ずっと心にためていたものを、がぁっっと吐き出したあとには、しばらく口を開きたくないような感覚になる。書かれた記事は、読まれて、広がり、わたしの目には見えない深いところに吸い込まれていったんだろう。吐き出したわたしは、どこかで、エネルギーを満たさなければならない。

とりあえず、いってみよう」というブログがある。

ブログを書いているのは、自閉症の息子さん(現在社会人として就労している)をお持ちの方で、相談支援の最前線で働いている。わたしは、この方に会いたくて、会いに行った。一度話をしただけだが、今思い出しても胸の中があたたかくなる。そんな存在だ。

このブログの中に、「親代わり」を考えた時に、思い出し、読み返したい記事がある。

「くちづけ」という映画がある。知的障害のある娘と無理心中をはかる父親を描いたものらしい。
「らしい」としか書けないのは、映画を観ていないからだ。今後も観ることはないだろう。映画を観ていないのだから、映画について云々するつもりはない。
わたしが紹介したいのは、「くちづけ」の感想として書かれた文章だ。

絶望のかわりに、あるいは絶望の果てに、「他人」という、おそろしくも、有り難い、存在が、この町にはいる。たしかにいるんだってこと。それを思い知らせてくれる記事だ。

たぶん当初は、3つの連載記事にするつもりはなく、書き始められたのだと想像する。
抑え気味に始まる。しかし、だんだんと、母親としての思い、過去の交錯する記憶、そして今自分が目の前で支援している暮らしがあふれだすように語られていく。

ゆっくりでいいので、読み通していただけたらと願います。

(1)くちづけ 〜すごく遠回しな感想〜
http://blog.livedoor.jp/bach0123-habanero02/archives/7895993.html

(2)くちづけ 〜すごく近いつぶやき〜
http://blog.livedoor.jp/bach0123-habanero02/archives/7879772.html

(3)くちづけ 〜本当のきもち〜
http://blog.livedoor.jp/bach0123-habanero02/archives/7903303.html
人間は、弱い。
誰だって弱い。
たった一人で抱えたまま、誰にも言えなかったお父さん。
辛かっただろうな。

私がもし、あの「舞台」の中の誰かだったら。
入所施設を紹介する前に、
お父さんではなくマコちゃんと話していただろう。


あなたはどこで暮らしたい?

と。

この言葉に、弱いわたしは気がつかされる。
苦しいのは、わたしじゃない。生きて、暮らしていくのは、カイであると。

だからそう。だから胸を張ってさ!