カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

日記

au iPhone6sのSimロック解除の入り口

名古屋はいいお天気です。お散歩にでも行きたいところですが、午前中いっぱいかかって、au iPhone6sのSimロック解除と格闘。。。やっとできました! 解除のためのページに行き着くまでが長かった……。後に続く人のためにここに記録しておきます。

・Simロック解除のお手続き | au
https://www.au.com/support/service/mobile/procedure/simcard/unlock/

お上品な「お手続き」のページを何度も何度も訪問していました。Simロック解除の「注意事項」がつらつら書いてあるのですが肝心の「どこから解除できるのか」がわからない。
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ページ内のこのスクリーンショットの「Simロック解除が可能な機種かどうか」を確認するボタンが、入り口でした!!

私は、「iPhone6sだし、ロック解除できるにきまっとるがや」(名古屋弁)と、このボタンをスルーして他を探していました。見事auの術中にはまっていましたね。。。

入り口さえわかれば、後のやり方はCNETのこのページでわかります。
http://japan.cnet.com/news/service/35080167/

さて、どこのSimに乗り換えようかな?

死ぬことに対するわきまえ

今日は定期検診のため病院デー。経過は良好。
だけど、最近の生活について「まだ1年しか経っていないのですから無理はしてはいけません」と主治医から苦言をいただいた。「また同じことが起きてはいけないので、くれぐれも休みを十分とって」と。
命を救ってくださった先生は、わたしが無理をしている様子を聞くと本当に悲しそうな顔をして心配してくださる。

やっぱり。今のわたしは「不安なことを忘れよう」としているんだな。

「元通り戻った」と自分自身を説得したくて、無理をしようとする。健康でいたい、元気でありたい、という願いは誰しもある。それはきっと、死への不安の裏返しだ。毎日「死ぬかもしれない」と思って生きるのは辛い。だから、無意識にネガティブなことからは目をそらし、自分自身は死から遠い存在なのだと思い込もうとしてしまう。

「起きたこと」をあたかも「なかったこと」のように振る舞っていれば、本当に「なかったこと」に、幻想の中では変わっていく。そしてたがが外れる。

死ぬことを恐れるあまり「健康」にとらわれ、「不健康」な自分を受け入れず、否定する。そういうことなのかもしれない。

最近読んだ『治りませんように─べてるの家のいま─』(斉藤道夫著 みすず書房)の最後に出てくる向谷地生良さんが語る「死ぬことに対するわきまえ」について、考えている。

「人が死ぬってことは、人は生きるってことだし、人を生かすことだし。その生きるための力として、はぐくみとして人は死ぬといってもいいと思います。極端なことをいえば、人は死ななければ生きていける」 〜同書P.245〜
「だから、弱さを絆にというときの究極のテーマは、まさにそこでつながっている。死でつながっている。そういう暗黙の了解が、みんなあるような気がしますね」 〜同書P.245〜

わたしが考えたこと──
人はみないずれ死ぬんだよね。死に至る過程で、「弱い」じぶんと必ず出会う。嫌だって否定したって、弱いものは弱い。折り合いをつけ、受け容れ、愛することができるか? 嫌悪して否定したまま消えていくか? どちらか。

そして、「弱く」なるのは、死の直前だけじゃない。
生きているなかで、「弱さ」はいつもそばに──いや、じぶんの内にある。
それは、病気というかたちに限らない。苦手だとか、不器用だとか、くよくよするとか、じぶんの好きじゃないところ、嫌悪し隠そうとするところに「弱さ」はある。

目をそらし、見ないようにしてやり過ごしても、いつかそれに飲み込まれる。
ゲドの最大の敵は、じぶんの影だった。恐れて、逃げ続けるかぎり、それはゲドを追い詰め、力を奪っていった。
認め、じぶんから影を追いかけ、向き合ったとき、影を吸収し、彼は完全性をとりもどした。

2か月間毎日更新達成

8月9日からブログの毎日更新を始め、2か月になりました。

毎日書くとなると、日常のちょっとした出来事や思いつきを日記みたいにつけていく感じになりますね。

じぶんは毎日更新しようと思えばできるんだと確認して、明日からはとりあえず休日は更新もお休みにしたり、しばらく更新の間をあけたり。ゆるやかにやっていきます。

今夜は、元上司と会食をしました。わたしがからだを壊したときに、力になって、支えてくださった恩人です。
美味しい食事をしながら、相談に乗ってもらったり、カイのことを話したり、とっても楽しい時間を過ごしました。

わたしをよく理解してくださる方から、少し離れた立場からのアドバイスは心に響きます。

がんばりすぎないように。
ひとにやさしく、じぶんにやさしく。
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夜回りカイくん

散歩とブログ毎日更新がいい感じで続いています。

おさんぽコースは、だいたい3パターンあって、一番頻度が高いのが「近所のスーパーパトロールコース」です。

スーパーに着くとカイはカゴを自分で取り、やる気満々。でも、買い物をするのではなく、陳列棚の中で「迷子」になった商品を見つけて「あるべき場所」に戻すのが彼のルーティン。

ほんとに目ざとく見つけて! これまた「あるべき場所」をよく記憶しているんですよね。

この前ちょっとこまったのが、季節限定の「栗キャラメル」。

野菜売り場に「栗関連の特設コーナー」ができていて、その中に「栗キャラメル」もありました。

ですが、1個しかなくて、品名の表示もない。いかにも「迷子」っぽい様子。おまわりさん(カイ)は、すみやかに「栗キャラメル」を保護しました。そして、お菓子コーナーへ急ぎます。
ところが、キャラメルコーナーには定番商品以外はなく居場所が見つかりません。

ぐるぐるお店をふた回りくらいして、やっぱり最初の栗特設コーナーが居場所だろうと(わたしが)判断しました。

カイは不満げでしたが、保護したつもりが誘拐になってはいけないので、おさめてもらいました。
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これです! 画像は森永商品紹介ページからお借りしました。

他人の否定的評価に応えすぎる傾向

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アンケートを例にして考えてみる。

たとえば、イベントを主催して、当たり前のようにとるアンケート。お客さんの評価を聞くために。

アンケートでは、ネガティヴな意見も返ってくる。
ポジティブな意見は「優等生的な、主催者に気を使っている」かもしれないが、「厳しい意見」には「おべんちゃら」ではない真実がある、だから「ネガティヴな意見こそが正直な意見だ」とおもう人がいる、って、まあ、これは、わたしのことなんだけど。

(実際にはイベントではないが)アンケート的なもので、29人の好意的な意見をもらったが、1人の強烈な批判意見をもらって、落ち込んだ。
自分なりに、挽回するための改善案を考えた。一応の案ができてひと区切りついて冷静になってみると「あそこまで1人の意見に心が引きずりおろされることもなかった」と思う。

1人の否定的意見によって29人の意見が「0」になるような影響をたやすく受けてしまうようでは、危ないと思った。

これって、誰からも嫌われたくないだとか、100点をとりたいとか、そういう志向の現れなのかな?

