少しでも外れたりすると、もう……。

安藤:私はもう、道を外れすぎてしまって(笑)。

安藤:「男性社会」――アスリートをしていても、時々、感じることがあります。たとえば女性特有の体調の悪さで、腰が痛いとかおなかが痛いとか……なかなか日本では、そんな話をしにくい。でも私が初めてアメリカに練習に行った頃、女性のアシスタントコーチが、「それは自然なことなんだから、恥ずかしがらずにどんどん言っていいんだよ」と話してくれたんです。

海外に行くと、女性の立場も違うんだなあ、って強く感じたし、そういえばアメリカのボランティア団体でも、トップに立つ人は男性より女性のほうが多かったな。

安藤:あれは19歳の頃……最初は英語もできなかったけれど、あのころから私も少し、自分の視野を広げられました。もちろん外に出ることで、日本のいいところも再認識したけれど、ここを変えたらもっとよくなるのに! ってこともたくさん感じて。自分は女性だから、女性の立場がほかの国とこんなにも違うってこと、特に強く疑問に思ったんですよ。

この対談で語られていることは、女性が自由に生きることについての視点と課題です。おすすめです。

あれ? 前置きのつもりが、長くなってしまったので、記事として挙げます(^^)

おすすめ記事「弱さ」で身を寄せ合って

Twitterでフォローしているよっひーさん@yohimaxは、Twitterで考えながら連続投稿をして、それをまとめてブログ記事にするスタイルを日々続けている。
わたしはよっひーさんの記事は、必ず読んでいる。

いつも、胸をつくメッセージが届くのだけど、この記事は最近じぶんが考えていることにシンクロしていた。紹介したい。

・「弱さ」で身を寄せ合って|誰もいないどこかへ
http://ameblo.jp/yohimaxa/entry-11639827875.html
 しかし、「ただ身を寄せ合う」ということの効能はバカにはできないのだ。
 経済的なスラムで、たとえ満腹にならなくても、1つのパンを3人で分けあって、3人が共に餓えない、ということに大きな意味があるのと同じで、たとえ満足や安心が得られなくても、同じ境遇の人がそこにいて、今日もいなくなっていない、ということには大きな意味がある。

先月、インドのスラムを舞台にした『シャンタラム』という小説を読んだので、イメージがわいた。
日本でも、今、インターネットなどを通じて、小さな「スラム」的な集落ができはじめているのではないかとよっひーさんは言う。

 ただ1つ言えるのは、「弱さでつながる」というのは、よく企業や団体や、あるいは同じ志や野心を持つ者同士が、連帯したり協働したり、または同盟を結んだりするようなイメージではなく、言うなれば「スラムで身を寄せ合って生きている」という感覚のほうが近い。
 お互いに力はない。互いに言葉を交わすことも少ないし、別段仲が良い、というわけでもない。誰か傷ついた人がいても助けられるような甲斐性を持っているわけでもないし、事実、そのつながりの中では、今日は誰々が自殺した、今日は誰々がいなくなった、ということが日常茶飯事的に起こっていて、それでも「ああ、あいつもいなくなってしまったんだな」という感慨のような感情を湧き起こす以上に、できることがあるとも思えない。

今回の記事もこれまでの記事との連なりの中で書かれているので、「支援」だの「理解」だのと言う人と実際に「それ」を受ける側の人たちとの間の断絶についても間接的に指摘をしている。「スラム」の住民は、同じ境遇だからこそ、よりそいあえるのではないか? そこに、その境遇よりも「高い」立場にいる人が入ってきて、「理解」をして「支援」をすることで、本当に救いになるのだろうか?と。


『シャンタラム』でも、そのテーマは通底していた。この小説のことは、またいつか書きたい。

おすすめ:自閉症の息子を撮った写真集「Echolilia」エコリリア

・アメリカぷるぷるアート紀行:自閉症の息子を撮った写真集「Echolilia」エコリリア
http://ameblo.jp/altru-art/entry-11633647165.html
より引用。
サンフランシスコを拠点として活躍する写真家のティモシー・アーキバルドさん(Timothy Archibald)が撮影した、彼の自閉症の息子エリージャ君の写真集が話題になっています。

写真集のタイトルは「Echolilia」エコリリア。もとは反響言語−Echolalia(他の人が話していることをただ繰り返して発声すること)をもじったもののようです。

わたしは、ブログで紹介されている数枚の写真を見るだけで、胸をぎゅっとわしづかみにされてしまいました。
特に、クリアボックスの中に裸で収まり、静かに目を閉じている姿に、既視感を覚えました。
笑ってはいない、喜んで入っているわけじゃない? 困惑している? そのまま眠ってしまったのか──とても静かです。
他の写真もそう。笑ってはいない、戸惑っているような表情のひとつひとつが、ことばにはならない「何か」を感じて、静かに感覚を集中させているようにみえます。

そして、この写真は、エリージャ君の父親が撮影しています。キャプションは無くても、すべての写真に、「LOVE」と大書してあるようだ──

写真は、ティモシー・アーキバルドさんのサイトでもっと多く見られます。ぜひ見てみてくださいね。

<追記>引用記事の最後に、記事を書かれた森井あす香さんのこのコメントが添えられています。少し気づきづらいので、引用しておきます。
ティモシーさんによると「写真を撮ること」を通して、ティモシーさんとエリージャ君の関係性が変化し、深まっていったそう。初めは写真を撮られることを嫌がっていたエリージャ君も、次第に被写体になっていることを理解し、ティモシーさんも彼の「儀式」を受け入れられるようになっていったようです。

父親は、初め、息子の理解できない行動に、自分にできる方法(写真)で近づこうとしたのでしょう。
それが、この、独特の緊張感のある、胸をつく作品になっているのだと思います。

エリージャ君が本当に「理解」しているかどうかはわかりませんが、父親の行為を「嫌がらない」というかたちで、父親の世界を受け入れてくれているのでしょう。(うちのカイが、わたしのカメラにうっとおしそうにピースをするように…)

福井公子さん:「障害のある子の親である私たち──その解き放ちのために・11」

生活書院サイトに連載されている福井公子さんですが、今回は、大切なことが書かれすぎています。

・「障害のある子の親である私たち──その解き放ちのために・11」福井公子さん
http://www.seikatsushoin.com/web/fukui11.html

今回の連載は、3つの章立てがしてあります。それぞれについて、簡単な要約と感想を書きます。

ひとつめの章「勝ち組・負け組」では、「自立」を「自活」と同義に捉えることで健常者中心の価値観にからめとられていることを指摘しています。

この文章で紹介されている当事者のことば──
「オムツを替えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることが(障害者にとっての)労働だ」

これは、市場では価値があるとは評価されない、しかし、生存のためにできることをやる(つまり、生きることそれ自体が)労働だ、と言っています。

『枠組み外しの旅』(竹端寛2012)からの孫引きですが、横塚晃一『母よ!殺すな』から引用をします。
なぜ彼女が殺意をもったのだろうか。この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点と鳴らなければならない。彼女も述べているとおり「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」とおもったという。なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざる者人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている。」

ここで語られている「彼女」とは、1970年に2歳の障害児をしめ殺した母親のことを言っています。横塚氏は、脳性マヒ者の当事者会「神奈川県青い芝の会」のメンバーとして、この母親への減刑嘆願運動に対して異議申立てをしたのでした。

福井さんは、その当事者運動を意識して、こう結んでいます。
 かつて障害者運動を進めてきた当事者の方々は、効率や生産性を重視する健常者中心の労働環境をきっぱりと否定し、独自の労働観を貫いてきました。それがいつの間にか健常者中心の価値観にからめとられているのではないでしょうか。


この指摘は、正しい。だがしかし。だがしかし…。中学生の息子を持つわたしには、カイにとって、居心地のよい場、いきいきできる機会は、どこに見い出せばよいのか……? もっともっと、わたしは色々な人と語り合って、学びたいし、考えたい。

2つめ「私たちのこと」では、日常の暮らしの中で、親が「親だから…」ということで、自らの思いを吐き出せず溜め込んでいる。その結果、社会は何も変わらず、「障害者の親」という立場から自由になることができないことを、バスに間に合わなかったときのエピソードとおしゃべり会での吐き出しを紹介して、示しています。本当に、そのとおりだ。

3つめ「家族支援ワークショップ」では、福井さんが、親が集まり、親どうしが思いを共有しあう「おしゃべり会」をファシリテーションやコーチング、アサーションの技法を取り入れて実践していることを紹介します。
そう。単なる井戸端会議では飽きたらなくて、意味のある時間を共に過ごし、親のセルフヘルプの場をつくるためには「やり方」がある。そして、その「やり方」は持ち運び可能、伝えることが可能な方法なのだと示してくださっています。

これは、わたしも、ぜひとも自分が(仲間と一緒に)やりたいことです。うん。

3つの章それぞれが重くて。ふだんわたしが考えないようにしている(目を背けている)現実について、深い共感と(ではどうしたらいいの?という)根源的な問いかけ(自問)を投げかけてきます。それは、とても胸の苦しいことなのですが、福井公子さんという先輩お母さんが、今こうやって立っているじゃないか!と勇気もくれます。

ぜひ読んでいただきたいです。この連載は、過去記事が蓄積されないので(出版が待ち遠しいです)8月中に見に行ってくださいね。

・「障害のある子の親である私たち──その解き放ちのために・11」福井公子さん
http://www.seikatsushoin.com/web/fukui11.html

熊谷晋一郎氏インタビュー:自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと

昨日レポートを書いた集まり「精神・発達障がいによる社会的孤立を地域でどう支えるか?」に参加して、「自立」と「依存」について深く考えました。このことを考えるとき、必ず思い出すフレーズがあります。

自立は、依存先を増やすこと

熊谷晋一郎さんのこのインタビュー記事は、何度もくりかえしシェアしたいです。
「自立」について、わたしのなかでモヤモヤしていたところに光が差した気がしました。
人間観が変わるような本当に大きな影響を受けています。

・熊谷晋一郎氏インタビュー:自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm
 一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。

 東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。

 これが障害の本質だと思うんです。つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

このインタビュー記事は、去年の秋に出て、わたしの周りで、話題になりました。

「当事者主権」のごりごりした主張とはちがったアプローチで、自然にうなずかされる。自分自身に引きつけて納得することができる世界観です(「わたしが自立している」といえるのは、あの人にもあの人にも、あの場所にも、あの組織にも、依存しているからだ)。

今一度噛み締めて、カイのために、仲間たちのために、何ができるかを考えたい。

シビレた!! おおはた雄一 LIVE at TOKUZO

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今日は、おおはた雄一さんのライブにいってきました。なんと整理番号3番で、1番に入場しました。こんなことはめったにないので、最前列ベストポジションに陣取りました。

去年の12月に、「ストレンジフルーツツアー」で初めておおはたさんのライブを観て感激して、毎回観にいくぞ!と心に決めました。7か月しか経っていないので、同じ構成かも?と思いましたが、予想を裏切る全くちがうセット!

