■「できない」は「今は、できない」だけ
土曜日に、初めての小学校での運動会がありました。その話を書く前に、書きかけて、エントリできないでいた記事をアップします。

この写真は、2年前(2004年)10月のカイの保育園運動会の日に撮りました。
以前、このブログのサイドバーに飾っていました。
『ぼくらの発達障害者支援法』にも載っているので、見覚えのある方も多いかもしれません。
実は、とても思い出深い写真なんです。
2年前の保育園の運動会――カイは、調子が悪く、運動会の競技を、ことごとく拒否。
「マリオネット状態」で、妻に引きずられて、なんとか終わらせていました。
それを見て、敬老席のおじいさんたちが「あらら、あの子引きずられとる」と笑っていました。その笑いは、ちっともいやな感じではなく、「子どもは大変だなあ」というニュアンスでした。
そうわかっていても、、、そのときの私には、あざけりのように聞こえて、つらかった。
何よりも、胸が痛かったのは、妻が、あくまでも笑顔でいたことでした。「困ったね、かいくん」とか言いながら、カイを立たせ、とび箱の上を歩かせる妻の姿。自分があの役割だったら、笑顔ではいられない。その姿が痛々しくて涙が出そうになりました。
その後、カイはあまりにもイヤで耐えられなくなり、となりに座るお友達に噛み付いてしまいました。先生にお願いして、教室に避難させてもらいました。
そこには、カイのためのカームダウン・エリアが作ってありました。小さく仕切ったスペースに、布団が引いてあって、ラジカセが置いてあります。私は、その日、初めて見せてもらいました。
加配の先生が「ここではこの図鑑を見るとか、この絵本が好きです」とか一生懸命教えてくれました。愛されて、大事にされている様子が分かりうれしかったです。
冒頭の写真は、その時、カイが、絵本をみながら落ち着きを取り戻し、私を見上げた瞬間のショットです。半べそだった私が、逆になぐさめられた瞬間でした。
親の仲間たちの話で、「保育園2年目の運動会はよくできた」みたいな情報ばかり聞いて、期待をふくらませすぎていたのでしょう。私は、仕事を言い訳にほとんど保育園にも顔を出すことのない、ダメおやじでしたから、現実を知らず、勝手に3倍くらい「できる子」幻想をもってしまっているんだなあと痛感しました。
現実は厳しい。
もう限界だと判断して、運動会を途中リタイアして帰る時に、担任の先生が、「力及ばずすみません」と声をかけてくださいました。
「とんでもないです、本当によくしていただいています」と心から答えました。
先生方の、カイのための配慮が身にしみました。
この話を、H.Suzukiさんにしたときに、言葉短く、
と言ってくれました。この言葉にどれだけ励まされたかわかりません。
そういうメッセージだと思いました。以来ずっと大事にしている言葉です。
次回は、2年後の小学校での運動会の話を書きます。
土曜日に、初めての小学校での運動会がありました。その話を書く前に、書きかけて、エントリできないでいた記事をアップします。

この写真は、2年前(2004年)10月のカイの保育園運動会の日に撮りました。
以前、このブログのサイドバーに飾っていました。
『ぼくらの発達障害者支援法』にも載っているので、見覚えのある方も多いかもしれません。
実は、とても思い出深い写真なんです。
2年前の保育園の運動会――カイは、調子が悪く、運動会の競技を、ことごとく拒否。
「マリオネット状態」で、妻に引きずられて、なんとか終わらせていました。
それを見て、敬老席のおじいさんたちが「あらら、あの子引きずられとる」と笑っていました。その笑いは、ちっともいやな感じではなく、「子どもは大変だなあ」というニュアンスでした。
そうわかっていても、、、そのときの私には、あざけりのように聞こえて、つらかった。
何よりも、胸が痛かったのは、妻が、あくまでも笑顔でいたことでした。「困ったね、かいくん」とか言いながら、カイを立たせ、とび箱の上を歩かせる妻の姿。自分があの役割だったら、笑顔ではいられない。その姿が痛々しくて涙が出そうになりました。
その後、カイはあまりにもイヤで耐えられなくなり、となりに座るお友達に噛み付いてしまいました。先生にお願いして、教室に避難させてもらいました。
そこには、カイのためのカームダウン・エリアが作ってありました。小さく仕切ったスペースに、布団が引いてあって、ラジカセが置いてあります。私は、その日、初めて見せてもらいました。
加配の先生が「ここではこの図鑑を見るとか、この絵本が好きです」とか一生懸命教えてくれました。愛されて、大事にされている様子が分かりうれしかったです。
冒頭の写真は、その時、カイが、絵本をみながら落ち着きを取り戻し、私を見上げた瞬間のショットです。半べそだった私が、逆になぐさめられた瞬間でした。
親の仲間たちの話で、「保育園2年目の運動会はよくできた」みたいな情報ばかり聞いて、期待をふくらませすぎていたのでしょう。私は、仕事を言い訳にほとんど保育園にも顔を出すことのない、ダメおやじでしたから、現実を知らず、勝手に3倍くらい「できる子」幻想をもってしまっているんだなあと痛感しました。
現実は厳しい。
もう限界だと判断して、運動会を途中リタイアして帰る時に、担任の先生が、「力及ばずすみません」と声をかけてくださいました。
「とんでもないです、本当によくしていただいています」と心から答えました。
先生方の、カイのための配慮が身にしみました。
この話を、H.Suzukiさんにしたときに、言葉短く、
「できない」は「今は、できない」だけ。
と言ってくれました。この言葉にどれだけ励まされたかわかりません。
子どもは成長するから。
今の「できない」は、「今は」できないだけ。
もしかしたら、ずっとできないかもしれないけれど、いつかはできるようになるかもしれない。
そんなことは「今」の時点では、だれにも断言できない。
親は、悲観もせず、楽観もせず、可能性を信じて育てていけばいい。
そういうメッセージだと思いました。以来ずっと大事にしている言葉です。
次回は、2年後の小学校での運動会の話を書きます。
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