まだまだだなぁ。

おれは花嫁の父親かっ

最近も夜のお散歩つづいています。だいぶ涼しくなりましたが、いいペースでカイが歩くので、帰る頃には汗が出てきます。だいたい1時間ぐらいでしょうか。

「決めごと」の多いカイは、わたしと歩く時は必ず手をつなぐ、のではなく、
ひじをあげた腕と腕を組むスタイルを強要してきます。

まるでヴァージンロードを歩く花嫁の父親のよう。

いつか「決めごと」も変わっていくと思うので、とりあえず「味わい尽くす」ところまでつきあいます。肩がこるんですけどね。

【日記】iPhone6s

iPhoneを新調しました。前のがiPhone5だったので、3年ぶりの更新です。クーポンや下取りや月々の割引で、毎月の支払額は少し高くなるだけだというのが、よくわからないですね。これなら買い換えたほうがいいってことになる。長く同じ機種を大事に使うことが奨励されてないというか。かといって、下取りしてくれるわけだから、古い機種のニーズもあるんだよね?謎だ。

今回、スーパーアップグレードキャンペーンに登録してみました。1年後に新機種に乗り換えた時に、機種代金の残り7か月分が無料になるというもの。たぶん下取りと同じような額の割引なんだけど、iPhone7がよかったら変えたくなるかもしれないと思って。機種変更しなければ払った分のキャッシュバックがあるのでどちらにしても損はなさそう。

plusにするつもりだったのですが、重くなったと聞いてやめました。それは正解だったかな。

カメラやビデオが良くなってるとか、これから試していくのが楽しみです。

そんなにあわてて予約したわけではないのに、発売日翌日に手に入るとは少し驚きました。iPhoneというと行列…のイメージでしたが、今年からは完全予約制になったんですね。手続も30分で終了。システマチックでした。iPhoneもふつうの商品になってきたようで少しさびしいです。

【日記】休みにタスクは持ち込まない(ようにしたい)

シルバーウィークも残すところ、あと1日。
プロジェクト部企画会議に弟ファミリーの来訪と充実していました。

ひとつ「失敗したなあ」と思うのは、「連休中にやろう」というタスクを持ったまま連休を過ごしたことです。案の定、今まで手がつけられず、気持ちの中で「やらなきゃ」と感じ続ける状態でした。

やっぱり休みは心置きなく休めるように、休み前にがんばってタスクを片付けよう。

明日は、「仕事日」に設定してタスクをやり遂げることにします(はじめからこうやって割りきっておけばよかったです)。

お手玉めだまおとし遊び

この連休は弟家族が遊びに来てくれていて、にぎやかなわが家です。
わたしたちのおいっこ3歳児くんとめいっこ1歳半ちゃん。

お手玉をわたしのアタマに乗せて落とすだけで、爆笑し、
お手玉2個をわたしのメガネにのせて落としたら、大爆笑!!!

何がおかしいのッ?って思うくらい何度も何度もキャ〜〜〜ッと大笑いして喜んでくれます。
それを見て、大人たちも大喜び。
わたしは、ひとつの新しい遊びを発明した気分で鼻高々です。

こういう体験はほとんどしたことがないので、新鮮で、いやされますね。

【日記】くたくた

今日は忙しかった。くたくた。
でも明日は金曜日!

連休明けで風邪をひいている人がたくさんいました。
みなさんもお気をつけください。

おやすみなさい。

今日は記事にならない

何回も書いては消し書いては消しして、あきらめた。2013年4月のよっひーさんのことばを貼っておく。
 自分自身のことを振り返ると、結局「傷つけるとか見捨てるとか置き去りにするとか踏みにじるということに関して、なんで自分ばっかり常に気にしながらびくびくしてて、他の人は何も気にせず平気でそういうことができてしまうんだろう」という思いに、ずっと苛まれてきていたような感じがする。

 理想の教育とか、理想の食事とか、理想の憲法とか、理想の社会とか、そういう「器」を美しく整える議論は今も活発だけど、その中身である人間自身の「傷つけるとか見捨てるとか置き去りにするとか踏みにじる」という感覚に関しては、誰もがこれからも無視し続けていくんだろうと考えると、憂鬱だ。
 自分は神様ではないから、上段に立って「俺様ができていることを貴様らはできてないんだ」なんて説教はできないけど、赤の他人に対して、配慮する、熟慮するという感覚を持ってほしいな、と思うし、持ってくれなければ、結局また自分だけがびくびくして生きることになるから、どこに行っても同じだ。
──壁とブロック:誰もいないどこかへより引用

【日記】夜の公園

夜のお散歩で、今日は珍しくカイが公園で遊びたがりました。

ぶらんこに、わたしも乗って、となりあわせでぶらんぶらん。ひさしぶりの浮遊感。気持ちよかったです。

なつかしい、ような気がするが、実際にカイが公園で遊べたことはごく少ない。
それでもよみがえるのは、数少ない大切な楽しい思い出だ。

今日のことも、覚えておこう。
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【日記】北へ南へ

今日は市内を北へ南へ。
こんなときの心強いミカタ「ドニチエコきっぷ」をたずさえて。
状況を変えようと思ったら、行動を変える、環境を変える。
その一番の手段は、会う人を変えること。
新しい世界が見えてきつつある。まだうすぼんやりとだけど。

【日記】今日はダウン

週末の活動の負荷が高かったため、今日はダウンしてしまった。
やっぱりまだまだ無理はできない。
「回復」期間もあらかじめ予定に入れて計画しないと。

三軒茶屋にて

今日は三軒茶屋にいました。細い路地に小さなお店がたくさんあって、おもしろい街でした。

居酒屋の壁に、

「いいアプリ見つけました!」

と貼ってあって、後からジワジワきました。

「旬のアユが入りました!」ならわかるけど、アプリですよ? お店に入ると「これこれ、これですよ、いいアプリ」とスマホで見せてくれるのでしょうか? 謎です。たしかめに入りたくなっちゃいますよね。

それから、これも。
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総務省統計研修所 「統友寮」

「ボールは友達」的な「統計は友達♪」感があってなごみました。

いちまるくん

今日は一宮に行ってきました。尾張一宮駅で降りるのは初めて。
新しい駅ビルには図書館が入っていました。

街で見かけた仕切弁。星の王子さま的な子が踊っていました。
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次の世代に渡していく

今日は、面会が2つ。
お会いしたお二人ともわたしより年上のかたです。経験にもとづく智慧を分けてもらう時間でした。

「残された時間を意識する」
「次の世代に渡していく」

このことが共通して、心に残りました。

それにしても。情報を広めようと本気で思ったら、手段が本当に色々あるんだな。
実際にずっと年上の人ががんばってやっていることを知り、おれも新しい手段を手に入れてみようと思いました。