二部構成で、2時間半たっぷり。前回よりも、疾走するリズム! 変幻自在のリフ!……すべてが凄かった!神だった!

な、なんと、最後アンコールで、「ジャズシンガー」と化したおおはたさんがステージから近づいてきて、ぼくと握手をしてくれたんです。わーわーわー感激!

おおはたさんの手は、なんで?!と思うくらいやわらかくて。ギタリストの手は固いと思い込んでたのでびっくりしました。
すみません。ふつうにミーハーな投稿で。でも、興奮のままアップしてしまいます!!
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最後、少しお話までして、サインまでもらっちゃった♪



【カウントダウン】

 1,000記事達成まで、あと7!

本日、草の根ささえあいプロジェクト公式サイト開設しました!

うれしいお知らせです♪

草の根ささえあいプロジェクトは、活動開始してから2年間、情報発信のためのツールを模索して来ました。
Facebookは、かなり馴染んできました♪ 

Facebookページに加えて、草の根ささえあいプロジェクトをわかりやすくお伝えするために公式サイトをオープンします!

・草の根ささえあいプロジェクト
http://grassroots.jimdo.com
header


ぜひ一度ご覧になってくださいね。まだ工事中のページがありますが、これから少しずつ充実させていきます。よろしくお願いします。

虹のパーカー

一昨日の記事で、ジャンプしたカイパパが着ているパーカーについて、お問い合わせがありました。

この虹のパーカーは、the autism site storeで購入しました。
このサイトは、商品の代金の何%かが(米国での)自閉症研究などのチャリティーに寄付されます。
サイトを運営しているのはGreaterGood networkで、自閉症の他に、乳がんや飢餓、動物愛護などに対する寄付もできます。

・虹のパーカー(Sunshine Daydream Hooded Jacket)注文ページ
https://theautismsite.greatergood.com/store/aut/item/38153/sunshine-daydream-hooded-jacket?source=4-279-18

ネパールでハンドメイドで作られたもので、ちょっと日本では売っていない感じで、とっても気に入っています!

「ボラみみ」5月号ホンモノ来たー!

昨日の続きです。

ボラみみ5月号が届きました!

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ちゃんと載っているでしょうか?

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載っていました!
「はじめまして、草の根ささえあいプロジェクトです。」

本当に、一年間どうぞよろしくお願いします♪

草Pがあの「ボラみみ」で連載!?

うれしい告知です♪

「ボラみみより情報局」発行の月刊ボランティア情報誌「ボラみみ」で草の根ささえあいプロジェクトが連載を持たせていただくことになりました。なんと1年間も!

5月号からです。連載タイトルは、「できることもちよりで行こう!」
そろそろ並び始めますので、ぜひ、手にとって見てくださいね♪

boramimi

3月号のボラみみと5月号の草の根ささえあいプロジェクトの原稿


・ボラみみの配布先
http://www.boramimi.com/haihu/

・ボラみみ.com:会員・協賛募集
http://www.boramimi.com/sien/
名古屋市内以外の方は、会員になることで、毎月送ってもらえますよ。

映画『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』

・映画『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』
http://www.j-il.jp/movie/
<作品解説>

 障害があるということは、災害時には普段以上のハンディとなる。
2011年3月11日の東日本大震災、未曾有の大災害の中、障害を持つ人々に何が起きたのか?
福島県を中心に、被災した障害者とそこに関わる人々の証言をまとめた。
 障害ゆえに、地震や津波から身を守れず、また必要な情報も得られない・・・。「ここではとても生活できない」「周囲に迷惑をかけるから」と、多くの障害者が避難をあきらめざるを得なかった。そうしたなかで避難所に入った障害者を待ち構えていたのは・・・。
 更には仮設住宅へ入居しても、そこでも大変な不自由が待っていた。原発事故により市民の姿が消えた避難区域には、取り残された障害者が不安な日々を送っていた。大震災に翻弄される障害者と、その実態調査・支援に奔走する人々の、困難の日々。
 住み慣れた土地を追われ、避難先で新たな生活を模索する時、涙とともに故郷への思いがあふれる。
 マスメディアでは断片的にしか取り上げられない、被災地の障害者を取り巻くさまざまな課題や問題点が浮かび上がる。

まだ未見で、解説を読むだけで、心がざわざわするんだけど……

団体での上映権付きDVDが1万円と非常に安価です。講師派遣も謝金1万円(交通費別途)でお願いできるそうです。上映会を企画したいな。

合わせて、ぜひ読んで考えていただきたい記事を紹介します。
特に、行政、防災、福祉関係者の方に。

・個人情報のトリセツ ―― 震災から見守り活動まで、個人情報「過保護」を乗り越える 岡本正
http://synodos.livedoor.biz/lite/archives/2035583.html
「個人情報は個人を守るためにある」と語る弁護士の岡本正氏。個人情報を保護するあまり、肝心の「個人」に対して支援が届かない状況を打破するためには、個人情報保護法制の適切な理解が必要であると説く。個人情報共有のためにどう法令を解釈していくのか、震災支援から平時の見守り活動まで活用できる、個人情報の使い方を、岡本氏が先進事例を紹介しながら解説する。

「災害弱者」という課題がずっと認識されていますが、今災害が起きた時に対応できますか? 紹介されている先進事例がとても参考になりました。


この過去記事もどうぞ。

・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル:【おすすめ】大震災 自閉っこ家族のサバイバル
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52335660.html

『母親やめてもいいですか』レビューのレビューのつづき

母親やめてもいいですか
母親やめてもいいですか [単行本(ソフトカバー)]

先日『母親やめてもいいですか』のレビューのレビュー記事を書いたところ、@lessor_twさんが「うれしい」と言ってくださって。自分がいつもブログを愛読している方に、よろこんでいただけてよかったです!

以下は、lessorさんにあてて書いたわたしのツイートです。
きっと、家族支援にたずさわる人に読んでいただくとよい本なのでしょうね。
渦中にいる当事者には、キツイのかもしれない。そのあたりも含めて、lessorさんのレビューから、メッセージが伝わってきました。

わが子が、心から、愛するわが子だと思えるようになるか?は、、、母親でも父親でも、自明ではない、ということ。いわゆる障害が一切なくても、「時」が来るまで、揺らいだり、規範意識から見たら、間違っている反応を起こしたり、親も、ヒドいもんです。
だけど、そんなの当たり前なんです。この子は、わかりにくいし、戸惑う。
だけど、成長するから、親も、子どもも。
だから、辛いときは、避難所がありますように、そう願います。人の気持ちは、他人にはわからないけれど、気休めではあっても、お薬のように選びとる体験談や物語があってよい。そう思います。

そして、@nayuta_tudukiさんが、わたしの記事を読んで書いてくださったツイートが、とっても心にしみて、共感をしました。許可をいただき、転載します。




体験談ではあっても、それは「その人の」体験です。
読むわたしたちも、自分の体験にひきつけて、自分の体験を思い出している。
では、そういう体験をしたわけではない人は? きっと、主人公に感情移入して、仮想体験をするんですね。それがフィクションの力。
読まないことで、考えることができる。それもフィクションの力ですね。

マンガ『母親やめてもいいですか』レビューのレビュー

母親やめてもいいですか
母親やめてもいいですか [単行本(ソフトカバー)]

わたしのまわりで、プチ話題の本です。というか、わたしが「こんな本がでたよ」とFacebookページで紹介して、「読めるかな?」「読めないかな?」と友達と言い合っていたのでした。

わたしが書いたコメント──
「ふつうの(どこにでもある)ドラマ」のテーマに発達障害が取り上げられて、もし、このマンガで救われる親が増えたり、支えたいと思ってくれる人が生まれたらいいなあと願います。なんとなく、話題になりそうな予感があるので。

でも、ぼくはたぶん読まなさそう。

「共感し過ぎて、過去が蘇る」のがこわいのだと思います。すぐれたリアリティのある作品であればあるほど。記憶がフラッシュバックするんですよね。

そのやりとりをした際に、こうままさんが「lessorさんのレビュー待ち」と言っていたのですが、期待にたがわずlessorさんがレビューをエントリーされました!

