カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル

〜自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!〜

虐待

加害者を許したくない

事件から4日が経ち、いろいろな言説が発表されています。
いくつか読んでみました。
そして、はっきりと自覚しました。

わたしは、加害者のことを知りたくありません。

人間だから、ひとつぐらいは同情するような「事情」はあるでしょう。
ひととおり「したことは許されないことだ」と断罪した後で、「背景」に思いをはせてほしい、みたいなことが語られる。
だけど、そのように、加害者に「共感」したり「同情」したりしたくはないんです。

わたしは、加害者を許したくないんだと思います。

わたしは、加害者を覚えていたくない。
忘れ去りたいんです。

今日の朝礼で話したこと

神奈川県の障害者施設で起きた殺人事件
私のひとり息子は、カイというんですが、17歳で、知的障害と自閉症のある子です。
あの事件の影響で、今、障害のある本人も、家族も、すごく怖い、悲しい、不安になっています。

「障害者はいなくなればいい」
という加害者の主張が、メディアで垂れ流しされて、それを聞くたびに、うちの子が危険にさらされるような恐怖感がわきます。

みなさんにお願いしたいのは、あの事件が私たちをこういう不安に陥れていることを知ってほしい。
命を否定する、言動に耳を貸さずに、「わたしたちは味方だ」と守る側に立ってほしいということです。

近くにいる人が、そう言ってくれるだけで、支えられます。
それを今日はどうしても伝えたいです。

以上です。

主張のための殺人はテロ

昨日、私はこう書きました。
今朝起きた事件。衝撃を受けています。想像どおり、身勝手な「大義」を吹聴しているらしい。言及することが、男の思うつぼのような気がして、しゃべりたくない。。。

通常だったら、マスメディアでは流れることがない発言が──
もし、そんな発言を公人がすれば責任問題となるような発言が──
犯行の動機だからと言って、「差別発言」が、フィルターなしで流されてしまう。

差別発言の影響は、実際に拡散していく。
その発言に、傷つけられ、身の危険を感じる人たちがいる。
その発言に感化され、差別の助長に利用する人たちが現れるかもしれない不安がある。

私も、底知れない不安におびえている一人だ。

そして、私たちは、姿の見えない「敵」の存在を想像して、おびえて、消耗する。普段の生活ができなくなる。

これは「テロ」そのものだ。
自らの主張を広めて、社会を不安に陥れる「テロ」。
被害者の命は、主張のための「道具」に使われたのだ。

命を冒涜し「道具」扱いする行為をこれ以上許さないために、マスメディアは、加害者の「主張」をこれ以上流すことはやめてほしい。

この影響を眺めていて、自己の主張を世間に知らしめるために凶悪犯罪を犯してやろうと思う者が出るんじゃないか?
やれば、自己の主張が報道される、有名になれる、そのためなら、やろう──現状の報道姿勢は、このような動機づけにつながる危険性があると思った。

今の状態は、加害者の願望したとおりの状況ではないか。
もう加害者の「思いどおり」にはさせないでほしい。お願いです。

知ってもらいたい

今朝起きた事件。衝撃を受けています。

想像どおり、身勝手な「大義」を吹聴しているらしい。言及することが、男の思うつぼのような気がして、しゃべりたくない。
自ら出頭したのは、言いたいことを世間に吹聴するためだろう。人の命が、下劣な主張のために「使われた」……


ひとしきり風呂場で泣いてきた。苦しい、痛い。


日頃、犯罪被害者の氏名やプロフィールなんか報道する必要はないじゃないかと思っていたが、今、「障害者」としか報道されていない一人ひとりのことを知りたいと思う。

犯人の主張より、知りたい。

一人ひとりに名前があり、これまで愛し、愛されて生きてきたことを。
社会的障壁にはばまれて、たくさんの苦労があったけれど、この世界で楽しいことや好きなことを見つけて日々生きていることを。
たくさんの人が関わり、支えあって暮らしていることを。

生きること自体が偉業なんだってことを。
世界に知ってもらいたい。

自閉症の生徒に体罰で減給処分 千種区の中学教諭

名古屋市の公立中学校の特別支援学級で、担任が知的障害のある生徒をげんこつで殴り、けがをさせた事件の処分が発表されました。(事件について:中日新聞記事

・名古屋市教育委員会による懲戒処分:減給10分の1(3カ月)
・刑事処分:名古屋区検が傷害罪で略式起訴
(※この後、裁判所が略式命令で、百万円以下の罰金又は科料を科すことになる。Wiki:略式手続

教諭は昨年11月から休んでいたが、4月から別の中学校で復帰するそうです。。。
【引用】
 2013年5月ごろから、特別支援学級の生徒計5人の頭などをたたいた体罰も判明。教諭は昨年11月から休んでいたが、4月から別の中学校で復帰する意向という。「きちんとさせたいとの思いでやっていた。指導方法を改める」と話しているという。

思うところは色々ありますが、ことばが出てきません。
粘り強く、考えて、書きたいと思っています。

【カイパパ通信の関連記事】
特別支援学級の生徒殴る 名古屋市千種の中学校(2015年11月18日)
愛知県自閉症協会が名古屋市教育委員会へ要望書を提出しました(2015年12月03日)
名古屋市立中学校「体罰事件」被害者の母親からのコメント(2015年12月20日)
つぼみの会からの改善要望に対する名古屋市教育委員会からの回答書が掲載されました(2016年01月27日)

つぼみの会からの改善要望に対する名古屋市教育委員会からの回答書が掲載されました

平成27年10月に起こった「名古屋市立中学校の特別支援学級担当教諭による生徒への暴力」について、11月17日付の中日新聞等の各種報道により、知ることとなりました。

これに対して、愛知県自閉症協会・つぼみの会から名古屋市教育委員会へ「改善要望書」を提出しました。
名古屋市教育委員会からの「回答書」が、つぼみの会ブログに掲載されました

内容について検討して、名古屋市の特別支援教育が子どもたちにとって真に良いものとなるように、私も考え、発信していきたいです。

名古屋市立中学校「体罰事件」被害者の母親からのコメント

千種区にある名古屋市立中学校での自閉症のある生徒への体罰事件(事件について:中日新聞記事)について、愛知県自閉症協会・つぼみの会から名古屋市教育委員会へ改善要望書(全文)を12月1日に出しました。

改善要望書のことを知って、被害を受けたお子さんのお母さんからカイパパ通信あてにコメントをいただきました。
何度かやりとりをさせていただき、ご自身の「コメントを公開して、親の思いをみなさまにもお伝えしていただきたい」との希望がございましたので、お母さんの承認を得て公開させていただきます。

こんばんは、はじめまして。
私は、千種区内の名古屋市立中学校で特別支援学級担任による体罰を受けた男子生徒の母です。

同級生のママ友から、この度の名古屋市教育委員会への要望書提出の件をお知らせいただきました。

ありがとうございます。
非力を嘆いて来ましたが、大きな力になって頂けたことがとても嬉しく有り難いです。

私達なりに教育委員会の教職員課へ、どの様になっているのかとお伺いをしておりますが、警察の刑罰を受けてからの処罰になるそうです。

今回息子が描いてくれて発覚した体罰の絵は2枚あるんです。
ひとつは、新聞記事にも載せていただいたげんこつの絵です。もう1枚は、机に頭をぶつけられて泣いている絵です。
身体の震えが止まりませんでした。

drawing

げんこつだけでは無く、この行為により、頭に出来た広範囲な打撲になりました。
しかし、担任教師は、机に頭をぶつけたことを認めていません。

いつもニコニコと穏やかな息子ですが、まだまだ突然襲ってくるフラッシュバックに苦しんでいます。

学校で行なわれた体罰調査にも担任教師は他の生徒さんへの体罰を認めてはいません。

どこまで自閉症児と親を馬鹿にしているのか?
許せません。

この度は、自閉症協会さんからの息子の体罰事件について活動くださり感謝致しております。
ありがとうございます。
どうぞよろしくお願い致します。


以下は、カイパパの感想と考察です。

わたしは、机に頭をぶつけられている絵を見せていただいたとき、息をのみ、言葉を失いました。打ち所が悪ければ、重大な後遺症さえ起こしうる危険な暴力です。ご本人の痛み、ご両親のご心労と憤りはどれほどのものか……。

一方で、担任教師は、げんこつで殴ったことは認めていますが、机にぶつけた行為はしていないと否定しているとのことです。

わたしには、いずれが真実なのかを確かめるすべはありません。
ですので、一般的な話としての感想となりますが、重い知的障害のある自閉症の子どもが、「想像で」このような絵を描けるか?
わたしがこれまで自閉症のお子さんと接してきた経験から言って「想像で」描くということは考えにくいのではないか?と思います。

現在、警察が捜査中です。真相究明が待たれます。実はこれは、「知的障害のある人の証言能力」の問題(困難性)そのものでもあります。
知的障害のゆえに、記憶があいまい、証言がうまくできない、反対尋問に答えられないといった懸念から、起訴までいたらないことが多々あるそうです(※刑事罰は、起訴されて公判による判決がなければ科すことはできません)。
今回は、本人が描いた「絵」があります。この絵を「証言」としてどのように評価するのか?

