2008年05月02日

任天堂社長 岩田聡さん

■任天堂社長 岩田聡さん

なんだか、仕事のことを、くどくど語っていますが。
それだけ、今の自分にとってのチャレンジなので、頭が自然とそっちに行ってしまうのでしょうね。すみません。

この時期に、ゴールデンウィークがあるというのは、いいです。
仕事から少し距離をとって、「おれは何を悩んでるんだろう?」「何がうれしさなんだろう?」なんてことを思ったりできて。

私は、ほぼ日刊イトイ新聞を通して、糸井重里さんと任天堂社長の岩田聡さんから「仕事観」について、大きな影響を受けてきました。
ゴールデンウィークの読み物として、お二人の対談を紹介します。

・ほぼ日刊イトイ新聞 - 社長に学べ! 任天堂社長 岩田聡さん
http://www.1101.com/president/iwata-index.html

・ほぼ日刊イトイ新聞 - 任天堂、岩田聡社長と糸井重里が話す。
http://www.1101.com/iwata/index.html

・ほぼ日刊イトイ新聞 - 星空の下の仕事観。
http://www.1101.com/job_study/iwata/index.html

連載になっていて、けっこう読みでがあります。
いつも、「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」来訪してくださっている方へのプレゼント(?)です。
よかったら読んでみてください。

私は、岩田さんの発言を手帳に写して持っています。
たとえば、
【岩田さん】
まぁでも、
ただしいことをいう人が
いっぱいいまして、
それでいっぱい衝突するわけです。
おたがい善意だからタチが悪いんですよね。

だって善意の自分には
後ろめたいことがないんですから。
相手を認めることが
自分の価値基準の否定になる以上、
主張を曲げられなくなるんです。
でもそのとき
「なぜ相手は自分のメッセージを
 受けとらないんだろう」という気持ちは、
ただしいことをいう人たちにはないんですね。

【糸井さん】
「神の意志にそえ!」と
両方がいっているようなもんですよね。

【岩田さん】
はい、宗教がちがうのに。
(「社長に学べ!」第9回より)

「宗教がちがうのに」ですよー。すごい響きます。  
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2008年05月01日

教育部門の役割

■教育部門の役割

昨日の記事から続いています。)

研修は、同じ研修を二度受ける人はいないので、その都度新しいお客様が、シビアな目で評価をしてくれる。
「去年より、こんなによくなっているんですよ!」なんて売り文句はまったく意味がない。
一期一会で、良ければ良いと評価し、ダメだったら無駄な時間だったと帰っていく。

ダメだった場合でも、お客様が来なくなるわけではない。

そこで犠牲となっているのは、教育によって向上することができた可能性を殺してしまったということ。
その受講生が得るものを得て、成長のきっかけをつかんで、将来的な組織のアウトプットに貢献していく可能性を損なったということ。

もちろん、成長のきっかけは日々の仕事の中から得ることが多いから、研修の機会だけが担っているわけじゃない。

しかし、ある階層の社員が一律で受ける研修には、日々異なる領域で働いている人々にとって、自分のOS(基本ソフト)をアップデートする貴重な機会なんだ。

新入社員は一番分かりやすいが、それまでバラバラな経歴で生きてきた人たちを、これから働く組織の価値観・ルール・仕事のやり方などを「上書き」するために、行うものだ。

2年目、3年目、5年目……と定期的に一堂に集めて、組織が直面している環境変化や方向性などをアップデートする。同期どうしが互いに、自分の持っていないものを学びあい、刺激を与え合い、成長のばらつきを整える意味もある。

人材育成の中心は、日々の職場にある。
これは動かしようのない真実。
職場の「人づくりのチカラ」これが要だ。

教育部門の役割は、(1)職場でのOJT推進と(2)「OSアップデート」をいかに適切に行えるかなんだと思う。

これが、難しい……んです。

(1)も(2)もブレークダウンして、一つ一つ丁寧に考えて策を打っていかないと。

自分の力不足を実感します。
地道な勉強が大切ですね。粘り強く。  
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2008年04月30日

4月が終わる

■4月が終わる

なんでか、月の最後の日や最初の日には、ブログを更新したくなる。
ひと区切りという気がするからかな?

自分の仕事は「年度」で動いているから、4月が最初の月。

今年の「12分の1」が終わったんだと思うとすごく速い。
密度の濃いひと月だったけど。
これで、もう12分の1かと思うと、
1年間で達成できることは知れているなとも思う。

3月、4月とほとんど休みなく必死でやってきたので、
今回出来たアウトプットが今の自分の限界なんだとわかる。

ひとりでできること、
このチームでできること、
ひと月でできること、「   」←これくらい。

うん。納得してる。こんなもんだろう。


2年前、出向して1年間修行している間、そこで繰り返し教えられたことは、

「お客様は、プロセスを共有していない」

という事実。

それはつまり、自分たちがどれだけ苦労して努力して企画して改善をして作り上げたアウトプットだとしても、うけとるお客様は、その過程(プロセス)やこちらの思い・意図とは無関係に、商品を商品として評価するということ。

だから、「こんなにがんばったんだから、評価してください」なんていうのは、
私たちの甘えに過ぎない。

品質のよしあしは、お客様が決める。
その厳しい、クールな目に応え、心から喜んでもらえるようなアウトプットを生み出さなきゃならない。

そういう教えだった。

当時、改善しているのに成果が上がらなくて苦しんでいた時に、
その言葉を聞いたときは「しんどいなあ」という思いが先にたって素直に聞けなかったんだけど、
だんだんとファイトがわいてきたんだ。

お客様には見えないのだけど、だからこそ、良いプロセスから良いアウトプットを生み出して、苦労や苦心のあとなんか微塵も見せず、涼しい顔してお届けすることができたら、すごくかっこいい!

とはいえ、ダメなときも多いが、ダメだった時は(プロセスを共有する→)仲間と励ましあい、次への活力を養うのだ。
「彩り」を歌ったところで、何かが変わるわけじゃないが、
やっぱり一個一個の小さな(良い)プロセスが(良い)結果を生み出すんだと信じるところから、やる気は生まれてくるんだし。


当たり前だけど、仕事は甘くない。
手を抜けば、そのしっぺ返しは必ずあるくせに、がんばったからって成果が見えるとは限らない。

それでも、真剣にくりかえしていけば、「打率」はあがっていくんだよね。
だから、挑戦していこうという気持ちになるんだろうね。
  
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2008年04月02日

新人さん

■新人さん

さあ、昨日の明日がやってきた! がんばろう。笑

今日から、新人教育が始まります。人材開発の部署にいる私たちとしては、年間の仕事のピークがこの4月から5月にやってきます。

たいへんですが、この仕事の「恵まれているな」と思うことは、若い新人たちの情熱と不安を肌で感じて、自分自身も初心に帰れるところです。

叱ったり、指導したりする場面もあれば、「すごい!」と賛嘆することも多々あり。一人ひとりが個性的で、同じ人間なんてひとりもいないんだな、なんてことを改めて実感したり。

何よりもうれしい瞬間は、「この人たちとこれから一緒に仕事をしていくんだな」と感じるときです。もう赤の他人じゃない。接点ができてしまった。

人間ひとりでできることには限界があります。大きな意味でのひとつのチームに加わった新人さんを、歓迎します。
教育機会を通して、みなさんの成長をサポートできるよう、私もまだまだひよっこだけど、ベストを尽くします。

まずは、朝のあいさつから! さわやかに、職場を明るくしようね!  
Posted by kaipapa2shin at 07:55Comments(4)TrackBack(0)

2008年04月01日

明日がんばります!

■明日がんばります!

やってもやっても終わらない仕事の時とか、本当にどうしようかと絶望的な気分に囚われることがありますよね。

昨夜もそうだったんですが、「あ〜、どうしよう…」といった後、思わず口についたのは、

「明日がんばります!
 明日がんばります!
 明日がんばります!」

なぜか3回。

自分で言って、笑ってしまった。「なんだよ、それ〜」とか言いながら、周りの同僚も、似たような状況なので、笑っていました。

「今日やれることは今日やれ」というのは、金言ですが、やることが多すぎて労働時間の概念がぶっとんでいる状況では、「今日1日=24時間(+α)」的なコワーイ「今日」があったりします。

まあ、ちょっと待て。「おまえは既に死んでいる」ではないけど、「今日は既に終わっている」。そのことに気づいて、帰らなくちゃね。

「明日がんばります!
 明日がんばります!
 明日がんばります!」

なぜか3回。

力が抜ける、脱力系のおまじないを唱えて。  
Posted by kaipapa2shin at 07:53Comments(1)TrackBack(0)

2008年03月01日

3月!

■3月!