・lessorの日記:「愛されないから愛せない」と悩む母たちへのマンガ
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20130326/1364313830

嫉妬を覚えるぐらい素晴らしいレビューなので、(レビューの)レビュー(感想)を書きたいと思います。

わたしは特に、愛着形成のところを、しみじみとうなずきながら読みました。
そんなことよりも、このマンガで読み取られるべきことは、まず親子関係において自明視されている「愛着形成」の難しさ、だと思う。前半部分で描かれている自閉症の障害特性、医療機関での長い長い診察待ち、療育の役割などについては、さまざまな媒体でよく言われている内容だ。しかし、「子どもが私に対して愛着を示してくれない」「私も子どもをかわいいと思えない」という苦悩に対して、応えようとしたマンガを自分はあまり知らない。

 おもちゃをいろいろ与えてみても興味を示さず、大人にとっては魅力のよくわからないものへの強いこだわりから離れられない。良かれと思って連れて行った遊び場所でパニックを起こす。自分と目を合わせてくれないし、言葉でのコミュニケーションもできない。多くの親は「この子にとって、私はどのような存在なのだろう」と思わされる経験をする。単にごはんを作ったり、身の回りの世話をしてくれるだけの存在でしかないのではないかとも考えたりする。

そして、いわゆる「障害受容」について触れたくだり──
「どんな子どもでも人と関わりたい」「どんな子どもでも親を愛している」と断言できるかと言えば、これはきっと科学的な検証が難しいテーマだ。それゆえに愛着の可能性はいくらでも信じられるし、いくらでも疑える。いくら事例をあげられても、「うちの子は違う」と思って拒み続けることはできる。信じられるかどうかは、科学的知識の説得力とは別のところにあり、親の側の用意が必要であるのだろう。

 その用意ができていく過程を指して「障害受容」と呼ぶ人もいるが、すっきりとした一定の境地があるわけでもなく、一進一退を繰り返すことだってある。自分はつい先日、家族との死別を淡々と受け止めているように見える子どもの様子に複雑な気持ちを抱く親から話を聴いていた。その子はもう青年期だ。著者だって、先のことはわからない。子どもは変化するから、ずっと信じ続けるのは簡単でない。

子どもはひとりひとり違うし、親も違う。結局のところ、ぼくたちは、一回性の生を生きることしかできない。
だからこそ、他人が通った「轍(わだち)」を、「痕跡」として眺める理由があるのだろう。こうあるべきという「モデル」でも、「マニュアル」でもなく。

lessorさんはこう語りかけます。
信じられなくなったとき、さらには信じられない自分を許せなくなったときに、「実は私にも以前そんなことがあってね…」と語ってくれる人が必要である。しかし、なかなか表立って語る人は現れない。子を信じない親に世間の風当たりが強いことを、親たちは知っているのだから。たくさんの「禁句」を飲み込みながら、絶望を深めていくとしたら、どうか。

 だから、このマンガは貴重だ。帯の表表紙側にはこうある。「わが子が可愛くないお母さんのために」。

lessorさんの文体は、いつも冷静で理性的です。けれど、むちゃくちゃ優しさを感じるんだよね、親として。

このマンガを読むすべての人に合わせて読んでもらいたい良レビューです。lessorさん、ありがとう。

わが心の姉、こうままのレビューはこちらです。
・こうくんを守れ!!: あったらし〜い「本」
http://koumama.seesaa.net/article/353010061.html

尾崎豊 "LIVE CORE" 全曲レビュー

私にとって、尾崎豊は、単純に「好きだ」とは言えない特別な存在です。

LIVE CORE 完全版 ~ YUTAKA OZAKI IN TOKYO DOME 1988・9・12 (Blu-ray)
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1988年9月12日に東京ドームで行われた尾崎豊のライブ"LIVE CORE"の全曲レビューをします。長いよ!
続きを読む

エレカシ

エレファントカシマシ 2009年10月24,25日 日比谷野外音楽堂(完全初回限定盤) [DVD]
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これを観ているんだけど、凄い! ライブに行きたい。

死んだ魚のような目

悪人 スタンダード・エディション [DVD]
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『悪人』を見ました。妻夫木君の死んだ魚のような目が凄かった。邦画は、狭くて暗くて救いがない物語が得意だなあ。

知らなければ「悪人」で済んでいく人間を、一人の人間として深く入っていくと「悪人なのか?」とわからなくなっていく。

取り返しの付かなくなる一歩手前で踏みとどまれていたら、と思いながら見ていた。

「よく、がんばった!」

 映画『岳』をみました。

「よく、がんばった!」

 って、言われたいし。言ってあげたいね。

岳 -ガクー
岳 -ガクー

【おすすめ】名古屋市「障害者週間」記念のつどい

地下鉄のポスターで発見しました。

・名古屋市:「障害者週間」記念のつどい(暮らしの情報)
http://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/page/0000030096.html

12月4日(日曜日)に、中区役所ホールにて。

・映画「人生、ここにあり!」 *音声ガイド付。目が不自由な方はポータブルラジオ(FM)をお持ちください
(内容)イタリアで法律によって精神病院が閉鎖された実話をもとに作られたコメディ映画。病院を出た元患者たちと労働組合員が一体となって困難を乗り越え、前向きに生きていく姿を描く。
・講演
テーマ:「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」
講師:大熊一夫氏(ジャーナリスト)
・コンサート
出演:新垣勉氏(テノール歌手)

映画『人生、ここにあり!』は大プッシュです。知人が観に行って、映画のプログラムを見せてくれて、その内容があまりにもよくて、私も観に行きました。観に行ってよかった。

・人生、ここにあり!公式サイト
http://jinsei-koko.com/

大熊一夫さんの講演を聴ける機会もなかなかありませんよ。『ルポ・精神病棟』が有名です。
今回の講演テーマの本を書かれています。
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
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個人的に、これから日本が成熟社会に変わっていく際に、イタリア人の生き方は参考になると思っています。

申し込み不要。先着順500名だそうです。お時間のある方はいかがでしょう。

「過真面目」とどうつきあうか?

良記事。

・仕事ができない「過真面目」な人について - yuhka-unoの日記
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100719/1279550790

冒頭引用されているリンクから順番に読むことをおすすめします。

「過真面目」という見方は、私が誤解して受け取ってしまっていた態度について、解決の道を照らしてくれそう。
発達障害があって働くことにつまずいているひとにもヒントになりそう。

・はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911
なんというかな、本人の中では、言われた注意が全部並列なんだよ。
本当は、どんな仕事でも、言われた注意の中には、「できればした方がいい注意」というのと、「守らなければ致命的な注意」ぐらいの区別がある。

で、このタイプの人は、いわゆる「無駄に真面目」なので、この二つを区別することができない。
言われた注意は、全部、確実に守らなければならない絶対命令だと思ってしまう。そうして、最近注意された「できればした方がいい注意」の方に気をとられて、最初の方で言われた「守らなければ致命的な注意」の方を犯してしまう。

他の人が注意すればするほど、配慮しなければいけない注意の量は増えていくが、人間が一度に配慮できる注意の量には限りがあるので、「どの注意も絶対守らないといけない」と思っているこのタイプの人は、キャパ越えして、同じ注意を犯してしまう。

・仕事ができない「過真面目」な人について - yuhka-unoの日記
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100719/1279550790
人は普通、特に仕事をするにあたっては「緊張度を上げなければいけない」と思うものであり、「緊張度を下げなければいけない」という発想はなかなかできない。いわば「グータラになれ」「テキトーにしろ」というようなもので、「過真面目」な人は、頭ではそうしたほうがいいのだろうということは理解できても、その真面目さゆえに「そんなことをしてもいいのだろうか」と、ある種の罪悪感を感じてしまう。

しかし、一旦標準並みの緊張度を身に付けることができたら、元来真面目で責任感も強い性格なので、一転仕事ができる人になる可能性は大いにある…と思う。

仕事で「緊張度を下げる」ような指示やアドバイスができるようになりたい。
無駄に緊張度を上げることばかりしている……

【おすすめ】二十日鼠と人間

二十日鼠と人間 [DVD]
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「二十日鼠と人間のレニーのような」という表現で、引照されることを何度か目にしていたけれど、1937年にスタインベックが書いた原作を読むガッツはなくて(スタインベックは『怒りの葡萄』を読んで読書感想文を書いた)、そのままになっていた。

ゲイリー・シニーズとジョン・マルコビッチのコンビで映画化された1992年の作品を観た。

レニーは知的障害がある。ジョージはレニーの世話をしながら、二人コンビで農場で働く労働者だ。トラブルが起きるたびに、別の農場に逃げていく生活を続けている。

レニーは、知的障害&イノセンスで、怪力の持ち主。その力は仕事で役に立つが、突発的な出来事に対して、力の抑制ができずにトラブルにつながってしまう。
「性根の良い人間だが、危険」という存在が、社会の中でミスフィットを起こす。レニーを大切にしながら、「手に余る」という思いを抱えつつレニーの世話をし続けるジョージ──古典の中に描かれている葛藤は、そのまま現代でも本質は変わらずに色々な場所で続いている。

『アルジャーノンに花束を』や『レインマン』よりも、はるか昔に書かれた作品だが、非常にパワフルだ。後に続く作品への影響も感じさせる。

観終わった衝撃を抱えたまま、この記事を書いている。強くおすすめ。

【おすすめ】おはよう東海:2011年9月30日特集

昨日の記事でも告知をしましたが、

こうままブログ経由で、「おはよう東海」番組紹介ページを発見。

・NHK名古屋放送局|番組ガイド|おはよう東海
http://www.nhk.or.jp/nagoya/ohayo/
“見えない障害”災害時の課題

東日本大震災の被災地で、自閉症の子どもや認知症のお年寄りなど、障害や機能低下が外見から「見えない」要援護者が、避難所などで周囲から適切な配慮を受けられず、避難所にいられなくなった事例が相次いでいたことが今問題となっています。
そうした「見えない」要援護者の避難生活の問題点や、彼らが安心して避難生活を送れるようにするためにできることは何か、震災後、被災した障害者の支援にあたってきた専門家に聞きます。
ゲスト:NPO法人ふわり理事長 戸枝陽基さん

実は、「『大震災 自閉っこ家族のサバイバル』あれは素晴らしい本です」と背中を押してくれたのは、戸枝さんでした。NHKで放映されるようだ、ということもその時に聞いていました。

これですね。

明日9月30日(金)7時45分から6分間ほど放映です。
カイパパは、録画予約済みです!