いい日でした。

夏ばてカイ

最近のカイは朝の食がすすまない。夏ばてみたい。

食べることが一番の彼にはとてもめずらしい。というか人生初。

少し食べて、食休みして、もう少し食べて、最後はデザートのヨーグルトやゼリーを返品する。

こんなところも、大人になったなあと実感します。

無知でもじぶんの考えを言ってみる

4月に職場を異動して、会う人会う人「この道の先駆者」「この道ひとすじ」「エキスパート」で、聴くお話ひとつひとつが、そうだったのか!知らなかった!の連続です。

今日お会いしたかたも、じっくり時間を取っていただいてお話させていただいたのは4月以来2度めでしたが、出る言葉がすべてピカピカ光っていました。

思ったのは、こういう貴重な場面では、「無知を承知でじぶんなりの考えを語ってみる」ことが大事だなということです。「こいつ何も知らないな」と思われますが、そのことによって、わたしの知識レベルと方向性が伝わる。それが呼び水となって、わたしがそれまで知らない先駆的な取り組みや考え方を教えてもらえます。

師匠と弟子の対話ですね。弟子が、それまで学んだことをもとに得意げに師匠に語り、それをベースにして師匠から教えを受ける。このときに、恥ずかしがって、「何でもわかっている」顔をして、黙っていたら、賢く見えるかもしれませんが学ぶことができません。

聞くは一時の恥。聞かぬは一生のナゾ。

世界はナゾだらけなのだから、せめてじぶんなりに光をあてられるよう、明日からも恥さらして行こう!と思うのでした。

脳みそに汗をかく

今日は、脳みそに汗をかく白熱した打ち合わせをした。
じぶんは企画する人間なので、こういうのがいい。

そうそう無い充実した会議でした。いったん行き詰まって粘ったのがよかった。

じぶんたちでは限界、というところまで考え抜いて、それを新しい目で見てもらう。
そこから打開されて新しい地平が見えてくる。

【カイ】伸びざかり

近ごろ起きると毎朝カイの背が伸びている気がします。
16歳伸びざかり。あと1年もしないうちに、身長はぬかされそうです。
足の長さはすでにぬかされていますが。

感心するのはカイの姿勢の良さです。わたしが猫背なので。似なくてよかった。
骨のほそさと眉毛の太さと似ているところはあれど、
「かなわないな」と思うことが多々あります。

なんというか──人間としてすごいなと思うことがよくあるんです。
一緒に時間を過ごすとわかると思います。
ひとから好かれるんですよね。ありがたいことです。

真夏のカラス

今日移動中に、ふと目をやったら、太い枝に、カラスが。
暑い日に、カラスはどこにいるのかと思ったら、こんな都会の森のなかで羽を休めていた。
薄暗いから目立たないが、よく見ると5羽、10羽、20羽……
木と一体化した影みたいにじっとしていた。
写真は、撮らなかった。

1周年

今日は、1周年の記念日。
元通りとはいかないけれど。
生きている!
もうひとつの誕生日。
おめでとう。

【日記】雲

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【日記】あじさい

今日はつぼみプロジェクト部の「障がいのある人の暮らしとお金」セミナーでした。内容は、またプロジェクト部ブログで報告します。

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会場のとなりで咲いていたあじさい

今週は、低空飛行でした…。今日も体調がすぐれず、役割を果たしたら早退しようと思っていたぐらいでした。

でも、仲間と会って、企画会議をして。「ピントがやっと合った!」と思える瞬間があって、アタマが冴えてきました。

又村あおいさんは相変わらずキレッキレでサイコーでした。
会った瞬間から気持ちがシンクロして、エネルギーがチャージされる相手が世界にはわずかだけどいて、わたしにとって又村あおいさんはその一人です。

グループワークも、とってもあたたかくて前向きな対話ができて。セミナーが終わる頃には、心が晴れ晴れとしていました。

あじさいは土壌の状態によって色が変わるそうですが、わたしも同じだなあと思いました。いい人たちから養分をもらって色が変わる。
今日参加されたみなさんに会えてよかった。感謝です!

【日記】木の香り

養護学校(名古屋市では特別支援学校を今でもこう呼ぶ)高等部に入学したカイ。
レベル別で教えてくれるのが、とても合っているのでしょう。とても元気にうれしそうに毎日通っています。

大好きなのは「作業」の火曜日。一日作業訓練(ものづくり)をする。
園芸・紙工・手工芸・縫製・織物・窯業・木工と数ある中で、カイが何を選んだかというと──

木工でした。

とても意外でした。さおり織りやスウェーデン刺しゅうは経験があるから、それかな?と予想したのですが、木工が一番気に入ったようだという先生の見立てを信じて、木工を選択。

のこぎりの音も気にせずに、やすりをかけたりしているらしい。
どうやら、けずった木の香りが好きみたい。
そうか。カイはにおいフェチだけど、木の香りも好きだったのか。

とにかく火曜日はウキウキで、先週は駅の階段でスキップして足をぐきっとやってしまい、一気にブルーになったりしたほどです。

好きなことで少しずつスキルアップできるといいな、将来につながるといいな、なんてついつい期待してしまうけど、まずは、好きなことが増えにくいカイに好きなことが増えたことをよろこびたい。

見つけてくれた先生方に感謝です!

【日記】トントントントン

トントントントン ひげじいさん
トントントントン こぶじいさん
トントントントン てんぐさん
トントントントン 手は上に

10数年前に保育園で習った手遊びうたを、今になって急に歌い出すカイ。
当時は、無反応だったのに
記憶は不思議だ。

トントントントン 手は上に

かわいらしい声
幼いカイが、今の姿に重なる。

【日記】綾鷹

昨夜はねむれずに、つぶやきを書いた。
ふだんカフェインをとらないようにしているが、昨日はひとからもらった綾鷹のペットボトルを1本飲んだせいか。

実はあるブログから刺激を受けて、「ブログ書きたい!」衝動がめずらしく高まっている。
「ブログ書きたい」「毎日書きたい」「いろいろ書きたい」

書きたいことはたくさんある(ような気がする)。伝えかけて途中になっていることもあるし。
でも、完成やクオリティを気にするとアップまで時間と集中が必要で、
現状のわたしにはむずかしかったりする。

