先月、大阪維新の会の「家庭教育支援条例」の案が報道されたときに、またか…と暗然としました。
そのときに、Twitterで、自閉症のきょうだいをもつ学生のかたが、私あてにメッセージを送ってくれました。
「兄は自閉症です。両親の、兄とわたしへの愛情や育て方に違いがあったとは思えません」と。
このパワフルなメッセージが、思い出させてくれました。
10年前に、ノースカロライナ大学TEACCH部創始者エリック・ショプラー先生が自閉症カンファレンスNIPPONのために来日されたときのことです。私は、先生の講演を聴くことができました。
ショプラー先生が、若い頃、シカゴ大学でベッテルハイム教授に師事して臨床心理学を学んでいたとそこで初めて知り、とても驚きました。ショプラー先生は、ベッテルハイム教授が主張していた「自閉症は不適切な母子関係による情緒障害である」とした説に納得できず、シカゴ大学を離れ、ノースカロライナ大学に移って研究を続けました。
ノースカロライナ大学で、自閉症の原因が親にあるのかを検証するために、親にインタビューをしたときのことをお話しされました。
親たちは、わが子の障害の原因が自分にあると自責の念にかられて、非常に不安定で自信のない答えをした。しかし、質問を「あなたは自閉症の子どもを抱えながら、健常のきょうだいを立派に育てられましたね。どのように育てられたのですか?」と変えて尋ねてみた。すると、それまでの苦渋に満ちた表情がパッと明るくなって、誇らしげに、自分の育て方ときょうだいの育ちのことを語ってくれた……と。
ショプラー先生が、「親は、自信を失わされていた」「自分は、そうではないと確信をした」「そして、親は共同治療者であるということをTEACCHの理念にした」と語られました。
今日の記事を書くために、内山登紀夫先生の『本当のTEACCH』を読み直しました。該当する部分を引用します。
論文や本で、同じことを読んでも、あの講演での「熱」は伝わらないかもしれません。
ショプラー先生は、ベッテルハイムという師を乗り越えなければならなかったこと、母原病説によって子どもが親から引き離されて、子どもは混乱のなかにあり、親は自信喪失をしていた時代を変革してきた。そのことを「原点」として語る必要があると確信されていたのだと思います。
その必要性は、日本でも、何度も「親の育て方が原因」という主張が蘇ってくることをみればわかります。
内山先生は、2006年にブログ記事で書かれています。
・児童精神医学と福祉と教育: ベッテルハイムを批判しなければならないわけ
http://blogs.dion.ne.jp/tokio/archives/4704116.html
・児童精神医学と福祉と教育: ベッテルハイムとショプラー先生
http://blogs.dion.ne.jp/tokio/archives/4715546.html
このブログでも、何度か書いてきたことですが。
自閉症の原因がどこにあるのかは、私たち親にはわかりません。
ただ、わかっていることは、自閉症の特性に合わない接し方をすると、子どもは苦痛を覚え、激しい混乱状態に追い込まれ、生活が困難になるということです。
自閉症だとわかったときに、その「原因」を考えない親はいないと思います。
経験のない子育てに加えて、「自閉症の特性」といっても、わが子の特性を理解し、この子にあった子育てをすることは大変なエネルギーが必要なのに。原因が自分にあると責めることは、エネルギーを消耗するだけで。生きる気力を奪い、子どもに寄り添っていく自信をなくさせます。
・【わが子】★3 診断の前後で、わが子が別人になったわけではない
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360803.html
こんなえらそうなことを書いて恥ずかしいのですが……「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」と思えるようになるためにも、「原因は何か」という犯人探しはマイナスしかないと思うのです。
大変な子育て。それは自閉症に限らず。
子育てを親だけでかかえこまず、周りに助けを求められるようにするためには、「親を叩く」ことは愚の骨頂で、「よくここまで育てましたね。わからない中で、大変だったでしょう」という優しくいたわり、なぐさめるところから始めるしかないでしょう…?
これ以上書くと、感情がぐらんぐらんしてくるので止めます。最後に。
エネルギーをどこから補給をするか? どうすれば、気力がわいてくるのか?