高橋みかわさんからの紹介記事はこちら。

・おはよう東海|みかわの徒然日記
http://ameblo.jp/kiramama42/entry-11032441449.html

取材の様子のレポートがこちら。

・NHK名古屋取材|みかわの徒然日記
http://ameblo.jp/kiramama42/entry-10995625068.html

みかわさんの紹介を読むと、NHK名古屋は非常に丁寧に取材をされたようですね。
放映が楽しみです!

遊び:頭の中で今まさに思いついたことを入力してみたらこうなった

いつも楽しく読ませていただいているもかりのデリケートゾーンで見つけた遊び、面白そうなのでやってみました。

・遊び:頭の中で今まさに思いついたことを入力してみたらこうなった(1回目): もかりのデリケートゾーン http://mokari.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-c377.html
頭の中で考えたことを入力してみました。
10分間でどのくらい考えたことをそのまま文章にすることができるのかというのが、気になったので、やってみたのですが、10分間で入力できた文字数が、私の想像をはるかに下回っていたので、何か残念な気分になりました。

これは、特に解説も必要ないですね。遊びです。レッツゴー!(岡村ちゃん風に)


+++ ここから(これは読まなくていい)


もかりのデリケートゾーンで書かれていた遊びを自分でもやってみる。

10分間で考えたことを全部文字にする遊びだ。どれだけ自分が考えて文字にできるのかを試すゲーム。

テーマだけは決めてみた。「集中」について。集中すると、いいことがたくさんある。

まず力が1点に集約されるので、分散しているよりも強烈なパワーが出る。一点突破っていうやつだ。それに、他のことが気にならなくなるので、短い時間にたくさんのことについてその集中しているテーマについては考えることができる。その結果、ゴールに速く、よりよいクオリティで到達できる可能性が高い。

だが良い点ばかりではないはずだ。集中しているがゆえに、他のことが目に入らなくなる。他のやらなきゃならないこととのバランスが崩れる。(他のことはできなくなる=集中だからだ)

たとえばこういうことだ。障害者福祉に集中する。そのなかでも、発達障害の重い自閉症に集中する。特化した支援ができるようになる。上達もする。その結果、素晴らしいスキルを身につけて、やれるようになる。だが、それ以外の障害分野については素人と変わらない。もちろん、そこから敷衍して一般人よりはよい支援ができる可能性があるし、それぞれの障害を担当するときには、あらたに学ぶスピードが速くなるといったメリットはあるが。それは、学習成果として身に着いたもの。集中しているその瞬間について考えたときに、他が見えていないということは、他への配慮は無しなので、結果無視された人たちを傷つけることもある。あるいは、無理な集中によって自分自身を壊すこともある。

過度の集中といった時には、「過度の」がいけないわけだが、「集中」そのものに、「過度」となる要素が不可欠というか不可避に含まれていると言える。もうすぐ6分。

考えたことをそのまま文字にするということは、わりと普段からやっていることと近いと思う。思考スピードの経営というビルゲイツの本があったけど。あれ、経営はやっぱり思考と同じ速度ではできないから、「すごいスピードの経営」という意味だよね。その時の思考スピードは、ゲイツが集中したときのスピードだとしたら、本当に速いだろう。

だいぶ集中力が切れてきた。あ、鐘が鳴った。7分経過。

そうはいっても、集中しなければ突破ができない場面も多い。集中できる時間には限界がある。だから、その集中と拡散のバランスが、通常の人であれば自然ととれるようになっているともいえる。言い換えれば、「大して極端な集中はできないから大丈夫」とも言える。が、集中が、その集中力そのもののことだけではなく、生活スタイル、習慣に合致してしまった場合に問題は大きくなる。というか、問題が生じる。どういうことかというと、あれはやる、あれはやらないという習慣ができてきたとき、やらないと決められた部分。捨てられた部分は本当に捨ててよいものだったか?ということ。実は、大切なものだったのに、あるいは普段四六時中気にしなくてもいいけど、週に何回かは気にかけなきゃいけないものだったのに、それを切り捨ててしまう集中スタイルがありえて。

その結果、とんでもないダメージを生じさせることもある。

いったいどうすればいいんだというと、見直しの時間。



+++ ここまで(まさか・・・読んだのか?)


10分間で入力した文字数は、全角1331字。
10分間で書けるだけ書いたものを自分でさ〜っと読んだ時間は、約50秒でした。

私の場合、10分間で頭に浮かんだことを、1300文字くらい文字データにすることができるようです。

1時間やろうと思ってもできないですね。10分という時間設定は絶妙な気がします。1時間やったら、たぶんふつうに推敲とか始めてブログ記事書くのとおんなじになっちゃうよね。

やってみようと思って、テーマだけ決めて始めたのですが、けっこう「集中」のことが気になっていたみたいで、書き始めると速かったです。6分過ぎあたりから、集中力が切れ始めて、実際にはビル・ゲイツのかおとか、映画ソーシャルネットワークのこととか絵が浮かんでいました。10分間で書いたにもかかわらず、1分くらいで読めてしまうことが、すごいなあ!と思いました(私も)。文章を書くより、文章を読むほうが、時間を費やさないということがわかりました(ほんとにそう!)。

気が向いたら、この10分間で書いた文章を、編集したり、加工して記事っぽくしてみようかとも思いますが・・・なんかTwitterのつぶやきっぽいなあと思い、でも10連続ツイートはひんしゅくだししたくないよなあ。

と、元記事をテンプレートにして、なぞり書きしました。
こういうのは、with リスペクトなので、トリビュート記事とかカバー記事と呼んでほしい。
パクリじゃありませんってば…。

【おすすめ】妖精が見える子供:私たちは生きている。

おすすめ記事を紹介します。

いつも愛読している、11歳の息子さんジューくんのお母さんのブログ「妖精が見える子供」から。
(妖精が見える子供は2004年から続いているのですね。けっこう初期から見ていますよ〜)

ママ友との会話を描いた文章です。

・私たちは生きている。 - 妖精が見える子供
http://blog.goo.ne.jp/big-mama-8123/e/cb8e41bc5fadd1256c099ee2cfcb860c
でもさ、私はいっつも思ってるんだよ。
ジューが死ぬ時最後に誰を見て何を思うんだろうってさ、
もちろん事故にあって死ぬ人とか、皆が布団の上で死ぬわけじゃないけれど
ジューが死ぬことで悲しんで残念がってくれる人がいるんだろうかとかいっつも思ってる。

皆は知らないだろうけど施設に行くと
ジューみたいなお年寄りがたくさんいて
簡単な内職みたいな仕事をすごく時間をかけてして
空いている時間は簡単な計算プリントや塗り絵をしたりして暮らしているんだ。
穏やかないい顔をしている人もいるけど
これがジューの将来かと思うとせつなくてせつなくて仕方がないし泣けてくるんだ。
だからせめてジューが私たちがいる間だけでも楽しい時間を過ごして
それを思い出してくれたらいいなぁって
夏休みの暑い中公園も行くし、プールだって行くよ。
パニックおこしてイライラしてたら夜にだって学校にいってブランコおしてあげる。
私はジューの笑った顔が見たいだけなんだ。
私たちが死んだらどうなるのかはわからないけど
自閉症だから何ともないことが辛いのだけはわかるから楽しい想い出もその倍の倍の倍くらいにしてあげたいんだ。
この子たちは
ちゃんと覚えてるからね。

映画「海洋天堂」を観て、思ったことでもあります。
子どもたちがちゃんと生きていける環境を創り上げて、移行もできて、安心して死ぬことはきっとできるだろう(そのための努力を惜しまない)。

だけど、残された子の「さみしさ」は、どうしてあげられるかな?

楽しい思い出をたくさんたくさん残してあげる──
この子たちはちゃんと覚えているから。

そうだよね。

時空を超えて届く救い

「肉親じゃなくても、友達ではなくても、手は差し伸べられる」の記事で紹介したハバネロさんの記事を読んで、思い出したシーンがあります。

3月のライオン 5 (ジェッツコミックス)
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将棋の棋士を描いたマンガ『3月のライオン』第5巻の中で、
主人公の桐山くんがお世話になっているうちの次女ひなちゃん(中学生)が、
クラスでいじめられている友達をかばって、今度は自分がいじめの対象になってしまうエピソードが登場します。
桐山くん自身も小学生時代から学校で無視され続け、今(高校生)にいたる過去がある。

「かばうとひなちゃんがやられるよ。だから、関わらないほうがいいよ」という「忠告」のとおりになって、ひなちゃんは泣きじゃくりながら叫ぶ。
ひ…ひとりぼっちになるの。こわいよう…
ほんとはずっと恐かった

でもっっ
でもっっ

こうかいなんてしないっっ しちゃダメだっ
だって私のした事はぜったい まちがってなんかない!!

