大阪維新の会の「家庭教育支援条例案」について書いた記事への訪問とコメントをありがとうございます。

 マスコミで流れる映像や記事や、Twitterやブログでの、強い語気でなされる批判を読んで、この抗議運動に対して、違和感を覚えるかたもいらっしゃるようです。
 今回の騒動のせいで、「発達障害」や「障害者団体」が「こわい」「近づきたくない」存在のように受けとめられないか? そういった心配もあることでしょう。

 私は(自分でもめんどくさいやつだと思うのですが)、そういったメタな視点も、とても気になるタチで。どうしたものか、どう、この気持を表現したらよいかとずっと考えています。



 直接的な「答え」にはなりませんが、書いてみますので、読んでいただけたらと思います。

 みなさんは、大阪維新の会への要望書提出のニュース映像をご覧になりましたか?
 私は、FNNニュースの映像をみて、強く印象に残った箇所があります。

 大阪維新の会市議団の2名が、言葉(おそらく陳謝の言葉)を述べて、深々と頭を下げます。
 その瞬間、要望書を提出した女性(たぶん母親)2名が反射的に頭を下げようとして、一瞬ためらうのです。本当に瞬間です。

(抗議をしにきたのに。頭を下げられたからといって、お辞儀を返していいのだろうか?)

 こういう思いがかすめたのではないでしょうか? 一瞬のためらいの後、女性たちはお辞儀を返します(深々とではなく。しかし、礼は尽くすため)

 0:16秒から0:18秒の本当にわずかな時間です。葛藤が垣間見えた気がします。

FNN20120507
これは、0:18秒の映像


 私は、想像します。

 市議団を訪問をするために、代表者を決めて──
 仲良くするためではなく、抗議のための訪問で、相手の反応はわからないから、何を言えばよいのか、どんな表情をしたらよいのか。

 あんなにたくさんの、テレビカメラや報道陣に取り囲まれるなんてことは、一生に一度あるかない。
 あの場に立つ──ということは、全国の人々に「自分は、身内に発達障害のある者がいます」とわかってしまうことでもあります。非常に、勇気の要ることです。

 震えるでしょうし、緊張して、こわばった顔になってしまうでしょう。お辞儀していいのかどうなのかだって、迷って当然です。
 だけど、ニュース映像ではそれはわかりません。映像を見て、「議員が深々と頭を下げているのに、障害者団体の代表はふんぞり返っているじゃないか」「謝らせている強者」のような印象を与えた可能性があります。

 心のなかのことまでは、想像力を働かせることでしか、見えてきません。

 私は勝手に他人の心を忖度しすぎているかもしれませんね。やっぱり、障害者団体は「こわくて」「近づきたくない」存在でしょうか?

 私は、この時に提出した要望書の全文を読みたいと思いました。ここに掲載されていました。

・維新の会大阪市議団へ要望書提出〜家庭教育支援条例案〜|zyzysanのブログ
http://ameblo.jp/makami1968/entry-11244745351.html

 注目したのは、要望項目の2番──
2. 発達障害のある人々とその家族への支援の在り方について、当事者団体、専門家を含めた勉強会を開催してください。

 大阪維新の会市議団のみなさん、一緒に勉強しましょう。という呼びかけです。

 発達障害は、様々な困難さがあります。「こうすればよくなる」という「特効薬」的なものは、ありません。
 だから、一緒に勉強して、本人が幸せに暮らせるように考えていきませんか?

 と。怒りではなく、震えながら、緊張してこわばった表情かもしれないけど、語りかけたい。そう聞こえてきました。



 ……



 このブログを読んで下さっているかたがたなら、きっとご存知だと思います。カイパパは、支える立場の人たち(勝手に「仲間」だと思っています)が、ボタンの掛け違いから、いがみ合ったり、すれ違ったりすることが大変苦手で、過敏に反応して落ち込んだりめげたりしてしまいます。

 ……私がこんなこという筋合いではないのは承知していますが、
 みんな仲良く、やりましょう。ウィズらぶ。