インターバルがあくと、ますます書けなくなってくる。

なので、

せっかく昨夜恥ずかしい、しょうもない記事を公開できたので、
「日記」カテゴリにして、日常のたわいもないことをちょこちょこ書いていきたい。

そのうちコーヒーのかわりに綾鷹が覚醒の友になるかもしれない。

ぜんぜん書いてないけど

けっこういくつも
密度が高い
濃度も濃くて
それでいて読後さわやかな
そんな記事を書いていた
脳内で

毎朝たくさんの
良記事のシャワーを浴びて
シェアしてひとことコメントつけて
頭よくなった気になって満足しちゃう

おれがこの世につけくわえることはないくらい
いい情報があふれているから

でもさ

生きて
息をするみたいに
ことばを吐き出すのが
おれの自然

きらくにいこう

transition

じぶんの周りで、大きな変化が起き始めている。

カイも仕事も草Pもプロジェクト部も。

重なっているのは単なる偶然ではなく、次のフェーズに移り始めているんだと思う。関わっている人たちが変化成長しているから。互いに影響しあっているから変わる時はシンクロして変わる。もちろんわたし自身も。

わたしはひとつのところに留まれないと思ってきた。飽きてしまってエネルギーが枯渇してしまうように感じてきた。
でもわかったことがある。長く留まることで、「ひとつのところ」が広がり、増えて、多層的に重なり、影響しあうようになるということ。

立ち去っていたら、知り得なかった。
注いだエネルギーは、循環し増幅されて戻ってくる。循環には時間がかかるから、すぐに立ち去ってしまったら、ひたすら一方向にエネルギーを注いで終わりになる。

変化には意味がある。
変わる時には大きく変わる。
こういうときは全てをコントロールしようとしてもできない。意味づけは後回しで感じよう。エネルギーはわたしのなかに落ち着き場所を見つけるだろう。

眠れぬ夜のやり過ごしかた

よく眠れるというのはそれ自体「恵み」だ。
身体は疲れているのに、目が覚めて寝つけない時、
パチッとスイッチを切るみたいに眠れたらどれだけいいかと考える。
卒園式
こんな夜は、あれだ、スーパー可愛いカコのわが子の写メなんかながめて、ほくそ笑んだりしてやり過ごすのだ。

チョコレート・ホリック

松坂屋のディスプレイ。チョコがだいすきでした。

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後列の大きなイチゴも気になります。(クリックして拡大)

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ピンクのFIATが可愛い。フィアットは名古屋の姉妹都市トリノ生まれ。

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大きな♡につつまれて

新年あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年はからだを壊し、体力と自信を失いました。
自分の足で行ける距離で、手で抱きしめられる近さで、顔を見て話せる範囲で、今ここで自分がいちばんやりたいことはなんだろう? できることはなんだろう? そして、実際に、役に立つ、ここから自分がいなくなったとき、後に残せるものはなんだろう?
それを考える。

2015年は、養生・回復の年にします。
じぶんのこころとからだに耳を澄ませて
進んで、助けを求められるようになります。

優しさは、「人」を「憂う」と書くんですね。
じぶんの弱さを認め、ひとの弱さを大事に思える
そういう人間になりたいです。

家族ともども、この一年もお世話になります\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/よろしくお願いします!
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大みそか恒例行事

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グレートバリアリーフ!

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ではなくて──をモデルにした名古屋港水族館「サンゴ礁の海」

大みそか恒例のカイとの名古屋港水族館詣でに行ってきました。生きているサンゴの飼育はとっても難しいそうです。動いている色とりどりのサンゴはとっても幻想的でした。
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2014年たいへんなことがあったけれど、こうして恒例行事を行うことができて本当によかった。また来年もヨロシクね♪

2014年のカイパパ通信を読み返す(1)

年末らしいことをしようと。
2014年のカイパパ通信を読み返しています。6月まで来ました。

愛知県自閉症協会プロジェクト部をつくる、という意思が芽生えて、実際に立ち上げて、ぎゅーっとテンションが高まっていく様子が伝わってきます。

「旗」を立てよう(2014年1月26日)
TPブログより〜父親部の発展的解消と「プロジェクト部」新設のお知らせ(2014年4月2日)
出会いには危険が伴う(2014年4月23日)
「統合」してスタート(2014年6月12日)

この後、7月に体調を崩して、ブランクが空き、トーンが変わるはずですが…
疲れたので続きは明日読もうと思います。

それにしても、どうして、じぶんはこういう人間なのか?
人見知りで孤独を好むのに、強烈に仲間を求める。じぶんのことを棚にあげて、強いメッセージを発信してしまう。照れるというか、恥ずかしい…

つまるところ、ブログは、個人のあたまの中のつぶやきが、おさえきれず声に出てしまう行為なんだなあとあらためて思います。
「他人の役に立ちたい」という思いは昔から持っているのですが。だいそれたことは考えずつぶやいていく、のがいいのかもしれない。

2014年は「統合」がテーマの年だったんだけど、2015年はどんな年にしようか?
「内省」というのが、パッと浮かんだ。内省には、停滞、躊躇みたいなイメージがあるけど。
にごりやよどみをとっていって、「透明になっていく内省」はいいかもしれない。

また考えよう。

回復のきざし

しばらく不調でした。
ようやく回復してきたかな?
さむいのはニガテ。あたたかくしていかなくちゃ。

これは友だちからもらった写真。勝手にタイトルつけた。

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「サーカスナイト」
上がったり下がったりジェットコースターみたい

秋の陰

気がついたら、秋分の日。前記事から3週間が過ぎていました。
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愛してやまない、おおはた雄一さんの傑作曲『おだやかな暮らし』に
欲しいものは おだやかな暮らし
あたりまえの 太い根をはやし
好きな人の てのひらがすぐそこにある
そんな毎日
という詩があって。
わたしは、わたしのおだやかな暮らしを一日いちにち感謝して味わっています。

ブログを書く元気はなかったけれど、カイパパFacebookページにはちょこちょこ投稿をしていて。その瞬間思ったことをメモとして残しています。並べてみると、断片的だけど、今の思いがにじみ出ているなと思います。
エネルギーが少ない時は、自然と省エネするようになるんだなあと実感。
シンプルは、力んでいてはなれなくて、力が抜けた(というか力が無い)とき、見つかるのかな?
たくさんのことはできないから、ひとつだけ。ひとつずつ。──9月16日

できて当たり前と思うより、大丈夫かな?できるかな?と思いながらやるほうが、じぶんには緊張が少ないと知った。失敗がこわいのは自己イメージとのギャップがこわいからなのかな。
もしこれができたらすごい…と思いながらやることは、ある種の挑戦で、できたときは純粋にうれしい。──9月17日

1日で10できていたことが、5しかできなくなったら。
2日かけてやるか。
誰かに手伝ってもらおうか。
それとも、いっそやめて、ちがうことをしてもいいかも?──9月18日