この言葉を聞いて、桐山くんは──
その時 泣きじゃくりながらもそう言い切った彼女を見て
僕は かみなりに撃たれたような気がした

不思議だ ひとは
こんなにも時が 過ぎた後で
全く 違う方向から
嵐のように 救われることがある

桐山くんが、なぜこんなに衝撃を受け、救われたと感じたのか?を考えてみました。

子どもの頃の、つらい記憶や体験を、もう過去のこととしてやり過ごして忘れ去ったつもりでいても、傷はかさぶたがかかっているだけで、そこにあった。あり続けていたんだ。
だから、過去の痛みは現在の痛みとして、凍結されたまま残っている。
あってはならないできごとや不正に遭遇した。
それによって、傷つけられ、ねじ曲げられた自分がいる。もうもとに戻すことはできない。
だから、忘れるしかない。あたかも無かったことであるかのように。
笑って、なにもなかったかのように。「ふつうのようにくらすふつうのひと」みたいに。

それが、「乗り越えた」ことなんだろうか?
一般的には、「Yes」だ。
「ふつうのようにくらすふつうのひと」に見えるようになれば、「乗り越えた」というしかない。
他人には分かるわけないし、自分も忘れている。傷はもう、見た目にはわからなくなっている。

だけど、そのできごとの前後で、まるで別の人生のように変わってしまった経験は忘れられないし、消せない。不可逆的に変えられてしまった。そこで分岐して、「それまでどおりの人生」を歩む自分が別にいるんじゃないか?みたいな妄想をしたりして。

でも、ふだんは忘れているんだ。「乗り越えた」から。

そこに、唐突にあらわれる「救い」
それを、3月のライオンのこのシーンは描いている。

ひなちゃんは自分が正しいと思ったことを必死でした、だけ。
桐山くんとは関係がない行為。

だけど、桐山くんにとって、不正に立ち向かい、いじめられている友達を守った彼女の行為は、幼い桐山くんを救ってくれたと同じ意味をもった。桐山くんの「今」の中に、救われたい傷があるから。

私も、これに似た、衝撃的な「救い」を実感したことがあります。



──障害のある子の「親」が、プロの「支援者」の立場になっていく姿をたくさん見てきました。
私は、思うのです。

「親」たちは、

あの時、救ってほしかったけど救われなかった「自分」を
時空を超えて、救うために

今、あとから来るひとたちを救おうとしているんじゃないかと。

【おすすめ】Ashley事件から生命倫理を考える

afcpさん経由で『アシュリー事件』という本が刊行されることを知りました。
2004年、アメリカの6歳になる重症重複障害の女の子に、両親の希望である医療介入が行われた──1、ホルモン大量投与で最終身長を制限する、2、子宮摘出で生理と生理痛を取り除く、3、初期乳房芽の摘出で乳房の生育を制限する──。

自閉症の子を持つ親が、わが子の体が大きくなってパニックや問題行動が起きたときに手に負えなくなることへの不安から「これ以上大きくならなくていい」と嘆くのを聞いたことがあります。

しかし、それは「成育の制限は不可能」という前提があっての言葉であって、実際に「医療」(←これはカギカッコが絶対に必要)的に手を下す意図があるわけではありません。
「大人になった時のことを考えて、今やれることをやろう」という決意とともに、気を許した仲間内でもらすグチに過ぎません(「そんな不穏当なことは口にすることも許されない」という立場には私は立ちません。)。

米国であったアシュリー事件では、現実に「医療介入」がなされたそうです。6歳のときに両親の主導で。

『アシュリー事件』の本は、著者が長年ブログで論じてきた成果をまとめたものです。(「アシュリー事件」という本を書きました - Ashley事件から生命倫理を考える -

この著書のサブタイトルにある「メディカル・コントロールと新・優生思想の時代」についても関心があります。(関連記事:カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル : 選べないからしあわせ
でも本当は、著者が、アシュリーさんと近い重症重複障害のあるお子さんの親の立場から問題意識を持ち、粘り強くブログを書き続けていると知ったから、ぜひとも読みたいと思いました。

ブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を読ませていただいて、この記事が、胸に刺さりました。

・親の立場から、障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと - Ashley事件から生命倫理を考える -
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/59289641.html

施設に入れることを選択してしまった親がAshley事件を批判することの意味を
ずっと考え続けることによって、私は批判する資格を得ようとしていたような気がします。
このあたりのことは、まだ、うまく表現できません。また改めて言葉にしたいと思います。


ともあれ、そういう問題意識のあり方でAshley事件を追いかけてきた私が、今、Angela事件で
親から子への支配を強めようとする力がとめようもない勢いになろうとしていることを思う時、


障害学や障害者運動の人たちにお願いしたいと思うのは、こういう時だからこそ、
障害児・者と親の関係を「親は敵だ」といった対立関係で考えることを
いったん、外してみてもらえませんか、ということです。


うちの娘にとって自分は一番の敵なのだと、私は本当に、痛切に、そう思います。


施設に入れた決断だってそうだし、今だって、娘は自分があそこで暮らしたくて、施設にいるわけじゃない。
自分が帰りたいと思った時に家に帰ることを許されるわけでもない。


管理でガチガチの師長が許せなくて、施設中を大騒ぎにして闘って、
自分では「子どもたちの生活を守った」つもりだったこともあったけど、
いろんな意味で娘は結局、私の闘いの一番の被害者だったのかもしれない。


他人との暮らしで母親よりもよっぽど世知にたけたオトナになって
「もう、この子は一人で生きていけるよ」と言われるほど成長しているのに、
それでも「今の世の中に残して逝けるものだろうか……」と勝手に気をもんでいる私が
彼女の敵でなくて何だろう、と、心底、思う。


でも、それは「娘にとって私は一番の敵だという面は確かにある」ということであって、
「全面的に敵である」ということでも「敵でしかない」ということでもないと思うのです。


言い訳でしかないのかもしれないけど、
20年前の日本に、レスパイトサービスがあり、ヘルパーさんがいてくれたら、
私たち親子には、もしかしたら、別の暮らし方もあったのかもしれない、と思う。


全身を火の玉のようにした、すさまじい号泣に夜通しさらされて
汗だくになって、必死で抱き、あやし、ゆすり、夜中の町を車で走り続けて、
ろくに眠れないまま仕事に行く日が続いていた頃に、
もしも週に1晩だけでも娘を安心して預けられるところがあったら
私たち夫婦は、おそらく、その一晩の眠りを支えに、他の日を頑張り続けることができたような気がする。


寝込んでばかりいる幼児期の娘と一緒に狭い家に連日閉じ込められて、
ろくに手伝ってもくれない人たちから責められ続けて、
私の心がじわじわと病みつつあった娘の幼児期に、
もしも、誰かが家事だけでも手伝いに来てくれたら、
「私を助けにきてくれる人がいる」という、ただ、そのことだけで、
私にはものすごく大きな救いになったような気がする。
そしたら、私たち親子の生活にも他の形があり得たのかもしれない、と思うのです。


私には「親が一番の敵だ」という障害学や障害者運動の人たちの主張が、ものすごく痛い。
(ぜひ全文も)

……私は、この言葉を読んで、「親の贖罪意識」を感じました。

すべての親が、そうだとは言いませんが、多くの親は──

・ハンディなく産んであげられなくてごめんね
・望むように暮らせるようにしてあげられなくてごめんね

と、自分を責める自罰的な思いをどこかに持ち続けて生きているように思います。

毎日育てていて、
これでいいのか?
という自問

大人になって、
これが望んだ「将来」か?
という責め

こんなことしかしてあげられない
という無力感

毎日が、葛藤の連続です。
だから、親が病んでしまうリスクは非常に高い。
だから、あえて「考えないようにして」マヒさせる、「かえって幸せだよ☆」と明るくふるまうのも、生きるための自衛手段だったりする。

わが子という「他人」の人生を左右する選択を、狭い選択肢のなかから選んでいく責任を負わされた人生はやっぱり重たくて。

「こうするしかなかった」という思いはあっても、いつも自責の念と表裏一体。
いくつになっても。死ぬまで、続くのかな?

引用記事は、このように結ばれます。
私がこの3年間で考えるようになったのは、「どんなに重度な障害がある子どもでも、
一定の年齢になったら親元から独立して、それぞれにふさわしい支援を受けながら、
それぞれの形で自立して暮らしていける社会」を共に求めていくことはできないだろうか、ということです。

AshleyやAngelaやウチの娘のような重症児・者や、
今、行き場がなくなってベッドふさぎのように言われ始めている超重症児も線引きすることなしに。
もちろん、なるべくなら、家族や友人のいる地域で。

そういう社会を目指す支援があれば、親も少しずつ子どもを抱きかばう腕を解いて
他人に託してみるという経験をすることができる。そして、
「ああ、それでも、この子は大丈夫なんだ」と発見するステップを
上手に踏んでいける社会であれば、親もいつまでも抱え込まなくて済む。
親が抱え込んだあげくに連れて死ぬしかないと思いつめる悲劇も減るのではないでしょうか。

「親が一番の敵」という対立の構図から、
「親が子の敵にならないでも済む社会」「子も親も自然に親離れ子離れができるような支援のあり方」という
新たな広がりのある地平へと、一歩を踏み出して、親とも一緒になって
差別や人権侵害と闘う障害学とか障害者運動というものが、

英米から科学とテクノと、その御用学問である生命倫理との包囲網が
こんなにも激しい勢いで狭められていく今の時代に抗うために、ありえたらいいなと、

障害のある我が子にとって自分が一番の敵だという面があることを自覚したからこそ、
むしろAshley療法を批判し、それを通して訴えたいことが山のようにある、
そういう私には、たぶん、正面からAshleyの親を批判する資格があるはずだと、
やっと思え始めている親の一人から、

