「バスでのできごと」の記事を、本当にたくさんの方に読んでいただきました。ありがとうございます。

あれから、ずっと考えて来ました。

なぜこれほど、予想を超えて、読んでいただけたのか…

たぶん、みなさんが日常で目にしたことのある光景を、いじめられる本人とその家族の視点から、見返すきっかけになったのかなと思います。もし、そうであれば、とてもうれしいです。

記事をアップしてから、非常に緊張を感じました。
カイの現在の姿もさらして、現実に対してメッセージを出す行為が、どのように受けとめられるか。心配でその日は眠れませんでした。

眠れないなか見ていた、Facebookで、友だちが書いてくれた記事への感想

「あたりまえ」に見えることが、どれだけ練習し、緊張を乗り越えた冒険なのか。
どれだけそこに見えないたくさんの愛があるのか。

を読んで、初めて緊張がゆるんで、涙がこぼれました。

どれだけことばを選び、心をこめて、書いたとしても。「ハリネズミ」のように、「だれもわかってくれない」とおびえ、他人を遠ざける気持ちが、胸の中にはあって。
それでも、憎しみが連鎖するかわりに、優しさが連鎖するようにと祈りを込めて書き続けたいと思いました。

私が伝えたかったのは、「人としてみてほしい」ということでした。

どれだけ、風変わりで、理解しづらくても。人間だよ…?

「人間あつかい」されないことほど、むごい仕打ちはない…

それが、伝わったとき、やっと、私たちは、涙を流すことができます。

tsugaku