メモが「問いかけ」になっているのは、確信でもなく、言い聞かせるでもなく、わたし自身ふたしかで、ことばにして確かめているからなのだと思います。
乗り慣れていたはずの自転車に(それはかつて身体の一部のようだった)ひさしぶりにまたがり、ペダルやブレーキを確かめるように。
当たり前に動かせていたものが、初めてハンドルを握り、どう動くのかイメージはあるのに──実際にはちがった動きをする──御しきれないしろものにかわったかのような。

LIFEはひとつしか無いから。マリオのように何度もやり直しはできない。それが人の限界。あらかじめ決められていて誰にも変えることのできないルール。
だから、できるだけ、ていねいに、リスペクトしてあつかわなければならないもの。

最近のわたしの話すことは──どこか暗いので、「陰のある男に変わったんだよ」と宣言して、笑ってもらうようにしている。

荒んだ所々

うまく書けるかわからないけれど。

心が荒(すさ)むことについて。

完全に荒んでいる「人」は少なくて、時々、心が荒む「状態」があるんだろう。

「時々」というのは、「心の中に荒んだ場所があって、そこを踏まれた時のこと」なんじゃないかな。
だから、「時々」は「所々」でもある。

他の人にとっては何でもない一言が、荒れてもろくなっているバリアを突き抜けて、心の芯まで届いてしまう。痛い。

じゃあなんで、心の中に荒んだ場所があるんだろうか?

それは、昔、ひどい目に合わされて、痛めつけられ、傷を負い、まだ治りきっていないかさぶたなんだ。

いつも物事に動じず冷静な人が、あることにだけ、予想外に激しい反応をするところを見た。強い語気で大声を出していた。
驚きながら、なぜなのか考えた。

もしかしたら、そこに触れてはいけない傷があったのかと想像した。

僕にもあるから。心に荒んだ場所が。

怒りより疲れ

最近気づいたこと。わたしの感情の流れについて。

怒りよりも、疲れを感じることが多くなった。
大人になった、というかトシをとったせいなのだろうか。怒りが持続しない。「疲れ」というかたちで感情がしこる。
yozakura

怒りは、「期待」が裏切られたときに起きるそうだ。だから、怒りは「期待の裏返し」だと聞いた。そうかもしれない。だとしたら、わたしは「期待」をしなくなったのだろうか。

怒りはエネルギーが要る。エネルギーを消耗したくなくて感情をコントロールする。そのために有効なのが「あきらめること」だ。あきらめてしまえば、エネルギーも時間も節約できる。省エネ。

これは、学習された無力感と同じなんだろうか。違うのだろうか。

怒りや嘆き、悲しみ、妬みなど心をかきむしる「ネガティブ」と評される感情はエネルギーを消耗するものではあるけれど、行動の原動力としての燃料にもなる。

そう思うと、ただただ疲れを感じる状態は、悟りでもなく、ガス欠なんだろう。

年を取れば体力気力ともに若い頃のようではなくなる。疲れは、行動の選択肢をせばめる。ごく限られたエネルギーをどこに振り分けるか。行動を始める前の見極めが必要になる。だから──

あきらめてよいことと、絶対にあきらめないことを見極める賢さを、
その賢さを身につけることが「大人になる」ことなんだろう。

年をとる=大人になるじゃない。

タバにして進行

気がついたら、記事の更新の間が空いている…。

忙しくしています。日にちが経つのが早いです。

仕事が詰まっているので、同時進行で、複数の活動の企画や準備をしています。
疲れがたまって、少し体調を崩したりもしました。そういう時は、身体の声に耳を傾けて、休みます。

全体的に、オーバーフローぎみなんですが、逆に、ひとつひとつを深刻に考え込まず、「束(タバ)」にして、一緒に片付けられるものはないか?と考えると良いようです。関係ないと思っていたものが、意外と相性が良く相乗効果や手間の省力ができることもあります。

あとは、早めに、荒くても「叩き」をつくって、相手に出すことですね。対話で進めた方が早いしクオリティ上がる。ただし、起点は自分なので対話の素を早く出すこと。

忘れちゃうので、記録はその日のうちにシェア。これも、他人にも覚えてもらう「外部記憶」の活用です。

とにかく、ひとりで抱えないこと。
3月をサバイブしましょうね。

発信が連鎖して人がつながっていく

昨日の記事「啓発とリアル」についてhirata yasunori (@pori313)さんがツイートしてくれました。

「ぼくはここにいる」というセルフエンパワメント──とてもしっくりきます。ああ、たしかに。わたしも、日記カテゴリにしている記事は、ほとんどそれです。他人が読んでも情報価値がないなぁと思いつつ、ただ「こんなことしたよー」とか「こんなこと考えたよ」と表現して満足する。

一方で、「目的」を持った発信を意図して、行っている場合もあります。プライベートモードの発信と目的モードの発信を切り替えるスイッチがあります。

昨日の記事で、
最近思うのは、情報発信(啓発)だけでは、変わらないよね、ということ。
直接のフェーストゥーフェースの行動が、やっぱり必要で。それは、固有名詞のやりとりだ。
と書いたのは、目的(たとえば、入所施設での虐待を無くしたい)を達成するためには、啓発も必要だが、その次のステップや道筋はどうあるべきなんだろう?と思うからです。

最近色々なことがかみ合いはじめて、忙しくも充実感があります。いいことなんですが、それはわたしの自己実現でしかなくて、自分だけ気持ちよくなってどうする、ひとりよがりに過ぎない。何も現実は変わってないぞ……と思い、、、

今までと違う「一歩」を、探している最中です。

そんなわたしにとって、「心の姉」と敬愛するこうままさんが、2月11日に開催したイベント「大震災自閉っこ家族のサバイバル」は、大きな啓示となりました。

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イベントのちらし


・こうくんを守れ!!!:リマインド11日【2年11ヶ月】
http://koumama.seesaa.net/article/388260967.html

こうままさんのこのレポートを読むと、とてもたくさんの方々が関わっていることがわかります。

NPO法人ゆうの10周年記念イベントということで開催されているのですが、記念イベントを、内輪のものにする発想がそもそも無い。

一言で表現しちゃうと、「防災についての啓発イベント」なんですが、そんじょそこらのものとは違う。イベントを主催した経験があれば、わかることです。このイベントは凄い。時間と人手と想いが詰まっている。
「防災」をテーマでやると決め、高橋みかわさんの予定を取り付け、震災の映画上映、シンポジウム(登壇者との調整、打合せ、当日の進行)を組み立てて、300名を集めた。行政も巻き込んで(というかこれは行政は喜んでいるでしょう。市や県が自らやるべき内容ですから)。

わたしが、このイベントから感じたことは、「一人ではできないことを、たくさんの人が一緒になってつくりあげている」エネルギーでした。
イベントのテーマである「防災の啓発」は、一緒に運営する、同じ場に参加する、考えて話し合うことで、関わった人たちの中に取り込まれていく。イベントをつくり上げるために集まったことが、人のきずなをつくりあげる。