今回の事件を、多くの当事者、当事者家族、支援者、市民が注目をしています。
捜査当局は、慎重な捜査を進める上で、「証言」の価値を正しく評価し、また、知的障害のある人が安心して証言できる配慮をお願いしたいです。知的障害のある人にも、適正な司法手続きの保障を求めます。

また、愛知県自閉症協会は、今回の事件を「警鐘」として受けとめ、教育委員会としての真相究明と再発防止に真摯に取り組むことを要望しています。
どうか希望と夢をもって成長できる教育環境を保障してください。よろしくお願いします。

愛知県自閉症協会が名古屋市教育委員会へ要望書を提出しました

<愛知県自閉症協会が名古屋市教育委員会へ要望書を提出しました>

中日新聞(2015年11月17日朝刊)で報じられた、名古屋市立中学校の特別支援学級での担任による生徒への暴力事件に関して、愛知県自閉症協会・つぼみの会が名古屋市教育委員会へ要望書を提出しました。

このような虐待が学校からなくなり、特別なニーズのある子どもたちが安心して成長できる場にレベルアップすることを心から願います。

・事件について(中日新聞2015年11月17日朝刊記事)
「特別支援学級の生徒殴る 名古屋市千種の中学校 50代教諭傷害容疑」
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20151117164136376

今回愛知県自閉症協会は、以下の三点について要望し、名古屋市教育委員会の対応を求めています。

1 本事件への対応として、真相究明と責任追及について
2 学校内での虐待防止措置の徹底
3 特別支援教育の質向上

・要望書の内容は、愛知県自閉症協会ブログをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/tubomi_no_kai_aichi/archives/47088963.html

特別支援学級の生徒殴る 名古屋市千種の中学校

これは書いておきます。

中日新聞2015年11月17日朝刊:特別支援学級の生徒殴る 名古屋市千種の中学校 50代教諭傷害容疑

名古屋市の公立中学校の特別支援学級で、担任が知的障害のある生徒をげんこつで殴り、けがをさせたという報道です。
名古屋市教育委員会は「調査中」ということで公表をしていませんでした。
学校は問題発覚後の10月28日、特別支援学級の保護者を対象に臨時の保護者会を開いて概要を報告した。しかし、通常学級の保護者への説明はなく、市教委は公表していない。市教委の担当者は「教諭らから聞き取り調査中で、事実だとしたら誠に遺憾で、処分を検討する」と話している。

障害者が被害者となった事件は、公表が遅い(されない)ことが多いように感じます。被害者が証言できないから?
この事件のように、殴った側が認めていても。

「いじめ」でもそうですが「なかった」前提で調査や対応すると「まずは隠そう」という心理が働いてしまいます。
「虐待」も同じです。「ある」前提で、調査対応をしていくことで、真実解明、原因特定、対策が可能になります。
被害を受けた生徒のケアを最優先に行うことはもちろん(同じ学級の生徒たちも心配です)、原因を解明し、再発を防止していただきたい。

殴りたくて殴る人はいないと思います。担任が指導に行き詰まり、手が出たのかもしれません。殴るにいたる前段階が必ずあったはずです。特別支援学級では、複数の教員が入っています。チームでの対応はどうなっていたのか。学校としての取り組みは?

「学校は、障害者虐待防止法の適用外だ」とよく言われます。そう聞くと「学校は虐待防止をしなくてもいいの?」と思ってしまいますがそんなわけはありません。
障害者虐待防止法29条にはこう定められています。
(就学する障害者に対する虐待の防止等)
第二十九条 学校の長は、教職員、児童、生徒、学生その他の関係者に対する障害及び障害者に関する理解を深めるための研修の実施及び普及啓発、就学する障害者に対する虐待に関する相談に係る体制の整備、就学する障害者に対する虐待に対処するための措置その他の当該学校に就学する障害者に対する虐待を防止するため必要な措置を講ずるものとする。

学校長の責任として、障害者に対する虐待を防止するため必要な措置を講ずるものとされているのです。

特別支援学級内でのチームでの対応と学校全体としてのバックアップ体制、虐待防止対策が求められています。しかし、対策を打とうにも、「虐待がある」と心のなかでは思っていても口に出せない。「ない」という前提で物事が進んでしまう。そういった職場風土が邪魔をしているように思います。

本気で虐待をなくすためには、目を背けたくなる現実があっても、直視するところから始めなければなりません。親も、教員も。訴えられない子どもたちのために。

【参考】「学校、病院が、障害者虐待防止法の適用外」ということの意味をコンパクトにポイントを教えてくれる記事です。
ノーマライゼーション 障害者の福祉2011年8月号「障害者虐待防止法の成立」佐藤彰一
2条では、前述のように、家庭、福祉現場、就労先の3種類の虐待を規定し、通報義務や対応スキームをおいているのであるが、3条では「何人も、障害者に対し、虐待をしてはならない。」と定めており、この3条に定める虐待と2条との関係をどう理解するのか整理が必要である。

本法では2条に規定する虐待を「障害者虐待」と呼ぶと規定しているが、障害者に対する虐待は、日常生活のさまざまな場面で生じていることは前述の通りであり、2条の規定からはずれる医療現場や教育現場における障害者に対する虐待を「障害者虐待」と呼べないのは、いささか日常用語とそぐわない。つまり3条に規定する障害者に対する虐待も、この法律を離れれば「障害者虐待」なのである。

【開催告知】10月25日:親と支援者とで虐待を本気でなくすセミナー

愛知県自閉症協会・つぼみの会では、10月25日(日)に「親と支援者とで虐待を本気でなくすセミナー」を開催します。

申込を開始しました。詳しくは、プロジェクト部blog@愛知県自閉症協会・つぼみの会をご覧ください。
http://tubomiproject.blog.jp/archives/43733766.html


さまざまな立場のみなさんと一緒に考えたいです。ご参加お待ちしております!

虐待が「できてしまう」理由

虐待の加害が「できてしまう」理由について考えている。

・FNNニュース:山口・障害者施設虐待 内部告発の男性、市の対応の遅さ指摘
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00294475.html

下関の障害者虐待の加害者がテレビのインタビューを受けている映像を見た。虐待などに身に覚えはない、と否定してたのが、映像を見せられて、男は
「(これは、ご自身では?)そうですね。すみません。(だいぶ強い口調だが、これは虐待?)そうですね。本人、僕ですね。(これは虐待では?)なりますね」と話した。

証拠を見せられて、あっさりと認めて「すみません」と言う。テレビのインタビューという非日常な状況で、映像を見せられて答える姿は、あまりにも無防備だった。否定できない証拠があるとわかり、あっさりと認めていた。叩くことが「悪い」ことだと、思ってはいるのだろう。それなのに、なぜ?手が出るのか。

怒号、罵声を浴びせ、崩れ落ちるほど強く平手打ちをする、威嚇して恫喝する、「暴力指導員」は、テレビカメラの前では普通の人に見えた。わたしの中で、そのギャップがもやもやしている。

障害がある人に暴力を振るうことは、「抵抗感」があるはず。そこを踏み越えていくきっかけ、動機、反復される理由が気になる。暴力を「正当化する理屈」がなんなのか?そこを、照射して明るみに出さないと、再発防止はできないんじゃないかと思う。

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報

山口県下関市「大藤園」障害者虐待の続報です。

・福祉施設で虐待の疑い 元職員に逮捕状
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150610/k10010109051000.html

・障害者施設の元職員を逮捕 山口、利用者を平手打ち容疑
http://www.asahi.com/articles/ASH6B3GPSH6BTIPE00J.html
先月28日、暴行の様子を撮影した映像がテレビなどで流れ、県警が事実確認を開始。今月5日、同園の関係者から告発を受けた。被害者保護と再発防止の観点から捜査を急いだという。複数の施設関係者が暴行する様子が映像に映っていることから、県警は、ほかにも犯行に関わった職員がいる可能性があるとみて捜査する方針。

逮捕されました。
障害のある人に対する暴行も、刑法犯に該当すれば、捜査され逮捕されるということです。

一方で、行政(下関市)の対応が適切だったのかについて、下関市議会の文教厚生委員会で6月9日に審議されています。真偽の様子が以下の記事で詳しく記されています。

・下関市議会議員 吉田真次のブログ:障害福祉サービス事業所大藤園内における施設従事者による障害者虐待について
http://ameblo.jp/s-yoshida706/entry-12037064390.html
メディアの報道を見ると、市が立入調査をしたにも関わらず、調査後も虐待が行われていたと勘違いする方もいるかもしれませんが、そのような事実は現在まで確認できていません。