今日から3月ですね。
前の更新から、ずいぶんと日が経ってしまいました。
私は元気です。

久しぶりなので、どんなことを書いたらいいのか戸惑っています。

2月は、のど風邪をひきました。やたらとしつこい風邪で、3週間ぐらいセキが続いていました。
それだけに、完治した時はとても爽快でした。

ところが、ここ二三日、のどがかゆいみたいな、むせる感じがあります。
風邪っぽくはないので、「もしかしたら花粉症?」かなと心配しています。これまで花粉症とは縁がなかったので、この症状が花粉症なのかどうかよくわかりません。
まあ、違うと信じて行きたいと思います。

こんなんでいいんだっけ?とためらいを感じつつ、「ブログは気軽に更新でいいんだ」と「投稿」ボタンを押します。


──と書いてきて、自分の言いたいことがなんだったか、見えてきました(というより書いているうちに頭がクリアになった)。以下そのことを書いてみます。





毎日訪問してくださっている方、久しぶりに来てくださった方、初めてご来訪の方、ありがとうございます。

更新がなくても、毎日200〜300のビジター数があり、

「このブログが放置されていること自体が、わが子の自閉症についてショックを受け、情報を探している方にとって、よくない影響があるのではないか」

ということを思ったりして、重たく感じたりした時期もありました。

私は多分、「本を出した責任」というような意識に囚われていたようです。
自分が、本で提言や主張をしたのだから、自分の行動で責任を取らなければ、、、とせきたてられるような思い。
でも、何にもできなかった。

そのことは、非常に苦しいものでした。


『ぼくらの発達障害者支援法』は、凄い本です。今読んでも、エネルギーに圧倒されます。
自分がやったこととは信じられません。

それもそのはず──今はこう思っています──あの本は、カイパパが創ったというよりも、
あの時の「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」に集合した人たち全員のエネルギーを、結晶化したものだからなんだろう。

だから、「あの本を一身で背負う」ことは、どだいムリで、傲慢な思い込みでした。(できるわけがなかった)


こんな想像が、私の気持ちを明るくします。

──カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルを媒介に、
私を通り抜けて、世に出て行った結晶が、
みんなのもとに再び戻り、共振してエネルギーを増幅していっている。
きっと、虹色のスペクトラムの光を放ちながら☆──

「みんなのもとに戻っていったんだ」と。




強烈な体験は、それが良いものであれ悪いものであれ、心に刻印(キズ)を残してしまうのですね。

それはそれとして。
消せないのだけれども。
消したいわけではないのだけれども。

本にまつわること(達成感も苦しさもその他もろもろの複雑な思い)を、
いったん区切りをつけて、このブログを続けていきたいと思います。

冒頭に書いたような、しょうもない話題とりまぜ。
書いて楽しい、読んで楽しいブログが理想だなあ。

とかいって、更新がぜんぜんされずに、期待を裏切るオチかもしれないのですが、
もう5年も続いていることですし、オトナな関係で、ここはひとつよろしくお願いします。  
Posted by kaipapa2shin at 22:11Comments(7)TrackBack(1)

2007年12月29日

「偽」

■「偽」

「偽」が今年の漢字だと聞いた。

「偽」が露見する事件がたくさんあった。
それは、長年やり続けていたことが今になってわかったという根深いものだった。

他人事ではなく、想像力を働かせて考えてみる。



関与した個人の責任は、当然問われなければならない。

一方で「慣例」に流されてしまうのが、通常の人間であるなら、
「流れ」を止める仕組みを、流されないようにつかむための安全柵を、作らないといけない。

当事者に「正しくないこと」だという意識はあっただろう。
(だから隠してきた)

しかし「悪いことをしている」という意識は薄かったのかもしれない。
(だから、継続されていた)




「必要悪」という言葉がある。
この言葉は一面の真理を、的確に表現している。
そして、どこかしら、世の中のことを分かった「オトナ」な雰囲気をもっているように思う。

だが、この言葉を、
「必要」にウェイトを置いて受けとめるか、
「悪」のほうにウェイトを置いて受けとめるかで、対応は全然違ってくるのだと知った。

「必要」に重きを置く人は、自らの規範意識を麻痺させていく方向へ行く。
「悪」に重きを置く人は、良心の痛みを、仕組みの改善につなげることができる。




とはいえ、
気がついたときには、すっかり自分の手が汚れてしまった状態になっていたとしたら?

この場合、処罰を行うことが、その人自身をリセットし「救う」ことになるのだろう。
逆に、免れてしまうと、罰を受けることが「できず」、一生引きずって行くことになる。

罰が救いになることだってある。




それにしても、

「抜け道」的なやり方が仕組みとなっていた場合には、自浄はできないんだな。

他者の糾問を受けて、血を流して、変わるしかない。
この血は、「瀉血」なんだと思う。流されなければならない血。
引き受けなければならない痛み。

健康体を取り戻すために──


だがしかし、このショックに耐えられない場合も、あるだろう。
…その時に、死が選択肢とならないよう──ナイーブかもしれないが──祈りたい。

生きていればこそ、だもんね。



【参考記事】・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル:愛と誠
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50340324.html
2005年の漢字「愛」に関連して書かれたものです。なつかしいな。もう2年経つんだぁ。  
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2007年12月23日

かけがえのないもの

■かけがえのないもの

できないこと、もっていないもの、欠けていることばかりに目を向けても、しようがないじゃない。


カイにしかないもの、
カイが持っているもの、
カイの、「欠け・替えのない魅力」を、もっとしっかり見ていたい。



※「かけがえのない」の正しい用字は「掛け替えのない」だが、「欠けることのない」+「替えのない」と、あえて当ててみた。

・かけがえのない - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/ka/kakegae.html
  
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2007年12月10日

年末らしいことをしてみた

■年末らしいことをしてみた

年を追うごとに、仕事の忙しさが増しているせいか、
春が来た!と思ったらもう年末で、感慨にふける余裕すらないというのがこの頃です。

クリスマス・イルミネーションとかを見ても、何も感じないんですよねぇ。
何というか、自分はその中に含まれていない感じというんでしょうか。

「季節感のなさ」は、節目ごとのケジメみたいなものがはっきりしなくなっていることのあらわれのような気がして。
そういうのはさみしいものです。

──というわけで、この週末に、ちょっとだけ年末らしいことをしてみました。
といっても全然大したことではなく、
普段あまり手入れをしていなかった、

かばん と パソコン

を掃除してみただけなんですが、
毎日酷使して汚れていた道具がピカピカになって、
とてもいい気分になりました。

15分で終わる気分一新の「儀式」。おすすめです。  
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2007年10月28日

メリハリ

■メリハリ

職場で「ワークライフバランス」のことが話題になって、

「ワークライフバランスってさー、最初聞いたとき、
《仕事生活》のバランスのことかと思ったんだよねー。
 職場での生活をいかに充実させるか、みたいな」
「それはあまりにも《仕事人間》的な発想だ!」と笑われ、

「でもさー、そうだよね。これ。
《ワーク&ライフバランス》って言わないと間違えるよなー」という返しもあり。


「なんで英語なんだろうね。わかんないじゃん。実感として」
「たしかに」

「『○○さん、最近ワークライフバランスどう?』とか訊かれてもなー」
「なんだか、私生活のこと訊かれているみたいで、ちょっとイヤ」

「なんか、いいコトバないか?」
「……」
「そうだなぁ」




「メリハリはどう?」
「お! いいじゃん。メリハリね! 《メリハリつける》って言えば、バランスのこと言えるし」

「でもさー、どっちが《メリ》で、どっちが《ハリ》なの?」
「……」



「うーん」
「うーん…」

「ハリは、張ってるっぽいから、緊張系?」
「そうかも! でも、メリは?」

「メリ…。うーん」
「うーん…」


──話を聞いていたK君。さっそうと取り出したのは「国語辞典」。
「漢字で『減り張り』って書くそうですよ。メリがゆるめる、ハリが張る、だそうです」

一同感心して「おおー」。「やるな、国語辞典!」


「じゃあ、今から1時間メリ入りまーす」
「お、じゃあ私は、今週いっぱいハリハリで!」
「わははは。なんじゃそれ」

夜9時を回ったころの会話(すっかり、ワークライフバランスのことは忘れている私たち)。

【ご参考まで】
・メリハリの「メリ」と「ハリ」って? - 人力検索はてな
http://q.hatena.ne.jp/1086462740

・ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和) : 社会保障 安心 : 共生 : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/security/20070329ik0a.htm

・独立行政法人 労働政策研究・研修機構/特集「ワーク・ライフ・バランス」
http://www.jil.go.jp/tokusyu/worklife/index.htm


  
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2007年10月04日

「純粋なペアレンツ・トーク」への反応が…

■「純粋なペアレンツ・トーク」への反応が…

コメントをしてくださったみなさんありがとうございます。
ケイタイにコメント通知が届く設定をしているので、コメントが届くたび、
ふわりと気持ちが少し浮き立つような、そんな思いを味わっています(^^)



前回(純粋なペアレンツ・トーク)と前々回の記事(痛みの記憶〜語ること)に対して、
こうままからアンサー記事をもらった。

その記事へのコメント欄に、たくさんの、身にしみてくる思いがたくさん寄せられています。

親も、
本人も、
支援者も、
きょうだいも、

みなそれぞれの思いを抱えて、生きて、語ってきた、
これからも、語っていくんだな…

読んでいて、じーんと来るものがありました。




ウォーリーさんも、アンサー記事を書いてくれて、
そのコメント欄で、ご自身の決意を語っています。

どちらの記事も、コメントに目を通してもらえたらうれしいな。  
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2007年10月01日

純粋なペアレンツ・トーク

■純粋なペアレンツ・トーク

こうままさんが、無事岐阜での講演を完遂されたとのこと。
(主催者やましんさんの感想記事はこちら

・こうくんを守れ!!!: ペアレンツトーク
http://koumama.seesaa.net/article/57920100.html

お疲れ様でした〜!!