こういうことなんだろう。

いつも、始まりはひとり、
だけど、ひとに話しかけることでハートに火を灯す。
その火は、また次の人へとリレーされていき、
いつのまにかその一画は明るくてあたたかくなっている。

わたしは、イベントには参加しなかったが、ブログでレポートを読み、ひとたちの温もりを感じた。
啓発が「リアル」になっていくとき。必ず、明かりと温もりが、見えるんだと思う。そこには、絶対に、たくさんの人たちが集まっている。

わたしの次の「一歩」は、「ひとりではできないことを、たくさんの人たちと一緒につくっていく」ことなんだろう。

そして、ふと、気がついたのです。
こうままさんが、第一部に持ってきた映画「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」は、カイパパ通信で紹介して、……たしかこうままはそれを見て「上映会をやりたい」と言っていたのだった。
「ここに、これがあるよ」とわたしの小さな発信が、受信され、連鎖して、この素晴らしいイベントにつながったのだとしたら。

ムダなことなどひとつもないね。

啓発とリアル

今日こんな会話があって。

「情報発信が大事。さらに、発信をしていく!」

「では、発信の効果をどうやって評価するのか?」

「……」

何か、社会の中で、「変える必要がある」と意図するものがあって、やるべきこととして最初に情報発信があがってくる。つまり、啓発。

その前提は、
「知らないから、Aになっている」→「知れば、Bに変わる」
ということ。

それは、正しいかもしれない。そうでないかもしれない。

今日の議論は、その前に「情報が届いたのか? 知ってもらえたのか?」の評価ができていないよねという話だった。

知った「から」、行動変容が起きたのか。
知った「にもかかわらず」、行動変容は起きなかったのか。
それを評価する前提として、情報が届いたかを知る必要があるが、それは測れていない。

僕も、情報発信をやってきた。情報発信は、まず始めるのに、わかりやすく、取り掛かりやすい。「知ることから始まる」ということは、真実だ。

だが、届いたかどうか本当は心もとない。

測ろうとすれば、ブログの場合は、ページビューや訪問者数が、指標にはなる。
リピーターと初めての訪問者の割合なども知ることができる。
だが、誰に届けたいのか? 何を伝えたいのか? その効果は?測れてない。

そして、最近思うのは、情報発信(啓発)だけでは、変わらないよね、ということ。
直接のフェーストゥーフェースの行動が、やっぱり必要で。それは、固有名詞のやりとりだ。
個別行動だから、時間と手間とエネルギーがかかるし、摩擦も大きいが、その分その箇所には、インパクトがある。

情報発信が大事、と言ってることが、実はカッコつけてるだけの怠慢ではなかったか。
会いに行って、話し合って、場合によってはタタカッテ。そういう手間ひまが、現実を変える。

今さら、ですが。
そう思いました。

【読書日記】Tweet & Shout 津田大介著

今、「発信」のモデルとして最も注目している人が、津田大介さんだ。
Twitterで、彼をフォローし始めてからずいぶん経つ。きっかけは、歳が近くて、同じキャンパスにいたことがあって、中日ファンというところに親近感を覚えたからなんだけど。今では、有料メールマガジンも購読するほどに。考えてみれば、ほぼ毎日津田さんの発信に触れている。

著書は、動員の革命 - ソーシャルメディアは何を変えたのか (中公新書ラクレ) [新書]ウェブで政治を動かす! (朝日新書) [新書]を読んだ。

津田さんの本は、読みやすい。スッと読めてしまう。内容も、「知ってるよ」と思うことが多い。
だから意味がないかというとそんなことはない。彼は、ソーシャルメディアに深く関わっている人たちの世界と、外の世界を「通訳」として橋渡す役割を自覚的に果たしているから、津田さんの本を読むと自分の頭が整理される。

SNSを多少やっていて「知ってるよ」と思う人間が、「違うよ」と引っかからないことがすごいと思う。通ぶった解説をして墓穴を掘る人がよくいるけれど、津田さんの場合はその心配がない。

その中でも、今回読んだTweet&Shout [単行本]は、一番おもしろかった。自分が、音楽が好きで、ライブにもよく行くので、今回のテーマは興味深かったのだが、得られたものはそれだけではなかった。

あとがきにある内容紹介が、まとまっている。
本書は、インターネットが我々の日常に根付いたここ15年ほどの情報環境の変化が、コンテンツ産業(とりわけ音楽産業)にどのような変化をもたらしたのかを紐解き、クリエイターが既存の仕組みや資本に頼らず、自らプロモーションを行い、生み出した作品をリスナーや読者、視聴者などの消費者に届けるところまで構築することで、自由な創作環境を手に入れられるということを解説した、ある種のノウハウ本だ。

自由な創作環境を手に入れる具体的な方法として、津田さんは「300人を確保することだ」と言う。
「毎月500円の収入をもたらしてくれるファンを300人捕まえなさい」ということになる。500円×300人=15万円。毎月ファンが喜ぶコンテンツを提供し続ける対価としてげっ会費を徴収することで、ニュー・インディペンデントの柱が生まれるのだ。

確かにそのとおりで、毎月500円なら払いたい!と思うアーティストは私にもいる(津田大介さんのメルマガに630円払っている)。そして、300人だったら、エンターテイメントを目指す人がつかめなければ将来の展望もないだろう。

で、わたしは、自分が関わっているノンプロフィット(非営利)の活動も同じだと思った。
もし毎月15万円の収入が確保されたら、一人を常勤で雇うことができる。常勤職員がいると、活動の幅と質がぐっと広がる。
NPOの場合、月会費はあまり一般的ではないが、500円×12月=年会費6000円の設定は多い。この年会費を払ってくれるサポーターを300人集めれば、1人の常勤職員を雇うことができるわけだ。

笑顔を増やしていく活動という意味では、アーティストのやっていることと似た面がある(というか、NPOだから高尚だ、とか思っていない)。300人以上の方に「毎月500円払いたい!」と思ってもらえるような活動をして、実績を情報発信していくことを、まずは目指そうと思った。

本書中の、対談記事「アジカン」ゴッチと一緒に考える、3・11後の日本はおすすめです。

そうそうそれで。
3月1日に、刈谷で「NPOの「情報流通」促進事業フォーラム2014」というイベントが会って、ここに津田さんが来る。わたしも参加します。
こんなにも早く直接お会いする機会が来るとは! 楽しみです。



間違いが許されない呪い

「発信するぞ!」と力んだはいいけれど、なかなか首が回らない状況で。
あらいさんがコメントをくれて、一緒にがんばろう!という気持ちになりました。ありがとうございます。

タイトルに書いた「呪い」について。

組織の中で仕事をしていると、上の職制に説明してあげていく過程で、トコトン叩かれて、それはもうアラ探しのレベルでやっていくわけです。結果たしかにツルツルとした引っかかりの少ないアウトプットが出来上がります。それはもう見事なもんです。

が、時間がかかる! すごい労力だ!

