多文化ラジオ番組「People Junction」2017年4月8日放送回
「ストリートで出会う 自閉症」
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1 はじめに 1:16
2 テーマ「ストリートで出会う 自閉症」について 3:01
3 4年前の事件「バスでのできごと」 5:24
4 再び読まれるきっかけ 20:00
5 「見えない存在」にされている〜相模原事件 24:52
6 実は、出会っている 29:00
町で、自閉症の人を見かけたことがありますか? そのとき、あなたはどんなことを感じますか? 4年前に起きたある事件を題材に、カイパパの思いを語ります。そこから、昨年7月におきた「あの事件」についても……。
ストリートで出会う、ってどうしたらいいんだろう? 自閉症をまったく知らない、そんな人にもぜひ聴いていただけたらと願っています。
■はじめに
(パーソナリティー 川口)
本日は、先週に引き続き、ゲストに自閉症の息子さんを持つカイパパさんをお招きしてお話をお伺いします。
(カイパパ)
カイパパと申します。17歳の知的障害を伴う自閉症のある息子がいます。息子の名前がカイと言って、その父親ということでカイパパと名乗っています。2002年から愛知県自閉症協会・つぼみの会で活動をしていて、2014年からは自閉症の人の権利擁護に取り組むプロジェクト部の部長を務めています。2003年からブログ「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」を始めて、今も続けています。2005年には『ぼくらの発達障害者支援法』を出版しました。
(川口)
前回は、4月2日の世界自閉症啓発デーにちなんで、「自閉症、はじめまして!」と題して、自閉症の特徴と学び方のスタイルについてお話を伺いました。
(カイパパ)
どうしても短い時間で伝えられることは限られているので、興味を持ってもらえて、自分でも情報を探してもらえるとうれしいなと思います。
・【ラジオ・要約】「世界自閉症啓発デー 自閉症、はじめまして!」4月1日放送回
■テーマ「ストリートで出会う 自閉症」について
(川口)
今回のテーマは、「ストリートで出会う 自閉症」なんですが、これはどういう意味を込めたものですか?
(カイパパ)
第2回のテーマを、いろいろと考えました。
「ストリートで出会う」という言葉に思い入れがあって。私がブログを始めた当時はブログ自体が目新しくて数もまだ少なかった。障害や福祉の関係のブログを見つけては、相互にコメントをつけたりして、交流をしていました。
そのなかで「ストリートで出会いたい」というタイトルを使っているブロガーがいました。その人は支援者の立場だったのですが。「支援する/される関係」「上下関係」ができてしまうことへの違和感を表明していて、「ストリートで出会うように、日常の中で、平場で、あなたに出会いたい」という意味を込められたタイトルでした。
そのメッセージを聴いて、とても印象に残っていて。自分は当時「親=保護者」だから「守らなきゃ!」という意識がとても強かった。目の前のわが子をひとりの人間として、ひとりの子どもとして見ること、「自閉症のカイ」ではなくて「カイには自閉症もある」という見方に変わった。
■4年前の事件「バスでのできごと」
(川口)
カイパパさんのブログの記事にわたしがとても印象に残っている記事があります。4年前にあった関西地方であった事件に関するものがありますね。野球部員が路線バスに乗車してきた自閉症のある男性にいやがらせをしたことをスマートホンの動画アプリで撮影して公開し、仲間内で面白がっていたという事件でした。
(カイパパ)
この事件の報道は、いわゆる「ベタ記事」で小さな記事だったんですが、新聞社のネットに掲載され、広がった。この事件を知ったときはショックでした。
なぜショックを受けるかというと、驚いたからではなくて「よくあること」だからです。この事件はたまたま高校が生徒の行為を発見し、きちんと処分をしたから報道された。しかし、他にも、とりあげられることもなく日常的にある、こういった嫌がらせはあるんです。だから、「やっぱりな」という印象で「がっかりする」ようなショックでした。
(川口)
この事件を受けて、カイパパさんが書かれた記事があります。よかったら、読んでいただけますか?
(カイパパ)
黙っているのも嫌だなあと思いつつ、どう伝えたらいいか悩みつつ書いた記事です。
(読み上げる)
「バスでのできごと(野球部のみなさんへ)」
(川口)
この記事には、たくさんの読者からのコメントもついていますね。その中から、ひとつ紹介させていただきます。
(ブログ記事のコメントを紹介)
(カイパパ)
とてもありがたいコメントです。
(川口)
反響も大きかったのでは?