この記事で、「そうそう」と思ったことがありました。
「今日の講演は純粋に「親」としてのお話」
とこうままが書いていて、一方で、
スケジュールや自立課題やサポブなどの研修は喜んでお受けしますので、NPO法人ゆうにご依頼下さいませ。
この違い/区別。

前回のカイパパの記事を読んで、読者の中には、
「こうままさんは、これまでもた〜くさん講演や発表をされているじゃないの? なぜ、今回だけ特別なの?」
と思われた方がいらしたんじゃないかな。

その疑問はもっともだと私も思います。
自閉症の支援の輪を広げることを、自らのミッションと決めた親御さんたちは、「親」であることにプラスして、「支援者であること」の衣を身にまといはじめます。
(「衣」じゃなくて、「鎧(ヨロイ)」と言ったほうがイメージが合うかも)


たとえば、私が、初めて人前でお話をしたときの構成は、
「私の個人的な体験」
+「自閉症へのサポートのコツ」
という二部構成でした。

この時の意図は、

まず自分の体験をお話しなければ、
聞いてくださる方が、本当の意味で共感することができないだろう、
この講演の目的は、「支援の輪を広げること」「支援者になっていただくこと」だけれども、
そのためには、自分の痛みをお話しすることが不可欠だ、

そう思ったんですね。



この「親の体験」を語ることを、
「ペアレンツ・トーク」と言うんだと知ったのは、
2003年夏のTEACCHトレーニングセミナー愛知でのことでした。

トレーニングセミナーでは、自閉症の方(協力者)への実際の支援を行うことで、研修生のスキルアップを図ります。
そのためには、自閉症の方ご本人と保護者の協力がないとできません。

そのトレーニングセミナーの最初で、親御さんにお子さんとご家庭のことを語っていただく。
それを聴いた研修生は、親の気持ちを理解することができ、
協力者を、単なる「客体」としてではなく、
愛し愛されて育ってきた存在として尊重し、支援のトレーニングにのぞむことができる──TEACCHの基本原則「親は共同治療者である」が、端的にあらわれたプログラムだと思います。

──ちなみに、『ぼくらの発達障害者支援法』にも、
「2章 耳をすませば…」というパートがあって、
それは発達障害者支援法の成立を願って寄せられた親の生の声がつづられていて、
これが、この本の中での「ペアレンツ・トーク」になっています──



でね、

こうままは、NPOも立ち上げられているし、サポートのための勉強会もこれまで多数開催されてきた。
でも、「ペアレンツ・トーク」は、あえてやってこなかった、というのが、前回の記事で私に言ったことばの意味なんですよね。
スケジュールや自立課題やサポブなどの研修は喜んでお受けしますので、NPO法人ゆうにご依頼下さいませ。
こう語る、こうままは、「支援者」としての講演者としてなら、ウェルカムだと言っている。

そうだね。



「個人的な体験」を語ることが、特別なんだよね。

たとえば、TEACCHトレーニングセミナーのように、
これから、実際に、わが子を託して、本人の大きな負担の上で、
支援者のスキルアップを図るというような場合や、

実際に、教室で日々教えている先生方に対してや、

専門家として、本人たちに接する立場の人たち、あるいはその卵たちに対して、

「今から、あなたたちが接しようとしているひとが、
 わたし(親)にとって、どんなに大切で、尊い存在であるかを
 わかってくださいね」

「こわれやすい、宝物をあなたの手に託すのです」

と、

そういう意味合いで、やむにやまれず、伝えようとしているもの、
それが、ペアレンツ・トークなんじゃないかと。

「支援者」としてのこうままと、
「親」としてのこうままは、
語る位置・スタンス、さらけだしている心、感情が、本当に違っているものだということ、

それは、こうままさんだけじゃなくて、
ウォーリーさんや、
たくさん、たくさんいらっしゃる、「親」みんなに共通のことなんだと思った。


それは、
未熟な私が初めての講演のときにやったような、ひとつの講演の中で、
「個人的な体験」+「自閉症へのサポートのコツ」
という二部構成であったとしても、
「個人的な体験」=「ペアレンツ・トーク」のしんどさ、傷つきやすさ、もろさ、
「何のために、あえて語るのか?」=その目的の大切さは、変わらないんだなあ。


「こわれやすい、宝物をあなたの手に託すのです」

という、信じて、託す、捨て身な「願い」──


だから、受け取ってもらえず、拒絶されたとき、
誤解され、わらわれたとき、
何かが、砕け散ったような、衝撃を覚えるんだろうな。


結論。

この特別なメッセージは、あて先も特別な人のためであるべきなんじゃないかな、
と思う。

この子たちを、託す大切なあなたへ

わたしの思いは届いていますか?  
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2007年09月27日

痛みの記憶〜語ること

■痛みの記憶〜語ること

「わが姉」と慕う、こうままさんは、以前、
「カイパパはよくやるよー。私は、絶対ムリ。講演で自分の一番つらかった頃の体験を話すなんて。絶対泣いてしまうから」
と語っていました。

その気持ちは、とってもよくわかります。

こうままさんは、「傷は治ったように見えても、痛みの記憶は今もここにある」と書いていました。(過去記事を検索してみた↓)

【過去記事】
・苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
こうままさんが、ある時、「傷は治っても、〈痛みの記憶〉は残っている」とお話されていて、ああそのとおりだなと思いました。
私が講演をしていた時、いつも感じていたのは、「せっかく固まったかさぶたを、思い出すことで、かき壊しているような気持ちがする」ことでした。
そこに「傷はない」のだけれど、「痛みの記憶」が残っている。

今は、元気に笑っていても、
一皮めくれば、苦しみや痛みはまだそこにある。

話すことは、「あの頃」のことを、追体験することですからね。
「伝えよう」と努力すればするほど、痛みがよみがえってくるものです。

講演中は(泣かずに)大丈夫でも、終わって少ししてから、ひどい落ち込みに襲われることが多かったな。私は。


でも、おそろしいことに、、、
こんな貴い体験も、数をこなしていくと「慣れて」しまうのだ。
講演で感情がコントロールできるようになった(=プロっぽくなった)ことを自覚したとき、

私は、
「もうこの話をするのはやめよう」と決めたんです。


だって、



社会的な意義があることは、よーくわかるのだけど、
私の体験、私の記憶は、ワタシだけの大切なもので。
「再生産」して、出荷し続けられるものではないから。

そう思ったんですよね…。



こうままさんが、今、これまで封印されてきたご自身のつらかった時のことを、語り始めようとしています。

すごいな。
みんなにも、わかるかな?
これは、捨て身の貢献なんです。

血を流してみせたからこそ、伝わる何かがあることは確か。


でも、どうか、
ご無事で、
ダメージは最小限で、帰ってきてね。

貴重な機会に臨席された方々は、どうか耳をすませて、心で聴いてくださいね。  
Posted by kaipapa2shin at 06:06Comments(3)TrackBack(0)

2007年09月22日

見守り

更新しない日々が続くとそれがフツウになるものなんだなと自分をみて、ウンウンとうなずいてみたりして。
ブログの無い毎日をここ数ヵ月過ごしています。

更新がこれだけないので、多くの人にとって、ここも「また一つ更新の止まったアーカイブ」になったかなと想像しているのですが。





訪問者数を、ふと確認してみると、今でも200超は毎日来ていてびっくりします。

コメントで、更新を急かすような無神経なことはせず、優しく見守ってくれている存在をそこに感じたりして。




ひっそりと小さな声で、友に語りかけるような、そんなふうならまた始められるかな?
何かの役に立つわけでも、熱気とはほど遠いジミなトーンで、書きはじめてみようかな。  
Posted by kaipapa2shin at 09:47Comments(6)TrackBack(0)

2007年05月16日

気がついたら1か月

■気がついたら1か月

 気がついたら1か月blog更新があいてしまいました。

 1年間の「他人の釜のメシ」をいただく修行が終わり、4月から元のカイシャに戻りました。新しい配属先で、多忙な生活をしています。

 ふと、昨年はどうだったかな?と過去記事をめくってみたら、ちょうど1年前の5月16日の記事にこんなことが書いてあって微笑ってしまった(^^)

・カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル(2006年5月16日):仕事らしい仕事
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50586659.html

 職場が変わって、4月から研修を次々と受けてきました。新しく学ぶことばかりで、目をパチクリさせながら、吸収を続ける毎日です。

 そんな中、昨日やっと初めて「仕事らしい仕事」ができたと思える瞬間がありました。うれしかった。

 今日はもっとフィットしていく実感がありました。

 振り返ったときに、「あの日だった」と思い出せるように書き留めておきます。
 ふふふ。思い出した。それで、今日記事を書いておこうと思いました。

 現在の自分は、仕事において、自分の歯がゆさを感じている時期です。

 それは、1年間の他流試合で成長して、「目線が高くなった」ことが原因かなと思います。

 仕事のアウトプットは、能力だけじゃなく、仕組みと環境に支えられている部分がすごく大きいと知りました。「仕組み」があれば、個人能力のばらつきに(大きくは)左右されずに、一定のクオリティのものが生み出せる。「仕組み」がないか/貧弱なものだとすると、個人能力に依存する割合が大きくなり、個人の出来不出来でクオリティが激しく上下する。

 個人のハイ・パフォーマンスを追求するレベルから、「仕組み」を作りあげる仕事にシフトしたいというのが私の目標。だがしかし、「どこから手をつけたらいいのやら…」という模索段階が今は続いています。

 気持ちは不思議と明るいです(^^)  
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2007年03月25日

つれづれに

■つれづれに

 なんとなく日曜日に更新をする周期ができてきているので、特別書く気はなかったんだけど、つれづれにつづってみる。

 まず、これ。新聞報道から。

・時事ドットコム:脳神経網形成の関連遺伝子が異常=自閉症の早期診断期待−理研と都立病院
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007032500162

 詳しいプレスリリースはこれ↓。読みこなせる人は挑戦してみてほしい。

・日経プレスリリース:理化学研究所、自閉症に関連する遺伝子異常を発見など研究成果を発表
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=156125&lindID=4

 米国では、国家的なプロジェクトとして、すごいお金や人材を注いで自閉症・発達障害の研究をしていると聞いているけれど、日本でも研究されていて成果もあがりつつあるんだなというのが、素朴な感想。

「早期診断期待」とあるけれど、遺伝子異常と早期診断の文字を並べてみちゃうと、出生前診断のこととかを連想して、どぎまぎしてしまう。

【過去記事】
 出生前診断について、私は、こんなメモを書いていた。

・着床前診断に関するメモ(2004年09月14日)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6802802.html

・選べないからしあわせ(2004年09月16日)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/6837338.html

 現段階では、自閉症の出生前診断というのは、考えすぎかもしれないけど。いずれ、現実の問題として立ち上がってくるのかも。

 もうひとつは、ブログから。

・S嬢のPC日記 「しょうがい」に関しての表記もろもろ
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/da3307823ce950fa6670c1bf677d9c58

・かへる日記 (FRGFRG304) - ぼくは「他者」につきまとういろんな意味としての「障害」を漂白してから、ぼくは初めてそこで他者に出会いたいんだ。
http://d.hatena.ne.jp/ngmkz/20070321/1174452576

 カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルで、過去に書いた関連記事を、リンクさせておきたいので、お二人のブログにTrackbackしておきます。

【過去記事】
・【用語】チャレンジド=挑戦を受けた人(1)(2004年02月17日)
http://blog.livedoor.jp/kaipapa2shin/archives/129656.html

 できれば、上記の記事の冒頭に書いてある、「【用語】障害者(2003年12月29日)」からの一連の記事を追いかけてほしい。長くなるけど(^^;

 近況を少し。4月の異動が決まり、気ぜわしい毎日です。新部署では、深呼吸をして、周りをよく見て、まずはチーム作りから始めていきたいです。  
Posted by kaipapa2shin at 23:47Comments(3)TrackBack(2)

2007年02月28日

バンダナ

■バンダナ

 ふと思い出した。3年前こんな事件(過去記事)があった。

 校長が自殺するという結果を引き起こし、直接的ではなくても、書いた側にいる一員として、ブログを書くことの意味、影響、責任を考えた。

 この事件が話題になった時に、つぼみパパMLで、父親部のmotoyamaさんが、「養護学校では、よだれかけのかわりに、バンダナを巻いているお子さんが何人もいます。けっこうかっこういいですよ」と書いていて、私の目に、鮮やかな赤や黄色のバンダナを巻いた子どもたちの姿が浮かんだ。

 その時、自分が書きたいと思ったのは、「ファッション性を加えることで、ハンディもまた良しとなることもある」という提案だった。

 でも、今そのことを思い出してみると、そういう前向きな提案よりも、より深い感動を覚えるのは、バンダナを巻いてあげた親の気持ちだ。痛みも含んだ、切ないような、とてもあたたかい愛情を感じる。

 そして、その様子を「けっこうかっこういい」と見守る優しいまなざしの存在。

 ファッション性がどうとか小手先のことをいうよりも、バンダナを巻いてあげた親の気持ちがどんなだったか?を想像すること、この子たちを愛し見守る存在を想うことができたなら…。

 それができたなら、よだれやうなり声や色々なことを、あなたのお子さんと同じ、自分の仲間として見守れるようになる(なってほしい)。そういうことなんじゃないかな?

 そんなことを考えた。  
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2006年12月29日

私のワープロ&PC遍歴

■私のワープロ&PC遍歴

 3年半愛用(酷使)してきたPanasonic Let's note W2が壊れてしまって、新しいパソコンへの移行がようやく一区切りつきました。

 新機種は、NECのLaVie(家用)とThinkPad X60(モバイル用)です。

 今回W2がハードディスクがダメになってしまった際、バックアップが「今年の5月」以来更新していなくて、故障までの間のデータが全て失われてしまいました。さらに、メールのバックアップは、「2005年2月」で更新していませんでした。

 大いに反省をして、パソコンを更新するに当たり、ホームネットワークを組んで、万全のバックアップ体制を構築することにしました。無線LAN、無線プリントサーバー、LANハードディスク、外付けのDVDライターなど。
 やってみると、わからないことだらけで、自分がやったことを次回きっと再現できないナアと思いつつ「魔法の書(マニュアル)」を使って何とかやりました。

 私は、パソコンは文房具だと思っています。機械とかテクノロジー的なものには関心がありませんが、「気に入ったらとことん使い倒したい」と思っています。

 ふと、これまでの遍歴を振り返ってみたくなりました。

★私のワープロ遍歴

 私のキーボードに触れるようになったのは、ワープロからで、かなり古いです。

brother ピコワード(1986年 当時14歳)
 → EPSON WordBank
  →NEC 文豪×2機

 7年間で4台。

★私のパソコン遍歴

Mac LC520(1993年)
→Mac PowerBook145b
  →IBM ThinkPad(Win98)
   →Panasonic Let's note W2(WinXP)
    →NEC LaVie(WinXP) +Lenovo ThinkPad X60(WinXP)

5代目です。13年間で4台かー。

 どれも思い出深いです。

★キーボード稼業20年

 14歳で、キーボードをたたき始めてから、丸20年と今気がつきました。

 最初のピコワードは、10文字しかディスプレイに映らず、単漢字変換という、おっそろしいスペックでした。懐かしい。

 なんというか、「20年」というところに、驚きを感じますね。実家のコタツで、ピコワードを、目を輝かせて打っていたあの頃を思うと。たしか、今はなき「マツヤデンキ」でお正月に買ってもらったような気がする。

 当時夢見たこと(自分の本を出せたらいいな、みたいなこと)がかなっているなあ。

 ずーーーっとめんめんと続けてきたことがやっぱり自分の力になっているなあ。

 寿命が70歳までだとすると、年が明けたら、私も「折り返し」です。

「人生の向こう側」に到達です。

 もうピコワードじゃないから、後輩の指導とかもしていかなくちゃいけないわけです。

 1日1日を大切に、後悔を少なくしていきたいものです。

 なんてことを、愛機の数々を思い出しながら思っています。
 物を大切にしない私だけど、今もこの手に残る感触は、かけがえのないものだよ。ありがとう。

 こういった「遍歴」を思い出すと、当時のことが浮かび上がってきていいもんですね。みなさんの「遍歴」も良かったら教えてください!  
Posted by kaipapa2shin at 12:56Comments(5)TrackBack(0)

2006年10月21日

風邪をひきました

■風邪をひきました

 久しぶりに風邪をひいてしまいました。のどの痛みと鼻水、節々の痛み……典型的な風邪の症状ですね。思考速度も40キロ以下です(^^;

 今週は仕事のヤマでした。それを越えて、ちょっと油断したかな?