あくまでも虐待は平成25年11月〜平成26年2月頃に起こったものであり、それが最近になって大きく報道されて、現在に至っています。

暴力をふるっている映像は立入調査後に市役所職員が初めて目にしたものであり、暴力をふるっている映像を見たあとに立入調査をして、虐待がなかったとしたわけではありません。

全職員に事情を聞いたにも関わらず虐待が確認できなかったのは、市の調査力不足もありますが、それ以上に大藤園の組織ぐるみでの隠蔽と調査に対して虚偽の答弁を行ったことが最大の要因です。

このブログでも指摘されていますが、組織ぐるみで隠蔽をされたため、立入検査をしても見抜けなかった。

いったい内部告発があった場合に、どうやって虐待の事実を発見していくのでしょうか。その方法が求められます。

たとえば、利用者に直接質問をするとか、保護者や施設を出入りする業者などに、「怒鳴ったり、叩いたりしているところを見たことがないか」尋ねるとか。行政の聴き取り技術の向上も、必要だと思います。

しかし、具体的にその聴き取り場面を想像してみると、「疑い」を持っている保護者も「お世話になっているから」とか「他に行くところがない」という負い目から、正直なことを口に出せなくなるのではないかと思ったりもして…

でも、そんなんじゃダメなんですよね。一番弱い立場に置かれた人を最優先で考えないといけない。

「これは犯罪だ」と認めて欲しい

前回記事で、わたしは「処罰」を求める気持ちを書きました。

なぜそう思うのかを考えてみました。

まず、虐待をしても刑事罰には問われなければ、
・抑止効果が働かない
・被害感情が癒やされない
と思うからです。

とはいえ。
「犯罪」であることと、裁判で「有罪」になることの間にはギャップがあります。
思いつくプロセスを書いてみます。

・警察が、立件を前提として捜査して証拠集めをする。
・被疑者を見つける。
・検察官が起訴をする。
・裁判で審理される。
・犯罪事実と故意が証明されて、有罪の判決がくだされる。

刑事罰を与えるということは、適正な手続に則り、証拠によって犯罪事実の認定がなされなければなりません。誤認で、逮捕や起訴された場合の起訴された人への影響は甚大なものがあります。

起訴して有罪の認定がされるだけの証拠が、被害者に知的障害があるために得られにくい、ということはあるでしょう。

しかし、虐待事実が明らかになったときに、「警察が捜査を始めた」と聞くことが少ないように感じます。それは何故なのでしょうか。被害者本人あるいは周囲の人からの被害の訴えがないからでしょうか。

「被害者が亡くなった」という極限までいかないと捜査もしてもらえないのか?と思ったりします。実はわたしは、そのことが悔しくて憤りを感じています。
客観的な数字に基づくものではない主観に過ぎず、「ひがみ」のような感情でしかないのですが、そこに、障害のある人が、障害のない人と比べて尊重されていないという「差別」を感じるのです。

せめて、捜査をして欲しい。「これは犯罪だ」と認めて欲しい。
そのことの積み重ねが、虐待の抑止につながっていくと思うのです。

なかなか冷静にはなれない──

「虐待」ってなんですか?

知的障害のある人への「虐待」の報道が相次いでいる。
その加害者は、本来は障害のある人を護るべき職員だという。

山口県下関市での「虐待」の報道。
わたしは動画は見ていません。
友人から話を聴いて、とてもじゃないが、今のじぶんの精神状態では耐えられないと判断しました。

わたしは、知的障害をもつ子どもの親です。
「虐待」の報道を聴いて、感じるのは、「絶望」です。
大切に育ててきて、成長した子を、信頼して託した相手が、人権を蹂躙して恥じることない人・組織だったとしたら…。想像しないではいられません。

本人は、被害を訴えることができません。
だから、加害者が刑事罰を受けることもないのでしょうか? 
裁判にたえられる「証言」がないから? 
知的障害のある人の「証言」は信用性が薄いから証拠にならない?

被害者が、知的障害のない人だったら、加害者が暴行罪や傷害罪で裁判にかけられて刑事罰を受けるのに。
死ななきゃ、裁判にもならないんですか?



「虐待」ってなんですか?
「暴行」や「傷害」より、酷い状態を示すことばのはずなのに、障害者への「虐待」は起訴もされず、刑事犯にならない。
これが、差別でなくてなんなんですか?

「禁止をして罰を与えれば、問題は止む」ほんとに?

カイパパFacebookページで、多くのかたに読んでいただけた記事を掲載します。

「禁止をして罰を与えれば、問題は止む」と考えている人は、素直な価値観の持ち主だと思う。たぶん、ストレートで幸せな人生を送り、そのような価値観を持つに至ったのだろう。それ自体は、その人にとって僥倖であった。皮肉ではなく──

自閉症の特徴として、「常同行動」というものがある。ピョンピョンはね続けたり、空中で手をヒラヒラさせたり、大きな声で電車のアナウンスをつぶやきつづけたり、人によって様々で、本人は困っていないのだが、周囲が不快になったり、授業の進行の妨げになったりするので、「やめさせたい」と思う。

「禁止をして罰を与えよう」と決めて、そのようにする。それで、問題が止むことはほとんどない。一時的に止むことはあるが、その後で、恐ろしい揺り戻しが来ることが予想される。

それでも、「罰」を与えることをやめようとしない。
なぜか? それは、周囲が「胸がスッキリするから」なんだと思う。逆に言うと、「罰も何も与えないことが、ストレス」だから、効果が無いと知っていても、罰を与えたがる。


「禁止したことを破ったから、罰を与えているだけだ。この子のためだ」という正当化は、本人のことをまるで見ていない。

それは虐待だ。と気づかなければいけないし、気づいていない人には伝えなければならない。

この投稿は、日本維新、みんな、結い、生活の野党4党が5月16日に、自宅にため込まれた廃棄物の除去を自治体が働き掛ける「ごみ屋敷禁止法案」を衆院に提出したことに対する批判記事を読んで、連想したことを書きました。

・藤田孝典氏:ごみ屋敷に住みたくて住む人なんていない 〜ごみ屋敷禁止法案のバカらしさ〜
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20140517-00035411/

禁止して罰を与えることで、もし障害が治るのなら、法律で障害を禁止して欲しい…
だけど、罰を与え拘束してなんとか矯正しようとした果てに、親でさえ「一緒に暮らせない」とおびえてしまう状態に人を「変えて」しまった結果が出ているのではないか…?

藤田氏が呼びかけているこの言葉が、わたしの胸に届きました。
「あなたが清潔で安全な暮らしを送るために何を手伝ったらいいですか?」と一緒に考えてほしい。

自らが“普通”を思う感覚と“違っている”ひとに向き合うのは、難しい。はっきり言って苦痛です。「住み分け」(セグレゲーション)は現実に進んでいるから、出会わずに、見ることも知ることもなく、やり過ごすことも可能。

けれども、わたしは、ルールが守れず、生活を組み立てられない、荒れてしまった家に住み続けるひとたちが、自分とは遠く離れた場所にいるとは思えません。

袖ヶ浦福祉センター養育園 両親が手記を発表

袖ヶ浦福祉センター養育園で、殺害された若者の親の手記が公表されました。

・NHKニュースウェブ:知的障害の息子暴行死で両親が手記
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140226/k10015551781000.html

この記事の動画を見てください。4分ほどです。左上の画像をクリックすると動画が始まります。

この手記の内容から、「親は異変に気づきながら、放置していたのか」という批判が起きることを心配しています。

子どもを預かってもらっている「負い目」と、県立の社会福祉事業団が運営している施設への「信頼」が、あったのだと思います。そのことは責められるべきことではありません。

私はここで、「親を責めるのは間違っている」と宣言しておきたい。

悪いのは、加害者です。
なぜ障害者の入所施設で虐待され、殺されなければならないのか? その危険性を予期する責任が親にあるのか? 責任があるのは、虐待した職員であり、それを見過ごした管理者であり、法人であり、県です。

──とはいっても、親は自分を許せないでしょう。自分の選択を責めて悔いていると思います…
私は、その気持ちに寄り添いたいです。
無念を晴らしたい。

微弱な電波を増幅するしくみ

表情に出ていないからといって、苦痛を感じていないと思っては間違う。

意味がわからない環境に置かれ、見通しのない行動をやらされて、ポーカーフェイスだから、何ともないと誤解してしまう。
今日も一日無事過ごしたと見なしてしまう。でも、本当にそうか。

何ひとつ納得もせず、強制されて動かなければいけない。そういう環境に私たちは置かれたことがあるか?
自分の周りで、自分のことを聞こえよがしにバカにされたことがあるか?

それは、いじめだ。

無表情に隠された苦痛を読み取らなければいけないんだ。微弱な発信を見逃したり、無視したりし続けていないか?