今の段階では、まだ、こういう言葉でしか表現できない
「障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと」でした。

贖罪にとどまらない、前に進む呼びかけが心に届きます。
無駄なことなんかない。社会は少しずつよくなっていく。そう信じて努力を続けたいです。

この記事を結びに紹介します。

・「夏にプールに入れる」というQOL - Ashley事件から生命倫理を考える -
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/63798163.html

これが、親なんですよね。

肉親じゃなくても、友達ではなくても、手は差し伸べられる

・つながっている : とりあえず、いってみよう
http://blog.livedoor.jp/bach0123-habanero02/archives/5755047.html
息子の主治医にその出来事を話したところ、すぐに息子が
入院するか、実家に預けるなどして夜間は母子が離れるように
強く勧められた。
息子は4歳。
入院なんて無理だ。
でも、勘当同然で出て行った実家に、どの面下げてお願いできるんだ。
ぎりぎりの状態にいるのに私はまだ意地を張っていた。

Twitter、Facebookを通じて知り合えた先輩お母さん&支援者ハバネロさんのブログ記事です。
ぜひ全文を読んでいただきたいです。

自閉症の子どもの幼児期のしんどさをあらためて思い出すとともに、

家族でも、友達でもないのに、ただ近所に住んでいて、苦境に見かねてご飯を食べさせるという行為が…それが、特別な慈善ではなく、普通の人の「困ったときはお互い様」と当たり前のようにそこにあることに胸を打たれるのです。
地域には、昔の私と同じような気持ちの親御さんが、間違いなく存在する。
踏みとどまってもらうためには、家族だけではなく、第三者の支えも必要だ。

だから、昔の私のような人に出会ったら、必ずこう言っている。

「もしも、もしも、消えてしまいたいと思った時は、家族の次に、
私も思い出してください。
しぶとい人間がいることを思い出してください。
死にたい時は、死にたいって言うてください。
メールください。
家族でも友達でもないですけど、意外と捨てたもんとちゃいますよ。」

ありがとう、ハバネロさん。私も、がんばろうと思います。

米国:障害者差別の実験映像

「あなたならどうする? 〜スーパーの障害者差別〜」と名付けられた実験映像(YouTube)です。

殿父さんのブログから知りました。

・ぽちぽち★殿父blog:スーパーでの実験動画
http://pochi.exblog.jp/13331979/

アメリカのニューヨーク市ブロンクスにあるスーパーでの実験です。8分半ほどの動画ですが、非常に考えさせられました。

こういった場面で、立ち上がれる人間でありたいです。

当事者が声をあげられないときに、代わって「それは間違っている」と声をあげることが私たちの役割ではないでしょうか。

また、当事者に対して「あなたは間違っていない」と社会を代表して伝えることも。
ラストに出てくる養護学校の先生の言葉は胸にしみました。

(追記)
日本では、この実験映像のような直接的な発言は少ないかもしれません。
現実には、「あなたもそう思うでしょ」的な同意を求めてくる差別が日常には蔓延していて、そこで曖昧に流さずに「それは間違っているよ」と止める行動かなと思います。

「成人ディスレクシアの独り言」

成人ディスレクシアの独り言を紹介します。

まず、この記事を読みました。

・「知られてはいけない」と確信した日々〜社会に出て
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub6.html
結局、学校へも家にもそのまま帰る事は無かった。不良仲間の家を渡り歩くことをやめ、必死で仕事を探した。

ここで大きな壁にぶち当たる!!
当時の就職雑誌「とらばーゆ」を読みあさるも、中卒など雇用する会社は少ない。現場か飲食店に若干の求職があった。、選べる立場ではない事は承知の上だが、まず履歴書が書けない。道に落ちている雑誌や電話ボックスにあるタウンページ等から漢字を写し、何とか履歴書を完成させたが、きっと間違いだらけだっただろうと思う。

このサイトが、toraさんという今50歳くらいの識字障害(ディスレクシア)のかたの半生を綴ったものです。

上の記事は、当時ディスレクシアが知られていなかった頃、小学校でも中学でも「文字が読めない。書けない」ことでバカにされ、さぼっていると怒られ続け、高校1年生で家出をして働きはじめたときのことを書いています。

その後、必死に仕事を頑張って、安定した生活を築いたtoraさんは、43歳で初めてディスレクシアという障害を知ります。

・ディスレクシアだと知って 〜拒否と怒り
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub9.html
読み書きができても、オレはやっぱり勉強が苦手だったかもしれない。
でも、もしも読み書きができたら、オレは選べたんだと思う。

「オレは勉強嫌いやから、やっぱ働こう」とか「これやってみたいから、やっぱ大学行きたいな」とか。
読み書きができないオレには、選ぶことすら許されなかった。

LDに関係するホームページを読んでは、自分の状況を一生懸命メールで送ってみた。返ってくる答えはいつも同じだ。
「toraさんはちゃんと自分の好きな大工と言う仕事につくことができているし、評価もされているんでしょう?それでいいじゃないですか」

そうかもしれない。でもそうじゃない!!

オレが苦しいのは、今の仕事が嫌だからじゃない。
今の仕事に自信も誇りも持っている。好きな仕事だ。
でも、ここを選んだわけではない。ここしか生きる道がなかったんだ。
もしも自分で選んでこの道に入っていたら、こんなにもがくほどの苦しさはなかったかもしれない。

障害とわかっても、そのことだけで、救われるわけではないのです。
toraさんの体験談を読んで、そのことがよく伝わってきました。toraさんは数年間かけて、自分自身のこれまでの苦しみの原因と半生を受け入れて認めていきます。
長いですが、引用します。

・ディスレクシアだと知って 〜解放と希望
http://sky.geocities.jp/dyslexia_tora/sub10.html
何か劇的な転換があったわけではない。
本当に日々の中で少しずつ少しずつ、「ああ、オレは文字が入りにくいというしんどさと生きてきたんやな。そしてこれからも生きていくんやな」ということが腑に落ちていった。

以前、妻から電子辞書をプレゼントされたことがある。「これで調べれば、思い出せなくても大丈夫だよ」そう言われたが、ほとんど使わなかった。
今出ているものに比べて旧式で、使いにくかったということもあるが、一番大きな原因は「そんなものを使っている姿を見られるのに耐えられない」からだった。
「他の人も普通に使っているよ」といくら言われても、書ける人が使うのと書けないオレが使うのとでは意味が違うと思っていた。
誰も笑わないのかもしれない。
誰もそんな細かいことまで気にしないというのは真実だろう。
それでも、そうは思えない自分がいた。
「書けないのでは?」と微塵も疑われてはならない。かくしてかくして、絶対に気づかれてはならない。そう強く思い込んでいた。

自分も、携帯電話を使って文字を調べている人をよく見かけるようになっきている。
「みんな調べてるなあ」わかってきてはいたが、どうしても笑われる気がしていた。

それが、ディスレクシアを知ってから数年後ぐらいから、「自分も調べてもいいんだ」と思えるようになってきた。
役所の窓口、仕事先の事務所、今でも書く場面は山ほどある。
以前の自分なら、ありえないぐらいに緊張したり、周囲を見回して書くべき文字の手本を探したり、あれこれ理由をつけてその場では書かずに持ち帰ったりしていた。かえって、かなり挙動不審だっただろう。
行く前から「書く場面があるかもしれない」とかなり緊張したりいらいらしたりもしていた。

そのストレスが、今はない。
携帯電話で調べればいい。やっと、心から納得してそう思える。行動に移せる。
「書いてください」と言われても、以前のように胸がぎゅっとなるような緊張をしなくなっていった。

なんて言ったらいいんだろう。
人は「たったそれだけのこと?」と思うかもしれない。
でも、オレには例えようもない大きな変化だった。
40年以上、ずっと「隠さなくてはいけない」と思っていた自分を、やっと隠さなくてもいいんだと思うようになった。そんな感じだろうか。

今年になって仕事関係で銀行の人と話していたとき、融資についての書類をたくさん書かなければいけない場面があった。以前ならきっとパニックになっただろう。でも、オレはその時本当にごく自然に「すみません。オレ書かれへんのですよ。昔から文字が入らなくて、ディスレクシアって知ってはりますか?」と言った。
担当の方はあっさりと「ああ、知ってますよ。そうですか。それは御苦労されましたね」と頷いてくれた。そして、オレが書くべきことについて、下書きをしてくれたり丁寧に本当に丁寧に教えてくれて、一緒に書類を作ってくれた。

ディスレクシアを知っていてくれたことはもちろん、初対面の人に本当にに自然に自分の苦しさをわかってもらえたことが驚きだった。
まるで「オレ近眼やねん」と言ったら「ああ大変やね」と言ってもらった感じだ。


…オレはその時本当にごく自然に「すみません。オレ書かれへんのですよ。昔から文字が入らなくて、ディスレクシアって知ってはりますか?」と言った。
担当の方はあっさりと「ああ、知ってますよ。そうですか。それは御苦労されましたね」と頷いてくれた。そして、オレが書くべきことについて、下書きをしてくれたり丁寧に本当に丁寧に教えてくれて、一緒に書類を作ってくれた。

こういうことなんだと思いました。
「知っている」こと。騒ぎ立てたり、動揺したり、色眼鏡で見たりすることなく、知っていれば、サポートできる。
この銀行員は、かっこいいです。

このサイト成人ディスレクシアの独り言を作ったことを、toraさんはこう語っています。
もし自分の障害を知っていたら、教育の機会が保障されていたら、私はあそこまで自分を追い込まずに済んだのではないか、何もかもをあきらめて来ずに済んだのではないか。救ってほしいのは、今の「私」ではなく、もがいていた子どもの頃の「オレ」です。