 流行っているようなので、みなさんも気をつけてくださいね。今から病院へ行ってきます!  
Posted by kaipapa2shin at 09:12Comments(1)TrackBack(0)

2006年09月27日

自閉症の人の”笑顔”

■自閉症の人の”笑顔”

つれづれに。

「自閉症の人の笑顔のために」と私はよく言ってきたのだけれど、ある人から「”笑顔”と聞くと複雑な気持ちがする」と言われたことがあります。

その人が言われたのは、自閉症の人の中には、「いつも笑った表情」をしている人がいるということでした。つらいときも、苦しいときも、表情が変わらない。顔は笑っている。

自閉症の人に共通する苦手として、「感情を適切に外に表すこと」があります。

うちのカイのように、どちらかというと、感情が表情に出にくくてクールな印象を与える子もいれば、常に笑顔になっている人もいます。共通するのは、表情の変化の少なさです。
(もう一方で、感情が激しく出すぎる、コントロールが難しい人もいます)

メインストリームの人たちが「どうやって無意識に感情を表情へ変換しているのか」詳しいメカニズムは知りませんが、考えてみると、この感情と表情のギャップは、自閉症が「コミュニケーションの障害」と説明されることと通じているのかなと思います。
感情→表情へと行く流れの最初に「自分のこの感情は何かを認識する」ステップがあり、そこに弱さがあるのかもしれない。

カイが突然激しく泣き出すことがあります。きっかけが何か全くわからないときがあります。昔体験したイヤだった記憶がフラッシュバックしているのかもしれません。全然ちがう理由かもしれません。そんなとき私が感じるのは、いつものカイのクールな表情の中にある「感情の混沌」の存在です。

「にっこり」と「にやり」と「にんまり」と「にやにや」と、同じ笑顔でも微妙にちがうニュアンス、実際の表情から感じとるだけではなく、こうした抽象的な言葉からも違いを読みとることがメインストリームの人たちの特性なんでしょう。
自閉症の人たちは、他人の感情の機微を読みとることが苦手だと称されるけれど、そもそも自分自身の感情を認識することにハンディがあるのではないでしょうか...

あの人は笑ってるから不満がない、とか、あの人は無表情だから楽しんでないと決めつけずに、「混沌」の中にあるその人の感情をくみとる意識的な努力が必要なんだなと思います。

そして感情も、成長するんですね。
最近のカイは、本当に本当にうれしそうに笑うときが少しずつ増えてきました。そんなときの満たされた気持ちは何物にもかえがたいです。  
Posted by kaipapa2shin at 07:44Comments(6)TrackBack(0)

2006年09月11日

愚痴と内省

■愚痴と内省

リクルートフェローの野田稔さんが、講演の中で「会社社長としての自分はリーダーとして明るく元気にメンバーを率いていかなければならない。バランスをとるために内省を大切にしている。内省のためのメンターを自分は持っている」とお話しされていた。

7月頃行き詰まって悩んでいたとき、心にたまるモヤモヤを何度もH.Suzukiさんに聴いてもらった。
そのときの私は、いかに自分が正当であり理解してくれない周囲がヒドいかについて論理的に証拠を挙げて説明した(つもりだった)。信念を持って糾弾するのだから、燃え上がるぐらい激しい攻撃を吐いていた。
H.Suzukiさんは黙って、時々うなづきながら聴いてくれた。批評めいたことは一切言わず、反論もせず。
私の勢いが収まり、話が終わると「また話しましょう。いつでも声かけてよ」と一言言って、あとは神戸のステーキの話なんかをするんだ。

話終わった後ひとりになって考えて、「一方的な糾弾をしすぎている」自分を見つけた。相手にだって「良い面」や「言い分」があるはずなのに。

そして気づく。「おれは愚痴を言っていた」と。

周囲の不当さを訴えていたつもりが、言葉にして話してみたら、ひたすら自分を正当化し成果があがらないことの責任を他人に押しつけようとしていた。フラストレーションの源は、力不足で変化を起こせない自分自身にあるのかもしれないのに。

愚痴だと自覚した瞬間、気持ちがスッキリとした。自分の未熟さが可笑しくなった。愚痴のイガイガを取り除いたら、そこに内省があった。

言葉にならず胸にうずまく思いは、見えない煙。
愚痴は黒い煙。
煙を出せば「あそこでくすぶっている愚か者がいる」と見つかってしまうが、それをおそれて吐き出さないでいたら窒息してしまう。

愚痴を吐いて吐いて吐きまくって、煙が晴れてようやく自分がみえてくる。
かっこつけず、いい子ぶらずに、「愚痴が始まり」でもいいんだ。

煙を出すには煙突がいる。
メンターは煙突。
煙突はただ「通す」。
煙が空に上がっていけるように。  
Posted by kaipapa2shin at 07:51Comments(12)TrackBack(0)

2006年08月07日

若さ、バカさ

■若さ、バカさ

岡村靖幸が歌ってたっけ。

若さ、バカさ、全部、It's alright♪

どうせ、まだまだ、未熟なバカなんだから、背伸びせず、ぼちぼちやっていきます。

イミ不明でごめんなさい(^^;
でも、自分にとって、大切なエントリです。  
Posted by kaipapa2shin at 23:36Comments(8)TrackBack(0)

2006年07月29日

スランプでした

■スランプでした

 スランプでした。まだ抜けきっていないかも。

 理由はいくつかあって、地道に少しずつ取り組んでいくしかないと思っています。

 奇妙な感覚ですが、ブログはずっと更新を続けていたような感じがあります。

 つまり、自分の頭の中で、ブログ記事を構想して書いて校正して構成して「はい。エントリ」ポンッ! というところまでシミュレーションして、済ませているふうなんです。だから、けっこうたくさんの記事を書いてきた充実感は残っています。不思議でしょ?
 理由としては、通勤時間が長くなったことが大きいです。往復3時間。その間ずっと考える時間があって、自己完結してしまう。実際にブログ記事をもう一度キーボードで打つことは、「一回書き終わった記事をもう一回打ち直す」みたいな感覚があって、あえてやらなくなってしまうんですね。たとえば、長文を打っていたらパソコンがフリーズしてデータが消えてしまった。もう一度イチから書き直す気にはなれないような、そんな感じです。

 ブログは、自分の中の「思考」を見えるようにまとめるための道具(=プロセッサー)なんですね。一般的に言っても、「文章を書く」ことは、思考を自分に見えるようにすることを目的とした「手段・プロセス」なんでしょう。

 それで出来た「文章」を使って、誰かに行動をしてもらうとか、誰かに報告するだとかいうのは、また別の目的(その2)なわけで、目的(その2)が存在しない場合は、一回思考を見えるようにできたら、それで目的完了です。

 今、こうやって久々に記事を書いているんですが、これは「書きながら考えて」いる状態です。
 最初に「スランプでした」と打ち込んだときには、それだけ報告して終わろうと思っていたのですが、途中から、最近の「脳内カイパパ通信blog」の更新状況の報告をしたくなって、さらに「ブログ論」めいたものに踏み込もうとしています。面白いから続けます。

 ブログをやる意味は、というか、私が考える、ブログ「で」やる意味は、

(1)自分の思考を見える形にするための道具・きっかけを提供してくれる

(2)自分のブログ上で、反応がついて、他人の言葉を聴くことができる
  (+アクセス数という形で、読まれていることを実感できる)

(3)他の人のブログを読んで、反応(Trackback)をして、協働して議論を深めることができる

(4)続けていくうちに、「仲間」ができていく。


 こういうことなのかなと思います。

「昔は面白かったな」と年寄りめいたことを思ったりするのは、まだ、ブログが本当に少なかった頃(といっても、6千〜1万ぐらいは既にあった時期から自分は始めたんだけど)は、他の人のブログをよく見に行って、「自分のブログも見て欲しい」という単純な動機で、テーマが共通するわけでもないブログに、コメントをつけたりして、またそこのブログ主も(当時は)ほぼ確実にコメントをつけた人のブログを見に行って、お返しコメントをしたりして仲良くなったりしていた。

 アクセスアップのためには、他人のブログを積極的に訪問し、コメントをつける――という戦略が自然に機能していた時代があって、人気のあるブログのLinkListに加えてもらえると、アクセス数の増加につながって誇らしかったりしていたっけ。

 時代は変わって、数百万とかブログがある今は、昔のブロガー同士の「親密さ」めいたものは、感じにくくなってしまった。そういう濃い目のコミュニケーションは、mixiに行ってしまった。mixiをちらちらみていると、みんな本当に律儀にコメントにコメントを返して、元記事が5行ぐらいなのに、コメントチェーンが50個ぐらい(それも3人くらいの参加者で)続いていたりするのを見かける。「内輪受けウェルカム」の気安さがよいんだろうね。
 しかも、「あしあと」(自分のmixiを、「だれが」見に来たか痕跡が残る)機能があるから、コメントをしていない人でも、「あしあと」を頼りに、自分のmixiの訪問者のmixiを見に行く、そこで交流が始まったりするみたいなことが普通に起こっている。

 mixiと比較すると、ブログでコメントをつけることは、すごく勇気がいること=ハードルが高いんだということがよくわかる。上で書いた「ブログでやる意味」のうち(2)から(4)については、mixiのほうが優れているんじゃないかと思う。