コスト&スピードとクオリティは、シーソーみたいにバランスするもの。

時間がかかり過ぎるとき、「それは、オーバークオリティですよ」と言わなきゃなぁ。

と、この記事は15分で書きました。さあ、このままエントリー!

やっぱり日々書かないと!

ふと気がついたら、2月も1週間が経っていました。前記事は月末に書いたから、1週間エントリしなかった。不定期更新のブログだから、読者のみなさんも、TwitterやFacebookなどの更新通知があれば見に来てくださるというスタンスで見守ってくださっている。とわかっているので、心穏やかなものなんですが、こんなふうに「気がついたら1週間が過ぎていた」なんていうのはあんまりよくないです。

ブログを定期的に更新している方がわたしのポテンシャルはいい状態が保てるのです。

よく言われることに、情報のインプットとアウトプットのバランスがとれていることが大事というのがあります。

確かにそうで、日々インプットする、それを、咀嚼して自分の言葉でブログに書く。さらに考えを深め、何かしらの行動につなげる、そういうサイクルがわたしは理想と思っています。

インプットはしているんです。そして、Facebookでのシェアという形での「アウトプット」で満足しちゃっているきらいがあります。
でも、シェアは、単なる紹介なんですよね。探してきて、わたしのフィルターを通過した、という付加価値がついているだけで、「アウトプット」とまでは言えない。
シェアしようと決めた時に、浮かび上がったアイデア、感情、分析、が必ずあります。それを、深く考えて書き上げてこそアウトプットと呼べる。
速報的にシェアする意味もあるのだけど、自分には物足りない。

記事を書くには、シェアすることに比べて、エネルギーと時間が必要です。
でも、だからこその意味があります。

反省という言葉はしっくりこないので(反省しているわけではないので)使いませんが、「もったいないぜ」という気持ちがわいてきています。

同時に、もっと、文章が書きたい!ってモチベーションがわいてきています。
これはよいこと。

書くことは、バカをさらす行為です。「黙っていりゃ賢く見えていたのにねえ」
そう。書くことで、じぶんの無知や未熟や非情が明らかになる。書いたことによって、リアクションも受けます。

だがしかし、ブログは続けていくもの。
ひとつひとつの記事は完結したものでありながら、連続もしている、「成長」というひとつのプロセスとして。僕自身ももう一度そのことを認識したいと思う。

だから、これから、もう少し更新頻度をあげていきます。

長すぎるもの、難しい記事は、読めないよ。という声も直接いただいています。いろいろ、気楽な日記やつれづれなど織り交ぜていけたらいいなと。

もし、記事を読んで、カイパパに声をかけてやろうと思ってくださる方はぜひお願いします(≧∇≦)

このブログは、コメント承認制にしていますので、個人的にコメントを伝えたい場合は、コメントの中で、「非公開コメントです」とお伝えくださいね。わたしだけが読みます。

TwitterやFacebookページへのコメントも喜びます。

重力と俺

もう1月が終わる。最近は疲れがなかなか取れずにブログも書かずに寝てしまう。(今この記事は地下鉄で書いてる)

いくつもやりたいことがあっても、企画書さえ手つかずで、こうしてズルズルと時間が過ぎていってしまう。
人生の有限性は、時間と体力によって規定されている。

限られた時間とエネルギーを何に使う?
とりあえず、睡眠。
からだをイーブンな状態に戻さなくちゃ。

こんなこと書いてるけど、焦ってはいないよ。
重力のある星で、飛び続けることはできないから。ひと休みして、美しい夜空を眺めながら、歩くんだ。明日は新月。もうひとつの年の始まりだぜ。

「旗」を立てよう

今日は、お昼すぎに仕事が入っていて「にわか通訳」のようなことをやりました(もっと準備をしておけばよかった。先につながりそうなよい出会いでした)。

その後、ナディアパークに移動し、ぼらチャリパークに参加してきました(ぼらチャリとは、ボランティア&チャリティをくっつけた造語です)。ぼらチャリには、仲間たちがいろいろな形で出展していたから、ぜひ顔を出そうと思って行ったのだけど、思いがけなく師匠夫妻にも会えてうれしかった。

日本ダイバーシティ推進協会の「ぼらチャリ探検隊」(アイマスクと白杖体験ゲーム)は、広くて複雑な構造の建物の中で、大勢の人々の間で、初対面の人の導きで与えられたミッションをクリアしていくクエストゲーム。不安になりましたが、パートナーの声かけや手のぬくもりに助けられました。
よいゲームです、本当に。みなさんにおすすめしたい!!

それから、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」の手話を教えてもらいました♪

たくさんの団体が活動紹介を、くふうをこらして伝えていて、固すぎず、優しい配慮もされたよいお祭りでした。こういうイベントの企画運営はとっても大変だと知っているので、K君はじめ関係者のみなさんお疲れ様でした! 次も楽しみにしています。

日記パートが長くなってしまいました。

続けて、今日書いておきたいことを書いておきます。

友人の青木文子さん(青木文子司法書士事務所)が教えてくれた記事が、今の気持ちにすごくぴったりきたので紹介します。

・カジケンブログ:情熱を注げるものがもしあるなら、怖いけれど思い切って旗を立ててしまおう。
http://kajikenblog.com/?p=3386

この記事で、シリコンバレーでビジネスを立ち上げる準備をしている古賀洋吉さんの言葉を紹介されていました。
まだ勝負の土俵にすら立ってない僕たちがえらそうにいえる事はまだ何もないけど、「旗を立ててみて学んだこと」を3つ書いてみます。

1. ひとりぼっちで、「何かやります」という旗を立てるというのは、いざ自分でやってみるとわりと怖い事です。
(中略)

2. けど、何かやりたいなら、旗を立てるしかない。立てないと誰も支えてくれない。

3. 僕は旗を支えられるだろうかと心配していたが、それはそもそも間違った心配だった。夢がでかいほど、もとから一人の力ではぜんぜん支えられないのだ。
(中略)

僕の役目は無理して旗を支えることではなかった。旗を立てて、まわりの人たちが勝手に支えたくなるような夢を描くことだった。

すごくわかる。

12年前に「カイパパ」を名乗った時の気持ちは、まさに「旗を立てる」覚悟だった。

「旗」は重いから、腕は疲れるから、ずっとは掲げ続けられなかった。

仲間を集めたつもりだったが、まだその頃の僕は無理して「自分が」支えなければならないと思い込んでいたようだ。逃げ出すみたいにフェードアウトしてしまった。

それでも、ブログは閉じなかった。活動できていないことを恥ずかしいと思いながらも。

1週間前にこう書いた
昔と比較して思うのは、「ひとりじゃない」ということ。

何かを始めようと思う時に、昔、仲間がいなかった頃は、まずは「自分が全部やる」覚悟を決めなければ一歩を踏み出せなかった。「この指とまれ」を言い出す勇気は、「言い出したからには最後までやり切る」覚悟とセットだった。だから、緊張したし、悲壮感も漂っていた。