長い、とても長い間、自分は「文章」を書いたことも書こうと思ったことも、書けると思ったこともありませんでした。
パソコンや携帯に出会い、「下手な文字」「漢字の間違い」から解放されたことで、短い文章を必要に応じて少しずつ打つことはできるようになっていましたが。それでも、思いを全て伝わる文章に起こしていくことは、なかなか難しい現実があります。
今回、自分が書いたものを妻に読んでもらい、さらに当時の様子を話すことで、彼女に文章としては再構成してもらいながら、二人でこのページを作っています。
(Topページより)

全部のページを読みました。

自閉症以外の、発達障害について、自分はまだまだ無知だとあらためて自覚しました。toraさんの文章を読ませていただいて、少しだけ、ディスレクシアについて理解ができた気がします。

ぜひ、このサイトのことを多くの方々に知っていただきたいです。

I love you & I need you ふくしま

1301201170_180「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズを今日初めて観ました。

私の妻はルーツが福島です。親戚も福島に住んでいます。このビデオ(YouTube) を観て、泣けてきました。

全都道府県からそれぞれ出身の47人が出演しています。「この人が出てる! 〇〇県出身なんだ!」なんて思いながら鑑賞できます。

猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を、47人で唄いました。
それぞれの故郷を持つ僕たちも、心から応援しています。

この楽曲は、『TOKYO FM 携帯サイト』http://www.tfm.co.jpと、
PC用音楽ダウンロードサイト『OTOTOY』http://ototoy.jpで配信しています。

この収益の全額が福島県災害対策本部に寄付されます。
みなさんご協力お願い致します。

「ふくしまのために、もっともっと義援金を集めたいんだ。いいだろ?」を合い言葉に福島への支援にさらなる勢いをつけていく。ということで、いろいろなアーティストが参加したバージョンがあります。
私は、福山雅治さんが好きなので、「猪苗代湖ズに福山雅治さんが福島を応援しに来てくれたんだ。3月26日。井上鑑さんと。」を購入しました。

「I love you baby 浜通り♪ I need you baby 中通り♪ I want you baby 会津地方♪ ふくしまーがーーすきーー♪」

YouTube観て、もし気に入ってもらえたら、ご協力をよろしくお願いします。

・[ototoy] 特集: 東日本大震災救済支援〜今、何かできないか?〜
http://ototoy.jp/feature/index.php/2011032401

・サンボマスターによるライブバージョンもすごい(YouTube

『海洋天堂』観てきました

映画「海洋天堂」のストーリー

妻と一緒に映画『海洋天堂』を観てきました。

先入観を持ちたくなかったので、できるだけ、事前情報を入れずに行きました。

観に行けて本当に良かった。

冒頭のシーンでいきなりノックアウト。
ラストのメッセージが、「これを『平凡な』と呼ぶか…」と圧倒されつつ、心に深く染み入りました。



私は、この映画を観て、「ベストをつくそう」という思いを新たにしました。

まだの方、ぜひ。

名古屋では、名演小劇場で、9月2日まで!

【おすすめ】『芸人交換日記〜イエローハーツ』

芸人交換日記 〜イエローハーツの物語〜
芸人交換日記 〜イエローハーツの物語〜
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今日は、これ。大プッシュ!

あらすじは、売れないお笑い芸人コンビの交換日記が描き出す「夢」の物語──って、ちょっとキレイすぎ?

展開は予想できました。
そして、「こうなるのかなー」と自然と主人公たちを応援したくなり、「こうなってほしい!」と願い、きっちり、泣かされてしまいました。
いいよね、こういうの。王道。

すごいなー。鈴木おさむさん。『ブスの瞳に恋してる』も最高だったけど、この本もイッキ読みでした。

元気になりたい人、どうぞ☆

【おすすめ】私、自閉症です。:息子への告知

ブログ「私、自閉症です。」の、息子さんへの自閉症の告知の記事がとても良かったので、おすすめします。
ちょうど本人告知について悩んでいたので、「もしかしたら、障害という言葉も、自閉症という言葉も知らず、障害に対して何の先入観も持っていない今の段階で告知をしたら、性教育と同じように”ふ〜ん”と思うだけで、ショックは受けないかもしれない。障害や自閉症をネガティブなものとして受け止めないかもしれない」と思いました。
 息子への告知・2 〜小学校入学前に告知をしたかった理由〜より引用

こういう発想ってなかなかできないですよね。
「もっと成長してから、分別がついてから」と思ってしまいそう。

実際に保育園の年長さんのときに告知した具体的内容が丁寧に紹介されています。

・息子への告知・3 〜人はみんな違っている〜
http://ameblo.jp/shin-momoko/entry-10925584578.html

・息子への告知・4 〜自閉症であること〜
http://ameblo.jp/shin-momoko/entry-10937908968.html

「私、自閉症です。」は、大人になってからアスペルガー症候群の診断を受けた申ももこさんのブログです。
本当にしんどい、壮絶な過去のことも綴られていますが、記事はどこか淡々としています。
文才があるんですね。すきなブログです♪

クラムボン・ベスト/clammbon best

音好きの話。

すでに偏愛の域に入っているクラムボン(公式サイト)のベスト盤を買いました。
IMG_0834
青盤がワーナー時代、赤盤がコロンビア時代のベスト

全部持っている曲なので、イラナイかな?と思っていましたが、おまけのDVDめあてで購入。
それぞれ、ライブがまるごと収録されています。マニアにとってはCDがおまけなのかなとも思います。
それと、「初CD化音源の全員プレゼント」に惹かれたんですが、こちらは5月末消印有効とのことで、遅かった。ざんねん……マニア失格。えーん。

ここからは、もう、マニアックな話。

今回のベスト盤は、ファン投票で上位の曲をランク順にCD容量いっぱいまで収録!という、曲目も曲順もファン任せな大胆企画。クラムボンらしいというかなんというか。すき。

ファンの投票コメントが、ココで全部読めるんだけど、アツくて、真摯で、胸がいっぱいになった。すきすぎ。

80’sに10代を過ごしたみんなやってるんじゃないかなーと勝手に思っている「マイ・ベスト」のクラムボン版をPlayListでつくってiPodでいつも聴いているんだけど。すきすきだいすき。

で、僕のベストとファン投票のベストがどれだけ一致しているのか?を検証してみた!

初公開! Kaipapa Selection / clammbon BEST
 (曲順は、順位ではなく、マイベストアルバムとして編集♪)
 ★が、ファン投票順位です。

1 コントラスト ★青7位
2 おだやかな暮らし[Live] ★赤11位
3 カルアミルク[Live]
4 サマーヌード
5 サラウンド ★青3位
6 ナイトクルージング[Live] ★赤6位
7 Folklore ★赤1位
8 ララバイ サラバイ ★青6位
9 便箋歌 ★青1位
10 Tourist On The 未来'n ★赤12位
11 Re-残暑 ★青11位
12 Re-090
13 Re-Folklore ★赤14位
14 バイタルサイン[stereo mix] ★赤3位
15 ふたり[stereo mix]
16 あかり from HERE (clammbon side)
17 Re-メロウトロン
18 Re-雨

18曲中11曲がランクイン。みんな、わかってる〜♪♪

一番びっくりしたのは、FolkloreとRe-Folklore(Remixバージョン)を両方ともマイベストに入れているんだけど、みんなの投票でもそうなっているところ! どんだけすきなの!?>おれもだけど。

愛知でやるライブは取れなかったのですが、8月に熱海でのライブに行きます!
だから、その時まで、ライブDVDはおあずけにしています。
音だけ聴いて、悶々とライブに向けて盛り上がっていこうと思います。

映画「路上のソリスト」

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映画「路上のソリスト」を観ました。

正直、観ている間、テンポとかドラマ性とか映画としては(テクニカルに)デキがよくないんじゃないか、と思っていました。


でも、最後の最後で、グッときました。

実話だったんですね。納得。


発達障害や統合失調症や路上生活者のことを考えていたときに、出会いました。
ロサンゼルス市には9万人の路上生活者がいるそうです。

おすすめブログ「我が家のまさる君」

思春期について書いてきました。

カイももうすぐ12歳。身体がまだ小さいので、思春期の訪れはひとよりも少し遅いかもしれませんが、徐々に近づいてきていることを意識しています。

読むブログも、何歳か年上のお子さんのことを書いているものが気になります。

今日紹介したいのは、

・我が家のまさる君
http://blog.livedoor.jp/sata22/

です。

まさる君は、重度知的障害を伴う自閉症。特別支援学校高等部の2年生です。
最近の更新は多くはありませんが、これまでの記事を読んでいくと参考になることが多いです。

たとえば、この記事は、「予期不安」というのでしょうか、わかることが増えてきたことが逆に不安を増やし、「カクニンマン」になってしまうことが綴られています。うちの子もその傾向があります。

「音と興奮」の記事では、思春期のハイテンションを音量制限(文字通りの音量制限です)のくふうでおだやかにできたことなど、実際に役立つヒントがあります。
まさるママさんありがとうございます^^

おすすめです♪ 

未来はどちら向き?

昨日は、ソーシャルブックマークの紹介をしましたが、
このブログにも「お気に入りblog」というリンク集が設置してあります。
カイパパが巡回しているブログです。
上のほうが自閉症スペクトラム関連で、下はノージャンルとなっています。

その中で、ひとつ異色なブログタイトルがあることに気づかれましたか?