「言語で表現できない=意思がない」なんて、大きな間違いだ。イコールで結んじゃいけないものを結んで平気でいるのは罪だ。

・エルの引き出し:表出するために
http://ameblo.jp/eru-in-the-sky-with-diam/entry-11751179536.html
自傷や他害をしたくてする人はいない。
自分がそうしたとしても、平気な人はいないと思います。
自分も傷つけ、その記憶は消えないでしょうから…
不適応行動で表現してしまいがちなのは、拒否や要求といった思いを相手に伝える力が弱いから。
誤学習や未学習もありますし、周りの人が、うまく彼らの表出をキャッチしない結果、伝えるのをやめてしまうから。

続編も合わせてどうぞ。

上に引用した、尊敬する先輩お母さん、エルさんの最近の記事は、「本人が理解できる」「本人が使おうと思える」道具、方法を、こうかな?これかな?どうかな?とくふうをする過程を具体的に見せてくださっています。

微弱な電波を増幅するしくみ、それは、本人が「わかった!」「伝わった!」というよろこびを感じるサイクルのことなんだね。

「無表情」って言うけれど、「無」って何? 「無」じゃないんだよ。こっちがキャッチできていないだけなんだ。

この人たちには感情がある。豊かな感情が。

知的障害者入所施設での虐待を防ぐために〜Saussure氏の考察

袖ヶ浦福祉センター養育園での虐待死事件に関連してつぶやかれた、知的障害者入所施設の構造的な問題、職員の心理、資質、処遇について現場からの声をまとめさせていただきました。Saussure(ソシュール)さんは、神奈川県で長年障害者福祉にたずさわっていらっしゃる方です。私がTwitterを始めた早い時期からずっとフォローをさせていただいています。

・Togetter:知的障害者入所施設での虐待を防ぐために〜Saussure(@mamiyac330)氏の発言を中心として
http://togetter.com/li/609355

このまとめを読んで、わたしが思ったことは──

そもそも「入所施設が必要とされ、それ以外の選択肢がない」という状況を変えるしかない。
今現在入所されている方々にはそれぞれに理由がある。既に身寄りがない人も多い。それは事実。だがしかし、難しくても、あるべき姿を諦めてしまっては現状が固定化されてしまう。
一方で、すぐに、入所施設がゼロになるわけがない(ゼロがよいとも思わない)。だとしたら、今ある施設について、"弥縫策"と批判されても、少しでもマシな対策をしていかなければ、その努力すらしなかったら、「障害者は「棄民」として捨て去られ、忘れ去られた存在だ」という異議申し立ては、全く過去のものになっていないということだ(実際そうだ)。
Saussure氏の「現場を知って」という提起は、そのための議論だと認識しています。

そして、同じくSaussure氏の秀逸な批判的考察を、合わせて読んでいただきたいです。

・Togetter:「社会福祉法人における「公設民営」と「指定管理制度」の問題」
http://togetter.com/li/609874

こちらは少し長いですが、上記まとめで描かれる職員の閉塞感の背景にあるものを明確にシてくれています。内容は、

(1)知的障害者入所施設で威圧的指導が常態化する理由

(2)重度知的障害者の施設が、不人気職場故の人事異動の偏り(就職したばかりの若手をあてがう等)

(3)県営施設を指定管理に出す根源的弊害

が指摘されています。

わたしが見聞きしてきたことと指定管理者制度(*)について思っていたことが、端的にえぐりだされています(残念な実情として)。

このまとめは、問題提起です。解決策は書かれていません。そもそもどこからどう手を付けたらよいのか、暗澹たる気持ちになります。これまで延々と抜本的な改革がなされずに来たことには、その原因があるはずです。
それは、そもそも入所施設が、「そのようなものだから、そのようになってしまう」とさえ、思ったりもします…
でも、それは思考停止です。現実の虐待を止めることができません。具体的に考えないと。

12月30日の記事「千葉県立袖ヶ浦福祉センター養育園について」と合わせて、お読みいただけたらと思います。

*指定管理者制度とは、小泉内閣の時の行財政改革の目玉のひとつとして2003年に導入されたものです。
それまで、国や地方自治体が設置した公の施設は、直営か、特別な第三セクターの団体しか運営ができないとされていましたが、民間事業会社やNPOなどが参入できるようになりました。多くの場合、公募をしコンペによって受託者を決定しています。

千葉県立袖ヶ浦福祉センター養育園について

おはようございます。今日は元気が無いカイパパです。辛いこと、元気がなくなることは、目にしたとしても、深く考えないようにして、やり過ごして暮らしている毎日です。しかし、昨日は、千葉県の入所施設での虐待死事件について考えていて、眠れなくなってしまいました。不安と恐怖と無力感を感じました。
こうままさんが「「行き場がない」ことの意味するところはとても大きい。」と感想を書かれていました。そのとおりだと思います。千葉県での出来事と言っても、愛知県に住む私たちが無関係であるわけじゃない。自分で被害を訴えることができない一番弱い立場の者たちが置かれている危険は構造的なものだから。
だから、書きます。


昨日、職員による入所者の虐待死が疑われている千葉県立袖ヶ浦福祉センター養育園に関する続報を2つ読みました。

・毎日新聞2013年12月27日:19歳少年死亡:千葉の障害者施設 暴行職員は13人
http://mainichi.jp/select/news/20131228k0000m040082000c.html
入所者の19歳少年が職員の暴行を受けた後に死亡した千葉県立障害者支援施設「袖ケ浦福祉センター養育園」(同県袖ケ浦市)の虐待問題で、県は27日、新たに職員3人の暴行の事実を確認し、さらに2人に暴行の疑いが浮上したと発表した。疑いも含め、暴行したとされる職員数は計13人に増えた。
 
・毎日新聞2013年12月28日:袖ケ浦の少年死亡:障害者施設虐待 理事「情報知っていた」 管理者側、隠蔽か /千葉
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20131228ddlk12040222000c.html
職員の暴行が次々発覚する袖ケ浦市の県立障害者支援施設「養育園」。3度目の立ち入り検査後にあった27日の県の記者会見では、運営法人「県社会福祉事業団」の田村邦夫常務理事まで暴行の目撃情報を知っていたことなどが明らかになった。園にまん延していた虐待を、管理者側が隠蔽(いんぺい)していたとの疑いが強まっている。

この報道からは、この施設で虐待をしていたのは例外的な一部の職員だけではなかった、そしてその事実を上司である施設長、法人の常務理事まで認識していたという救いようがない現状が伝わってきます。組織的に虐待が「容認」されていたと見るしかなさそうです。

ところが、現在、施設の設置者である千葉県がとっている処分は、「新規利用者の受入を停止する」ことだけです。
私が疑問に思ったのは、この施設に入所している人たちはどうしているのか?です。どうやら、養育園に留まったままのようなのです。

以下で紹介する記事は、なぜ入所者は保護されず、今も同じ施設に留まったままなのか? そのシンプルな問いから語り起こされた文章です。

・もうひとつの福祉:袖ヶ浦福祉センター養育園利用者への虐待についての考え
http://mouhitotsunofukushi.seesaa.net/s/article/383830279.html

今、書かれるべくして書かれた素晴らしい記事です。長文ですので、僭越ながら、カイパパなりに要約して紹介させていただきます。ぜひ全文も合わせてお読みいただけたらと願っています。

筆者はまず、「なぜ虐待されていた利用者は、自分が虐待されていた現場に住まわされ続けているのか」について、考えつく理由を一つ一つ検証していきます。どれも合理的な理由ではない。
そして、「強度行動障害は養育園へ、という迷信」が、他へ移されない真の理由であり、その迷信、思い込みが正しいかどうかの検証もされずに放置されていることについて、批判を加えていきます。
  • 『虐待を受けていた人たちは強度行動障害と言われる、対応の難しい人たちだ。そして養育園は強度行動障害に対応する、一種特別な施設なのだ。だから他の施設に保護するよりも、本人のためにはこのまま養育園にいることが幸せなのだ』
  • これが理由として成立するためには、虐待されていた利用者たちが、他の施設では対応が不可能な人たちであるということの論理的な説明が必要になります。しかしそんなものは欠片もありません。
  • 強度行動障害者について一般的な障害福祉施設では対応できないというようなことはない、そう断言できます。さらに付け加えるなら、強度行動障害と一口に括っても、実際には一人ひとり異なるので、逆に他の施設の方が合っているような場合も想定できます。

にもかかわらず、いったいなぜ、彼らは強度行動障害という理由で保護をされないのか。保護したくても保護先の施設が無いというためには、
  • 千葉県内のすべての入所型の施設を行政の担当者が訪れて、事情を説明し、保護としての措置入所(ショートスティでもかまわないのです)が可能かどうかを打診することが必要でしょう。
  • そうした努力をしないまま「強度行動障害者は難しい→一般の施設では無理→養育園にいるのが本人のため」というような判断になったと推測されます。
  • 保護先は入所施設に限らないのです。グループホームやケアホームという制度上にある施設であれば、保護させることは可能です。