悲壮感は、手伝ってくれる人にまで、辛く当たってしまう精神状態をつくりだすので、仲間も自分も傷つけてしまったことがあった。

今は何かを始めようとするとき、「ひとりじゃ、やらない」と思える。「あ、これをやるなら、あいつと一緒にやりたい」と顔が浮かぶから、まずは声をかけて会って相談をしてみることができる。

また、旗を立てようと思う。
やりたいことがたくさんある。
ひとりではできないこと。

今度こそ、仲間たちと長い旅を。

よろしくね♪

あらためて自分のテーマを確認する

昨日今日と、それから金曜日に草の根ささえあいプロジェクトの会議もあったから、3日間続けて、2014年の計画を練る機会を持ちました。まだアイデア段階だけど、「やる意義がある」と心から思えるプロジェクトが見えてきて、わくわくすると同時に、がんばろうと緊張もしています。

昔と比較して思うのは、「ひとりじゃない」ということ。

何かを始めようと思う時に、昔、仲間がいなかった頃は、まずは「自分が全部やる」覚悟を決めなければ一歩を踏み出せなかった。「この指とまれ」を言い出す勇気は、「言い出したからには最後までやり切る」覚悟とセットだった。だから、緊張したし、悲壮感も漂っていた。

悲壮感は、手伝ってくれる人にまで、辛く当たってしまう精神状態をつくりだすので、仲間も自分も傷つけてしまったことがあった。

今は何かを始めようとするとき、「ひとりじゃ、やらない」と思える。「あ、これをやるなら、あいつと一緒にやりたい」と顔が浮かぶから、まずは声をかけて会って相談をしてみることができる。
何ができるのか、話すうちに現実化のイメージができてくるから、そんなに無茶な目標や無理なタスクを課さないようにあらかじめセーブができる。
限られた時間を使って、事業をやるときに、スタート時点での精神的な負荷が減ること、現実的なゴールラインを設定できることは本当に大きい。始めるための踏み出しが、軽くなるから。

それでも、緊張はある。だけど、経験と仲間たちが助けてくれるから大丈夫だ。

2011年にこのブログを再開した時から、カイパパの「リハビリ」が始まりました。そこから丸3年が経ちました。この3年間で得たものは、初期の頃とはまた違ったかたちで、わたしの世界を広げてくれました。今だからできることが見えてきた気がします。

そして、今日は専門家の立場の仲間と話をしていて、確認したのは、自分がやりたいと思うことは全て「エンパワーメント」につながるということでした。元々もっている力を引き出せるようになる、きっかけづくりがわたしの役割だと思った。それは、「カイパパ」を名乗った12年前からずっと変わらないこと。

ひさしぶりに『ぼくらの発達障害者支援法』(2005年にぼくがつくった本)を開いてみました。あとがきにはこう書いてあります──
ある朝起きたら世界が一変していた──なんていうことはありません。昨日の続きとして今日があり、明日は今日の続きなのだから。

「夢」を見続けて、一歩ずつ粘り強くアクションを続けていくだけです。きっと、これまで達成された偉業も、日々の努力に分解してみたら、「これなら自分にもできる!」ことが意外とたくさんあると思うのです。

そのための「力」は元々私たちの中にあります。そのことに自分が気づいていなかったり、抑えこまれていたりして、出せていないだけで。その力を引き出す「エンパワーメント」が、この本の根底にあるテーマです。

そして、このブログのコンセプトに掲げてある「勇気と知恵を与え合う」は、ブログを始める前の「つぼみパパメーリングリスト」の頃からの自分のテーマでした。

今日、十年来のつきあいの盟友と初対面だがブログは以前からの読者だったという方と、
「発信を継続していることで、情報を信頼して受けとめてくれる人たちがつながっている。個人ブログでも、よい影響を与えることができるようになっているのかもしれない」と話していました。

2014年は、新しいスタートの年になりそうです。
今年は、リアルで、みなさんとたくさんお会いしたいです♪

論理的であることによって、見えなくなるもの

論理的であることによって損なわれるもの、失われるもの、忘れられるもの、見えなくなるものについて。

論理的でありたいと思って努力して考え続けて「論理的な結論」に達する。鮮やかな一筆書きのように一気に説明できる。その時できる死角(盲点)がある。
論者にとっては、自明な結論とそこに至る論理であるため、他の道筋とゴールが見えなくなってしまう(意識から消去されてしまう)のだ。

すると何が起きるか。「説明」が、「説得」になってしまう。(だって、正しいんだから!)

競走馬が目隠しされて一心不乱にゴールを目指すように、決定した論理の道を駆け抜ける。

イメージ。
生い茂った木を、刈り込んで剪定して幹だけにしたのが、結論とそこまでの論理。
切り捨てられた枝葉については、「切り捨てた」記憶があるからまだよしとしよう。

問題は、他の「木々」の存在だ。

一人の人の心には、木が一本生えているだけじゃない。様々な木々が、自由な形で生えているんだ、きっと。
だから、時として同じ人間なのに、真逆とも思える人間性の発露があったりする。それは、たくさんの異なる木々が共生しているから。ジャングルまではいかないが、里山ぐらいの群生はある。

けれども、一本の木だけ丹精こめて整えると、その木しか見えなくなる。自分の中にはこの木しかない! このまっすぐに筋の通った木しか!!

もう、見えなくなってるから、自分では気づけない。だから、他人が必要。対話することで、目かくしが外れる。

論理にこだわる人が陥りがちかも。
論理を、主義や主張に置き換えても同じかな。
自戒を込めて書いた。

反響は頭の中で鳴り響く

強い批判を受けました。それは、誤解に基づくものではなく、立ち位置の違いから来る正当な批判だと受けとめました。

(私もその理屈はわかるし根本的解決ができたらいいのにと願っているのだけど、糸口すら見つからない)と今思い、沈んでいました。

根源的批判は、とてもパワフルで魅力的です。必要なもの。
でも、それが「0か100点かのどちらかしかない!」という原理主義とくっつくと何も変わらず、変えられず、現状維持でむしろ悪い方に流れると思っています。

整然としていない、白黒はっきりしない中で、地道な漸進主義で、進むしかない。短い時間しか、私たちの人生では許されていないから。

うん(´・_・`)

本当は手をつなげる人だと思うのに、伝わらなかった歯がゆさと、罵倒の衝撃とで、ゆらゆら揺らぐのです。
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