まみぺこさんの「はぁはぁブログ」──
ブログを再開する前に、「昨今の人気ブログにはどういうものがあるのかな?」なんて考えて、ブログを巡回して見つけました。そして、ハマリマシタ!
日常まったく接点のない世界のひとなのですが、とにかく面白くて、ハッピーで、今年いちばん笑顔をくれたブログです。

──本当は、痛爪とかWEB女子とWEB男子の同人誌の話とかの濃い記事を紹介したいのですが、
いくらなんでも「カイパパどうした…」って白目でみられそうなので、今回は見送って(あとでこっそりどうぞ)──

カイパパ通信blog愛読者さま「ぜひ読んで!」とおすすめしたい傑作記事を紹介します。

・前向きな後ろ向きの話 - はぁはぁブログ
http://d.hatena.ne.jp/Mamipeko/20100531/1275283699
私たちのお脳ちゃんの中でのイメージでは
「過去から未来へ」が進行方向な気がしてしまいますが
実はホントのホントは、逆を向いているんだよというお話です。
だって、「未来」のコトは誰にもわからないでしょう。
人は、「今」と「過去」のコトしか見えていないでしょう。
だから、私たちは「未来」を背にして、後ろ向きに歩いているんですよう。

これは、このイメージは自分にはなかったものなので、大きな「気づき」でした。
元記事はイラストつきなので、ぜひそちらを読んでくださいね。
つまり「前向きにいこう!」っていう言葉は
人はみんなホントは後ろ向きなんだけど、前向きに、
まだ見えない未来のコトを見ようとして歩いていきましょう、という
そんなエールがこめられた「前向きではない前提ありき」の言葉なんだそうです。

この記事を読んだとき、私思わず、うるっと来ちゃいました。はぁはぁブログで、まさかの意表をつかれました…。
後ろ向きでもいいんだよ。
後ろ向きなのがフツーなんだよ。
後ろ向きに歩くと転びやすいから、
だからゆっくり歩けばいいんだよ。
ゆっくりゆっくり足もとに気をつけて。


後ろ向きでフツー。未来のことは、だれにもわからない。
だから、今の延長で悲観し過ぎなくていいと思うよ。


しなないでね。ころさないでね。


ありがとう>まみぺこさん

これは役立つ!自閉症・発達障害ソーシャル・ブックマーク

ウェブサイトのお気に入り登録は、みなさんもしていると思います。
その「お気に入り(=ブックマーク)」を、ウェブで公開しちゃうものをソーシャル・ブックマークと呼びます。

世界には、何百億(もっと?)というサイトがあります。
そのなかで、見たいサイトを見つけるためには、検索エンジンと口コミが頼りですよね。

ソーシャル・ブックマークは、人力で、サイトの情報を集めてきて整理してくれていて、サイト発見の有用な手がかりになります。

昔(今も)、ホームページに「リンク集」がありましたよね。あれの進化版と思えばよいでしょうか。

今日紹介したいのは、southtakさん作成の【自閉症・発達障害ソーシャル・ブックマーク】です。

・southtak's Bookmarks:自閉症・発達障害ソーシャル・ブックマーク
http://www.delicious.com/southtak

登録サイト数が538件(2011年1月30日現在。増殖中)

網羅しているサイト数もすごいですが、
親や当事者、支援者、団体のサイトから、障害者福祉制度改革に関するサイトまで、
「自閉症・発達障害」に特化しつつ、関連するものを広く登録してあるところがいい。

このブックマークで、ふだん自分ではググらない種類のサイトをクリックしてみると、新たな発見があるかもしれません。
私も活用してみます。



ちなみに、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルも登録されていました(*^^*)v

from 2ch

・J( 'ー`)しカーチャンの子育てブログ @ 2ch 自閉症の子供が生まれたら自殺するしかない
http://erimos.blog38.fc2.com/blog-entry-137.html

この2chのまとめスレッドは、「自閉症 ブログ」で検索すると上位で表示されるので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。私は、昨夜読みました。

6歳自閉症・知的障害最重度・多動・睡眠障害の子を持つ26歳母親の「心中予告」の書き込みから始まります。
……
・マジで疲れた
・あとは母子でODして窓の目張りして練炭に火を付けるだけなのに覚悟ができない
・誰か背中を押してくれ
なぜここに書き込んだか?
そこが、2chの「自閉症の子供が生まれたら自殺するしかない」という板だったから。酷い言葉をぶつけられ、死ねることを期待した。

そしてなにが起こったか?

──2chなので、酷い書き込みも多数出現し、読み通すつらさはあります。長いので時間もかかりますが、読み通してほしい。

ひとつの奇跡だと思う。

・J( 'ー`)しカーチャンの子育てブログ @ 2ch 自閉症の子供が生まれたら自殺するしかない
http://erimos.blog38.fc2.com/blog-entry-137.html

クルム伊達公子さん

・NHK THE STAR ザ☆スター:クルム伊達公子さん
http://www.nhk.or.jp/star/past/20110108.html

1月8日のNHK BSで放送されたクルム伊達公子さんの特集を見ました。

私は、7月からテニスを始めました。
その頃から、伊達さんのブログをカムバック前の記事から全部読み(2か月かかりました)、今も毎日の更新を楽しみにしているファンです。
伊達さんは、私より一歳年上、まさに同世代です。

今回の放送では、プロにカムバックする前の伊達さんのためらいや恐れについて、ご自身の口から語られました。
その背中を押してくれたのが夫のミハエルさんだったということも。

伊達さんは、
「早すぎる引退を後悔していると周囲から思われるのが嫌だった」
「復帰しても、無残な結果しか残せないかもしれない」
と迷い、復帰をためらっていたそうです。

その伊達さんに、ミハエルさんは、
「Nothing to loseだよ。もしも挑戦がうまくいっても、いかなくても、過去の栄光が損なわれるものではない。失うものは何もないよ」
と語りかけ、100%の応援を約束しました。

(このあたりのことは、ミハエルさんから伊達さんへの手紙に詳しく書いてあります)
日本HP クルム伊達選手:ミハエル・クルムさんからの手紙(前篇)
日本HP クルム伊達選手:ミハエル・クルムさんからの手紙(後篇)

私が思うのは、
成功した現在になって振り返って評価すれば、「カムバックは正しかった」と簡単に言えるけれど、
結末の見えない──だからこそ「挑戦」といえる選択は、伊達さんのようなひとでさえ、迷い、ためらい、恐怖さえいだくものなのだということ。

一度やめたことを再開するのは、実は簡単じゃないです。
「復帰」ではなく、それが「挑戦」なんだ。だから、Nothing to loseだと思えたから復帰する決断ができたんだと思います。

「失うものは何もない」そう思えた瞬間から、一歩が踏み出せる。
決断をするのは、もちろん自分自身です。
けれど、その瞬間に、支えてくれるひとがいてくれたらどれだけいいか。

テニスを始めてよかったです。伊達さんの存在を、ブログを通して知ることができて、ものすごくエネルギーをもらっています。
超多忙な毎日の中、毎日更新を続けている伊達さんを知らなかったら──たぶん、カイパパ通信を再開できなかったと思います。

だから、この記事は、伊達さんへの感謝の気持ちをこめて書きました。
クルム伊達公子さん、ありがとうございます!!

・伊達公子オフィシャルブログ 〜Always Smile〜
http://ameblo.jp/kimiko-date/

彩り〜Mr. Children

■彩り〜Mr. Children

新人研修のヤマを越えて、同僚とお疲れさん会に行き、この歌を聴いた。

「彩り」

僕は、Mr. Childrenのオリジナルを聴いたことはなくて、同僚が大してうまくないけれど、切々と歌うその歌詞に胸を打たれてしまった。

歌詞はここで見られます powerd by 歌ネット

この歌は、仕事の本質をついている。
そして、社会のありようを描きだしている。

とても単純なことばとイメージで。

ふだん僕らが感じていること。
でも、クサくて、照れるから口に出せないことを、歌にしてくれている。

僕たちは、仕事を通じて、社会と接点を持っている。

わが子が、「働ける」ようになってほしいのは、収入とか世間体といったもののためじゃなく、誰かの役に立ち、社会とつながっていってほしいからだ。

──そんなことを思いながら、小さなプライドを胸に、何度もこの歌を繰り返しています。

(映像は、YouTubeで、"彩り (live in ap bank fes'06)" 検索してみてください。MCがまたすごくいい)

【映画】ロレンツォのオイル@NHK-BSで放映します

■【映画】ロレンツォのオイル@NHK-BSで放映します

以前記事で紹介した絶対おすすめの映画「ロレンツォのオイル」が、テレビで放映されます。

NHK BS2で、1月8日の翌日午前0:40〜翌日午前3:00です。
番組表

本当にスゴイ作品ですので、ぜひ観てください。

ロレンツォのオイル/命の詩

すごい映画:「ロレンツォのオイル」

■すごい映画:「ロレンツォのオイル」

ぜひとも観ていただきたい映画があって。

「もう、カイパパ通信で絶対紹介するしかない!
この映画を紹介しないでは、次のエントリに進めない!」

くらいの熱い情熱を持ってエントリしますよ。

「ロレンツォのオイル」です。

何も先入観を持たず、あらすじも読まずにぜひレンタルして観てみてください。
(私がそうでした。奥さんが借りてきてくれて、「いいから観て」とおすすめしてくれました)。




すごい映画です。
2時間、(つらいけど目をそらさずに)最後まで見届けてください。


↓リンクを貼っておきますが、前情報なしで観るほうがよいと思うので、あらすじやレビューは観終わるまで読まないことをおすすめします。
ロレンツォのオイル/命の詩

あ、今気がついた。これ、「ベスト・ヒット・コレクション」で¥980ですね。買おう。
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