以下は、直接引用します。
 しかし、虐待を受けた利用者は、どこにも保護されていないという現実。
 …
 千葉県内に多くの障害者施設がありながらも、強度行動障害者については養育園だとみんなが思い込み、それを不思議に思わないようにしているこの構図は、実は現在の障害者の置かれている差別の構造と、まったく同じなのです。「福祉のことは行政の仕事だ」とか「障害者は福祉の専門家に任せておけばいい」みたいな国民全体に蔓延している差別の空気と同じものが、差別内差別のように障害福祉の中で起こっているのです。「強度行動障害者のことは養育園に任せておけばいい」と。

 障害者の暮らす場としてこの地域社会が想定されていないように、強度行動障害者の暮らす場として一般的な障害福祉施設は想定されていないのです。

強度行動障害は他に行く所がないという思い込み…。ここで、読んでいて涙が止まらなくなりました。
 養育園と他の施設との関係は、一昔前の障害福祉施設と地域社会の関係に似ています。一昔前の障害福祉施設では、今では考えられないような、それこそ命の危険にも繋がるような虐待が行われていました。そのころの虐待の姿に、養育園の虐待の姿が重なるのです。それはつまり他に行き場の無い人たちに対して行われた虐待だということです。その虐待は、障害の重さを理由としているのではなく、他に行き先が無いというその人たちの、社会から、あるいは一般の福祉施設から棄てられた度合いによる虐待なのです。他に行き場が無い利用者だということが、職員の頭と心の中からその利用者の人間性を薄めさせていくのです。

 暴行をすれば、嫌になって他の施設に移っていく人に対する虐待ではなく、どんなに暴行をしても他に行くところが無い人に対する虐待はどんどんエスカレートしていきます。他に行き場のない人の方が、人間としての価値が低いような、人間性が希薄なような錯覚が、職員を残忍にさせていくのです。

 こうした古い時代の障害福祉施設での虐待は、地域移行が進む現在は無くなりつつあると思います。虐待されたなら他に行くぞ、という権利と自由の獲得が、障害者の人間性を回復させているからです。職員は目の前に立つ利用者が人間としての尊厳に溢れていたなら、虐待などできないのです。

 虐待ができるということ。しかもそれが残忍であり、恒常的であり、場合によっては死に至るほどにエスカレートするということの根底には、対象者の人間としての尊厳が失われているという状況があるのでしょう。つまりそれが、虐待をされても、暴行を受けても他の場所に保護されることの無い養育園に暮らす強度行動障害者の置かれている状況なのです。

そして、筆者は解決の道を主張していきます。
  • 本当にこうした虐待を無くしたいと考えるならば、何よりも大切なことは、養育園に暮らすすべての利用者について、強度行動障害であったとしても、人間としての尊厳を取り戻させること。
  • そのためにもっとも有効であり、必要なことが、つまり強度行動障害であったとしても養育園を出て行くことができる自由の回復。すなわちそれは施設職員や管理者、行政など、福祉に関わるすべての人たちが、「強度行動障害者は養育園だ」という無知蒙昧を棄てることなのだろう。
  • 養育園での、古典的な狂気に支配された虐待を防ぐために、最初にやらなければならないこと。それは虐待の被害者でありながら保護されない人たちを、保護すること。
  • 養育園で虐待された人たちを本気で護りたいと考える人たちが、彼らに「君は行き場の無い人ではないんだ、僕のところに来てくれ」と叫び、それを実践すること。このことをおいて他に、彼らの人間としての尊厳を回復させる手段は無い。

筆者は呼びかけます。
 そのためにできること。入所施設でもグループホームでも、あるいは個人でもかまいません。本気で彼らを護りたいと思っているのなら、彼らが尊厳を持つ人間であることを意地でも証明したいと願っているのなら、「私の施設を保護先として使ってください」「僕のグループホームで、一人だったら受け入れ可能です」「私の家に来させてください」ということを、行政の担当課に対して、そして広く社会全体に対して表明することです。

 もちろん、それによって本当に保護されることがベストです。しかし仮に保護がされなかったとしても、彼らが行き場のない人だという嘘を暴いて、国民全体の思い込みを覆す力にはなっていくはずです。

ぜひこの訴えを届かせたい。
千葉県の福祉関係者、全国の福祉関係者から「自分の所で、受け入れる」という声があがってほしい。

記事はこのように結ばれています──
 そして、願っています。
 一日も早く、虐待を受けていた人たちが、それを助けもせずに見て見ぬふりをしていた職員たちから離れられるように。
 虐待をされた現場である部屋や建物の中で眠りにつかなければならない夜が少しでも早く無くなるように。
 自分を叩いた箒で部屋の掃除をさせられる屈辱と悲しみから解放されるように。

亡くなった方は、まだ19歳でした。あんまりじゃないか。

(2013年12月31日追記)
・千葉県公式サイト:袖ヶ浦福祉センター養育園利用者の死亡事件等について
http://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/press/2013/youikuen-jiko2.html

(2014年1月2日追記)
合わせて読みたい。

・知的障害者入所施設での虐待を防ぐために〜Saussure氏の考察
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/52513648.html

「前世」だとかいう呪い



↑このツイートを目にして、会話のやりとりを読んで、わたしがTwitterとFacebookに書いたこと↓をリライトして残しておきます。

虐待を受ける子どもに「責任」なんかない。

もしその子が「素因として持つ何か」によって、嗜虐性を誘発する行為をしてしまったとしても、大人が自らの感情に任せて虐めていい理由にはならない。その子に「責任」なんかない。それは、こらえられない大人の「責任」だ。

「わが子が自分を、選んで生まれてきてくれた」と思うことで、救われるひとはいる。そう思うことによって、子どもの育てにくさや愛せなさや、つらさをしのぐ納得が得られるのなら、「子どものために」良いと思う。(ただ、押しつけられるとどうしようもなく苦しくなってしまう人もいることは覚えておいて欲しい…)

でも、地獄だとか、輪廻だとか、因果応報だとか、宿命だとか、人を怖がらせ、恐怖でコントロールするがための危険な圧力でもって、「この子が持って生まれた宿命」だなんて、僕は、絶対に、言わせない。

そんなことを言うやつこそ「畜生」なんじゃないでしょうか?

愛されづらい、愛しづらい子どもも大人も、そういう「カタチ」を持って生まれて、育てられたんだ。
それを、個人に帰責すること、しかもその理由を、証明も否定もしようがない「前世」だなんてもののせいにされたら。脱出不可能な「生まれながらの檻」に閉じ込められてしまう。

このことに、僕がこだわるのは、「前世」だとか「運命」だとかいう因習的世界観が、障害を持って生まれた子どもとその親への「呪い」「呪縛」として機能することに危機感を覚えるからです。

「障害者虐待」の被害者、加害者

毎日新聞の調査です。障害者虐待防止法が施行された3か月間で、各自治体が受けた虐待通報2529件、認定されたのが758件だったそうです。

・毎日新聞:障害者虐待:認定758件…防止法後3カ月、本紙調査
http://mainichi.jp/select/news/20130321k0000e040190000c.html
昨年10月に施行された障害者虐待防止法に基づき各自治体が虐待通報を受け付け始めておおむね3カ月間で、認定された障害者虐待が全国で758件に達したことが毎日新聞の調べで分かった。障害者虐待を巡る国の統計はこれまでなく、全国レベルで総数が判明するのは初めて。専門家は「全体像が不明だった障害者虐待に対応する上で貴重なデータだ。施策に生かしてほしい」としている。
全文

こちらも。
・毎日新聞:障害者虐待:防止手探り ノウハウ、人手、権限…悩み多く 自治体・労働局、課題浮き彫り
http://mainichi.jp/select/news/20130321dde041040056000c.html

あわせて読みたい記事があります。

・服巻智子公式ブログ:被害者家族。加害者家族。
http://tomokoworkdiary.sagafan.jp/e577545.html
私は、ある施設内の虐待体罰事件で、専門家として証言したことがある。
携帯動画と診察した医師の記録で虐待事実は証明されていたが、私の専門家としての証言もあって、この職員さんは加害者としての罪が確定した。(中略)こういう非難も覚悟の上で証言した。虐待事実は明らかなのに、子どもたちは訴えることができないのだ。この被害者はあわや死に掛けたのだ。それでも入所してお世話になっているから黙れというのか、入所の世話をしている者は見えないところで何をしても良いというわけではなく、いのちの尊厳は守られるべきで、正しく行われなければならない。そもそもの意識が問題なのだ。その加害者のお子様やご家族はお気の毒だった。しかし、加害者は家族を持つほどの人なのだ。