 だけれども、「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル@mixi版」を始めます!――なんて気にまったくならない自分の心情が興味深い。

 気にしているのは、mixiへ移るときには、けっきょく「セレクション(選別)」をやることになることかな。ブログは、「あけっぱなしの縁側」なので、誰でも入ってこれる。時には怖い人も、歓迎されざる客も来るかもしれない。mixiは、「監視カメラつきエントランス」みたいな安心感があって、それはそれで別の良さがあるんだけど。

 私のブログを、いったいどんな人が見ているのか(コメントなどがないかぎり)、ほとんど分からないのだけれど、毎日400〜500人の方が、更新があってもなくても訪問してくれている。この、愛読者さま(リピーター)との信頼関係が愛おしい、という気持ちがあること――

 とか言いながら、「脳内ブログ」を更新して、みんなとシェアをせず自己完結している私は、ブログを使ったコミュニケーションという部分では「スレチガイ」を起こしてしまっているみたいだ。こんな状態で、より濃密なコミュニケーションを求めてmixiを始めるという選択肢はナイのか――なるほど。

 やっぱりスランプですねぇ。
 でもこの記事は書いていてたのしかった。だからシェアします。  
Posted by kaipapa2shin at 13:05Comments(13)TrackBack(0)

2006年06月28日

お疲れモード…

■お疲れモード…

 書きたいコトはいろいろとあるのですが、ちょっとお疲れモードです。

 腰痛は、整体に通い、友人の助けもあり、収まりました。結局3週間かかりましたね。

 早くも夏バテかもしれません。
 元気回復のため、久しぶりに「愛読者様カード」をやろうかな。2005年4月以来、やっていないんだ…。  
Posted by kaipapa2shin at 21:18Comments(1)TrackBack(0)

2006年06月20日

火消しと真因

■火消しと真因

 仕事が忙しくて、日々発生する課題やトラブルの対処に追われています。火を噴いている状態をなんとかするための「火消し」。なんとか切り抜ければ、達成感もあるし、既に一日が終わっている――なんだか仕事をした気になります。

 この状態は、「就学相談会(懇親会)で思ったこと」の記事で書いた、「マクロの問題を考え続けること」と自分の中ではつながっています(kyonさん、ほしさんコメントありがとう!)。

「問題解決」は、「火消し=対処療法」のくりかえしのことではありません。

「なぜ、火事になったのか?」の原因を見つけて、そこの真の原因に対策を打つ⇒未然防止できる

 ここまでやって、初めて「問題解決」をしたっていえるんですよね。

 火消しをして、仕事をやった気でいる状態はマズイ。
「おれがいなきゃダメだろ」みたいな自分の存在価値を誇示するような仕事のやり方がまかり通っていないか?

 福祉や教育の業界で、スーパーマンのような人がいる、奇跡のようなサービスがある、憧れの事業所がある……すごく素晴らしいこと。でも、それが全国津々浦々の「当たり前」になっていないことが問題なんだ。

「問題」がある。それを「解決する人」がいる。「解決する人」は「賞賛」を浴びている。
でも、この「賞賛」の大きさが、「問題」の根深さと、その裏表として「解決レベルの低さ=火消しに終始」を証明していると、気づいている人は気づいているんだろう。

 これは、『ぼくらの発達障害者支援法』を書いて、自分が感じていることでもあります。

 火事はすぐに消さなきゃなりません。火消しは必要な仕事です。それと同時に、スクランブル状態を脱したら、腰をすえて「真の原因」を知恵をしぼって考えなくてはならない。

【参考図書】
 トヨタ生産方式の生みの親といわれる大野耐一さんの『トヨタ生産方式』を再読しているのですが、「なぜ?を5回くりかえして、真因(真の原因)を見つけ、対策をする」ことが、シンプルに語られています。薄くてすぐ読めるので、凡百のトヨタ本を読むよりも前に、まずは「原典」にあたることをおすすめします。

 トヨタ生産方式から私が気づいたことは、別の機会に書きます。

トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして
  
Posted by kaipapa2shin at 06:20Comments(7)TrackBack(1)

2006年06月09日

カラダのカナメ

■カラダのカナメ

 腰を痛めてしまって、だいぶ良くなってきたのですが、まだ完治にはいたらず…

 整体へ行って聞いたお話――

(1)腰が痛くなると、周囲の腹筋や背筋が緊張してコルセットのようになり、固定してかばう。
(2)そうすると、腹筋や背筋がその状態でかたくなり、痛めた腰の筋がもどろうとするのを妨げる。
⇒腰の痛みを長引かせる!

 コルセットになる、というのは感動的ですが、コルセットは適切な時期に取り外さなければいけません。徐々に柔軟性をとりもどさねば。

 それから、痛みがあると無意識に全身に力が入ってしまって、肩こりがひどいです。特に朝。目覚めた時に、からだがガチガチに固まっていると泣きたくなります。

 体の要と書いて、「腰」。

 そういえば、こんな過去記事がありました。

・【負傷】胸がズキズキ…(2003年12月28日)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/25075.html

 みなさんも用心してくださいね。  
Posted by kaipapa2shin at 05:56Comments(1)TrackBack(0)

2006年05月16日

仕事らしい仕事

■仕事らしい仕事

 職場が変わって、4月から研修を次々と受けてきました。新しく学ぶことばかりで、目をパチクリさせながら、吸収を続ける毎日です。

 そんな中、昨日やっと初めて「仕事らしい仕事」ができたと思える瞬間がありました。うれしかった。

 今日はもっとフィットしていく実感がありました。

 振り返ったときに、「あの日だった」と思い出せるように書き留めておきます。  
Posted by kaipapa2shin at 22:37Comments(1)TrackBack(0)

2006年05月07日

新しい一歩

■新しい一歩

 長い連休も終わってみるとあっという間でした。

 前半は疲れが出て、ほとんど寝ていました。回復してから、カイとお出かけをしたりして過ごしました。二人でのお出かけは「どれだけぶりだろう?」と思うくらい久しぶりでした。

 出版記念会の講演の最後に、私がこれから取り組むこと――として、「充電」を宣言しました。
「充電」の中身は、まず、家族と過ごすことです。

 この4年間、「外」でがんばり続けてきて、今やっと新米父親になったんだと思います。これからは優先順位を考え直して、家族で過ごす時間を増やしていきます♪

産業技術記念館
 写真は、産業技術記念館:トヨタ自動車が、豊田自動織機の自動車部だったころの研究室(復元)。

「カイは何を思う?」





パートナーロポット
 愛・地球博のパートナーロポットもいました。  
Posted by kaipapa2shin at 17:37Comments(6)TrackBack(0)

2006年04月04日

新たなスタート

■新たなスタート

 4月から職場が変わり、昨日が初日でした。

 これまでとはまったく違う環境で、仕事の内容も変わります。しばらくは研修の連続です。早く仕事内容を理解して、自分の役割をつかみたいと思います。

 ***

 カイは、保育園が終わってから調子を崩しています。きっと保育園に行きたいんですね……。毎日の「軸」になるものがなくなり、好きなことをしていても楽しくない、という状態のようにみえます。

 小学校は4月6日から始まります。新しい環境に慣れて「軸」ができるまで大変かもしれませんが、なんとか乗り切りたいです!

【お知らせ】
 4月23日開催の『ぼくらの発達障害者支援法』出版記念会の申し込みを4月7日(金)でいったん締め切ります。ご参加を希望される方はお早めに!

 ↓クリックして、ご覧ください↓

・ジョーの発達障害サポート研究室☆: ■【ご案内】『ぼくらの発達障害者支援法』出版記念会を開催します!
http://tamago-picture-world.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_6642.html  
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2006年02月28日

やじろべえ

■やじろべえ

 この3年間、「バランス」についてずっと考え続けてきた。

 自分はどうしてもやり過ぎてしまって、「ほどほど」という意味でのバランスがうまくとれない。1日とか1週間とかの単位で見たとき、仕事と家庭、余暇に使う時間とエネルギーの配分という意味でのバランスも、いびつだ。

「バランス」を気にするのは、1つには「やり過ぎ」てしまった時の疲労感・消耗によって、燃え尽きてしまうことを怖れるからだ。
 もう1つは、「本当は、他にもやりたいことがあるのに、やれていない」という、不幸せな気分につながっているからだ。

 歩いていてひらめいたのは、「やじろべえ」のことだ。

 やじろべえは、激しく右や左に動く。


 しかし、バランスを崩しているわけではない。
 激しく動くことで、バランスを取っている!