勇気と知恵が自分のなかから自然と無尽蔵にわいてくるなら、こんなブログ要らない。仲間も、専門家も要らない。
でもそうじゃないでしょう。
すぐに枯れてしまうでしょう。
長く親をやっていれば、「省エネ」運転のこつはつかむけど、本当にガス欠になってしまうこともある。
だから助けあいましょう。
元気じゃなくても「生きているよ」と知らせあいましょう。
それがはげましになるから。
そのときに、Twitterで、自閉症のきょうだいをもつ学生のかたが、私あてにメッセージを送ってくれました。
「兄は自閉症です。両親の、兄とわたしへの愛情や育て方に違いがあったとは思えません」と。
このパワフルなメッセージが、思い出させてくれました。
10年前に、ノースカロライナ大学TEACCH部創始者エリック・ショプラー先生が自閉症カンファレンスNIPPONのために来日されたときのことです。私は、先生の講演を聴くことができました。
ショプラー先生が、若い頃、シカゴ大学でベッテルハイム教授に師事して臨床心理学を学んでいたとそこで初めて知り、とても驚きました。ショプラー先生は、ベッテルハイム教授が主張していた「自閉症は不適切な母子関係による情緒障害である」とした説に納得できず、シカゴ大学を離れ、ノースカロライナ大学に移って研究を続けました。
ノースカロライナ大学で、自閉症の原因が親にあるのかを検証するために、親にインタビューをしたときのことをお話しされました。
親たちは、わが子の障害の原因が自分にあると自責の念にかられて、非常に不安定で自信のない答えをした。しかし、質問を「あなたは自閉症の子どもを抱えながら、健常のきょうだいを立派に育てられましたね。どのように育てられたのですか?」と変えて尋ねてみた。すると、それまでの苦渋に満ちた表情がパッと明るくなって、誇らしげに、自分の育て方ときょうだいの育ちのことを語ってくれた……と。
ショプラー先生が、「親は、自信を失わされていた」「自分は、そうではないと確信をした」「そして、親は共同治療者であるということをTEACCHの理念にした」と語られました。
今日の記事を書くために、内山登紀夫先生の『本当のTEACCH』を読み直しました。該当する部分を引用します。
先行研究では自閉症児の親(特に母親)は思考障害があったとされていたのである。ショプラーたちは親の罪悪感がテスト結果に反映していると考えた。そこで自閉症児と定型発達児のきょうだいをもつ親を対象に検討した。障害児をもつ親がいかにきょうだいをうまく育てているかみるのが目的だと保護者に説明して実験を行った。このような親の気持を配慮した上で実験を行うと、自閉症児の親がとりわけ思考障害があるという結果はなかった。
(内山登紀夫『本当のTEACCH』P.28 学研2006)
論文や本で、同じことを読んでも、あの講演での「熱」は伝わらないかもしれません。
ショプラー先生は、ベッテルハイムという師を乗り越えなければならなかったこと、母原病説によって子どもが親から引き離されて、子どもは混乱のなかにあり、親は自信喪失をしていた時代を変革してきた。そのことを「原点」として語る必要があると確信されていたのだと思います。
その必要性は、日本でも、何度も「親の育て方が原因」という主張が蘇ってくることをみればわかります。
内山先生は、2006年にブログ記事で書かれています。
・児童精神医学と福祉と教育: ベッテルハイムを批判しなければならないわけ
http://blogs.dion.ne.jp/tokio/archives/4704116.html
(引用者注:内山先生がベッテルハイムの著作を再読していることの理由として言及)
…
もう一つの大きな理由は「本当のTEACCH」(学研)に記載されている、故ショプラー先生にインタビューしたときに、ベッテルハイムに関して多くの時間を割いて説明してくれた。早稲田のカンファに来日されたときも、ベッテルハイムの批判にかなりの時間を割いて説明された。なんだが、少し違和感を持ったのですね。何故なら、ベッテルハイムというのは僕の世代の児童精神科医、特に発達障害を専門にする児童精神科医にとっては、完全に過去の人で、今頃、問題にすることもないような気もしたのです。
ショプラー先生はシカゴ大学でベッテルハイムに一時師事され、その後袂をわかってTEACCHを創立された。当時(1950年代から60年代)はベッテルハイムの全盛期ではあったでしょうが、その後70年代以降の自閉症研究の流れのなかでベッテルハイムの自閉症観は完全に否定された(ようにみえた)。
どうしてショプラー先生が、21世紀になってもベッテルハイム否定に、ある種の情熱をかけられたかのか、ヒントを知りたいと思ったこともあってベッテルハイムの著作を読んでいるわけです。
…
・児童精神医学と福祉と教育: ベッテルハイムとショプラー先生
http://blogs.dion.ne.jp/tokio/archives/4715546.html
…
ただ、彼(引用者注:ベッテルハイム)は多くの研究・臨床成果があがった90年代になっても自説を曲げなかった。ショプラー先生がこだわったのは、さまざまな根拠があるのに、自分の間違いを正そうとしないベッテルハイムのようなあり方が許せなかった、あるいはベッテルハイムのような人を認めると(批判をきちんとしないと)、自閉症の子どもと家族に不利益を与えるということを、我々のような次ぎの世代にきちんと伝えたかったのではないかという気がしてきた。日本でもベッテルハイムと同じようなことを言っていた人が自己批判もしないで、そのまま活動をしていることがある。「だめなものは駄目」ときちんと表出することが大切だ。
…
このブログでも、何度か書いてきたことですが。
自閉症の原因がどこにあるのかは、私たち親にはわかりません。
ただ、わかっていることは、自閉症の特性に合わない接し方をすると、子どもは苦痛を覚え、激しい混乱状態に追い込まれ、生活が困難になるということです。
自閉症だとわかったときに、その「原因」を考えない親はいないと思います。
経験のない子育てに加えて、「自閉症の特性」といっても、わが子の特性を理解し、この子にあった子育てをすることは大変なエネルギーが必要なのに。原因が自分にあると責めることは、エネルギーを消耗するだけで。生きる気力を奪い、子どもに寄り添っていく自信をなくさせます。
・【わが子】★3 診断の前後で、わが子が別人になったわけではない
http://kaipapa.livedoor.biz/archives/360803.html
こんなえらそうなことを書いて恥ずかしいのですが……「診断の前後で、わが子が別人になったわけではない」と思えるようになるためにも、「原因は何か」という犯人探しはマイナスしかないと思うのです。
大変な子育て。それは自閉症に限らず。
子育てを親だけでかかえこまず、周りに助けを求められるようにするためには、「親を叩く」ことは愚の骨頂で、「よくここまで育てましたね。わからない中で、大変だったでしょう」という優しくいたわり、なぐさめるところから始めるしかないでしょう…?
これ以上書くと、感情がぐらんぐらんしてくるので止めます。最後に。
エネルギーをどこから補給をするか? どうすれば、気力がわいてくるのか?
勇気と知恵が自分のなかから自然と無尽蔵にわいてくるなら、こんなブログ要らない。仲間も、専門家も要らない。
でもそうじゃないでしょう。
すぐに枯れてしまうでしょう。
長く親をやっていれば、「省エネ」運転のこつはつかむけど、本当にガス欠になってしまうこともある。
だから助けあいましょう。
元気じゃなくても「生きているよ」と知らせあいましょう。
それがはげましになるから。