ネットを見ていて、今や自閉スペクトラム症のある人への視覚支援の有効性は常識となったのだなと感慨深いものがあります。
視覚支援──たとえば絵カードやスケジュールを練習して使えるようになることで、わかる方法で認知を助け、見通しを持って自ら動けるようになります。(この「練習する」ことが抜けて、なんでも絵にして見せれば通じるだろうと乱暴なことをして失敗する例も多いようですが)
専門家ではない、ごく普通の親が「こんなふうにやってみたらうまくいきました!」と報告されているのを見て、心があたたかくなります。
でも、子どもがまだまだ幼くて、あるいは知的障害が重い場合や、そうでなくても「初めてのこと」をあらかじめ伝えることは難しいですね。たとえば、病院での検査とか。(理解したとしてもイヤなものでもあります)
近頃のカイを見ていて思うのは、イヤなこと、不安なことに耐える、がまんすることができてきたのは、「個別具体的な見通し」があるからというより(なかなか提示しても理解が難しい場合が多い)、「この人がすることなら、ひどいことにはならないだろう」という特定の「人への信頼」を頼りにしていることがわかります。
それは、親であったり、日々関わってくれるヘルパーさんであったり、学校の先生や病院の看護師さんだったりします。
「前にもこの人が一緒の時に、イヤなこと、痛いことをされた。だけど、それはそんなにひどいことにはならなかった」という体験の積み重ねが(ものすごく時間をかけて)人への信頼につながっています。
数年前のことですが、カイが「○○歯科、いく」と歯を指差して自分から言いました。歯医者で暴れてもがいて逃げようとしてきた彼が、「歯が痛い→歯医者で治療する(痛いけど)→歯が痛くなくなる」因果をつかんで、自ら選んだ。びっくりして、感動しました。
(見通しを持つツールの練習や活用、意思の尊重は前提として)
イヤなことでも、この人がついていてくれたら、だいじょうぶ。
そう思える人を、これからも増やしていきたいです。