こういう記事を書かざるを得なかったお気持ちを忖度(そんたく)せずにはいられません。

責任のある立場で表に発言をしていく人たちに対して、「被害者の気持ちは知っているのか?」「加害者の家族のことを考えたことがあるのか?」という批判が、毒矢のように放たれる。自分が倫理的に優位にたった正しい者だと自負して、隠れて安全なところから矢を放つ。
表に立つ人が、傷つき、毒に苦しめられ、やがて話すことをやめてしまうことなど考えもせず。
「書かれていないこと」は、考えにものぼらなかったことだと考えないほうがいい。「触れられていないこと」は、経験がなく無知なのだと決めつけるのはやめなければならない。
語る人は、どんな批判も浴びても仕方が無いという覚悟で語っているのだから、読む人も、想像力をもって正対したいと思います。

立川での事件

・asahi.com(朝日新聞社):息子の障害悩んだ末に 殺人容疑の母、支援団体にも相談 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0129/TKY201101290355.html

立川で起きた事件について、亡くなった少年のご冥福をお祈ります。

いろいろな思いがあるのだけれど、言葉になりません。

2006年11月に広島県で起きた事件について書いた過去記事を紹介しておきます。

・広島での事件
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50832239.html
 自閉症の子の幼児期は、多動、睡眠障害、異食、パニックが激しく出るもっとも厳しい時期なのだ。

 天災や、避けられない事故で亡くなったのではない。
 これまでも繰り返されてきて、一歩手前で踏みとどまった人たちも数知れずいる。「子殺しは、防止できる」前提に立って、サポートを真剣に考えるべきだ。

 こういった事件を知るたびに、気がふさぐ。なんだか、自分も「ひっぱりこまれそうな感覚」があるからだ。これが自分だったかも、、、という思いは消せない、だから、私たちは、同様の立場の親たちは、息をひそめ、事件を話題にすることも避けるのかもしれない……



 私が、この社説に加えるとしたら、命を奪われた子どもたちに「詫びる気持ち」です。自閉症を、殺される理由にしてはならない。

・苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/50844862.html
 私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

 赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

 それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

だけど、この子たちは、成長する。

先週書いた「未来はどちら向き?」のなかで書いた──
後ろ向きでフツー。未来のことは、だれにもわからない。
だから、今の延長で悲観し過ぎなくていいと思うよ。

しなないでね。ころさないでね。

これが、11歳の子の父親として、実感をもって、今伝えられること。

苦痛は、3分の1でいい〜「広島での事件」2

■苦痛は、3分の1でいい〜「広島の事件」2

◆「先読み」する脳

 先日、ある大会があって国際会議場へ行きました。閉会後、既に停止しているエスカレーターを歩いて上ったとき──

 歩きづらくて、何度も何度もつまずいてしまいました。あの黄色のラインの入った段が、「動いている」ように錯覚してしまうのですね。その錯覚にあわせて上ろうとするから、つんのめってしまう。

 意識してみても、エスカレーターが動いている感覚は消えず、不思議でした。

 印刷物をつくるときに、一文字一文字読みあわせまでして誤植つぶしをしても、なお、誤植は残ってしまうことが多いです。なぜ気がつかなかったのか? とわかってからは思うのです。読み上げる人も、文字を確かめている人も、脳が、「正しい文字」を、文のつながりの中で認識してしまっているから、「正しく」読めてしまう。

 私たちの脳は、常に「先読み」をしているのですね。

 私たちは、脳が認識した「世界」でしか生きられません。だから、私たちは「一瞬未来を生きている」のが普通の状態といってもいい。

◆「過去」とともに生きる

 こうままさんが、ある時、「傷は治っても、〈痛みの記憶〉は残っている」とお話されていて、ああそのとおりだなと思いました。私が講演をしていた時、いつも感じていたのは、「せっかく固まったかさぶたを、思い出すことで、かき壊しているような気持ちがする」ことでした。そこに「傷はない」のだけれど、「痛みの記憶」が残っている。

 何かの拍子に、たとえば、2歳ぐらいの子が上手に話し掛けてきたりするとき、胸の中を冷たい風が吹き抜けるような感じがしたりする。「いったいいつの間に、そんなところに穴があいていたのだろう?」と思うのだけれど。

 痛みの記憶、つらい経験、嫌な思い出……脳のどこかに残っていて、「再生」された時、痛みは現在現実のものとして、私を痛めつける。

◆なぜ? 「今」死んでしまうの?

 前回の記事「広島での事件」を書いて、次の記事を書けなくなっていました。たくさんコメントを頂き、それに返事を返したいと思いながら……




 なぜ? 追い詰められてしまうのか? 自分に何ができるのか? をずっと考えていて、自分で書いた記事が、見落としている、言い尽くせていない何かがある気がしてなりませんでした。
 あの記事は、私がこれまで言いつづけてきたことを繰り返している。中国新聞の社説も、ほぼ同義の主張をしていた。




 でも、何か違和感が残る。

 それは、AFCPさんが、報じてくれている「この事件では、助けがすぐそこまで来ていた」事実を知って、余計に強くなりました。

 私は、「スカイダイビングの悲劇」で、「助けはそこにあるのに、なぜ選ばなかったのか」と書きました。

 なぜ?なんだろう。

 それが「違和感の源」のような気がします。

 ああやって「社説」のような記事を書いていても、苦しんでいる人にとっては、届かない。真情に迫れていない。きっと、ずれている。


 ……自分自身のこととしての、掘り下げが足りないのかな?





 私は、カイの障害がわかった時、「喪失感=未来イメージの死」がつらかった。

 赤ちゃんができてから、妻と「子育ての方針」なんておおげさなものじゃないけれど、「どんなふうに育てたいか」の夢を語り合っていた。結論としては、「自分たちが育ててもらったように、育てたいね」ということでした。クラブ活動とかがんばったりして、うまくいったり、失敗したり色々な経験をして育っていってくれたらいいな!なんて思っていました。

 それが、自閉症とわかったときに、崩れてしまった。その後に築く「新しい未来のイメージ」を築けなくて、空虚で殺風景で孤独で不安で先がない追い詰められた気持ちになった。何のきっかけもなく、涙が出て困ったりしていました。

◆苦痛は3分の1でいい

 私たちは、「今」を生きているつもりだけど、生きている「今」の中には、「過去の記憶」と「現在」と「先読みした未来」が含まれている。

「過去」と「今」と「未来」をこの瞬間の脳の中で同時に生きているのかも。

 うっかりすると、いつのまにか「実現していない未来(のイメージ)」に、心を乗っ取られてしまうことすらあります。(別にそれは珍しいことではない。受験生の頃、「試験に落ちたらどうしよう」と想像して、勉強に手がつかなくなってしまうような経験はどなたでもあるはず。)

 ふとしたはずみに、「過去の痛み」が蘇ってくる時があります。その「痛みの記憶」が、「また次も同じ痛みを味わうのではないか?」という「未来の苦痛」を呼び起こすこともあります。

 私たちは、「過去の痛み」と「未来の苦痛」を、「今ここにある苦痛」として抱え込み、押しつぶされて、絶望に追い込まれるのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、とある本で出会った心理学者のミルトン・エリクソン(WikiPedia)の言葉──
あなたが本来耐えるべき痛みは、今の三分の一でいいはずなのです。
余分な三分の二は何かというと、まず、過去の痛みの記憶。そして、将来の痛みへの不安です。
だから、『今、この瞬間』の現実の痛みにだけ向き合えば、あなたが感じる痛みは今の三分の一になる。三分の一になれば、それはもうほとんど気にならない痛みになるはずです


◆「明るい未来を描く」----ことができなくても

 カイパパ通信のコンセプトは、「勇気と知恵を与え合う」です。
 『ぼくらの発達障害者支援法』は、「明るい未来を、自分たちの手で創っていこう」というのがメッセージです。

 でも、「明るい未来」をそもそも描けない時、そういう気分やシチュエーションに追い込まれている時だってある。

 そんな時は、「今」に集中すること。

「先」のことは考えない、シャットアウトして、とにかく「今」「この瞬間」をやり過ごすことに集中すること。

 妻がよく言っています。「明日なんて、そんな先のことは考えない」

 それでいいんだ。

 苦痛は、3分の1でいい。 

広島での事件

■広島での事件

・母親が5歳と3歳の息子を殺害 - 社会ニュース : nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20061106-113630.html
母親が5歳と3歳の息子を殺害
 6日午後5時40分ごろ、広島県警府中署に女が「子どもを殺した」と自首してきた。同署が女が乗ってきた車を調べたところ、車内から5歳と3歳の息子2人の遺体が見つかった。
 同署は殺人の疑いで、同県F市、無職I容疑者(34)を逮捕。遺体を司法解剖して死因を調べる。
 調べでは、I容疑者は6日、福山市内の山中に止めた車内で長男(5)と二男(3)の首を手で絞めて殺害した疑い。
 同署によると、息子2人はともに自閉症で、I容疑者は「育児に悩んでいた」と供述。家族は「ノイローゼ気味になっていた」と話しているという。先月27日には泉容疑者が二男を連れて一時行方が分からなくなり、家族が同署に「自殺するかもしれない」と捜索願を出した。[2006年11月6日22時47分]

 これは以前起きた事件の再報道では?と既視感を覚えてしまう事件。
 いや違う。同じ境遇で、新たに消されてしまった別の命。また起きてしまった。

 TPblogへの光彦の母さんのコメントでこの事件を知りました。愛知県では報道されたのかわかりません。

 いじめ自殺が頻発している今、世間は「犯人探し」と対策の議論を熱心に交わしている。

 一方で、自閉症の子どもが犠牲になった事件は、語られることなく、ひっそり葬り去られていく。
 繰り返し、繰り返し起きていることなのに。
「お気の毒に」のひとことだけで、原因や対策や責任を追究されることもなく、流されていってしまう。

 その心の底には、

(障害児の家庭の事情があるのでしょう)
(仕方のないことだ)

 という特別視があるのかな?