(カイパパ)
反響が凄かったです。3日間で1万5千人ぐらいこの記事を閲覧しに来てくれました。伝わったのかなあと思いました。が、実は不安もあって。
この時の記事には、カイの写真をアップしたんです。これもすごく悩んで。まだカイが小さかったころはブログでも彼の写真を紹介していたんですが、中学生になって自我が芽生えてきているので、親が勝手にアップすることは控えるようにしていたんですが、読んだ方にイメージを持ってもらう、想像してもらうためには、この写真がいるだろうと思い切って、使わせてもらった。
(カイパパ)
なによりもこの記事を書いた理由は、高校生に、想像してほしい、ということを伝えたかったからです。
このバスで通勤している男性も、間違いなく、すごく長い時間をかけて通勤できるようになったと思うんです。
それをバカにしてからかって、笑う。仲間内のノリだったと思うんですが。
自閉症の人の行動は、ぱっと見、奇妙で、こわいとか、滑稽だとか思うかもしれない。
だけど、日々の暮らしがあって、愛し愛されて生きている。ひとつひとつのできるようになったことが、誰かの支えがあったから。
それを知ったら、見方や接し方が変わるんじゃないか。
だから、カイのことを書くことで伝わるといいなと思ってこの記事を書きました。
(川口)
手紙のスタイルで書かれたのは?
(カイパパ)
どう伝えるかについては悩みました。最初はすごい怒りを覚えて。
通勤できるようになって、すごいこと。だけど、こだわりがあって、
それを面白がっていたずらをするのはけしからん!と書くこともできた。
でも、時間をおいて考えて、高校生のことが心配になった。
弱い者いじめをする。幸せな状態だったらしないんじゃないかな? いじめをするそういう心理状態は、ストレスがたまっていたり、抑圧されていたり、自分自身の中で持って行きどころのない攻撃性が出てきたんじゃないか。
そういう状態の人に怒っても仕方がないと思いました。
「こうやって愛されてるってすごいことじゃないか?」って伝えて、自分自身も愛されて育っていることに気づいてもらえたらいいなと思って、手紙のかたちで書きました。
■再び読まれるきっかけ
(川口)
この記事は4年前に書かれた記事ですが、今年になって、また読まれることになったきっかけがあったそうですね。
(カイパパ)
そうなんです。1月になってブログのアクセス数をみたら突然増えていたのに気がつきました。
その時、RKB毎日放送の神戸金史記者がFacebookでこの記事をシェアしてくださって。それがまた反響を呼んで、再び、多くの人に届きました。
4年経って、高校生は、もう高校生ではなくなっていますよね。今頃、どうしているかな?と思って新たに書いた記事があります。
(読み上げる)
Re:バスでのできごと(野球部のみなさんへ)
(川口)
やさしい、記事ですね。
(カイパパ)
神戸記者が取り上げてくれたのは偶然じゃないと感じていて。
神戸記者も、自閉症のお子さんをお持ちの父親です。相模原事件の3日後に、メッセージを出されて、それがすごく響く内容で、世界中に届いて、秋にはそれをまとめた本にもなりました。
■「見えない存在」にされている〜相模原事件
(川口)
相模原事件とおっしゃったのは、昨年7月に相模原にある知的障害者入所施設「やまゆり園」で起きた、障害者の殺傷事件のことですね。
(カイパパ)
はい。最初に事件を知ったとき、いったい何が起きたんだろう?と戸惑いを覚えました。でも、事件を知るにつれて、これは偶然ではない、通り魔的なものではない、明らかに知的障害者をターゲットにした、強烈な悪意を持った事件が起きたとわかりました。
今ようやく公判がスタートしたところで、事件の真相について、私は語る言葉を持っていないのですが。
今日ここでお話ししたいのは、この事件で被害を受けた方々が匿名のままだということ。神奈川県警は当初から氏名を伏せています。
実名報道の是非は議論があるところです。しかし、社会に影響のある事件については、人々が知る必要があるということでマスメディアは報道をしている。ところが、被害者が障害のある人だと、メディアも匿名でよしとしていることに、差別を感じました。
相模原事件のことを考える会を開いたときに、私の友人が、彼女はクリスチャンなのですが、「神様に亡くなった方の魂のことをお祈りしたいのに、名前で呼びかけることができない」と言われて。そうか、名前がないと追悼することもできないんだと思いました。
知的障害のある人が山奥に隔離されて、見えない存在にされている。
「それじゃいけない。住み慣れた地域で暮らせるようにしよう」と「施設から地域へ」という運動が始まっていて。少しずつ、地域移行は進んでいますが、まだまだです。
匿名報道は、障害を持っていることが恥だ、隠したいことだと世間では今でも思われていることが明らかにしたと感じています。
■実は、出会っている
(カイパパ)
今日、ストリートで出会うというテーマにしました。
みなさん、実は出会っているんです。
子どもの頃を思い出してみて、近所や学校に、障害のある子がいませんでしたか?