「ライフ・バランス」とか口にする時、「静かな生活」をイメージするけど、「やじろべえ」のようなバランスもあるんだと気づいた。


 やじろべえがどれだけ激しく揺れようとも、失ってはいけないのは「支点」だ。

 自分にとってのその「支点」が何なのか? 痛い目にあいながら僕もだいぶわかってきた。

 カイパパ@やじろべえ宣言

【参考(^^)】
・親・子・孫 やじろべえの曲芸 -せつめい
http://ppd.jsf.or.jp/jikken/jikken/35/howto01.html

・紙飛行機をうまく飛ばす科学 (1) ――― 飛行機が飛ぶわけ
http://hitomix.com/taruta/paperplane/default1.htm  
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2006年02月23日

つづっていこう

■つづっていこう

まとまったエントリを書く余裕がなく、「それだったら書かないほうがマシ」と思って更新をやめていました。久しぶりに、アクセス数をチェックしたら、それでも、毎日500人近い人たちが訪問してくださっている。

今の自分には、「知恵」につながるような、知識・情報を探し学び整理して伝える時間がない。それがカイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルの主な目的の一つであるのだけれど。

ただ思ったのは、コンスタントにこれだけのアクセスをしてくれている愛読者の皆様が、膨大にあるブログの中で、わざわざここを訪れてくれるのは、「カイパパが元気でやっているか」をたしかめるためなのかも、と。

今まで、僕は、たくさんのエントリを書き、情報を伝え、呼びかけをし、それに応えてくれる仲間たちの声を凝縮して、発信をする――そんなことを意識してエネルギーを注いでやってきた。

最初に「ブログ」を知ったとき、これは使える道具だと興奮して、使い倒してやろうと思いました。

僕はいつもそうなんだけど、メーリングリストでも徹底的に使い込んで、限界まで見てやりたくなる。メーリングリストもブログも道具だから、使い込んで、使いこなして、使い倒して、限界を見た――それはあくまでも自分にとっての「限界」ということなんだけど――ような気になる。

その時の感覚は、「解脱」したような気分を感じたりする。
「悟り」とかいうのは、かっこよすぎるし、そんな高尚なものではない。
むしろ「飽き」がきた――とか
「こんなものか」とあきらめる気持ちになった――とか表現するのが正しい気がする。
もっというと、依存状態からやっと脱却するような感じっていうのも似ている気がする。

ためしに、「2005年2月」「2004年2月」の過去記事を読んでみた。

――面白かった。

「伝えたいこと」があふれだしている。
それに較べると、今は……。

さえすけ父に、久しぶりに会って話をした時に、彼から「これからどうするの?」と聞かれて、自分の口から出たのは、「何もしたくないよ。もう充分がんばったし。限界を見たよ」ということば。
さえすけ父は、ふーんとうなずいて、「がんばった反動がきているんだね。そういう時期なのかもね」と言って、その後に「でもその反動の反動が来て、むちゃくちゃがんばっちゃう時が来ちゃうんだろうね」と予言めいたことを言っていた。

「分析」と「予言」のどちらも当たっているなと思った。

発達障害者支援法成立キャンペーンから『ぼくらの発達障害者支援法』出版まで、本当に知力・気力・体力を注ぎ込んだから。

今は、仕事の関係で勉強しなければならなくて、3月中に膨大な量の本を読みこなす課題がある。これは自閉症のこととは関係がないのだけれど、いい形でインプットが入れば、それが満ちた時、自然とアウトプットがあふれだすだろう。
経験的にいって、今は「ゴクッゴクッ」と新しい知識を飲みこんでいく時期なんだろうと思う。

最初に「ブログ」をやろうと思ったとき、「日記サイト」にはしないぞ、というのが自分の決意だった。いったい誰が、僕のつぶやきなんか聞きたがるだろう?と思ったからだ。

でも、自分にも「大好きなブログ」がいくつかあって、更新されているとやっぱりうれしい。大した内容じゃなくても、久しぶりに声が聞けたと思うとホッとしたりする。コメントもつけたことがないし、相手は僕のことをまったく知らないだろうけど。
うぬぼれじゃないことを祈るけれど、カイパパ通信にもそういう読者がいるんじゃないかと思う。

だから、つづっていこうと思う。
長く続けてきたブログだから。これからも続けていこうと思っているから。
そのときそのときの状態に合わせてやっていければいい。
たわいのないことでも、こうしてことばに残しておくことが大切なような気もするから。

――これから、こんなふうな日記みたいなエントリもまじえながら、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル続きます☆  
Posted by kaipapa2shin at 22:43Comments(13)TrackBack(0)

2006年02月22日

スケジュール

■スケジュール

 ゴールデンウィークまでの土日の予定がすべて埋まってしまった…

 うぅ…

 でも、「やる」と決めた以上、ベストを尽くすぞ!

 とりあえず「今」に集中。  
Posted by kaipapa2shin at 07:58Comments(2)TrackBack(0)

2006年02月02日

スカイダイビングの悲劇

■スカイダイビングの悲劇

「オ・ヤ・ス・ミ」の記事に、たくさんの方からコメントをいただきました。ありがとうございます(*^^*)。カイが、私に対して「好き好き」という気持ちをひんぱんにあらわしてくれるので、とてもうれしいです。私の状態はすこぶるいいです――という断り書きをした上で――封印していたエントリをアップします。
Subject: スカイダイビングの悲劇
Date: Mon, 22 Nov 2004 00:19:10 +0900

こんな話を考えてみた。

自ら障害をもつ、あるいはわが子が障害をもって生まれることは、それまでの人生がひっくりかえるような出来事だ。

見える世界ががらっと変わる。自分を支えていたものが崩れさったみたいで。

それはスカイダイビングで空に放り出されたみたいな感じかもしれない。
恐怖で目をつむり息ができない。

でも、空の中に新しい自由を発見することもある。スリルと背中合わせの「生の充実」を。
「自分は、今の方がしあわせ」と共通して語る人たちがいる。
それは負け惜しみややせがまんではなく心の底から生の充実、生きているはりあいを感じて語るのかなとも思う。

でも、僕は知っている――




虚空に放り出されて、「このまま、もういいや疲れた」と思う気持ちも決して消せないことを。



「パラシュートがあるのになぜ開かなかったのか、助けはすぐそこにあったのに」

と涙を流してくれる人がいると知りながら、

「もういいんだ」とあえてパラシュートを開かない選択もあるということを。

体の力が抜けて、ふわっと宙に浮かぶ感じ。苦しみを終わりにしたいから、終わりにするんだ――
そんな瞬間が自分にもあるから、私は怖い。

理屈じゃ無いんだ。

だから、自動で開くバラシュートがいくつも欲しい。下で受けとめてくれるネットが欲しい。
「終わりにしたい衝動」は完全に消すことはできないから。



パラシュートをあえて開かなかった人のことを悼む。底の見えない恐れとともに……
 この文章を書いた2004年11月22日の〈カイパパ通信〉の記事を調べてみたら、「120人の意見書」への意見を集めている最中でした。
 たくさんの方々の悲しみや不安・恐れに感応して、生まれ出たことばなんですね。

 スカイダイビングのスレスレ感、うっかりすると死んじゃう危うさは、私たちから完全に消え去ることはないのかな?
 だからこそ、私はこのブログを続けている気がします。
 私は考えます。
 もしも自分がパラシュートを開かない選択をしたときに、みなさんは何を感じるだろうかって――。きっとこのブログを愛してくださる仲間たちにとって、「あんなにがんばってた、カイパパでも"ダメ"だった……」という強烈なネガティブ・メッセージになるだろう、なんて。

 不安定な足場に立ちながら、それでも「勇気と知恵」を一貫して発信し続けようというストイックな決意――おまえは単に自分に酔っているだけだと言われれば、そのとおりかもしれませんが、けっこう、命をかけてるつもりだったりする。

「スカイダイビングの悲劇」をおそれるからこそ、『ぼくらの発達障害者支援法』のような「アカルイ未来」を必死で描いたりするんだよね。「スカイダイビングの悲劇」と『ぼくらの発達障害者支援法』は同じ思いの表と裏なのかもね。  
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2006年01月29日

ふつうの家族みたいな週末

■ふつうの家族みたいな週末

 この週末は、本当に、何年ぶりかぐらいに久しぶりに何も予定のない週末をすごしました。ふつうの家族みたいでした(←この記事、2年前だ…)。
 前がいつだったか思い出せないくらい、久しぶりに、カイと二人でお出かけをしました。たくさんの成長ぶりを見せてもらいました。そのことを妻に言うと「そうだよ。カイ君は成長してるよ。ここまで来るのにどれだけのことがあったか」――そう、私は「どれだけのことがあったか」を知らない。

 いつの間にかうまっていく手帳――
 4月になれば、また大きく仕事の環境も変わるかもしれない――

 こんな本に手を伸ばしてみる。
「ねえ君、実に興味深いことがあるんだ」老医師は言葉を続けた。
「この世との別れをまさに告げようとしている人々から随分といろんな『後悔』について耳にしてきたけど、これまでに一度も聞いたことのないものを一つ教えてあげよう。
誰一人として言ったことのない言葉なんだが、一体何だと思うかね?それは
『仕事にもっと時間を割けばよかった』ということさ」P.25
 うなずいてみたりして――でもそんなことは言われなくてもわかっていた気がする。