 私が我が子の障害を知ってから5年。当時に比べたら、ずいぶんと支援の充実が進んだと思っている。障害者支援費制度(現在は障害者自立支援法)が画期だった。
 しかし、制度があっても、存在や使い方を知らされていない、近くにサービス事業者がいない、市町村が厳しい支給制限をかけていたり、あるいは家族の反対や心理的抵抗があって利用できないと実際に利用できなければ、つらさは変わらない。

 ある市では、「就学前の介護給付を無し」としている。理由は、「幼児を親が見るのは、健常の子でも同じだから」ということだ。しかし、事件発生の年齢を調べてほしい。幼児の頃と、親の死期近くの両極に偏っているはずだ。

 自閉症の子の幼児期は、多動、睡眠障害、異食、パニックが激しく出るもっとも厳しい時期なのだ。

 天災や、避けられない事故で亡くなったのではない。
 これまでも繰り返されてきて、一歩手前で踏みとどまった人たちも数知れずいる。「子殺しは、防止できる」前提に立って、サポートを真剣に考えるべきだ。

 こういった事件を知るたびに、気がふさぐ。なんだか、自分も「ひっぱりこまれそうな感覚」があるからだ。これが自分だったかも、、、という思いは消せない、だから、私たちは、同様の立場の親たちは、息をひそめ、事件を話題にすることも避けるのかもしれない……


 私が、この詩「スカイダイビングの悲劇」を書いた時、ひどく落ち込んでいた。でも、ブログにエントリして、みなさんがコメントすることで、この詩のメッセージが変容した。

自動で開くパラシュート
大きな大きなネット

 いいよね、こういうのをみんなで創れたら。

 うっかり死なないように、指切りげんまん!

 ブログから、こんなこと言うくらいしか、できないけれど、みんな一緒に、もう少し先を見にいこう。


【参考】
・中国新聞 社説福山の2児殺害 発達障害 追い詰めるな
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200611090212.html
 福山市で三十四歳の母親が長男(5)と二男(3)を殺害した。発達障害の二男の子育てに悩んだのが動機とみられる。「私だってこの子を殺して死のうと何度思ったことか。みんなも同じ」と広島県東部子どもの療育を守る親の会のメンバーは言う。障害の子を持つ親が追い詰められない社会はどうしたらつくれるのか。(全文を読む

 この問いの立て方は正しい。非常に思いのこもった社説です。ぜひお読みください。

 私が、この社説に加えるとしたら、命を奪われた子どもたちに「詫びる気持ち」です。自閉症を、殺される理由にしてはならない。

・A Fledgling Child Psychiatrist:福山の2児殺害 続報
http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20061109234030/index.html
 わが戦友AFCPさんのブログ。語りにくい出来事にも、いつも逃げずに語ってくれています。

【読む】厚生労働省 社会保障審議会児童部会報告書

■厚生労働省 社会保障審議会児童部会報告書
「児童虐待への対応など要保護児童および要支援家庭に対する支援のあり方に関する
当面の見直しの方向性について」


 国の児童虐待に関する施策の方向性をまとめた報告書を紹介します。
(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクルが、なぜ児童虐待にこだわるかについ
てはこちらをご覧ください)

★報告書を読んでみました
続きを読む

■【虐待】岸和田中3虐待に思う@こころのつれづれ


■【虐待】岸和田中3虐待に思う@こころのつれづれ

 気になる記事をクリップ。
「岸和田中3虐待に思う」@こころのつれづれ
 こころのつれづれさんの身近での虐待?を疑われる事例について、ご自身がど
う行動したかを心の迷いを明らかにして語っています。

【虐待】隣人の通報を中学生が拒んだ 岸和田市


【虐待】隣人の通報を中学生が拒んだ 岸和田市

 やはりこういう事実があったんですね。
大阪・岸和田の虐待、長男「通報やめて」と隣人に懇願@読売新聞 2004年1月29日

 大阪府岸和田市で中学3年の長男(15)が食事を与えられないなどの虐待を受け
た事件で、虐待に気付いたマンションの隣人が、自宅前で立たされていた長男を見か
ね、「警察に通報してあげる」と救いの手を差し伸べようとしたが、「絶対にやめ
て」と強く拒まれていたことが29日、府警捜査1課と岸和田署の調べでわかった。
その後も、悲鳴やどなり声、壁に何かが打ち付けられる音が連日のように聞こえたと
いう。耐えかねて転居した隣人は事件発覚後、周囲に「何もしてあげられず、責任を
感じる」と漏らしている。

 長男は、「警察や行政、学校が自分を両親から守ってくれる」という確信がも
てなかったのでしょう。介入が遅すぎた。
 彼の一刻も早い回復とこれからの人生のしあわせを祈ります。

【本】凍りついた瞳

凍りついた瞳

【本】凍りついた瞳

介護ってblogのあやさんから、本の紹介をいただいた。続きを読む

【虐待】夜泣き激しいと1歳長女殺害した母親逮捕…島根

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夜泣き激しいと1歳長女殺害した母親逮捕…島根@読売新聞 2003年2月3日

 ……またか。
 こうして記録をしていくと、「疲れ」のような感情を覚えます。でも、このことが「あきらめ」や「慣れ」にならないように気をつけたい。
 私やあなたにとって「もう1つの死」であっても、亡くなった女の子にとっては取り返せない命なのだから。
 覚えておきます。今はそんなことしかできないけれど。

愛知・豊川の女児虐待死 傷害致死で母親を起訴

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「愛知・豊川の女児虐待死 昨年4月から連日暴行 傷害致死で母親を起訴」
中日新聞2004年1月31日

記録しておきます。

【新聞】虐待…保護の子急増「里親になりませんか」

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【新聞】虐待…保護の子急増「里親になりませんか」

「虐待…保護の子急増「里親になりませんか」知多児童相談センター」@中日新聞
(愛知)2004/01/24
 虐待や家庭内暴力などのため知多児童相談センターに保護された子どもの数が、
今年に入って急増しており、同センターは里親を募集している。里親には特別な
資格は必要なく、家庭状況の審査を受ければ誰でも里親になることができる。
(略)
 昨年度の統計では、里親の登録をしているのは県内で210人。同センターが
管轄する知多半島5市5町では27人で、本年度の新規登録者はこれまでのとこ
ろ1人しかいない。
続きを読む

【虐待】5階から3歳児落とした疑いで母逮捕 大阪府貝塚市

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【虐待】5階から3歳児落とした疑いで母逮捕 大阪府貝塚市

5階から3歳児落とした疑いで母逮捕 植え込みで助かる@朝日新聞 2004年1月25日

 育児ストレスでしょうか。
 3歳児が助かってよかったです。母親も立ち直れることを祈ります。

【虐待】15歳長男 食事を与えられず 大阪 岸和田市

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【虐待】15歳長男 食事を与えられず 大阪 岸和田市

食事抜き3カ月、15歳昏睡 父らを殺人未遂容疑で逮捕@朝日新聞 2004年1月26日

「寝ている」と教師の面会を拒否 中3虐待、対応に遅れ@朝日新聞 2004年1月25日

 心理カウンセラーSanaさんのSilentVoicesにコメントがあります。

【追記】
★2004年1月27日
TamagoBlog-It's a picture world : ■【児童虐待】食事抜き3カ月、15歳昏睡(朝日新聞)■は私の気持ちを代弁してくれています。ぜひお読みください。
★2004年1月29日
……それが問題だ。:どうすればなくなる?――学校も近所も児童相談所も救えなかった被虐待児
 児童福祉法の制度もからめてわかりやすく論じています。