いつまで、その子は一緒に過ごしていましたか?
いつの間にか、出会わなくなってしまった。
今、どこでどうやって暮らしているんだろう?
そんな想像をしてもらえたら、町で出会う人を、もしかしたらあの時の○○ちゃんかもしれないと重ね合わせたりして。困っていたら、手をさしのべようとか思える。
そうなったらいいなと願っています。
【参考サイト】
・NHK 19のいのち ─障害者殺傷事件─
http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/
「ストリートで出会う 自閉症」
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1 はじめに 1:16
2 テーマ「ストリートで出会う 自閉症」について 3:01
3 4年前の事件「バスでのできごと」 5:24
4 再び読まれるきっかけ 20:00
5 「見えない存在」にされている〜相模原事件 24:52
6 実は、出会っている 29:00
町で、自閉症の人を見かけたことがありますか? そのとき、あなたはどんなことを感じますか? 4年前に起きたある事件を題材に、カイパパの思いを語ります。そこから、昨年7月におきた「あの事件」についても……。
ストリートで出会う、ってどうしたらいいんだろう? 自閉症をまったく知らない、そんな人にもぜひ聴いていただけたらと願っています。
■はじめに
(パーソナリティー 川口)
本日は、先週に引き続き、ゲストに自閉症の息子さんを持つカイパパさんをお招きしてお話をお伺いします。
(カイパパ)
カイパパと申します。17歳の知的障害を伴う自閉症のある息子がいます。息子の名前がカイと言って、その父親ということでカイパパと名乗っています。2002年から愛知県自閉症協会・つぼみの会で活動をしていて、2014年からは自閉症の人の権利擁護に取り組むプロジェクト部の部長を務めています。2003年からブログ「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」を始めて、今も続けています。2005年には『ぼくらの発達障害者支援法』を出版しました。
(川口)
前回は、4月2日の世界自閉症啓発デーにちなんで、「自閉症、はじめまして!」と題して、自閉症の特徴と学び方のスタイルについてお話を伺いました。
(カイパパ)
どうしても短い時間で伝えられることは限られているので、興味を持ってもらえて、自分でも情報を探してもらえるとうれしいなと思います。
・【ラジオ・要約】「世界自閉症啓発デー 自閉症、はじめまして!」4月1日放送回
■テーマ「ストリートで出会う 自閉症」について
(川口)
今回のテーマは、「ストリートで出会う 自閉症」なんですが、これはどういう意味を込めたものですか?
(カイパパ)
第2回のテーマを、いろいろと考えました。
「ストリートで出会う」という言葉に思い入れがあって。私がブログを始めた当時はブログ自体が目新しくて数もまだ少なかった。障害や福祉の関係のブログを見つけては、相互にコメントをつけたりして、交流をしていました。
そのなかで「ストリートで出会いたい」というタイトルを使っているブロガーがいました。その人は支援者の立場だったのですが。「支援する/される関係」「上下関係」ができてしまうことへの違和感を表明していて、「ストリートで出会うように、日常の中で、平場で、あなたに出会いたい」という意味を込められたタイトルでした。
そのメッセージを聴いて、とても印象に残っていて。自分は当時「親=保護者」だから「守らなきゃ!」という意識がとても強かった。目の前のわが子をひとりの人間として、ひとりの子どもとして見ること、「自閉症のカイ」ではなくて「カイには自閉症もある」という見方に変わった。
■4年前の事件「バスでのできごと」
(川口)
カイパパさんのブログの記事にわたしがとても印象に残っている記事があります。4年前にあった関西地方であった事件に関するものがありますね。野球部員が路線バスに乗車してきた自閉症のある男性にいやがらせをしたことをスマートホンの動画アプリで撮影して公開し、仲間内で面白がっていたという事件でした。
(カイパパ)
この事件の報道は、いわゆる「ベタ記事」で小さな記事だったんですが、新聞社のネットに掲載され、広がった。この事件を知ったときはショックでした。
なぜショックを受けるかというと、驚いたからではなくて「よくあること」だからです。この事件はたまたま高校が生徒の行為を発見し、きちんと処分をしたから報道された。しかし、他にも、とりあげられることもなく日常的にある、こういった嫌がらせはあるんです。だから、「やっぱりな」という印象で「がっかりする」ようなショックでした。
(川口)
この事件を受けて、カイパパさんが書かれた記事があります。よかったら、読んでいただけますか?