 わが子の成長を、この目で、この手で、実感すること――
 それは、こんなにそばにあることなのに――
 仕事がある=「他人から求められている」――そのことに逃げ込んでいるのが、自分なんだと思う。

「ふつうの家族みたいだね」この言葉が、しあわせの言葉になるように――
 ふつうの父親みたいに、なるぞ、おれは。  
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2006年01月17日

体調がいまいちでした

■体調がいまいちでした

 先週は、微熱があったりして体調がイマイチでした。
 ようやく本調子になってきました。

「かがやき」の原稿も、最後の仕上げ作業が残っています。がんばろー。
  
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2005年12月30日

愛と誠

■愛と誠

 仕事納めの日の職場のリーダーの訓話が、なんだかとっても胸に響いたので紹介します。
 今年の漢字は、「愛」だった。愛・地球博の年だったことが大きいが、愛の欠けた事件や事故が多くあったという理由もある気がする。それも含めて、何か人間味のない、冷たい社会になりつつある中で、「愛」が大切だというメッセージのように受け止めた。

 自分は、「愛と誠」が大切だと思っている。昔、このタイトルの劇画があったんだけど知っている人は少ないかな。なんだか笑われそうだけれど。
「誠」というのは――自分に誠実であること、他人に対して誠実であること、仕事に対して誠実であること――だと思う。今、そういう誠実さが失われている気がする。

 我々の仕事は、「愛と誠」が必須だと考えている。

 来年の漢字に「誠」が選ばれれば一番いいけどね(笑)
 そんなことをみなさんにお伝えしたかった。来年もがんばっていきましょう。


 年末年始、更新をお休みします。たまには接続を切って、のんびりすごします☆
 みなさんも良いお年を!  
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2005年12月24日

願いごとがかなうとき

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■願いごとがかなうとき

 今年は、3つの大きな願いごと(目標)を立てていました(ひとつは『ぼくらの発達障害者支援法』の出版)。

 12月22日に、3つめの願いが成就しました☆

「だめかもしれない」と思ったときもありましたが、3つとも願いがかないました。すべて妻の支えあってのことです。

 2005年は、間違いなく、一生忘れられない年になりました。激しく、充実していました。

 すべての人に感謝です。ありがとうございました!  
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2005年12月21日

【つれづれ】お酒のことなど

■【つれづれ】お酒のことなど

 年末ということで、お酒を飲む機会が続きます。
 私は昔は、トコトンまで痛飲するタイプでしたが、今は飲めなくなりました。ビールのジョッキ一杯で充分です。

 それでも、たまに飲みすぎる(=翌日に残る)ことがあります。「失敗するシチュエーション」には法則性があります。それはずっと飲んでいなくて「久しぶり」の飲酒の機会ですね。

 「限界」が「若い頃の自分」のそれにリセットされてしまっている気がします。
 だから、忘年会続きの今のシーズンは、逆に自分の飲める量を自覚しているので、ほどほどに楽しいお酒を飲んで気持ちの良い朝を迎えることができます。

 もう一つ気がついたことは――リラックスしていると、お酒は少なくても回る――。飲んでも飲んでも意識が覚醒している時は、警戒感や緊張があって楽しんでいない証拠――というわけで、早々に帰宅するに越したことはないですね。

 夜回り先生が「酒は百薬の長というが、依存性のある薬物の一種だと認識して気をつけなければいけない」と言っていた言葉を肝に銘じて。  
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2005年12月19日

大雪

■大雪

 今日は、今年一番重要な会議があるのですが、58年ぶりの大雪……ということで、時間どおり開始できるだろうか? 12月13日とは段違いの交通機関の乱れがおきています。いろいろあるなあ。今年は本当に。

 自分の心配もしなくっちゃ。早く行こう。

 みなさんもお気をつけて!

【追記】
 会議出席者のご協力のおかげで、予定どおり会議をとりおこなうことができました。みなさん、1時間から2時間早く家を出られたそうです。会議の結果も満足のいくもので、この1年間の集大成となりました。
 一所懸命やったことは報われるんだな。
 本当に、ありがたいことです。感謝の気持ちでいっぱいです。  
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2005年12月13日

雪ですね

■雪ですね

 今日は名古屋も雪です。
 早く出かけなければっ!

 雪といえば、川崎と東京の両方でお話した、釧路の玄ママさん。短い時間でしたが、私の中に鮮やかな印象が残りました。これからきっと何度もお会いする機会があるんだろうなと予感(^^)。
  
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2005年06月04日

気がついたら6月

■気がついたら6月

 気がついたら6月になっていました。
 忙しかったです〜。
 仕事の大きなヤマを越えました。

 疲れを癒して、本のことも進めたいと思います。

 私は元気です。  
Posted by kaipapa2shin at 09:27Comments(8)TrackBack(0)

2005年03月03日

■あー またやってまった!(名古屋弁)

 たくさんコメントをもらって「わーいうれしい」と読んでみたら、



 あれ?



 昨日の記事、そんな心配かけるようなこと書いたっけ?
 読み返しました。

 ……。
 あー またやってまった!(名古屋弁)

 すみません。昨日、久々のアクセス分析をして、言いたかったことは、

・コンスタントに月18000人も来てもらってうれしいけどプレッシャーもあるなあ。みんながみんな共感してみてくれているわけでもないだろうし。
・そういえばブログ開始一か月目に、来訪者数を学校にたとえた記事があったっけ。
・水銀報道からもう1年経ったんだ(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルのアクセスが増えたのはあのレポート以来だった)
 という感慨をこめて、軽くふりかえったつもりでしたが、筆がすべってしまいました。
 だけど、ひとつだけ知っておいてほしいことがあります。

 ぼくも必死で生きてます。そのことは、あなたと変わらないと思う。

 たたけばすぐにへこたれる。あまり、たたき甲斐のない個人サイトです

 この部分がよくなかったですね。みょうに深刻な印象。

 高校時代からの恩師に教えてもらったこと。

「他人の評価の影におびえない」

 何かをしたとき他人のリアクションを考えるあまり、自分で
「他人はこう思っているに違いない」
 と勝手に想像を作り上げてしまい、直接言われたわけでもない他人の批判の「影」におびえて萎縮するな――そういう意味だと思います。
 常に肝に銘じているつもりでしたがどうかしてました(^^;

 単なる愚痴ですが、年があけてから忙しく、疲れがたまっています。
 三月は、去年体調を崩したことが心に残っていて、なんとなく、またやるんじゃないかとイヤな予感があってイヤです。
 なるべく休めるときは休むようにします。

 ブログは、ますます手になじんできて、いい感じになってきています。やめる予定は今のところまったくありません。

 それから、今月は、「グッドニュース」をみなさんにお知らせできる予定なので、たのしみにしていてください。

P.S.
 コメントをくださった方々、びっくりするやら照れるやらうれしいやら(*^^*)。そういえば「愛読者様カード」も最近やっていなくて、ダイレクトに愛読者様の「顔」を見る機会が減っていたことに気がつきました。
 コメント返しがほとんどできないでいる私ですが、いつもコメント、Trackback、メールは丁寧に読ませていただき、はげまされています。
 いつも声をかけてくださる方、訪問してくださる方、本当に感謝しています。
 インターネットで発信を続けていくということは、ネットの向こうの生身の人に対する「基本的な信頼感」を持ち続けていくことなんだな。←と、これ以上続けると、また筆がすべりそうなのでこのへんで(^^;

 With love from me to you all!
  
Posted by kaipapa2shin at 06:10Comments(5)TrackBack(0)

2005年01月09日

笑っていたね

■笑っていたね

 告別式にて。

 ずっと涙がとまらなかった。

 友人代表の弔辞を聞いて、Aさんが最期まで弱音をはかず、病魔と闘ったことを知った。
 奥様の御礼のことばで、Aさんが優しく周りを思いやり、本当にたくさんのものをみんなに残してくれたことを知った。

 私は、Aさんによく「かっこいいですねー」と言いました。Aさんは「カッコつけなの!」と笑い飛ばしていた。
 だけど、本当にかっこいいんだから仕方がない。





 最後のお別れの時、花につつまれた顔を見て、妻が涙ながらに言いました。

「Aさん笑っていたね、すごいね……」

 たしかにそうだった。口元にほほえみが残っていた。





 その言葉を聞いて、何かが吹っ切れた気がした。

 早い旅立ちに、私はすごく悔しくて「憤り」のような感情を感じて混乱していた。

 Aさんは、ほほえみながら旅立っていったんですね。
 最期までかっこよく。
 私たちに、「大丈夫だよ」とほほえみかけながら。

 Aさん、あなたがいなくて、悲しくてさびしいけれど、そのほほえみに笑顔で応えたいです。

 私は、Aさんが誇りに思ってくれるような、「かっこいい」人間になります。

 ありがとうございました。
  
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