【虐待】家裁が児童相談所に「親の指導」勧告へ

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【虐待】家裁が児童相談所に「親の指導」勧告へ

「家裁が児童相談所に「親の指導」勧告へ」中日新聞 2004年1月20日


 厚生労働省は、児童虐待で切り離した親子が再び一緒に暮らせるよう促す「家族再
生」の施策の一環として、家庭裁判所の関与を強化する児童福祉法改正案の概要をま
とめた。虐待を繰り返さないよう、家裁が児童相談所に「親への指導」を勧告する制
度を新設。親子を離す期間は原則二年間とし、親の改善や子どもの心の回復状況を見
ながら家庭に戻せるかを判断する仕組みにする。

続きを読む

【虐待】家庭事件に見られる児童虐待とその特徴

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■【虐待】家庭事件に見られる児童虐待とその特徴
 家庭裁判所調査官研修所の虐待に関する分析が掲載されています。
「家庭事件に見られる児童虐待とその特徴」最高裁判所HP

「虐待を認めない心理」と「虐待の悪循環」の二つの観点から分析しています。

「3 虐待への適切な対応の在り方」のまとめを引用してコメントします。続きを読む

無理心中か? 中3知的障害 北海道岩内町

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「車内に七輪、中3死亡 父親も重体、無理心中か」@yahoo!ニュース(共同通信)2004年1月12日(月)8時22分

 父親(45歳)が知的障害のある二男(14歳)を道連れに自殺を図った。二男は死亡。父親は重態。

 ――yagさんのコメントでこの事件を知りました。10年後カイが14歳になるときを笑顔で迎えられる地域にしたい。

【虐待】6歳女児死亡(愛知県豊川市)続報

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【虐待】6歳女児死亡(愛知県豊川市)続報

■関連過去記事@カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル
「虐待か? 愛知県豊川市」2004年01月07日

 私の児童虐待についての考え方(なぜこだわるのか?)については以下の記事
で書きました。
「【虐待】障害児は虐待の被害者になりやすい」2003年11月23日

■愛知県豊川市で起きた6歳女児の死亡事件の続報
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悲しみを祈りに

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★悲しみを祈りに

「障害持つ息子と63歳母が無理心中?…東京・武蔵野市」@読売新聞(2004/01/04記事)

 私は、子どもを道連れにした自殺について「心中」とは言いたくありません。子ど
もは親の持ち物ではない。「子殺し」という言葉を使っています。

 ――だけど、この母親は、長い間がんばってきて、地域で暮らしてここまで来
たのに……どうして? 36年間は並大抵の長さではありません。他人事ではな
いです。
 36年間、「親亡き後」の希望をもてなかった、あるいはかき消す何
かがあったのか。
 周りは気づけなかったのでしょうか?

 こんなこと、起きてはいけないです。

 悲しみ、苦しみ、絶望、かぼそくても「助けて」の声をあげる勇気がもてるように、
 かぼそい声を聞きわける耳を研ぎ澄まして、
「他人に迷惑をかけたっていいんだよ」と声をかけあえる地域にしていくように、


 悲しみを祈りにかえたい。


【謝辞】
 この記事の存在は、つぼみパパ2003メーリングリストで、光彦の母さんからお聞き
しました。(みつひこくんのペイジ)
 JTさんとH.Suzukiさんからは私が別の事件を知ってショックを受けたときに、
精神的なサポートをしていただきました。「悲しみを祈りにかえて」は、
H.Suzukiさんがそのときに私にかけてくれたことばです。

★虐待か? 愛知県豊川市

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★虐待か? 愛知県豊川市

「死亡女児の体に傷 虐待の疑いも、愛知」@Yahoo!ニュース(共同通信)2004/01/06

 愛知県では児童虐待事件が多く起きている…。

「【虐待】障害児は虐待の被害者になりやすい」@カイパパ通信blog☆自閉症ス
ペクタクル

 虐待についての私の考えは、ここで論じました。

「虐待ケアに1600人増員 心の傷対応に個別担当職員」@Yahoo!ニュース(共同通信)2004/01/05

 国も対策を講じる体制をとり始めてはいますが…周囲、特に友人のサポートが
貴重です。

子どもの虐待防止ネットワーク・あいち CAPNA(キャプナ)

 もしも、虐待してしまいそうだというとき、CAPNA(TEL 052-232-2880 / FAX 052-232-2882)
に電話してください。どんなことでも話を聞いてくれます。
 もしも、「虐待があるかも?」と思ったときは、CAPNAへ通報すれば、通報者
の身元がわからない形で児童相談所と連携して対応をしてくれます。

 子どもは、親だけで育つものではありません。

※リンク集に、子どもの虐待防止ネットワーク・あいちを追加しました。

【虐待】障害児は虐待の被害者になりやすい

opinion
【虐待】障害児は虐待の被害者になりやすい

★「障害児は虐待の被害者になりやすい」

 1年前の記事になりますが、2002年7月26日の毎日新聞の記事で「虐待を受ける障害児は健常児の4〜10倍とも推計される」というショッキングな報道がありました。

児童虐待 障害児の被害7.2%
  児童相談所00年度受理

 全国の児童相談所が00年度に受けた児童虐待の相談中、障害児の被害は少なくと
も1008人と全体の7.2%を占めたことが、昨年度の厚生労働省厚生科学研究班
(本間博彰・主任研究者)の調査で分かった。このうち知的障害児が788人と最も
多い一方、加害者は実母が700人と69.4%に上った。児童相談所を通して障害
児の被害実態を調査したのは初めて。研究班は「虐待を受ける障害児は健常児の4〜
10倍とも推計される」と指摘している。

 研究班の細川徹・東北大大学院教授らが昨年12月、全国182の児童相談所(当
時)に郵送で調査を実施、141相談所から有効な回答を得た。それによると、00
年度に児童相談所に寄せられ、虐待として受理された相談は1万3983件で、うち
被虐待児が障害児だったのは1008件(男児588人、女児420人)に上った。

 障害別の内訳は▽知的障害児788人▽身体障害児159人(肢体不自由児87
人、聴覚障害児31人、内部障害児22人、視覚障害児19人)▽注意欠陥多動性障
害(ADHD)児91人――など。

 主な虐待内容は▽ネグレクト(養育放棄)416人(41.3%)▽身体的虐待3
98人(39.5%)▽心理的虐待65人(6.5%)▽性的虐待32人(3.2
%)。また、主な虐待者(複数回答)は▽実母が700人▽実父265人▽義父57
人――などだった。

 01年障害者白書などによると、障害児中の被虐待児割合は1000人中5・4〜
7人と推計される。一方、未成年者中の被虐待児は1000人中0.6〜0.7人と
推計され、「障害者統計にないADHD児らの存在に配慮しなければならないが、障
害児は健常児の4〜10倍の割合で虐待を受けるとも推定される」(細川教授)とい
う。

 本間博彰・宮城県子ども総合センター所長の話

 知的障害は乳幼児期に分かりにくく、親が言うことを聞かないと思ったり、障害が
判明して落胆し、養育放棄につながる場合もある。被害実態を把握することで、障害
児と親の支援につなげたい。(野倉 恵)



★なぜ障害児は虐待を受けやすいのか?〜私の考え

 それは、親にとって子どもからの「感情的なフィードバック」が得られにくいからです。「あなたは私のママ、パパ。だーいすき」というフィードバックがない、あるいは希薄です。
 また、親から伝えたいことが伝わりにくい、接し方がわからない。叱っても、それこそ体罰をしてもやめない……わが子がわからない、愛せない――「愛情」を心のよりどころにできない…。

 親になる前に、私たちはそれなりの夢やイメージを思い描きます。たくさんのおもちゃやきれいな洋服を用意して、生まれてくるわが子を待つ。生まれてきたふにゃふにゃのわが子をいつくしみ育てる――それがいつの間にか、「わけのわからない」修羅場に、子育てが化してしまっている。
なんなんだろう?? こんなはずじゃなかったのに。思っていたのと違いすぎる??

★子育ては、親だけじゃ、できない。

 私は、障害を持つ子をもつ親として、児童虐待の報道があるたびに、他人事ではない痛みを感じます。

 昨年は、自閉の疑いを持った母親が乳児を死なせてしまった事件、母親が自閉の子を殺してしまった事件がありました。愛知では、悲痛な事件が続いています。

 お前なんかが考えてどうなる、とも思うんですが、

 私にできることは、「自閉症の親ライフも悪くないよ」「この子たち、かわいいところいっぱいあるよ」と具体的に伝えていくことです。駆け出しの親にできるのは、そんなささやかなことしかできませんが。
 でも、私自身、先輩親さんたちと出会ったことで、「なんだみんな元気じゃん」と思えたことが一番の生きる支えになりました。

 このサイトもささやかではありますが、子どもたちに関わる人々に勇気と知恵を与え合う役割を果たせたらいいなあと(じつは本気で)願っています。
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