■初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ(5)
 〜他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に


 私は4歳の男の子(知的障害を伴う自閉症)の父親です。わが子は2歳4ヶ月のときに、自閉症の診断を受けました。
 そのときの気持ちは、いくら時間が経って努力して事実を受けとめてきたとしても、文章で表現しきれるものではありません。私もまだ小さい子どもをかかえて、日々の悩みや憂いの中にいます。ですから、「アドバイス」めいたものは書けないのですが、私が苦しかったときに(今も)大切にしてきた5つの言葉を紹介します。
(2003年7月16日 カイパパ 記)

★1 「今は喪中だから」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360761.html

★2 全ては日常になっていく(日常の復元力)
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360801.html

★3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360803.html

★4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360804.html



★5「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」

 自閉の子と外出するのは大変です。「覚悟」がいります。ちょっと目を離したらいなくなるし、めったやたらと物を触ったり、超音波の奇声を発したり、電車で隣に座った人のメガネをとってしまったり……。
 そんなとき、何も知らない他人は「何? このしつけの悪い子は!」と白い目でこちらを見ることがあります(世の中には「白い目」というものが本当にあるんだと初めて知りました)。ツライですよね。もう他人がいる場所へは子どもを連れて行きたくないという気持ちになります。

 そんなときに、妻が「他人の偏見には鈍感に、他人の親切には敏感でいようと思う。そんなひとも障害を知らないからそうしちゃうだけだから。手を差し伸べてくれる人もいるから」と言いました。さすがに毎日四六時中子どもと一緒にすごしている母親の言葉はちがうなと思いました。
 父親は母親に比べて、子どもと過ごす時間が少ないので、なかなか根性が座らないところがあります。できるだけ奥さんの声に耳を傾けて、たとえばこういった「心構え」ひとつをとっても、共有しておくことは大切だと思います。

 私は、子どもの障害がわかってから、「人の情けのありがたさ」が骨身にしみるようになりました。世の中捨てたもんじゃないです。できるだけ、偏見は気にせずに、私たちはわらっていましょう。「笑う門には福来る」です。


【追記】2004年6月15日
 以上で「初めてわが子の自閉症の診断を受けたお父さん、お母さんへ」の連載は終わりです。

 今から1年前に書いた文章ですが、いまだにこの言葉に励まされる自分がいます。まだまだ落ち込むことも多いです。この感情の波はずっと続くでしょう。
「いっちょまえのことを書いて」
 と自分でも思いますが、この文を書いている私は達観して、お説教するつもりで書いているわけではありません。
 苦しみの中で「こうだったらいいな。自分はこうありたいな」という願いをつづっていると言った方が正確かもしれません。

 自分で自分を信じれらないときがあります。
 そんなときに、支えとなってくれるのが、「自分が書いた文章」だったりします。
 だから、私はここに書き続けているのかなぁ――なんてことを思ったりしています。


【連載】
・1 「今は喪中だから」
・2 「全ては日常になっていく」(日常の復元力)
・3 「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」
・4 「子育てを夫婦だけでかかえこまないで」
・5 「他人の偏見には鈍感に。他人の親切には敏感に」
・印刷用PDF
http://homepage2.nifty.com/tubomi-aichi-autism/papa/taiken/pdf/shindan01.pdf