(カイパパ)
黙っているのも嫌だなあと思いつつ、どう伝えたらいいか悩みつつ書いた記事です。
(読み上げる)
「バスでのできごと(野球部のみなさんへ)」
(川口)
この記事には、たくさんの読者からのコメントもついていますね。その中から、ひとつ紹介させていただきます。
(ブログ記事のコメントを紹介)
とても胸に響きました。
私は自分に子どもができて、ただでさえこんなに子育ては大変なのに、障害を持ったお子さんを育てていらっしゃる親御さんの苦労は計り知れないと思い知りました。
そして、深く尊敬の念を抱いております。
そんな風に思っていても、何の助けもできない自分がいます。
苦労されている親御さんを見ると、何が本当の意味での助けになるのか...など考えますが、現実は何もできません。
社会が安心できる場だと信じれるようにすることが、大切なのですね。
体は大きくても幼児の心...そう思うと、不安感が痛いほど分かる気がします。
自閉症や知的障害のある方が、どんなことが問題で、どんな風に感じていて、どんな対応をされることがベスト(ベター)だと感じられるのか...など、社会一般にもっと広まって、認知されていく必要があると感じています。
まとまらないコメントになりましたが、とても大切な気付きを頂いたこと、一言コメントを残させて頂きたく思いました。
ご子息様の、一歩一歩確実な成長(たとえどんなにゆっくりだとしても)、きっとカイパパ様たちには、この上ない喜びでしょうね。
私も、失礼ながら図々しくも、ご子息様の成長を願わせて頂きます。
全ての人が、もっと住みやすい社会になりますように。
(カイパパ)
とてもありがたいコメントです。
(川口)
反響も大きかったのでは?
(カイパパ)
反響が凄かったです。3日間で1万5千人ぐらいこの記事を閲覧しに来てくれました。伝わったのかなあと思いました。が、実は不安もあって。
この時の記事には、カイの写真をアップしたんです。これもすごく悩んで。まだカイが小さかったころはブログでも彼の写真を紹介していたんですが、中学生になって自我が芽生えてきているので、親が勝手にアップすることは控えるようにしていたんですが、読んだ方にイメージを持ってもらう、想像してもらうためには、この写真がいるだろうと思い切って、使わせてもらった。
(カイパパ)
なによりもこの記事を書いた理由は、高校生に、想像してほしい、ということを伝えたかったからです。
このバスで通勤している男性も、間違いなく、すごく長い時間をかけて通勤できるようになったと思うんです。
それをバカにしてからかって、笑う。仲間内のノリだったと思うんですが。
自閉症の人の行動は、ぱっと見、奇妙で、こわいとか、滑稽だとか思うかもしれない。
だけど、日々の暮らしがあって、愛し愛されて生きている。ひとつひとつのできるようになったことが、誰かの支えがあったから。
それを知ったら、見方や接し方が変わるんじゃないか。
だから、カイのことを書くことで伝わるといいなと思ってこの記事を書きました。
(川口)
手紙のスタイルで書かれたのは?
