昨日紹介した記事を書かれたハバネロさんからコメントをいただきました。
多くのかたに届けたいので、ここに載せておきます。
カイパパさん、勢いで書いた私の拙い誤文だらけの記事を、
ブログでご紹介いただき、本当にありがとうござます。

福祉の仕事は年々専門用語にまみれていって、本質から
どんどん遠のいていっているように感じています。
相談支援の登場によって、良い面も確かにありますが、
なんちゃって賢い風なワーカーさんが増えたようにも
思います。(はい、私もその業界の人間です。)

地域格差、スキルアップ、多くの『課題』があると
支援者の皆さんは言いますが、そもそもの根っこ部分に
ズレがあるんと違うんやろか?
そんな風に感じているのは私だけでしょうか。

生活相談って、基本はラフでいいと思います。
無駄話をしながら、お茶飲みながら、100円均一ショップ
でせんたくバサミやハンガーを選びながら、生活の話を聞く。
商店街を一緒に歩きながら、病気の話を聞く。

なんとなく話している中で大変な問題や悩みが、
ぼそっと一言。
これがほんまのSOSやと思います。
そこを拾って一緒に解決していくのが、プロやと思います。
はじめから整理して言葉できちんと相談できる人を
相談者に想定していたら、氷山の下の人たちはいつまで
たっても救われません。



カイパパさんのブログを見ている若いお父さん、お母さん、
親でも友達でもないんだけど、あなたのことを気にかけて
いる人が必ずいるということを忘れないでください。

あなたは一人ではありません。
だから、毒は溜めこまないで吐いちゃいましょう。
毒が抜けると、視界が明るくなりますよ。

あの時、手をかけようとした息子は20歳になり、
毎日元気に働いています。

働き方、暮し方もいろいろ。
こうでなければならないということはありません。

だから、大丈夫。

私は、このハバネロさんのメッセージを読み返しながら、「ひとり」の存在の重みについて考えていました。

悩み苦しみの渦中にいるひとり。
そのことに気がついて、手を差し伸べたいひとり。
その方法がわからず、その重さに耐える自信もなく、逡巡しているひとり。
いざ踏み出して、つまづき、とまどい、ためらい、自分を責めるひとり。
先に、一歩前に踏み出してみせて、大丈夫、といえるひとり。

ひとりが置かれたその時と場所は様々で、自分のことを支えるだけで精一杯なのが普通。
それでいい。あなたは精一杯やっている。
それなのに、心優しい、誠実な人ほど自分を責めてしまう。

上に書いた「ひとり」は、同じ人の「軌跡」だったりもする。
「大丈夫」と、今言うために、どれだけの逡巡をくりかえしてきたことか。
明日も、同じように言えるか?わが身に問い「それでも」と踏み出す勇気をふりしぼって。


ひとりは、強くて弱い。自分のことは自分が一番良く知っている、とは限りません。
「精一杯」って結構すごくて、精神力が、心身を壊すことだってざらにあります。

支援者も、たじろぎ、逃げ腰になり、疲れ、いやけがさし、燃え尽きる危険性を日々感じながらやっているのでしょう。

「当事者」とか「支援者」とか「親」とか、固まりにして語ることばかりあふれているけれど、
ひとり、ひとり、なんだ。

ひとりはひとり。

だけど、
助けを求めたら、

たくさんのひとりが集まってきて、なけなしの勇気と知恵をもちよって、なんとかしようとすると思うんだ。自分も「ひとり」だと知っているひとたちが。

ブログでできることはわずか。
とても一方的な発信。

複雑で矛盾した思いは、やはり、複雑で矛盾したままで。情理を尽くすところまでは語れないけど、「情」だけしかないけれど、私も「大丈夫だよ」と伝えたい。