(カイパパ)
どう伝えるかについては悩みました。最初はすごい怒りを覚えて。
通勤できるようになって、すごいこと。だけど、こだわりがあって、
それを面白がっていたずらをするのはけしからん!と書くこともできた。
でも、時間をおいて考えて、高校生のことが心配になった。
弱い者いじめをする。幸せな状態だったらしないんじゃないかな? いじめをするそういう心理状態は、ストレスがたまっていたり、抑圧されていたり、自分自身の中で持って行きどころのない攻撃性が出てきたんじゃないか。
そういう状態の人に怒っても仕方がないと思いました。
「こうやって愛されてるってすごいことじゃないか?」って伝えて、自分自身も愛されて育っていることに気づいてもらえたらいいなと思って、手紙のかたちで書きました。
■再び読まれるきっかけ
(川口)
この記事は4年前に書かれた記事ですが、今年になって、また読まれることになったきっかけがあったそうですね。
(カイパパ)
そうなんです。1月になってブログのアクセス数をみたら突然増えていたのに気がつきました。
その時、RKB毎日放送の神戸金史記者がFacebookでこの記事をシェアしてくださって。それがまた反響を呼んで、再び、多くの人に届きました。
4年経って、高校生は、もう高校生ではなくなっていますよね。今頃、どうしているかな?と思って新たに書いた記事があります。
(読み上げる)
Re:バスでのできごと(野球部のみなさんへ)
(川口)
やさしい、記事ですね。
(カイパパ)
神戸記者が取り上げてくれたのは偶然じゃないと感じていて。
神戸記者も、自閉症のお子さんをお持ちの父親です。相模原事件の3日後に、メッセージを出されて、それがすごく響く内容で、世界中に届いて、秋にはそれをまとめた本にもなりました。
■「見えない存在」にされている〜相模原事件
(川口)
相模原事件とおっしゃったのは、昨年7月に相模原にある知的障害者入所施設「やまゆり園」で起きた、障害者の殺傷事件のことですね。
(カイパパ)
はい。最初に事件を知ったとき、いったい何が起きたんだろう?と戸惑いを覚えました。でも、事件を知るにつれて、これは偶然ではない、通り魔的なものではない、明らかに知的障害者をターゲットにした、強烈な悪意を持った事件が起きたとわかりました。
今ようやく公判がスタートしたところで、事件の真相について、私は語る言葉を持っていないのですが。
今日ここでお話ししたいのは、この事件で被害を受けた方々が匿名のままだということ。神奈川県警は当初から氏名を伏せています。
実名報道の是非は議論があるところです。しかし、社会に影響のある事件については、人々が知る必要があるということでマスメディアは報道をしている。ところが、被害者が障害のある人だと、メディアも匿名でよしとしていることに、差別を感じました。
相模原事件のことを考える会を開いたときに、私の友人が、彼女はクリスチャンなのですが、「神様に亡くなった方の魂のことをお祈りしたいのに、名前で呼びかけることができない」と言われて。そうか、名前がないと追悼することもできないんだと思いました。
知的障害のある人が山奥に隔離されて、見えない存在にされている。
「それじゃいけない。住み慣れた地域で暮らせるようにしよう」と「施設から地域へ」という運動が始まっていて。少しずつ、地域移行は進んでいますが、まだまだです。
匿名報道は、障害を持っていることが恥だ、隠したいことだと世間では今でも思われていることが明らかにしたと感じています。
■実は、出会っている
(カイパパ)
今日、ストリートで出会うというテーマにしました。
みなさん、実は出会っているんです。
子どもの頃を思い出してみて、近所や学校に、障害のある子がいませんでしたか?
いつまで、その子は一緒に過ごしていましたか?
いつの間にか、出会わなくなってしまった。
今、どこでどうやって暮らしているんだろう?
そんな想像をしてもらえたら、町で出会う人を、もしかしたらあの時の○○ちゃんかもしれないと重ね合わせたりして。困っていたら、手をさしのべようとか思える。
そうなったらいいなと願っています。
【参考サイト】
・NHK 19のいのち ─障害者殺傷事件─
http://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/
今回の事件で、警察は犠牲になった19人の方々のお名前を公表していません。
19人おひとりおひとりに、豊かな個性があり、
決して奪われてはならない大切な日常があったはずですが、
私たちはこれまで十分にお伝えすることができずにきたと思っています。
そして、過去に例をみない凶悪な犯罪の衝撃は、事件から時がたつにつれて
社会から薄れていっているように感じています。
私たちは、失われた命の重さを伝え、その痛みを少しでも想像し、
みんなで受け止めていくことで、
再び悲劇を生まない社会を作っていきたいと考えています。
19人の方々を知る人たちが語ってくださった思い出のかけらを集めて、
確かに生きてきた「19のいのち」の証しを、
少しずつここに刻んでいきたいと思っています。
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